予定調和な曖昧に喝采を
一人の男が子どもから大人へと成長したことを祝うため、この度はガランダ王子の成人パーティが王城のダンスホールで行われていた。
会場となったダンスホールは資金がふんだんに使われていて、ギラギラと輝く照明に照らされている。どのようなパーティであろうと対応できるため、国内外問わず多くの貴族が集う豪奢なパーティが開かれていた。
一流シェフの料理に舌鼓し、楽団の演奏に合わせて優雅に踊る。ガランダに挨拶する者は絶えず、辟易としてきたガランダは適当なタイミングで席を外した。
王族であるガランダはその地位に甘えることはなく、勉学は当然ながら剣術や馬術にも長けていた。学生時代の成績は常にトップであり、甘いマスクは変にキザったらしくなく、気持ちを
焚きつける弁舌や老若男女を惹くだけのカリスマがあった。
そして、国民がガランダを支持する者が多い理由の一つに、婚約者を大切にしていることが挙げられる。
すでに王と共に国政に携わっているせいで婚約者との会合は月に一度が精いっぱいではあるが、婚約者の誕生日は必ず祝ってプレゼントを贈り、お茶会も進んでリードする。たまに街では仲良くしている二人が見られると運気が上がると噂されるほどだった。
「少し小腹が空いたな。パンがいい、それとワインだ」
「はい、ガランダ様」
「ありがとう、アイ」
ガランダのグラスにワインを注いだのは、婚約者のアイ・ライト公爵令嬢だった。新品のワインボトルを取り出してグラスに注ぐ。同時に別のグラスにも注いで毒見役の人に渡した。
なるべく二人きりの時間が欲しかったガランダだが、決まりである以上最低限の護衛は傍にいる。出入り口に剣を携えた騎士が二人、背後に毒見役の男性が一人。あまり個室にいるわけにもいかないため、毒見役がワインの香りを確認し、結果を言い出す前にグラスを持ったガランダに、毒見役の男は待ったをかけた。
「お待ちください! ライト公爵令嬢様、失礼ですが、銘柄を確認させてください」
「はい、これです。ええと……ボイルトンの五十年ものです」
ラベルが見えるようにワインボトルを毒見役に見せる。ワインの銘柄に疎いアイでもどこかで聞いたことがあるくらいには有名な銘柄のワインだった。
毒見役は改めてワインの匂いを嗅ぎ、渋い顔をして頷いた。
「殿下、このワインはボイルトンのものとまるで香りが違います。決してお口になさいませんよう」
毒見役はワインを置くと部屋を出ていき、急いで料理長を呼び出した。
ガランダはワインに何かが仕込まれていたことに溜息を漏らし一言だけつぶやいた。
「……またか」
「あの子の仕業でしょう」
急いでやってきたシェフは説教されるのがわかっている子どものように顔に脅えが出ていた。
先代が歳で引退となり、代わりに先代の指名で呼び寄せた一流レストランのシェフだが、王宮に従えてまだひと月の若い男だった。
「あ、あの、わたしはワインを取り寄せてお出ししただけでして――」
「分かっている。聞きたいのは一つだけだ。ここ最近で、厨房の近くで“アイに似た人物”が近寄らなかったか?」
ガランダの言葉に料理長はぽかんとしてアイを見た。
「え、似た人物? ライト公爵令嬢様は昨日、殿下にお茶をお出しするということで厨房へ立ち寄られましたよね?」
「……俺は一昨日から仕事でブラント領へ出ていた。城へ戻ってきたのも夜中だぞ」
こめかみに手を当て、頭痛に眉を顰めながらガランダはため息を吐いた。
翌日に成人パーティがあるにも関わらず多忙で視察までやらされたと不満を募るガランダだが、犯人の正体が分かって呆れていた。
「料理長。あなたは悪くないわ。あの子、……私の妹であるマイが狡猾なせいですね」
「妹……? え、まさか!」
アイには双子の妹がいる。アイとは瓜二つで、黙って並んでいれば見分けが付かない。よくよく見ればほくろの位置が違う程度のもので、他に見分けるとしたら性格くらいなものだった。
アイはガランダの婚約者にふさわしく落ち着き払っていて、何事にも冷静に動くが、妹のマイはお転婆という言葉では収まらないほど、気に入らないことがあればすぐ癇癪を起こし、他人に迷惑をかける。立ち居振る舞いもどこか怒りで肩が上がっているように見えるせいで、二人が互いを真似しようとしない限り、意外と二人を見分けるのは容易なものだった。
「料理長、もう下がっていいぞ。なりすましを見抜けなかった罰は少しだけあるが、あまり気にしなくてよい。どうせもう“なりすましは出来なくなる”からな」
ガランダは護衛の騎士にマイを連れてくるように命ずる。「どうせ会場にいるんだろう」と声をかけ、すでに毒見を終えている料理を口に運び、水を飲んだ。
ワインに入っていたものは少量の下剤だと判明し、毒ではなかったことに安堵したアイは、マイのせいだと分かっていても申し訳なさにガランダに頭を下げた。
「妹がまた、ご迷惑をおかけしました。さすがにもうしないと思っていたのですが」
「アイが謝る必要はない。……だが、俺たちで決めたことだ。覚悟はいいな?」
「はい。ガランダ様の御心のままに」
しばらくすると、二人がいる個室にやかましい声が聞こえてきた。ヒステリックに叫び、王族を罵倒する不敬な声にアイはこめかみを抑えた。
「離しなさいよ! わたしを誰だと思っているの⁉」
「マイ、落ち着きなさい。殿下の御前ですよ」
マイを無理やり連れてきた騎士の顔には青あざがあり、マイに殴られたのだと二人は察した。これ以上怪我をさせないためにマイを離すよう指示し、出入り口へ控えさせた。
ここまで来て逃げるようなことはしなかったマイは、ドレスの裾をはしたなくパンパンと払い、向かいのソファに勝手に座った。
「どうせ正直に答えないだろうけど聞くよ。ワインに下剤を入れたのは君だね?」
「違うわよ。わたしじゃないわ」
「でも、厨房に君がやってきたことは料理長が知っている。お茶を準備させたようだね?」
「アイと見間違えたんじゃないの? わたしは家にいたわよ」
「アイが家にいたのさ。先ほどいろんな人に確認したが、馬車で王宮まで君がやってきたのは多くの人が知っている。入城履歴を遡ればアイの名前で侵入したのが分かるだろうな」
我が儘に言い訳をしていたマイだが、話をすればするほど下剤を入れた犯人として証拠を提示されては抵抗の意味もなかった。言い訳をすればするだけぼろが出る。
「前回、俺の部屋のドアノブにガラス片をくっ付けたいたずらをした際に忠告したことを覚えているか?」
「なによ、その程度のことでわたしを廃嫡にさせようなんて馬鹿じゃない。お父様がどうにかするわ。アイが王族に嫁入りすればわたしが婿を取らないといけないもの」
ガランダは度重なる嫌がらせを止めるためにアイと何度も相談していた。
成人を迎え、二人の結婚式が間近に迫るため、もし次に嫌がらせをしようものなら容赦はしないとマイに忠告していた。
このことは国王にも話を通し、アイとマイの親であるライト公爵も了承していた。もしガランダに何かすれば、マイを廃嫡させることになっていた。それだけ多くの嫌がらせをし、多くの人を困らせてきたのだ、それ相応の罰で脅しをかけていた。
結果は変わらず、マイの暴走が鳴りを潜めることはなかった。これほどまでにお転婆の者を貴族の末席に座らせるわけにはいかないと最終的に判断が下された。
「ライト公爵は養子に迎えることになっている。その者が公爵を継ぐことになる」
「は? 聞いてないんだけど?」
キッとマイは鋭い目つきでアイを睨みつけた。てっきりライト公爵は伝えているものだと思っていたらしいガランダは、アイの方をみると首を横に振った。
ライト公爵は仕事を一人でやってしまうため、娘たちのことは執事やメイドに任せきっている。会話することもほとんどないため、アイも養子を迎えることについては初耳の様子だった。
「まあいい。忠告した通り、マイ、君はライト公爵家を廃嫡となり平民となる。二度とライトの姓を名乗ることは許されない。それともう一つ」
ガランダが指を鳴らすと、部屋に王宮つかえの美容師が入ってきた。先ほどとは違う屈強な騎士二人を携え、美容師である女性は淡々と準備を進める。
「な、なにをするつもりよ!」
「マイ、私はこれまで何度もあなたになりすましをされ、迷惑を被ってきました。ですので、もうなりすましが出来ないよう、マイの髪を切ります」
「お、女の命を切り落とそうって言うの⁉ ちょッ! 離しなさいよ!」
騎士が二人がかりでマイのことを拘束する。じたばたと暴れ、痛い痛いと叫ぶが、これが罰となるのだから誰も止めない。貴族女性の象徴である長い髪を美容師は、心の中で謝りながらマイの髪を肩口辺りでバッサリと切り落とした。
「イヤーッ! 髪が! わたしの髪がッ!」
美容師はせめてもの謝罪として、毛先を整え、髪に高級な櫛を通した。終わった後は素早く道具を片付け、静かに一礼して部屋を後にした。
髪を切り落とされてさすがに堪えたらしく、マイはしくしくと泣き、これ以上叫ぶことはなかった。
アイと同じ顔で泣かれることに若干の罪悪感があったガランダはフード付きの上着を用意し、それをマイに渡した。
「控室の荷物を持ってライト公爵領へ帰るんだな」
「……はい。失礼しました。帰らせていただきます」
「お、おう……、気をつけて帰りなさい」
髪を切られてから憑き物が落ちたかのように意気消沈したマイは、落ちていたわずかな自分の髪を拾い、トボトボと部屋を後にした。その後ろを二人の護衛が戸惑いながら付いて行った。
「最後のは何だったのだ? まるで別人ではないか……」
「ガランダ様、罰を与えておいてなんですが、少々マイの様子を見てきます。突然自暴自棄になって暴れだすかもしれませんし」
「分かった。くれぐれも気を付けてくれ。俺はそろそろ会場に戻るから、終わったらあちらで会おう」
「はい。それでは少々席を外させていただきます」
アイはマイの様子を見るために部屋を後にする。長い廊下を進み、人目を避けてマイがいる控室へと向かう。
部屋の前には騎士が二人立っていて、マイの帰る準備が出来るのを待っていた。
アイは少し話がしたいから入らせてくださいとお願いし、騎士には何かあれば大声で呼んでくださいと約束されてから許可を貰えた。
騎士二人が離れた場所へ移動したのを確認して、アイは扉をノックしてから部屋に入った。当然ながら返事はない。
女性が身支度を整えるための控室は鏡台がいくつか壁面に並んでいて、衣装棚もドレスがいくつも仕舞えるほど多く備わっている。その一つが無造作に開かれていて、口を開いたカバンが床に落ちていた。
「おかえり~、意外と早かったね」
高級な革張りのソファにだらしなく横になっている女性がいた。先ほどの気落ちした様子はどこへやら、ソファの背もたれで姿が見えないマイは裸足の爪先でアイを迎え入れた。
「運がいいことに誰ともすれ違いませんでした。あ、横になりながら足を組まないでください。はしたないです」
「いいじゃん。あんたしかいないんだから」
マイは横になりながら足を組んでいたため、ドレスがきわどいところまでめくれあがっていた。それをアイが手で隠し、マイの身体を起こす。口に飴玉を咥えていたらしくマイはボリボリとかみ砕いた。
「あまり長々とはしていられません。早くドレスを脱ぎなさい」
「はいはい。あ、先にこっち渡しとくね」
マイは頭に手をかけると、スポンとかつらを取り去った。するとその下から貴族女性らしい長い髪がふわりと落ちてきて、また二人はそっくりに戻った。
ドレスを脱いで下着姿のアイにカツラを渡したマイは、アイの身体をまじまじと見つめる。
「気づかれないもんだねぇ」
「そもそも気づかれたことがないでしょう。それと、口調も変えておきましょう」
「もう? まあいっか。……あなたとはこれでお別れですね」
「そうだね、もうこんなお遊びはおしまい」
緊張感のなかったマイの顔が急に引き締まり、見た目以上にアイとそっくりとなった。しかし逆にアイはマイが着ていたドレスに袖を通すと人格までもが入れ替わったかのように口調が砕けた。
「私たちが入れ替わりを始めてから今日まで、誰にも気づかれませんでした。執事やメイド、お父様すらも」
「お母様が亡くなってわたしたちに興味が無くなったお父様が、わたしたちに愛情があるのか試してみようぜって始めてみたけど、残念だったねぇ。入れ替わりすぎてもうわたしたちもどっちがどっちかも覚えていないし」
「名前なんてどうでもよかったのですよ。私がアイ。あなたがマイとしてこれからは生きていく」
二人は初め、入れ替わっていたずらする遊びをしていた。最初は服を入れ替えたり髪型を入れ替えたり。しかし、試しに二人そっくりにしてみれば誰も見分けが付かないことに気づいた。
自分らに向けられていた愛とはその程度のものかと落胆した二人は、腹いせのように毎日入れ替わり続けた。いつしか自分がどちらなのか分からなくなっても構わずに。
ある日は気分でアイとして過ごし、時にはマイとして過ごす。毎日打ち合わせをするのが面倒になった二人は、大きなイベントがあるごとに入れ替わることに決めた。
誕生日、入学式、卒業式、婚約式、成人式。ガランダの婚約者となったアイは成人式という大きなイベントでマイと入れ替わる。そして、結婚を機に二人の入れ替わりは終止符を打つことになる。
「それにしてもあんたのあれは名演技だったねぇ、髪を切られたときなんか最高よ」
「ふふ、私の方がマイを演じるのは得意でしたからね」
長い髪をまとめた“マイ”が、カツラを被る。“アイ”が横に立っても、一目で違いが分かる。
「あなたは平民として過ごし、好きな人と結婚するのでしょう?」
「ええ、そうよ。好きな人が出来たらその人の事は騙さず応援する。そう約束したでしょ」
「まさか先を越されるとは思いませんでした」
「あんたは王妃になるんでしょ? いいじゃない。優秀な部下がいっぱいいるからあまり仕事ないし」
「暇すぎるのもどうかと思いますが、殿下が誠実な方なのが救いでした」
「あんたの披露宴で街を移動するときはどこかで拍手喝采で祝ってあげるわ」
「嫌味ですか? いえ、冗談です。ありがたく受け取らせていただきます。あなたもお幸せに」
「ええ、ありがとう。平民に落ちる分、幸せになってみせるわ」
身だしなみが完璧に入れ替わったことを確認した二人は、扉に向かって歩き出す。
「もう会うことはないかな?」
「そうですね。私は公務で顔を見せることがあるので、あなたは私を見られるでしょう。しかし、私からはあなたを見つけるのは非常に困難です」
「わたしは変装して名前も変えて旦那とカフェを営業するから、お忍びで遊びに来なよ。サービスするよ」
「ふふ、ありがとうございます。……さて、そろそろお別れですね」
二人はお別れの前にハグをした。どちらが姉でどちらが妹なのかも分からず、入れ替わりながら今日まで過ごしてきた二人は、間違いなく一心同体だった。だから二人が手を離したと同時に、双子はアイとマイへと分かれたのだった。
「さよなら、アイ」
「さようならです。マイ」
入れ替わりつつ同じ道を歩き続けた二人の少女は、やがてそれぞれ一人となり、自分だけを愛されることを願って初めて別々の道へ歩き出した。