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予定調和な決別に喝采を

 ああ、今年もまた“今日”が来たんだ。


 目を瞑っていても分かるくらい何度も通った林道を進むと、この日は幼馴染の大樹君が待っている。


 おしゃれに無頓着で、いつも無地のシャツにジーパン、安そうなスニーカーから覗く靴下は防臭効果のあるやつだ。


「おはよう、大樹君、久しぶりだね」


「ああ、一年ぶりだな、ヒカリ」


 私はヒカリ。大樹君の胸下くらいの身長だけど同い年で、というより大樹君の背が高すぎるんだよ。小学生の時にすでに百七十超えていたのがおかしい。


 大樹君の隣に並んだ私のワンピースの裾が風に揺れる。私はワンピースをこよなく愛し、大樹君と会うこの日はいつもワンピースに決めていた。


「一年ぶりだね、調子はどう? ピアノ、頑張っている?」


「ああ、この前も賞を取ったよ。練習は相変わらず厳しいけど、その分結果が出るから楽しいんだ」


 背が高い大樹君の手はピアノをしているからさらに大きい。私の手なんてすっぽり隠れてしまうほどだ。


「ピアノの稽古が忙しいし、俺が遠くに引っ越したから年に一度しか会えなくなったけど、ヒカリが元気そうでよかった」


「大樹君もね。元気そうじゃん。また背が大きくなった?」


「身長は去年とほぼ変わってないよ。はは、もう成長は止まったかもな。それよりさ、実は先月に風邪引いちゃって病院行ったんだけど、薬っていくつになっても苦いよな」


「分かる! 私もずっとお薬飲んでいたけど、粉薬は苦いし、副作用とかあると余計につらいよね」


 私は病気で入院していた期間が長かったから、薬は飽きるほど飲んだ。注射は人によってはやり方が下手くそで痛いし、病室はとにかく暇だからおしゃべりすることが唯一の楽しみだった。


 そのお相手が大樹君で、背の高い大樹君はよく私のお兄さんかお父さんかと間違えられた。同い年の幼馴染なんて言うとみんなびっくりして、「君、大きいね」と必ず言われた。だから私の背が低いわけじゃないんだよ。


「また昔みたいにヒカリの歌に合わせてピアノが弾きたいよ」


 歌が好きだった私のために提案してくれた遊び、あれ、楽しかったもんね。


「私が歌って」


「俺が合わせて机を叩く」


 ただそれだけのことでつまらない一日は桜が満開になったときのように華やかになった気がした。


 足元の石をこつんと蹴り、大樹君の様子を見ながらそっと聞いた。


「小学校のお友達とも会っているの?」


「いや、会えてないな。俺だけ住んでいる所は遠いし、稽古ばかりだから、小学校を卒業してからは同窓会に一回参加しただけだ。メッセージもほとんどしていない」


「そっか、たまには会えるといいね」


「はは、会わなさ過ぎて忘れられているかも」


「私は大樹君のこと忘れないよ」


 ふと空を見る。低く感じられる空にはまだら雲が浮かんでいる。


 一緒に空を見上げていると、小学生の頃、一緒に遊んでいた記憶が甦った。


「背の高い大樹君の腕に捕まってぐるぐる回ったり、入院していた時は内緒でゲームを持ち込んだりしたよね。それでお母さんに怒られちゃった」


「ヒカリは入院している上に、ヒカリのお母さんは子ども生んでさ。あの時はおじさんが目を回して大変だったよな」


「ノゾミ、元気にしているかな?」


「俺が小学校卒業して遠くに引っ越した時はまだ赤ん坊で、ヒカリのお母さんに抱っこされていたからな。俺のこと覚えていないだろうな」


 年に一度、ここで会うだけの大樹君は、まだノゾミと会っていない。今更姉の幼馴染だよとは、顔を出しにくいのだろう。


「大樹君は、向こうで一人じゃ寂しくない?」


「そりゃ寂しいよ。友達はいるけど、ヒカリはいないからな。昔話できるやつがいないのはどこかつまらないんだ」


「そっか、恋人はいないの?」


 自分で聞いておいて心臓がドクンと跳ねる。答えを聞くのが怖い、けど聞いておかなきゃいけない。


「いないよ。誰かを好きになってもすぐ別れることになるし」


「え、なんで?」


 大樹君が私の方を見た。“これから大事な話がある”。


「俺、海外へ留学することになった。海外の音大で修行してくる。推薦状をもらっていたんだ」


「そうなんだ……。じゃあ、もう会えない?」


「しばらくはそうだな。こっちで高校を卒業して海外行って、ピアノ一本でどこまでやれるか分からないけど、海外飛び回りながら名前を売っていこうかな。それでたまにここに帰ってきたらヒカリと話がしたい。お土産話なら尽きないだろう」


 大樹君の海外留学はすごいことだけど、何年も会えなくなっちゃうのはすごく寂しい。ここからじゃ大樹君のピアノの音も聞こえないし、せめて何かつながりが欲しい。例えば――。


「しばらくのお別れの前に、ヒカリに伝えたいことがある」


 それは私が希っていたもので――。


「引っ越す前は伝えられなかったんだが、俺は、ヒカリのことが好きだ」


「うん、ありがとう。嬉しいよ」


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「……え?」


 隣にいたはずなのに、いつの間にか“ヒカリ”が少し離れたところにいた。そして、それは“俺”の知らないヒカリだった。


 俺の記憶よりも明らかに鮮明な姿。黒のショートヘアがよく似合っていて、だけど少しだけ大人びているように見えるが間違いなくヒカリだ。記憶より少しふっくらとしているし肌に赤みを帯びていて、まるで生きているように見える。両手で抱え込むように持つ一冊の薄い本はヒカリの書いた日記帳だろうか。


「ヒカリ……?」


「大樹君、もう終わりにしよう。もういない私をそこに投影して、それに縋るのはやめよう?」


「な、何を言っているんだ? それに君は……、誰なんだ?」


 ヒカリだと分かっているのに、それがありえないとも分かっていて、その矛盾が俺の思考をおかしくさせていた。


「私はヒカリだよ。大樹君がいつまでも私に縋るから、出てきちゃった」


 そんなはずはない。だってヒカリは“ここ”にいるはずだから。目の前の“墓石”の前に立って――。


「ヒカリは小学校卒業前に病気で亡くなったはずだ。ヒカリは……もう俺の中でしか声を聞かせてくれるはずがないんだ!」


「そうやっていつまで私をここに縛り付けておくの?」


「だって、そうしないとヒカリは未練を残したままだ。ヒカリは俺のピアノが聞きたいって。まだ俺がピアノのプロになってヒカリに聴かせるって約束を果たしていない」


 ヒカリは風に靡く髪をかき上げて耳を見せた。目を瞑って耳を澄まし、どこからか音を拾うような仕草を見せた。


「大樹君の音楽はずっと聴いていたよ。何度も何度も、それは大樹君も聞こえていたはず。ほら、タンタンって」


 ヒカリは指で何かを軽快に弾くような仕草をした。その動きは見覚えがある。


「もしかして、病室で机を叩いていた音のことか? でもあれは本物のピアノじゃない」


「ううん。たとえ本物じゃなくても、あれは大樹君が私に見せたピアノだった。プロ顔負けの音色が確かに聞こえていたよ」


 俺は突如現れたヒカリ近づこうとしたが、ヒカリは首を横に振って俺の接近を拒否した。


「駄目だよ。大樹君が向かう先はこっちじゃない」


 ヒカリが指さした先は俺の後ろ側、墓地の出口。


 本当に、ヒカリとはお別れしなくてはならないのか。


「未練は本当にないのか? もうすぐだぞ? あと数年で俺はヒカリに聴かせたかった本当のピアノを披露できる。それまで待ってくれてもいいんじゃないか?」


「そうだね、プロになった大樹君のピアノの音を聴くのは楽しみだよ。でも……私にとっての大樹君の音楽は、病室で聞いた机を叩く指の音なんだよ。私の歌に合わせて弾いてくれたあの音が、私が求めていた音楽なんだよ」


「じゃ、じゃあ、ヒカリは満足して死んだというのか? 俺が毎年ここで語りかけていたヒカリは偽物だったのか?」


 ヒカリは笑った。その笑顔には偽物であることを肯定する意味と、忘れないでいてくれてありがとうという、二つの意味が込められている気がした。


 力んで上がっていた肩がストンと落ちる。何か憑き物が落ちたような、急に心が軽くなった。


「そっか、俺は毎年ここにきて、手を合わせるだけでよかったんだな。無理にヒカリを投影なんかせずに、安らかに眠るヒカリを思って語りかければそれでよかったんだ」


 そうだ。俺がヒカリを毎年無理に起こしていたから、ここに姿を現してしまったんだ。……なら、もう休ませてあげよう。


「いままで俺のわがままに付き合わせてごめん。もうヒカリの姿を自分勝手に夢に見ないと誓うよ」


「それじゃあ、ここでお別れだね。次に会う時は大樹君がピアノのプロになって、コンサートをする時、だね?」


「え? また会ってくれる……のか?」


 俺がヒカリを投影するのとはまた違う、何かからくりがあるような言い方。でも、ヒカリは確かに死んでいて、ここでお別れをすれば二度とヒカリの姿を見ることはなくなるはず。


「大樹君が私を夢見たように、私もまた大樹君を夢見るんだよ。だからさ、もう一度だけ、大樹君がプロになったその時に」


「あぁ、ああ! 必ずプロになって、ヒカリのためだけのコンサートを開いてやる! だからさ、それまでゆっくり寝て休んでいろよ。いつか俺のピアノの音で起こしてやるからさ、拍手喝采の音色を天国にまで響かせてやるからな!」


「うん! 楽しみにしているね!」


 俺はヒカリに向かって歯を見せて笑うと、最後の未練を断つために背中を向けた。


「じゃあ、おやすみ。ヒカリ」


「うん、いってらっしゃい。大樹君」


 もう迷うことはない。ヒカリに会えないからと海外留学を保留したこともあったが、足を留めることはない。気持ちの赴くままに、俺は走り出した。


 墓地を出る最後の一歩、誰かに背中を押された気がして振り向いた。だけど墓地にはもう誰もいない。


 でも、なぜか懐かしき小さな手の温もりを思い出した。


「ありがとう。行ってくるよ」


 前を向き直した俺は、背中の小さな温もりに押され、音楽を奏で始めた。






 彼が墓地を出ていく。それを私はお墓の裏に隠れて待っていた。


 私は手に持っていた日記帳の最後のページを開く。


『きっと大樹君は未練たらたらで私のお墓にお参りすると思います。だからお願いします。誰か、どうか大樹君の背中を押してあげてください。これが私の最後の願いです』


 最後のページに書かれていたページを読む。何冊もの日記帳の最後の一冊には、持ち主の切実な願いが書いてあった。


 私はこの人と話したことがない。でもどうしてだろうか、この願いは叶えてあげないといけない気がした。


 大樹君という人物を調べ、毎年墓地にお参りすることを知って観察していたが、彼の墓参りの様子はあまりにも異様だった。


 この人は妄執に囚われている。端から見てもそう思うほどだった。


 覚悟を決めてこの場にいる私もまた、何かに囚われている気がしてならない。でもそれが私の背中を押してくれた。


 震える足で踏ん張りながら彼の前に姿を現した時、なぜだろう、緊張がなくなった。身体が温かくて、何かに包み込まれているみたいに落ち着いていた。


 会話をすればまるで何者かに憑依されたみたいにすらすらと言葉が出て、気が付けば私は彼の背中を見送っていたのだ。


 これで彼は迷うことなく音楽の道を進めるんだと思う。


 なら、次は私が先に進まなくてはならない。


 日記帳の持ち主は今日が命日であり、時の止まった彼女と今の私は同い年だ。日記を読んでからずっと追いかけてきたけど、今日で終わり。明日からは置き去りにしてしまう。


 墓の前に立って手を合わせる。さよならを告げると涙が流れた。あの人だけじゃない。私だって悲しくて、誰よりも好きだったんだ。


「これでよかったんだよね? お姉ちゃん」


 日記帳をお墓に添えた私は、誰かに背中を押されるように家族の待つ家へ走り出した。


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