第九話
ザイアス、ヴァイル、クレア――三人の想いはひとつだった。脅威に怯えるだけの存在では終わらない。自らの力で運命を切り拓くために、今ここで立ち向かう。
『スペルエンゲージ:タイプストラテジア「ロックバインド」』
ヴァイルが詠唱すると、地面が鳴動し、荒々しく裂ける音が響く。そこから這い出すように土の鎖が姿を現し、蛇のごとく魔獣の四肢へと絡みついた。一瞬のうちに拘束し、その巨体を締め上げる。
だが――魔獣はわずかに身を震わせただけで、その全てを粉砕した。破砕された鎖の破片が宙を舞い、地に降り注ぐ。力の差はあまりにも明確だった。魔獣の双眸が、あざけるように細められる。
『スペルエンゲージ:タイプアサルト「ウィンドエッジ」』
次の瞬間、クレアの魔法が放たれる。鋭い風の刃が空を裂き、一直線に魔獣の胴を切り裂こうと迫る。だがその刃は、漆黒の体毛に触れた刹那――まるで鋼鉄に触れたかのように弾かれ、無数の光片となって霧散した。
「だめ、全然効かない」
「俺がヘイトを取る。魔法を止めるな、続けてくれ」
ザイアスは倒れ伏すザインの元へ駆け寄ると、先ほど投げた盾を拾い上げ、魔獣の真正面に立ちはだかった。仲間たちが魔法に集中しているのを確認すると、自身に身体強化の魔法を放つ。
『スペルエンゲージ:タイプアシストリア「フィジカルギフト」』
魔獣の乱撃が降り注ぐ。圧倒的な膂力を伴った打撃が容赦なくザイアスを叩きつけるが、彼は一歩も退かず、すべてを受け止めた。だが、次第に盾には亀裂が走り始める。
「ザイアス!?」
「俺は大丈夫だ。とにかく攻撃を続けろ!」
叫ぶ彼の声に応え、クレアとヴァイルは必死に魔法を連続して撃ち続ける。しかし、彼らの魔法はまだ初級の域を出ていなかった。確かに直撃しているはずなのに、魔獣はびくともしない。
「くそ、このままだとザイアスが」
「でも、私たちの魔法じゃ……」
焦燥が滲むクレアの声。それに呼応するように、魔獣の双眸が僅かに動く。静かに、しかし確実に標的を定める瞳が、彼女を射抜いた。
――空気が変わる。
「危ない、下がれ!」
ヴァイルが叫ぶより早く、魔獣が地を蹴る。雷を纏ったその巨体は風のごとく駆け、クレアへと迫った。振り下ろされる巨大な爪。その一撃は、ただ命を刈り取るためだけに振るわれた。
「クレアッ!」
咄嗟にザイアスが飛び出す。だが、その足が一瞬だけ止まった。
――このままでは、自分の力を見せてしまう。
胸の奥底に秘めてきた“上級魔法”を使えば、隣にいる二人に、自分が何者なのか悟られてしまう。それは避けたいはずだった。
だが。
――仲間の命に比べれば。
迷いを断ち切るように、ザイアスは拳を握り、力強く詠唱する。
『スペルエンゲージ:タイプアシストリア「インペリウムシールド」』
地面に魔法陣が刻まれ、そこから金の閃光を纏って巨大な盾が浮かび上がる。紅い鏡面に繊細な金紋が輝くその盾は、まるで意志を持ったかのように空を滑り、クレアの前へと展開された。
魔獣の爪が空間ごと斬り裂き、盾へと叩き込まれる。轟音が訓練場を揺らし、衝撃波が四方へと拡散。舞い上がる砂塵の中――盾はすべての衝撃を受け止め、その場を守り切った。
そして静かに、音もなく霧散する。
クレアとヴァイルは、ただ唖然と見つめていた。
「ザイアス……今のは……」
震える声でクレアが振り返る。けれど彼は、それに答えることなく、鋭く言い放った。
「今は目の前の敵に集中するんだ」
その一言が、彼女たちの意識を現実へと引き戻す。二人は息を整え、再び魔法陣の前へと構えを取った。
その時だった。
訓練場全体に、凛とした声が響く。
「全員、下がりなさい」
その瞬間、空気が一変する。魔獣の足元に紫電を帯びた魔法陣が広がり、複雑な紋様が脈動するように光を放つ。圧倒的な魔力が辺りを支配し、誰もが息を呑んだ。
現れたのは――非常勤講師。
冷静な瞳で魔獣を見据え、重厚な詠唱を紡ぐ。その魔力に呼応するように雷撃が魔法陣からほとばしり、魔獣の全身を貫いた。巨躯が硬直し、苦悶の咆哮が場に響く。
その隙を逃さず、別の方向から更なる魔力が立ち上る。
――それは、学園長だった。
『スペルエンゲージ:タイプアサルト「プロミネンスインペルノ」』
地面が割れ、灼熱の柱が天を突く。奔る火柱は魔獣を包み込み、圧倒的な熱量で焼き尽くす。だが、なおもその瞳は闘志を宿し、ザイアスたちを睨み据えていた。
「しぶといのぉ」
静かに呟いた学園長は、次なる詠唱を重ねる。
『レガート:「イグナイトグラウンド」』
先ほどの魔法陣が再び輝きを増し、溜め込まれた魔力が奔流となって炸裂。烈火が地を割り、魔獣の身体を更なる熱波で襲う。
轟音。焦げた空気。真紅に染まる世界。
魔獣は最後の咆哮を上げるも、それは炎の奔流に掻き消され、やがてその身体は崩れ落ちた。焼け爛れた黒影がゆっくりと灰へと変わり、完全に姿を消す。
「す、すげえ……」
「これが学園の長にして、元セブンスマギアの一人……ホーセン・アルヴェイン……凄まじい魔法ね」
圧倒的な力の奔流に、誰もが声を失っていた。その魔力は他と明らかに異質であり、魔法が放たれたあとの空間には、まだ余熱のように力の痕跡が残っていた。
そして、ザイアスの胸の内に一つの確信が芽生える。
――この人なら、父のことを。
だが、その思いを彼は即座に否定する。
――この人こそ、父を封じた張本人かもしれない。