予定調和な墜落に喝采を
以前長編で書いた「スカイ・ハイ・インパクト」のスピンオフとなりますが、こちらだけで分かるようになっております。よろしければ本編の方も覗いてみてください。
空歴162年、秋の夜空は星がとても遠くに見えて寂しさを覚える。そんなとても澄んだ空を飛ぶ“スカイドール”の姿も私には気持ち小さく見えた。
“スカイドール”とは見た目は普通の女の子だ。しかし、空を飛ぶためにスピードに特化した寸胴のような鉄の身体を持ち、それを背中の翼に搭載した推進エンジンで勢いよく飛ばす。ドールの命とも言えるメモリーカードで思考して翼を操作するが、元々は戦争で看護兵として活躍した汎用型ドールを改良し、空を飛べるように進化させたものだった。
スカイドールが活躍する場としては『スカイ・ハイ・インパクト』と呼ばれるスピードを競うレースが主流だ。スピードを出すためや軽量ボディ開発のための研究所は国が主体で運営しているほどに全国的な人気がある。
レースはよっぽどのど田舎でなければ全国どこでも行われていて、王都の方では何百メートルもある観客席が満席になるほどほぼ毎日観客が訪れるほど人気だ。
レースには短距離、中距離、長距離と三つの適正に分かれていて、それぞれクラスがある。王都で行われるのはサードクラス、セカンドクラス、そしてスカイドールのトップ選手だけが飛ぶことが許されるファーストクラス。サードクラスに上がるだけでも何度も地方でレースに勝利しなくてはならず、複数のスカイドールが入り乱れるレースで全損に繋がる事故だって少なくない。そのため現代のスカイドールでも平均寿命は十数年と短く、空を飛ぶことだけに命を燃やしていると言って過言ではない。
「奥様、今夜は少々冷えますので、もう窓は閉めましょう」
「シロン、今日も夜空がきれいねぇ」
シロンというのは私のことで、奥様に仕える汎用型ドールだ。奥様が見上げる夜空は星が瞬いていて、スカイドールもわずかしか飛んでいない静かな空だった。
私がここに勤めて十年。奥様は私を購入した時にはもう独り身で年老いていて、今はだいぶ足を悪くしていた。誰か遊びに来なければ一日中椅子に座って編み物をするかクロスワードに頭を捻る毎日。たまに外へ出るときも杖は欠かせず、そろそろ車椅子を考えているが、奥様は頑なに車椅子を拒んでいた。
暇な毎日ではあるが、地域の人は優しいし、奥様のお手伝いはそれなりにやりがいがあるから文句を言ったことはない。ただ、毎日同じことの繰り返しに、私は奥様の役に立っているのか、それだけが気になっていた。
「奥様、明日のご予定は?」
「明日は久しぶりにレースを見に行くわよ」
「レースですか? たしかに明日はスカイドールのデビュー戦がありますが、短距離戦で出場数は4機のみです。面白いレースになるとは思いませんが……」
ドールに搭載されているメモリーカードは辞書以上に便利で、過去にあった出来事や時事など大抵の事は検索できるようになっている。
王都から遠く離れたこの町のレースはそもそも観客席数が少なく、レースも短距離戦しか行えない。かつてここで有名になった選手がいるわけでもなし、レース場を解体して大型店舗を構えた方が有益ではないかという話も最近は上がっている。
「シロン、そこの引き出しを開けて頂戴」
「はい、奥様。……これは?」
「ふふん、あなたのレース出場許可証よ」
引き出しに入っていたのは明日のレースに私が出場することを許可するための書類だった。レース出場選手の名前を検索すると、第四コースに私の名前が登録されていた。
「奥様、私はまだ一度も空を飛んだことがないのですよ? それもいきなりレースで飛べというのですか?」
「シロンは可愛いし、汎用型ドールと同じ仕事をしているから忘れているかもしれないけれど、スカイドールと同じ機能を備えているのだから、一度くらい空を飛びたいかなと思って。今日まで隠していたのは、シロンが了承してくれるか自信がなくてね。なかなか言い出せなかったのよ」
「私は汎用型ドールでボディは重く、本来空を飛ぶ機能を備えているはずがありません。ですが、たしかに背中には空を飛ぶだけの翼を収納しています。それでも、あくまで私は汎用型です。翼もお飾りの性能です。とてもじゃありませんがレースでまともに飛ぶことはできません」
そう、私は奥様に仕えるために作られた汎用型ドールだが、一応は空を飛ぶことも可能なスカイドールでもあり、背中には空を飛ぶための翼が仕舞われている。設計士様をどう説得したのか分からないが、私の身体は汎用型ドールと同じく凹凸があり、汎用型らしくボディもそれなりに重い。これは重いものを運ぶために重心を安定させるための仕様でありスカイドールとしての活動には向いていない。
だからなぜ私は中途半端に作られたのか今まで疑問に思っていた。
「どうして私を汎用型ドールとして区別して作らなかったのですか? その方が奥様の助けとなれましたのに」
「昨今の汎用型ドールは寿命がとても長いのよ。わたくしの残りの寿命を遥かに超えてね。でもそれだとシロンが長い時間を残して一人ぼっちになっちゃうと思って、それじゃ可哀そうじゃないの」
「それでスカイドールの性能を組み込んで寿命を短くしたと?」
「ええ。あなたが長生きしたいって思っていたらどうしようとも考えたけど、ごめんなさいね。これだけは老い先短いおばあさんの我が儘だと思ってくれる?」
「分かりました。私も奥様以外に仕えたいとは思っていませんでしたからちょうどいいです。ですが、それでなぜ空を飛ばせようと?」
「あら、さっき言わなかったかしら?」
「私が空を飛びたいんじゃないかってところですね。それ、嘘ですよね?」
奥様は嘘を吐くとき膝を撫でる。それに私は空を飛ぶことへの執着は一切なく、それは以前奥様に伝えたことがあったはずだ。
すると奥様は乙女のようにもじもじと指をすり合わせ、口先を尖らせながら言った。
「だって……、わたくしも見たかったんだもん」
「何をですか?」
「……モデルドール」
「モデルドール、ですか?」
ドールとは家事や職業の手伝いをする汎用型ドールと、空を飛ぶことに特化したスカイドールしか存在しないはず。
聞き覚えのないモデルドールとやらを検索をかけると、ちょうど私が製造される数年前まで活動していたとあるドールの存在を指し示すものだった。
「モデルドール……、最先端のファッションを身に纏いながら空を飛ぶドールのことですか」
「そうよぉ、かつて、たった十機しか製造されなかった幻のドールなのよ! わたくしがまだお父様に肩車してもらっていた小さな頃に一度だけ王都で見て感動したのを覚えているわ!」
奥様は興奮しながら語りだした。なんでもモデルドールは汎用型ドールのようなボディを持ちながらスカイドール同様空を飛んでいたそうで、まさに私がモデルドールに近い形状をしている。
モデルドールはとっくの昔に製造を終えていて、最後の一機となったモデルドール『ハレー』も十数年前に出場したレースで姿を消したそうだ。なぜレースに出場したのかは謎だ。
「シロンに一着を取ってほしいわけじゃないのよ。旦那も亡くなって子どもたちも出て行って、孫のように可愛がっていたシロンの晴れ姿が見たいだけなのよ」
「短距離とはいえ、初めて空を飛びますから、危険だと思ったらリタイアするかもしれません。それでもいいですか?」
いきなり翌日のレースに出る上に練習はする時間がない。でも奥様が私に何かお願いをしているのだからそれに応えたい気持ちが強かった。
「ええ、ええ! 当然よ。シロンのレース衣装もちゃんと準備してあるのよ」
そういえば最近荷物が頻繁に届いていた。普段使わない箪笥の中には許可証やら衣装やら、聞けばメンテナンスオイルなんてものも隠してあった。どうやら私が買い物に出かけている間に届くよう時間指定していて、こそこそと集めていたらしい。
「……これが、レース衣装ですか?」
「そうよ。可愛いでしょう?」
スカイドールのレースでは空気抵抗を減らすためにボディにピッチリとしたレオタードのような衣装が定番だが、奥様のクローゼットに仕舞われていた私のレース衣装は、どこからどう見ても、紺色のフレアスカートだった。
奥様の隠し事やら突発的なお願いは今に始まったことではないが、レースに出場するにはどこかのチームに所属していなくてはならない。そのため、私は奥様と一緒に監督となってくれた町クラブの方へ朝一で挨拶に行っていた。小さな町だからお互いのことは知っている。愛想のいい禿頭のおじさまだ。
本日デビューする選手もこのクラブからの三人で、当然私より最新機種だ。今日のレース、敵意はありませんと少しお高めのメンテナンスオイルを賄賂代わりに渡すと、子犬のようにはしゃいで、やけに懐かれたから接触事故の心配はいらないだろう。そんなにメンテナンスオイルって喜ばれるものなのか。
どの子も小柄でボディはとても軽そうだ。逆に汎用型ドールは作業を必要とするため背が高い、という例に漏れず私の背は高い。背筋を真っすぐ伸ばせば成人男性の平均くらいはある。さらにスカイドールは邪魔にならないよう髪は短めにしているが、私の髪は緩くウェーブしながら普通に腰まであるし、目立つ銀髪だ、標的にされやすい。
「それではよろしくお願いいたします」
「ああ、頑張ってな」
レースに出るのは今回限りだが、監督様とは私も奥様も知り合いのわけで、快く引き受けてくれた。
一足先にレース会場へ向かう。移動手段はバスだ。奥様のペースに合わせてのんびり会場へ向かえば、何かの祭典かと思うほどに観客が押し寄せていた。見慣れぬテントもあり、幌にはテレビ局の名が書いてあるため、まさか地方のデビューレースに取材が来ているのだろうか?
「みんなに声をかけた甲斐があったわね。多くの人がシロンの姿を見に来てくれているわよ」
「奥様がお声がけしたのですか? あちらの方なんて王都にある研究所の方ではありませんか! テレビ局の方や雑誌取材の方も……。今更ですが、奥様の経歴が気になります」
「ふふ、昔取った杵柄というか、ちょっと知り合いが多いだけよ。さ、準備しましょう」
奥様に背中を押され、選手控室である小屋に移動した。
まだ私しかいない小屋でメイド服を脱ぎ去り、奥様が用意していたレース衣装に着替える。
「あら、可愛いわね。やっぱり紺色にして正解だわ」
「奥様、これは思っていた以上に……、目立ちそうですね」
最近女性人気の高いブランドものだ。それもレースで耐えられるよう素材から調整された特注品。元の衣装案では豪奢なドレス、という案もあったらしいが、どうやらドレスは前例があるそうだ。第二案のフレアスカートが採用された。
シンプルな白のブラウスにクラシカルな紺色のフレアスカート。足首を軽く見せる程度の長さで、靴は簡単には脱げないよう設計された特注のヒールだった。
最近はスカート丈を短くして足を見せる膝下丈が流行りではあるが、あえてロング丈にすることで全体的に深窓の令嬢のような落ち着き具合が出ていた。
後からやってきた選手の子たちから可愛いという言葉をいただき、外へ出ればずっとカメラが私の姿を追ってくる。初めてのヒールに足取りが崩れないかだけ不安で、こっそり懐いてくれた子と手を繋いでスタート地点まで移動した。
スタート地点となるステージは高度を稼ぐため、階段を上った高い位置にある。奥様はここまで来られないため会場の全体が見渡せる一番いい席を陣取っていた。
レースまではまだ時間はある。選手の子たちはレースに勝つための調整を監督様がしているが、私は翼を広げてエンジンを始動するだけだから細かい調整はいらない。余っている時間で取材を受けることにした。
スーツ姿の若い女性がマイクを向けてくる。
「今回、なぜレースに出ようと思ったのですか?」
「奥様のわがままです。私は本来汎用型のメイドですので、奥様の命令には逆らえないのですよ」
それだとわたくしが悪い人みたいじゃない、という声がどこかで聞こえてきそうだが、この人も奥様とは知り合いのようで、私が冗談半分で言ったことは理解してくれた。記事にも冗談だと分かるように記載されるだろう。
「レース衣装が推奨されているものと違いますが、これも……?」
「はい、これも奥様のわがままです。と言うとそろそろ怒られそうですが……、似合っているでしょうか?」
「ええ、とてもお似合いです。どこかのご令嬢様かと思うくらい可愛いですよ」
「ありがとうございます」
「今回、汎用型ドールがレースに出場するということで、あの『ハレー彗星』の再来と噂されていますが、何かパフォーマンスの用意などしているのでしょうか?」
ハレー彗星とは、モデルドール、ハレーがレース中に魅せた最後の灯であり、彼女が最も輝いた証とも言われている。王都の空を切り裂く一筋の光が紫色に輝き、多くの人を魅了した。
「いいえ。期待されている方々には申し訳ありませんが、私がレースに参加することを知らされたのは驚くことに昨日の夜です。私が今回レースに参加する理由は、ハレー彗星のようなパフォーマンスを見せることではなく、本来のモデルドールのように普通に空を飛ぶことです」
それからいくつか応答を繰り返していると、レース開始時間が迫って来た。
テレビカメラや記者の方々がステージを降りると、最後に監督様が私を含む選手たちを集めた。
「今日はデビュー戦にも関わらず観客が多くて緊張するだろうが、事故には気を付けろよ。短距離戦は接近が多く事故が多発することで有名だが、幅を保って接触事故は起こさないように。純粋なスピードで勝負しなさい」
「はい!」
「それと、シロン君は数秒送らせてからスタートしなさい。なるべく高いところを目指し、滑空するようにゴールするのが好ましい。その方が目立つしレースの邪魔にならないからな」
「かしこまりました」
監督様は「無理だと思ったらすぐにリタイアすること」と最後に付け足し、ステージを降りて行った。
アナウンスに合わせてそれぞれのスタート地点へ移動し、各々が翼を広げ始めた。
推進力で翼が燃えてしまわないよう塗布されたカラフルな翼は皆同じ形状をしている。鳥のような羽はなく、ただただスピードを求めて飛ぶための平たい翼だが、全開に広げられると迫力があった。
こんな近くで誰かの翼を見たのは初めてだ。翼の大きさは記録している数値よりも大きく見え、大鷲のような力強さがあった。
「私も準備しましょうか」
今まで一度だって使われたことのない新品の翼は、背中から解放すると傷一つない銀色の光沢を放っていた。短距離を飛ぶには十分すぎる最新型の推進エンジンを装着し、高台の縁近くまで歩く。
一人ひとりアナウンスで紹介があるたびに拍手が起こり、私の時にはひときわ大きい拍手が起きた。
それに応えて深々とたっぷりと五秒は頭を下げ、もったいぶるようにゆっくり頭を上げる。
「空がきれいですね」
顔を上げて初めて気づいたが、雲一つない青空がとても清々しい。空気も温かいおかげで不思議と緊張はない。
スタートの合図は審判のピストルによるものだ。王都の方だと大掛かりな装置で合図するらしいが、地方ではこの程度で事足りる。
選手の子らが推進エンジンを起動させて飛び出す体勢を取る。キーンと鳴る音が緊張感を高める中、私は直立不動で待機し、三機が飛び出してからゆっくり数えて三秒後に飛び出すつもりでいた。
審判の方が耳当てをして、ピストルを真っすぐ上に向けて――引き金を引いた。
――パーンッ!
銃口から煙が立ち上がるのを確認するよりも先に三機のスカイドールが一斉に飛び出した。瞬く間に彼女らの姿が小さくなっていく。
「一……二……三」
私は推進エンジンを一気に起動させ、きっかり三秒数えて、三歩助走をつけて空へ飛び出した。
レース開始に合わせた拍手と歓声、普段は見ない上空からの景色が美しかった。しかし、思ったより空気抵抗が強くてバタバタとはためくスカートに全身がガタガタと震えた。やはり初めての飛行ということで感覚が掴めない。墜落の可能性にメモリーカードが常に危険を知らせていた。
「奥様――」
飛びながら必死に探すのは奥様の姿。場所はレース開始前に確認していたはずなのに、視界がぶれてなかなか見つけられない。推進エンジンの威力を見誤ったようだ。
「え?」
空気を翼で掴んで体勢を整えようとすると、ほとんど自由が利かないことに気づく。もしやと思って視線を背中へ向けると翼が真っ赤に燃えて解け始めていた。
推進エンジンの熱と飛行スピードに耐えられず、お飾りの翼は真っ赤に染まっていた。
「そんな! 早すぎる」
設計上はゴール近くまで解ける事はないと思っていたために、推進エンジンの熱だろうか、逃げ場のない上空で早くも異常事態に見舞われてしまった。
悲鳴が不安を煽る。そんな最中、見つけた奥様の顔も焦っていて、何か言いながら必死にこちらへ手を伸ばしていた。
推進エンジンが解け落ち、滑空するための翼の大部分を無くした私はゴールへ向かって斜めに落下していく。空気抵抗で高度を稼げなかったのは不幸中の幸いかもしれない。
「汎用型は、頑丈なのが取り柄です!」
危険を知らせるメモリーカードは、一定の危険域に達すると自動でシャットダウンしてしまう。意識を手放さないように言葉で感情を制御した。
「グッ――ウゥ……」
真っ赤な翼は宙に深紅の線を描き、ゴールラインの真上を狙って私は不時着した。
ゴール直前で身体を丸め、メモリーカードが埋まっている左胸を両腕でしっかりガードした。
メモリーカードは私の本体と言っても過言ではない。もし破損すれば替えはなく、間違いなく私は死ぬ。それだけは回避しなければならない。
「……意識はあります」
意識があるということは、メモリーカードは無事である。両腕と右膝、首に損傷があるらしいが、メモリーカードさえ無事ならボディはいくらでも替えが利く。思っていたより少ない損傷に汎用型ドールの頑丈さの底力を見た。
「シロン!」
遠くから奥様と監督様が駆けつけてくる。
「シロン君、無事かね!」
「はい。なんとか無事です」
私が応えると、監督様から安堵した声が漏れた。
「シロン! 大丈夫かい! あっ――!」
「奥様!」
遅れてやってきた奥様が、躓いて倒れそうになる。私は無事な左足で地面を蹴り、一足で奥様の元へ飛び出した。
損傷していた右膝から嫌な音が響き、踏み込みが利かなくなって私がクッションとなる形でゆっくりと地面に倒れた。
背中の翼はもう残っていなかった。何もない背中が芝生に触れ、不安定な首が空を見上げた。
「赤い……オーロラ?」
「え? シロン、どうしたの……、あら、何かしら」
私の視界は空をぼんやりと彩る赤いオーロラで埋め尽くされていた。
空からゴール付近までを彩るオーロラは、一筋の線から水に溶けた絵の具のように今も広がり続けている。
「ハレー彗星……」
奥様が呟いた。ハレー彗星の残っている記録映像では紫色の光が空を駆け抜けていた。ハレー彗星を起こした彼女と私は同じ汎用型で、スカイドールと同じく空を飛ぶ機能を有している。
これは、当時の再現となっているのだろうか?
テレビ局のカメラすら撮影をしばらく忘れるほど空は鮮やかだった。奥様も私をクッションにしたことを忘れているのか、呆けるように空を見上げていた。
「ハレーさん、またあなたを見つけられて、嬉しいわ」
「奥様? なにを……」
「ハレーさんは昔、わたくしの頭を撫でてくれたことがあったわね。引退する前、最後の飛行を見届けると約束したのに、見に行けなくてごめんなさい。でも、今回はちゃんと見届けたからね」
誰かに話しかけるように、目元に涙を浮かべた奥様が語っていた。
空を切り裂いた真っ赤な線は徐々に薄くなっていき、赤いオーロラはやがて幻だったかのように青い空へ溶けて消えていた。
奥様は赤いオーロラに大切な人を見ていたようで、オーロラが消えるといつも通り私の奥様だった。
奥様の大切な誰かのために私が飛んだ赤い空は、幻となって消えた。だけど、不思議と満足感があった。
翼は失ったけど、それ以上に何かを得られた気がした。少なくとも、空を飛んでよかったと思っている。もう墜落は勘弁だけどね。
「……シロン。ありがとうね。わたくしの夢を叶えてくれて。そのためにこんなぼろぼろにしてしまって、本当にごめんなさい」
「奥様の夢が叶ったのならよかったです。私は替えの利くロボットですから」
「あら、わたくしは今のあなたが好きなのよ。当然このボディも修理に出して直してもらうわ」
私を運ぶための担架がやってくる。周囲の人が協力して私を担架に乗せてくれて、この町で一番大きな修理屋に運ばれるそうだ。
「私は、輝けたのでしょうか」
この呟きに応えてくれる人はいない。私が自分で判断するしかない。でも、ここに集まった観客の人たちを見れば答えは分かっていた。
「私はもう空を飛ばない。だけど、誰かの夢を叶えることができた」
会場を後にする私に送られる拍手喝采の嵐。観客の方々もあの赤いオーロラに何かを見つけたのかもしれない。
翼が無くなってずいぶん軽くなった背中。ここにまた誰かの夢を乗せて飛び出す日がくるのかもしれない。
またその日が来るまで、今は少しだけ、おやすみなさい。
スカイ・ハイ・インパクト
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