第十三話
続く準決勝第二試合――バリスティ寮のアルカナと、クラスシアタ寮のシスティーナが静かに対峙した。
競技場の中央、互いに一歩も動かぬまま向き合う二人を包む空気は、どこか張り詰めていた。
アルカナは蒼の瞳を湛え、指先一つ乱さぬまま長杖を静かに掲げる。その姿は、まるで波風一つ立たぬ湖面のように澄んでいて、ただ立っているだけで観客の呼吸を奪っていた。
対するシスティーナは、陽光を織り込んだような金髪を背に流し、研ぎ澄まされた視線で目の前の相手を捉えている。
その気配はまさしく刃――沈黙の中に、鋭さだけがひたすらに際立ち、周囲の空気さえも断ち切るかのような緊張を生み出していた。
「アルカナのあの杖って、アーティファクトだよな? 一体どんな効果があるんだ?」
興味を抑えきれず、ヴァイルが隣に座るクレアに身を寄せる。
「大抵、杖のアーティファクトには魔力を増幅する効果があるわ。攻撃の威力も精度も上がるし。たぶん、彼女のもそうじゃないかしら」
クレアの声は静かだが、その観察眼には揺るぎがない。
二人がリングに上がると、軽く一礼を交わして定位置につき、開始の合図を待つ。
「始まるわね、主席システィーナの戦闘。これは楽しみだわ」
そう呟いたクレアの隣で、ザイアスは黙したままシスティーナを見つめていた。
――なんだこの違和感は。
彼女の纏う魔力に、微かだが異質な感覚があった。悪とは言い難い、だが決して清らかでもない。説明のつかない“ひっかかり”が胸を騒がせる。
「試合開始!」
その声が響いた瞬間、アルカナの足元に淡く青い魔法陣が広がり、次の瞬間にはその姿が幾重にも分裂する。
鏡に映したかのように現れた分身たちは、動きも息遣いも、全てが精巧に作り込まれていた。
『スペルエンゲージ:タイプストラテジア「アクアミラージュ」』
「本物がどれかわかる?」
アルカナの声が幾層にも重なるように響き渡り、観客席から驚きのどよめきが上がる。
その幻影魔法の精度に、一部の生徒は思わず席から身を乗り出すほどだった。高度な魔力制御を要する幻術――使いこなせる者は、学園内でも限られている。
アルカナは杖を再び掲げ、次なる詠唱に入る。
だが――
「『スペルエンゲージ――』っ!?」
声が詰まる。
気づけば、既にシスティーナがアルカナの懐にまで迫っていた。
『スペルエンゲージ:タイプアサルト「リュミエルグレイヴ」』
光が凝縮され、純白の大剣がその手に生まれる。神聖を宿すかのごとき刃は迷いなく振るわれ、その軌跡が一直線にアルカナを貫かんと迫る。
「っ――『タイプストラテジア「エクスチェンジ」』」
アルカナは即座に詠唱を繋げ、本体と幻影の位置を切り替えた。見事な機転――そのはずだった。
「へ?」
しかし、移動した先にも、システィーナがいた。
空間のわずかな歪みに反応し、光の脚力を活かして即座に追従していたのだ。
輝く光剣が閃き、アルカナの身体をかすめる。刹那、胸元の「身代わりの首飾り」が砕け散り、その破片が空中を舞った。
審判の腕が高く掲げられる。
「勝者――システィーナ!」
会場は静寂に包まれた後、一斉にどよめきと歓声が広がっていく。
「強いな」
ヴァイルの唇から、自然に言葉がこぼれた。
「やっぱりバスティとシスティーナが残ったわね。どちらが勝ってもおかしくないと思うわ」
クレアが目を細め、どこか嬉しそうに言った。興奮を押し隠しきれない声色だった。
――何だ今のは。明らかにおかしい……いや、ありえない。
会場中が歓声に包まれ、興奮と喝采が渦巻く中ザイアスだけは、沈黙を貫いたままシスティーナの姿を見据えていた。
ただ一人、この場において彼女の“違和感”に気づいている者。
先ほど放たれた光の大剣。あの瞬間――
確かに、彼女は詠唱を行っていた。だが、その詠唱が始まるよりも僅かに早く、大剣は既に顕現していたのだ。
ほんの一瞬。
目を凝らさねば見落とす程度の違和――それを、ザイアスの眼は捉えていた。
静かに立ち尽くすシスティーナの背を見ながら、彼の胸の奥に、言葉にならぬ警鐘が鳴っていた。
観客席から沸き起こる歓声と拍手が、決勝戦の舞台を熱く包み込んでいた。
選ばれし二人の闘士――荒々しい戦闘スタイルで観客を沸かせたアルカルトス寮のバスティーと、圧倒的な魔力量と精緻な魔法制御で勝ち上がってきたクラスシアタ寮のシスティーナが、ついに激突する。
両者がリングに姿を現すと、競技場は歓喜の渦に呑まれた。
「さぁ、早くやろうぜ」
バスティーが拳を鳴らしながら中央へと進み出る。
その眼差しは鋭く、まるで獲物を仕留める直前の猛獣のような覇気を漂わせていた。脚を広げて仁王立ちする姿に、観客たちは息を飲む。
対するシスティーナは、微笑を浮かべながら歩を進める。
金色の髪を風に靡かせ、その瞳に宿るのは揺るがぬ意志。言葉にするより先に、彼女の佇まいがすでにその強さを語っていた。
「あなたが強いのはわかっているわ。でも――負ける気はしない」
言葉は柔らかく、だが瞳に宿る光は静かな闘志に燃えている。
「試合開始っ!」
審判の声が響いた瞬間、バスティーの全身から魔力が爆ぜた。
「いくぜっ!」
『スペルエンゲージ:タイプアサルト「スカーレットフォール」』
瞬時に両腕から炎が奔流となって巻き上がり、渦を巻いて一つの巨大な火球へと収束する。轟音を伴って撃ち放たれたその炎弾は、戦場の温度を一気に跳ね上げ、空気を震わせるほどの熱量を帯びていた。
火球はうねりながら空を切り、圧倒的な速さと威圧感でシスティーナへと迫る。
だが、彼女の表情に焦りはない。静かに指輪へ魔力を注ぎ込むと、詠唱が響いた。
『スペルエンゲージ:タイプアシストリア「インペリウムシールド」』
黄金の輝きを放ちながら、堅牢な魔法盾がシスティーナの眼前に展開される。
衝突した瞬間、火球は爆ぜることなく音もなく霧散し、その余熱だけを残して消え去った。
観客席からどよめきが広がる。しかし――
「まだまだ終わらねぇぞ、これでも喰らえ!」
怯むどころか、バスティーの闘志はさらに燃え上がる。
『スペルエンゲージ:タイプアサルト「スカーレットレイン」』
空に展開された魔法陣が赤く煌めいた。そこから無数の炎の刃が降り注ぎ、次々と軌道を変えながらシスティーナを包囲する。全方位から襲いかかる炎は、さながら火の雨の如く、その場の空間を焼き尽くさんとしていた。
だが――システィーナの声が静かに響く。
「アサルトばかりに頼る戦い方は、隙が多いのよ」
『スペルエンゲージ:タイプストラテジア「リフラクタリエ」』
瞬間、光の繊維が空間を縫うように編まれてゆく。屈折と反射の術式が織り成す迷宮は、直線の炎の意思を歪め、軌道を狂わせた。
弾道を失った火の刃は、彼女の体に届くことなく、宙を彷徨いながら力を失って霧消していく。
バスティーはその光景を見ても、一切動じない。
口角を上げてニヤリと笑い、次なる一手を既に構えていた。
まるで――この激戦が、ようやく“楽しく”なってきたとでも言うかのように。
「お前の魔法、確かにすげぇ。でも、俺はこういう戦い方もできるんだ!」
吼えるように叫んだ瞬間、バスティーの体が風を裂くように加速する。まるで火花が走るかのような突進。
『スペルエンゲージ:タイプエンチャント「クリムゾンジャッジ」』
拳に纏った炎が唸りを上げ、空気が歪むほどの熱を帯びていた。爆発的な瞬発力でシスティーナに接近し、鋭い一撃を叩き込もうとする。
しかし、彼女は冷静だった。
わずかに身を捻ると、紙一重の距離でそれを回避し、舞うように後方へ退く。その動きは風をも欺くほど滑らかで、美しい。
「それはさっき見たわ」
静かに、けれど切れ味鋭く放たれた言葉とともに、彼女の詠唱が始まる。
『スペルエンゲージ:タイプアサルト「ホーリーアロー」』
純光の矢が手元に生まれ、間髪入れずに射出される。
「ちっ、速ぇな!」
舌を打ったバスティーは、即座に脚に炎を纏い、その矢をかいくぐるように跳躍し続ける。
観客席では、誰もが固唾を呑んでその接近戦を見守っていた。
だが、彼の動きは次第に鈍くなり始めていた。無数の傷がその肉体に刻まれ、呼吸も荒くなっている。それでも――その目だけは、なお燃えていた。
「ここで終わらせてやる、これが俺の全力だ!」
両手を広げ、ありったけの魔力をエンゲージリングに注ぎ込む。
『スペルエンゲージ:タイプアサルト「スカーレットファング」』
彼の周囲で荒れ狂う炎が猛々しく収束し、やがて一体の炎獣を形作る。牙を剥き出しにした紅の魔獣が、熱を纏って咆哮した。
「まだだっ!」
さらに追い打ちをかけるように、詠唱が重なる。
『スペルエンゲージ:タイプエンチャント「イグニスコア」』
真紅に輝く炎核が獣の胸に埋め込まれた瞬間、周囲の温度が一気に跳ね上がる。
獣の体躯が膨れ上がり、その瞳が紅蓮に輝いた。まるで命を宿したかのように、標的を見据える。
「なんだあの魔法」
観客席からは恐怖にも似た声が上がった。
空を舞う炎獣が戦場を縦横に暴れ回り、その巨体がシスティーナへと襲いかかる。
だが、彼女は動じなかった。
目を閉じ、深く、静かに息を吸う。内にあるものすべてを整えるように、ただ一度の呼吸で。
「そう。それがあなたの全力なのね」
『スペルエンゲージ:タイプストラテジア「ルクスフェリオン」』
その言葉とともに、天上から光が降る。
獣の周囲に無数の光剣が生まれ、空中に整列する様は、まるで星々の行列のようだった。
彼女が片手を上げると、それらが一斉に放たれる――
『レガート:「ラディアントヴェルディクト」』
獣の頭上に魔法陣が次々と浮かび上がり、神聖の光が空間ごと包み込んでいく。
荘厳な輝きが辺りを満たし、鈍く重い音を響かせながら、炎獣は光に呑まれて消滅した。
戦場全体が光に照らされ、観客たちは思わず顔を覆う。
その中心にいたバスティーの身体が、ふらつく。イグニスコアの代償――膨大な魔力の消耗により、彼の魔力は枯渇していた。
マナブレイクが起き、膝が崩れ、地面に倒れ込む。
「ぐっ、これほどとは……」
拳を握りしめながら、バスティーは苦しげに、それでもどこか清々しい笑みを浮かべたまま、システィーナを見上げた。
審判の手が高く上がる。
「勝者、システィーナ!」
その瞬間、観客席から割れんばかりの歓声と拍手が沸き起こり、会場は揺れるほどの熱気に包まれた。
リングの中心に立つ少女を、光が静かに照らしていた。