予定調和な記憶喪失に喝采を
嫌われ者だった。
魔女だから。多くの人を魔法で助けてきたのに、向けられる視線は決まって嫌悪だった。
ひっそりと森に移り住み、生涯を孤独に生きると決めていたのに、やってきた女性はぼくの魔法を褒めてくれた。
「魔法って綺麗ね。きっとあなたの心が澄んでいるから輝いて見えるのね」
僕よりも歳が十は上のお姉さんは、ぼくと視線の高さを合わせるためにしゃがみ、そっと頭を撫でてくれた。
「ぜんぜん、綺麗なんかじゃないです。この魔法は見た目以上に恐ろしく、簡単に命を奪えます」
「そうかもしれない。でも、ほら、触れても痛くない」
お姉さんは僕の魔法に手を伸ばし、儚い命を削っていく。
「命を奪うならそこにあるナイフで十分。でも、あなたの魔法は私を優しく包んでくれる。だから、もう泣かないで」
お姉さんの瞼が光を見失った瞳をそっと隠した。そして、白く発光し、その姿は瞬く間に消えてしまった。
「……また、ダメだった」
お姉さんがぼくの魔法を褒めてくれることだけが、ぼくが生きていられる希望だった。
だから、お姉さんの呪いを解くためにぼくは命を削ったって構わない。
果ての見えないゴールにたどり着いた時、暗闇に囲まれたぼくの人生に光が差すと信じて、また同じ魔法を唱え始めた。
「ティアラさん、あなたは国のための贄とされたのですよ」
黒い髪の少女が言った。ストレートの紅茶を静かに啜り、そっと瞼を細める。
ここはどこだろう? どこかの森にある小屋で、テラスにあるテーブルで紅茶とティラミスを挟んで私たちは相対していた。
黒髪黒目に漆黒のドレスを身に纏った十八かそこらの私より少し年上くらいの少女は、形のいい薄い唇を舌先で舐め、口の端をわずかに吊り上げた。
「記憶がないでしょう? だからあなたはここにいるのですよ」
確かに私には記憶がない。ここがどこなのか、なぜここにいるのか、自分のことは覚えているが、それ以外のことはほとんどがおぼろげだ。
「あなたは……?」
「ぼくは魔女です。魔法であなたの記憶喪失を治すよう国王から仰せつかったわけですが、正直、その記憶喪失を治すのは難しいのですよ」
「なぜかしら?」
少女は私が慌てているように見えたのか、紅茶でゆっくりと唇を濡らしてから話した。
「ティアラさんのそれは呪いの類です。手っ取り早く呪詛返しの魔法で呪いを掛けた本人に送り返せば楽なのですが、残念なことに、掛けた本人はすでに亡くなっています」
「亡くなっている? ちなみに、それは誰なの?」
「三代前の国王、並びにぼくの曾祖母ですね。当時、この国は戦争に負けて滅びの一途を辿っていましたので、犠牲を承知で起死回生の魔法を使ったのでしょう。代償を支払わなければならない時にはもう自分たちは死んでいるから後は任せた。といった感じでしょうね」
どこまで信用できる話なのかは分からないが、手掛かりがない以上この馬鹿げた話に付き合うほかない。
「代償は私の記憶?」
「それは代償の一つです。これからティアラさんは記憶を完全に無くし、知能も失っていくでしょう。最後には歩くことも出来なくなって衰弱死するのがこの大魔法の代償です。これはもう決まっている事です。予定調和ってやつですね。まったくもって迷惑でしょう?」
「なぜ予定調和なのでしょう? それに、私一人の命で済むなら安いものではないかしら?」
意味が分からなかった。気が付けば森の奥にある魔女の家にお邪魔しているし、記憶がないと思えばいずれ衰弱死することが確定している。私が一体何をしたと言うの?
すっかり冷めてしまった紅茶を啜り、苦みに顔を顰めながら飲み干す。これからは私が紅茶を淹れよう。
「王家の衰退はここ最近で問題視されています。さらにティアラさんが死んでしまえば王族の血筋は途絶えてしまう崖っぷちです。こちらが本当の代償ですね。国の繁栄のための代償が王族の血筋。王政にこだわらなければなかなか見返りのいい魔法だと思います」
「私が死ぬのに?」
少女は答えなかった。魔女の客観的な解釈として話したのだろう。確かに私一人の命で国の繁栄が続くのであれば美味しい話だ。呪いをかけた方々には恨みを持たせてもらうが、私は国と心中する覚悟を持ったただ一人の王女であることは変わらない。婚約者がいたかどうかは覚えていないが、国民に寄り添う王妃であり続けることが当たり前だと考えている。
形は違うが、私が命を差し出すことも国民のためとなるのではないだろうか。
「私が死ぬことを拒否して延命すればどうなるかしら?」
「呪いはこの国全土に掛かっています。これまでの繁栄はなかったものとなるでしょうね、わずかな期間でこの国は草木のように枯れ果てると思います」
「では、私は死ぬしかないと?」
この質問に少女は答えず、どこでもない虚空を見つめていた。それがもう答えだった。
お代わりの紅茶は不思議と苦くはなかったが、やはり自分で淹れた方が美味しい。しばらく無言のまま紅茶とティアラミスを食べていると、少女がふと疑問をぶつけてきた。
「ねえ、ティアラさん。魔女にどんなイメージを抱いていますか?」
「私はそんな悪い偏見は持っていないつもりよ。世間では絵本に出てくる魔女は嘘吐きで悪い子を連れ去ってしまう、なんて物語が普及しているから、あまりいい印象はないかもしれないわね。私は実際にこの目で視て判断するから今のところあなたのことはいい人だと思っているわ」
「……悪い魔女、ね。あながち間違いではないと思いますよ。ぼくと似ていると思います」
「そう? 私の呪いについて話してくれるし、解決するために協力もしてくれるのでしょう?」
「そのためには代償が必要なわけですけどね」
「そうだったわね。呪いを解くために私は何を支払えばいいのかしら?」
言い値であればそれなりに支払うことも出来るだろうが、私が用意できないものであれば少々厳しい。時間もないようだし、ここは現実的な物を期待する。
「いえ、代償というのは魔力で補えない分を別のもので補填するためであり、ティアラさん一人ならばぼくの魔力でどうにかなります。成功報酬として王から禁書か何かいただくとします」
別に報酬は無くてもいいんじゃないかと思わせる余裕での態度に、私は覚悟を決めていたためにちょっと拍子抜けした。
私に掛かっている呪いは、国全体を覆う大魔法のために必要な魔力が、当時の魔女では足りなかったからだ。でもそれに抗うとなれば相当な魔力が必要なはず。
「どうして協力してくれるのかしら? 国の繁栄が無くなるのがあなたに影響するの?」
「昔、ぼくの魔法を褒めてくれた人がいるのです。ただ天気を晴れにしただけで、ぼくのことを大魔女様なんて言ってくれた人がいたんです。ぼくよりもよっぽどすごい人で、ぼくよりも“年上”なのに……。その人がいたからぼくは今日も生きているし、生きる理由です。だから魔法を使う。それだけです」
「そう、だったのね」
心の内をあっさり教えてくれたことに驚いているが、それを笑うことはない。しみじみとした空気になってしまったため、慌てて話を元に戻す。
「そもそもどのようにして呪いに打ち勝つのかしら?」
「呪いを騙します。呪いに条件を満たしたと勘違いさせることで、ティアラさんの記憶喪失を食い止めます。ただこれまでの記憶は戻らないかもしれないので、それだけはご了承ください」
「ええ、記憶がこれ以上失われないのならそれでいいのだけども、呪いを騙すとは?」
私に掛かった呪いは、最終的に私が死ぬことで条件を達成したことになる。でも死んでしまえばどうしようもない。ならば最近発見された仮死状態というものだろうか。しかしその程度で呪いを騙せるのだろうか。
「ぼくの魔法でティアラさんを殺します」
淡々と言われたことに理解が追い付かず、指に摘まんでいたクッキーを一口無言で食べた。
「…………はい? 何か物騒なことが聞こえた気がするけど? 私を殺す?」
「聞き間違えではありませんよ。ティアラさんを殺し、ぼくと出会う直前の状態まで戻します。それを呪いが勘違いし、消えるまで繰り返します」
「待って! それじゃ、私はこれからあなたに何度も殺されるの? そんなの苦痛どころではないわよ!?」
「記憶は死ぬたびに封印します。だからティアラさんは苦痛を覚えることはありません。そもそも痛みはありませんからご安心を」
「……ちなみにどうやって殺すの?」
聞かなきゃよかったなと後から思った。知らないまま死んだ方がよかったかも、なんて後の祭りだ。
耳を塞ごうと思ったけど、どうせ覚えていないならと冗談半分に聞くことにした。
「ぼくの魔力を込めた毒で静かに殺します。痛みはありませんし、副作用で感覚も遮断し、夢を見るように静かに息を引き取ります。しかし戻ったティアラさんは必ずしも同じティアラさんではありませんから、当たりを引くまで繰り返します」
まるで当たる確率があまりにも低いくじ引きみたいだと思った。
つまり今の私は殺され、次の私がまたこの少女の前に現れるということ。記憶がまた消えるのならば確かに別人だ。
戻るタイミングは一週間前後でずれるし、もしかしたらわずかに何かを覚えているかもしれないらしい。まるで誰かで試したかのような口ぶりに少々不信感を覚える。でも試したのならば効果は確かだろうと身勝手に安堵した。
気持ちを落ち着かせるために紅茶を口に含んで喉を潤す。これから死ぬことに緊張しているのか味がしない。ただの水を飲んでいるような気分だった。
……恐怖はある。魔女の口から何度も“殺す”なんて物騒な言葉をぶつけられて平常心でいられるはずはなかった。
「先ほど私は嘘を吐いたわ。あなたをいい人だと思っているなんて。本当は恐怖で震えるねずみの気分よ。……あなたが怖い」
「それでいいです。古今東西、魔女とは忌み嫌われる存在ですから。最後に嘘を吐き、人々を騙す存在です」
魔女は自分で言ったことを鼻で笑い、ティラミスをフォークで刺してかぶりついた。
「どうせ覚えられないだろうけど、あなたの名前を教えてくれないかしら?」
「そういえば名乗ってませんでしたね。ぼくはクロ」
「そう、クロさんね。今更ですが、どうして私の名前を知っていたのかしら?」
「魔女ですから」
「魔女だからですか」
そう言われてしまえばそれで納得してしまいそうになる。ただなんだか緩い雰囲気になったせいか気持ちは大分落ち着いた。
落ち着いたせいか欠伸が漏れる。正直眠い。紅茶のカフェインでは誤魔化せないようだった。
(…………あれ? なんかおかしい)
紅茶を飲む。茶色の液体は確かに紅茶で間違いないはずだが匂いがない、味がない、熱がない。そしてどんどん眠気が増してくる。
「ねえ、クロさん。私は気付かずに毒を飲んでいたのね?」
「そうです。気付かれてしまいましたか」
おそらく苦かった最初の一杯が毒で、今になって効果が表れてきたのだろう。
「もう一つ」
「なんでしょうか?」
「私、何回死んだの?」
クロさんの口が動く。落ちる瞼を必死に上げて見た唇の動きは、決して一度や二度、十回程度では済まない回数を口にしていた。
「またね、ティアラお姉ちゃん」
それが“私”の聞いた最後のクロさんの言葉だった。
「おめでとう。お嬢ちゃんにかかった呪いは無事解けましたよ」
ハッとして頭を上げると、目の前に老婆がいた。
真っ白な髪に落ち着いた緑のドレス。大きな丸メガネと一緒の笑顔はしわくちゃな顔をより優しく見せていた。老婆はしわがれた声で私におめでとうと言い、皺だらけの手で私の頭を撫でた。目尻にはうっすらと涙が浮かんでいて、よほど嬉しいことがあったらしい。
「あの、呪いとはなにかしら?」
「ごめんなさいねぇ。呪いは解けたけど、記憶を取り戻すことは出来ませんでした」
「記憶喪失……、それが呪い?」
「はい。お嬢ちゃんはお国のために人身御供となり、呪いを一身に受けました。わたくしめがその呪いを解除するために魔法をかけさせていただきました」
「あなたは森に住む魔女かしら? たしか魔女はまだ幼い少女だったはずよ……」
「おやおや、記憶が混濁しているのですね? 無理もありません。お茶を飲んで落ち着いてください」
魔女は私の前に置いてあった冷めた紅茶を下げ、新しいカップに暖かい紅茶を淹れてくれた。
まだ現状が分からず混乱していると「お砂糖はいくつ?」と聞かれ、思わず「二つ」と答えていた。
「……甘い」
「多かったですかね?」
「あ、いえ、その、紅茶ってもっと苦かったイメージがあって……」
「それは淹れた人が下手だったのですよ。正しく淹れた紅茶は苦みすらも美味しく感じるものです」
スッと喉を通った紅茶は香りもよく、今度はストレートで飲んでみたくてお代わりをお願いした。
「あなたのお名前をお聞きしても?」
「わたくしは……、ティラミスと申します」
「ふふ、美味しそうな名前ね。私はティアラと言うわ」
「ええ、ええ、存じておりますとも。王女様」
「そうかしこまらなくてもいいわ。……ねえ、あなた、“クロ”という魔女は知らないかしら?」
ぽっかり空いた記憶の中に残っていたクロという名前の魔女。これだけが記憶を整理する頼りだった。
ティラミスさんは少し考え込むように瞼を伏せた。
「さあ、わたくしめには分かりませんねぇ」
「そう……」
ティラミスさんが知らないのなら、私の記憶が混濁しているからなのだろう。何かの本で読んだ登場人物なのかもしれない。
紅茶と一緒にスコーンを食べ終わると、それを見計らったようにティアラミスさんがパンッと手を叩いた。
「さてと、お嬢ちゃんにかかった呪いを解除できたことだし、最後のお仕事をしないといけませんね」
「お仕事?」
「ええ、あなたをおうちに帰らせることです。王印はお持ちですか?」
言われて、私はポケットから丸い王印を取り出す。王家の紋章が施されたこれは、王族である私の魔力を通すと青白く光るようになっている。これで私が本物のティアラであることを証明できる。
しかし、王家の一人娘である私のことを知らない王族関係者はそうそういないから滅多に使うことはない。
「今からお嬢ちゃんを転移させますから、今日はゆっくりお休みください」
「ええ、大変お世話になったわ。今度王家から感謝の品を届けるわね」
「ありがとうございます。それでは――」
「あ、待って!」
ティアラミスさんが魔力を編み始めたタイミングで、私はその魔法の発動を止めていた。止めなきゃいけない気がした。
「私の呪いを解くために使用した魔力って相当な量でしょう? 身体に負担はなかったかしら?」
ティラミスさんに問うと、ティラミスさんは微笑んで私のことを抱きしめてくれた。そっと頭を撫でられ、しわくちゃの手が正体不明の不安を取り去ってくれる。
「わたくしは魔女です。この程度ならば一度や二度で倒れることはありません。それに魔女と言うのは、古今東西忌み嫌われる存在ですから、いなくなっても悲しむ人はいないでしょう」
「そんなこと言わないで。あなたのこれからは短いかもしれないけども、どうか長生きしてね」
「ええ。長生きしますとも。ご安心ください」
ティアラミスさんは魔法を再開し、宙に魔法陣を生み出す。流石魔女というだけあって常人では真似できないほど高度な魔法を操った。
ティラミスさんは泣いていた。魔法を操りながら大きな涙を流していた。どうしたのかとティラミスさんの手を取ると、少し無理矢理に笑顔を見せてくれた。
「ああ、歳を取るとどうしても涙もろくなってしまいまして。まるで孫みたいだったお嬢ちゃんとお別れするのが寂しいのです」
「私、もう少しここに居てもいいのよ?」
「いいえ、それはいけません。お嬢ちゃんはすぐにおうちに帰らなくてはなりませんから」
首を横に振ったティラミスさんは、生み出した魔法陣に編んだ魔力を組み込み、転移の魔法を発動させた。
私の記憶では数十分の付き合いだったティラミスさんだが、すでにお友達でいたような気がした。歳の差はあるけども、他愛ない話で花を咲かせることもできただろう。少々名残惜しさがあった。
白く光る魔法陣が私の足元に広がり、もうすぐに転移することが分かる。
「お世話になったわ。ティラミスさん。またお会いしましょう」
「ええ、“またね”、ティアラお姉ちゃん」
「え?」
ティラミスさんの最後の笑顔が、私の記憶にポツンと存在している少女の笑顔と重なった。
――『古今東西、魔女とは忌み嫌われる存在ですから。最後に嘘を吐き、人々を騙す存在です。』
引き出しを開けるように思い出したその言葉は、一体誰が言った言葉だっただろうか。
気が付くと、私は見上げるほどに大きな王城門の前で立ち尽くしていた。
この国の劇場はどこも『うそつきの魔女』という演目で盛り上がっている。毎年のように劇場ではスターが主人公の魔女を演じ、多くの観客を魅了していた。
私がティラミスさんの家から転移してからのことだが、持っていた王印のおかげで無事に王家に保護してもらえた。
私が記憶を無くしてから何十年も時が経っている……なんて、誰が信じられようか。今の王様は私の父ではなく、見たこともない私の従兄のお孫さんで、私が国のために犠牲となった話が王家に浸透していたおかげですぐに私だと気づいてもらえたのだ。
「もう、父も母も、会うことを楽しみにしていた婚約者もいないのね……」
拍手喝采に包まれた劇場で、誰にも聞こえない声で呟く。
私は王家に保護されてから十日ほど寝込んでいた。戻らないと思っていた記憶がどんどん蘇ってきて、許容範囲を超えたのだろう。目を覚ました頃にはだいぶ記憶の整理が出来ていた。
「クロ……」
ステージの中央でスポットライトを浴び、王女役の女優と手を繋いだ黒いドレスの少女に彼女を投影する。
記憶が戻ってからでは気付くのが遅かった。言うまでもなく、ティラミスさんはクロだった。私が初めてクロと出会った頃は、まだ十にも届かぬ幼き少女で、最後にお別れをしたときはしわくちゃのお婆ちゃんだった。
永遠に続くような別れの繰り返しに、クロは一度も発狂することはなかった。いつか言っていた、クロの魔法を褒めてくれた人がいるから、それが生きる理由だと。
何も覚えていない私の呪いを解くために何度も私を殺し、その度に心を痛めていただろうに。彼女は最後まで諦めることは無く、呪いに向き合い続けた。
十日間寝込んだ後は、リハビリや王家での私の扱いなど、目の回るような忙しだったが何とか落ち着き、私は魔女の家を再度訪れることになった。
国全土に掛かった呪いを見事騙し、この国の繁栄を継続させたクロには何かしらの褒賞があるべきだという話が上がったが、それはいったん待ってもらった。彼女の家を訪れるにも、私が持って行ったのは大きな花束が一つだけ。長年過ごしてきた彼女にピッタリな綺麗な黄色のフリージアの花束を。
森の奥の小さな家、カギのない扉を開ける。綺麗好きの彼女は暇さえあればよく掃除をしていた。しかし、埃の被ったテーブルを見て、ついに私は涙を隠せずにいられなくなった。
『またね、なんて……、うそつき』
彼女の寝室で、安らかに眠る彼女の顔を見て呟いた言葉は今でもよく覚えている。人ひとりの時間を巻き戻すなんて大魔法を何万回以上と繰り返したのだ。笑って出迎えてくれる、なんてほんのわずかな期待も抱くことは出来なかった。
クロを埋葬した私は、彼女が残していた手紙を大事に抱え、王都へ帰って来た。
手紙には、私と過ごした数十年の楽しかった思い出や魔法で映写した紙が入っていて、最後まで読み切るまでに数日かかった。それだけ読むのがもったいなかったのだ。
手紙にはクロが望んだ報酬についても書かれていた。それを王様に伝えたところ、一つ返事で了承され、私が主導となって動き始めた。
悪い意味で使われている“魔女”の払拭。レッテルなどでは決して使うことのないよう根本から変える。そのために、私は劇の脚本を書いた。
『うそつきの魔女』
クロが自分と似ていると言った絵本に出てくる悪い魔女の後日譚を描いた物語。
嘘吐きで悪いことをして追い出された魔女が、やってきた王女様の呪いを解くお話。クロの人生をそのまま物語に書き起こし、私がその王女だと名乗り出ることでクロの魔女としての人生を英雄へと昇華させた。
私の名前を使った宣伝で集客に成功した公演がスタートしてしばらく、悪いことをした魔女は一転して国の英雄として崇められた。
それから数十年後、今ではお国のために活躍した女性に“魔女”の称号が与えられるようになった。
「あ、魔女様だ!」
公演を視に来ていたのだろう女の子が、母親の手を離して私の席へ駆け寄って来る。
「魔女様、こんにちは!」
「こんにちは。楽しかったかしら?」
「はい! すごく楽しくて、おもしろかったです! また見たいです!」
「それはよかったわ。あなたは、魔女になりたい?」
「なりたいです! 魔女様みたいに、お国のために頑張れる人になりたい!」
その言葉を聞いた私は、あの時のクロのように皺だらけになっている手で女の子の頭を撫でた。女の子の無邪気な笑顔に想いを馳せていると、女の子はパタパタと母親の元へ帰っていき、嬉しそうに自分の頭を押さえていた。
私はもうすぐ彼女の元へ逝ける。クロが私のために全てを捧げてくれた分、私はお国のために全てを捧げてきた。
『うそつきの魔女』は両手足の指で数えきれないほどの再公演を行い。その度に私は劇場へ足を運んでいる。
拍手喝采に包まれた劇場に、私は不自由な足で無理やり立ち上がり、誰にも負けない大きな拍手を捧げた。
「呪いで死に逝く運命だった私のために、人生を捧げてまで呪いを解いてくれた魔女に喝采を!」
あなたを称えるこの音が、どうかあなたの元に届きますように。
個人的に魔女はいい人のイメージです。