予定調和な指切りに喝采を
高校のクラスメイトである古沢君はいつも私に嘘を吐く。
「今日、雨が降るらしいぞ」
雲一つない快晴の空、天気予報も一日中晴れ。雨が降るとは思えない。しかし古沢君は傘を持ち、私に息を吐くように嘘を言った。
私は古沢君の家の隣に引っ越してきた転校生だ。我が家の『七海』という表札を通り過ぎればいつも古沢君が私のことを待ち伏せている。
「今日は一日快晴だよ」
「いいや、雨は降るね」
「その自信はどこから来るのやら」
古沢君は前髪が少し長めで全体的にほっそりとしている。友達がいないわけではないようだが、嘘を吐くのは決まって私にだけ。最初はなんだこいつと思いながらもそれなりに話を聞いていたが、ずっと騙しているなと気づいてからは話半分に聞き流していた。
途中からは、もしかしてこいつ私のことが好きなんじゃ……、なんて思っていたが、話しかけてくるのは朝のこの時だけ。教室では男子グループで集まっているし、休みの日は会うこともない。なんなら連絡先も交換していない。これが数ヶ月も続けば淡い期待もなくなっていくものだ。
前に、好きな人はいるのかと聞いたら「いるよ」と即答されたことはあるが、彼が言うのであれば、つまり“いない”ということだ。
「じゃあ、一日晴れだったらどうする?」
「十円あげる」
「やす! しかもくれないんでしょ?」
「いやいや、あげるって、本当だよ」
「最も信用できない言葉使われちゃったよ」
彼の本当は嘘に等しい。この『本当』になんど騙されたことやら。
古沢君がなぜ嘘を吐くのか、それはいつまでも経っても分からなかった。
今日もいつもの時間に家を出ると、また我が家の『七海』の表札の前で古沢君が腕を組みながら壁に寄りかかっていた。無駄にキリッとした表情がちょっとむかつく。
「今日の一限は先生が休みだから、遅刻しても問題ないよ」
「わっかりやすい嘘だなぁ。それに先生が休みでも遅刻はアウトだよ」
古沢君は今日も私に嘘を吐く。
「一限の先生は俺たちの担任だよ? 代理の先生が来るのも自分のクラスのホームルームが終わってからだから、時間に余裕があるんだ」
「む……、珍しくそれらしいことをいいやがる」
これでいいなりになって遅刻するつもりはないが、嘘に思えないと感じてしまったからいけない。古沢君は嘘を吐くのだから嘘だと分かるカラクリがあるはずだ。
「……ちょっと待って、うちのクラスには副担任の先生がいたよね? 私、転校生だからまだその先生のホームルーム受けてないけど、担任がいないなら副担任がやると思うんだけど」
「…………チッ」
こいつ舌打ちしやがった。やっぱり嘘じゃないか。かなり自信作だったのかもしれないが、そもそも担任が休みというのも嘘なんだから騙されはしない。
「ねえ、そんな嘘ばかり言って、ご両親には何か言われないの?」
「何も言われるわけないじゃん!」
あ、言われるんだ。流石に息子が嘘つきになるのは親として悲しいのだろう。
何が彼を嘘吐きにさせるのか、これは踏み込んで聞いていいのかいつも迷ってしまう。そして今日も適当に流して終わる。
何か探ったわけではないが、今日も彼がなぜ嘘を吐くのかは分からなかった。
「今日はなんと! お弁当のおかずがクッキーなんだぜ!」
「過去一しょうもない嘘かもしれない」
お昼を共にしているわけでもない私にとって、古沢君のお弁当事情などどうでもよかった。そもそもお弁当なのかどうかも知らない。
しかもおかずがクッキーて……、それが本当だというのなら見せてみろ。
「クッキー、好きなの?」
「俺は嫌いじゃない。だがこれはお供え用だ」
「お供え用って、誰の?」
ちょっと深堀してみる。どこかでボロが出たら突いてやろうと思った。
「幼馴染のだよ。今日は墓参りに行くんだ」
どんな嘘だよ! と心の中で適当にツッコミを入れた。
夏が近いし、肝試しの下見かな? 男子ってこういうの好きだよね。
ということは弁当に入ったクッキーは……、アブナイッ! そもそもこれが嘘か。お供えってのも嘘だからいつの間にか話に乗せられていた。でも少しだけ話に付き合ってみる。
「幼馴染いたんだ。どんな子なの?」
「俺より少し背の高いことを気にするやつだ。背の順で並ぶと大体後ろの方で、気が弱いから、からかわれるとすぐに泣き出すやつだったよ。少女漫画とクッキーが好きで、あいつの傍にはいつもその二つがならんでいた」
おや? いきなり質問したわりに具体的な答えが返ってきた。まあ、快晴の日にわざわざ傘を持ってきて嘘を吐く準備万端野郎だ。何か設定を作ってきやがったな。
「へー……、何が元ネタなの?」
「ん? 何が?」
「何がって……ん?」
あれ、私何か変なことを聞いただろうか? 嘘なんだから今のが何を元にした嘘なのか探ろうとしただけなのに。なんかの漫画か小説のヒロインかと思ったが違うのか?
「というかそろそろ行こうぜ。まあ遅刻するほどじゃないけどな」
「ええ、そろそろ行こうか……って! 走らないと間に合わないじゃない!」
何か、古沢君が嘘を吐く理由に繋がる何かが見えた気がしたが、今日も結局なんで嘘を吐くのかは分からないままだった。
今日は休みの日だから古沢君とは会わない。会わないが、なんだかもやもやしているのが気に入らない。
「ねえ七海、何か考え事?」
そう声をかけてきたのは、友達の高梨さん。転校してすぐに声をかけてくれた親友だ。普段は大人しいが、授業でグループを作ったときにリーダーに立候補するくらいには積極性のある頼もしい女の子だ。
「まあ……ちょっとね」
「もしかして古沢君のこと?」
「どうしてわかった……?」
「いやちらちら見ていたらわかるよ。好きになった?」
「違う違う!」
私は手と首を全力で横に振る。だが何度も古沢君のことを見ているのがばれているなら仕方ない。とっとと白状してしまおう。
「古沢君ってさ、幼馴染いるの?」
「……悩みのタネがなんとなくわかった」
高梨さんは何が分かったのか曖昧だが、言葉を選ぼうとしているのか指をぐるぐる回す。そして、ちらりと視線を窓の方へ向けた。そちらは古沢君の家の方だった。
「幼馴染さんはね。いたよ。ここに」
「……ここ?」
指を床に向けて指した高梨さんは、私の言葉にうんと頷いた。
「わたしが今日、ここへ遊びに来て驚いたことがあるんだけどね? 古沢君の隣のアパート、取り壊しになっちゃったんだ、って。それで一軒家が建ったんだ~って」
「それって、我が家のこと?」
私が高梨さんを真似て床を指さすと、高梨さんは頷いた。
つまり、古沢君の幼馴染がお隣に住んでいたわけで、アパートが経年劣化か何か分からないけど取り壊しになって、我が家が建ったと。……いや、これだけじゃ何も分かっていない。
「その幼馴染は?」
「うちのクラスの名簿って見たことある?」
「転校してきて最初の週くらいは持ち歩いていたよ」
「それに違和感はなかったかな?」
高梨さんが細い棒状のお菓子をポリッと齧る。リスみたいで可愛い。
「違和感? どうだろう、クラスに馴染もうとして必死だったから」
机の引き出しに入っているはずだからそれを探して取り出す。奥の方でクシャッと皺になっていたけど、手で広げれば読めないことはない。
名簿はクラスを俯瞰した席順に記載されていて、私の席は一番後ろの右から三番目、高梨さんは私の右隣だ。
「うちのクラスって二十八人でしょ」
うんと頷いたはいいが、どう見ても窓際の一番後ろの席が一つ余っているから奇数になる。
「……二十九人いる。なんで?」
答えを聞く前に、私は名簿に知らない名前を見つけた。
「渡辺詩織? こんな子いたっけ?」
窓際最後列に私の知らない名前があった。クラスで一度も聞いたことのない名前に首をかしげる。
「渡辺さん、入学は決まっていたんだけど、病気で来られなくなっちゃって。古沢君が学校側に直談判して名前だけクラスに表記してもらったんだよ。誰も何も言わないけど、古沢君の努力を誰も笑わないし、渡辺さんを知っている人も多かったから。それに二人は付き合っていたんじゃないかな?」
「そうだったんだ……、じゃあ、渡辺さんは今、入院中?」
「そうだね。たぶん、そうなんだと思うよ」
曖昧な回答だが、それで察してしまった。私も、古沢君のやってきたことに対して不謹慎なことは口に出来なかった。
この日、私は夜も眠れずずっと古沢君と顔も知らない渡辺さんのことを考えていた。
私にはずっと嘘を吐き続けてきた古沢君は、実は本当の事も話していた事実に考えは朝日が昇る直前までまとまらなかった。
目元に大きな隈をぶら下げた私は、それをアイシャドウで……誤魔化せず、そのまま日が昇ったばかりの外へ出た。
お隣さん、古沢君の家の表札がある壁に寄りかかり、持ち出してきた父が常備している眠気覚ましの缶コーヒーを煽る。
「クッソ苦いな」
ブラックの苦さにうえーと呻きながら飲み干すと、お目当ての人物が静かに家を出てきた。
上下学校指定のジャージ姿にランニングブーツの古沢君。高梨さん経由で調べてもらった情報によると、休みの日は朝一でランニングをしているのだそうだ。私はお隣さんだけど、休みの日は昼近くまで眠りこけているから気が付いていなかった。
壁に寄りかかっている私に気付いた古沢君は驚いた表情をしていた。
「おはよう。朝早いね」
「待ち伏せしていたの? というか寝てないの?」
「まあね。ちょっとお話がしたくてさ。朝早くて眠いでしょ、これどうぞ」
私はポケットに入れていたもう一本の缶コーヒーを投げ渡す。ランニングには邪魔だろう? 今飲めよと圧をかけてみる。
「……話ってなに?」
なんだか普段より機嫌が悪そうな古沢君は、プルタブを開けて普通に飲み始めた。こいつ、ブラックが怖くないのか?
「渡辺詩織さんについて」
「……へえ? 調べたんだ。高梨さんかな? 一番の情報通だよね」
こいつ感がいいな。それとも高梨さん前にも何かやったのか?
「情報元は明かせないけど、渡辺さんは私が住んでいる家の前に建っていたアパートに住んでいた子なんだってね?」
「そうだよ。部屋の位置もちょうど君の部屋に近いね」
「それで、古沢君はどうして私にだけ嘘を吐くのかなってずっと疑問に思っていて、嘘みたいな仮説に辿り着いたんだ」
カフェインの利いてきた頭で改めて答えを出し、言葉にした。
「私に八つ当たりしているでしょ。幼馴染の場所を奪った私が憎くてしかたないんでしょ。だから嘘で騙して裏で笑っていたんじゃない?」
「……違う、笑ってなんかいない」
「違うということは、本当のことだよね」
私がにやりと笑うと、古沢君は私を睨みつけて声を荒げた。
「違う! 俺は、詩織のことで嘘は吐かない。これは本当だ。オオカミ少年みたいで何を言っても信じてもらえないだろうが、俺は、あいつのことを語る時は嘘を吐きたくない」
「じゃあ、なんで私には嘘を吐いていたの?」
古沢君は、飲み終わった缶コーヒーを握りつぶすと、急に勢いは弱くなり、ボソッと呟くように話してくれた。
「約束したんだ。もう嘘は吐かないって、くだらない嘘で人を騙すのが好きだった俺を改心させるための、詩織の最後の願いだった」
「じゃあ、約束したのに、どうして?」
「あいつは、誰かを困らせるのが嫌いだった。だから、あいつの居場所を奪った君を嘘で困らせればもう一度会えるんじゃないかって、指切りした約束を破ったから咎めに来てくれるんじゃないかって、ずっと思っていて」
潰れた缶コーヒーが古沢君の手を離れて、コンクリートの上で乾いた音を鳴らした。飲み口からわずかな水滴が飛び出してコンクリートを黒く濡らした。
「もう一度会えるなんて、そんなわけないのに。分かっているけど止められなかった。お盆になればもしかしたら、命日になればもしかしたら、とズルズル伸びていって、この前の命日、結局詩織は夢にすら現れなかった」
「この前のおかずクッキー?」
古沢君は頷いた。たしかに渡辺さんのことでは嘘を吐いていないようだった。
嘘しか言わない古沢君の言葉は何も信じられないと思っていたが、今の古沢君は本当に渡辺さんのことを思っていて、約束を守っているんだと分かる。
「今までごめん。くだらない嘘で騙していて。もう朝は待ち伏せしないし話しかけないから、許してくれないか」
深々と腰を曲げた古沢君の手は強く握られていて、肩が震えていた。
「頭を上げてよ」
たしかに私は転校したばかりの頃に何度も騙されはしたが、それが嫌だったわけじゃない。
勘違いから生まれた友情もあれば、今まで苦手だった冗談を友達に言うことも出来た。それに古沢君の嘘はとても優しかった。
「反省しているなら、もうくだらない嘘で誰かを騙すことはやめればいいよ。でもその嘘が渡辺さんを救ったこともあったんじゃない? 古沢君のよくやる嘘の天気予報なんか、一日過ごさないと本当に降るかどうか分からないじゃん? 入院していた時でも、その嘘の真相を確かめるためにも一日頑張ってみようと思わなかったのかな? ……ごめん、私なんかが渡辺さんを語っちゃって」
「いや、いい。……そうか、あいつ、俺がどんな嘘を吐いても笑ってくれたよな。でも笑ってくれる奴がいなくなるからって指切りして、詩織はいなくなった。――なあ、詩織との約束、七海が更新してくれないか?」
「更新?」
「俺は今後、誰かを悲しませるような嘘は吐かない。詩織に、そして七海さんに誓いたいんだ」
「分かった。じゃあ誰かを悲しませてしまったら?」
「そうだな、七海さんに百円払う」
「やす! ……くはないか?」
古沢君が小指を出してきたから私も小指を出して絡めた。
「指切りげんまん嘘ついたら七海さんに百円はーらう、指切った」
離れた小指に残った温もりはとても優しく、なんだか安っぽい約束に二人して笑った。
私は死者の代弁者ではない。だから私のやったことはおせっかいだったかもしれないとたまに考える日がある。
古沢君は私と指切りをした日から嘘を止め、朝、一緒に登校するのも止めた。彼は彼のために時間を使うようにしたようだ。
たまたま朝少し寝坊して急いで支度した日、母親に持たされた傘と一緒に家を飛び出すと、ちょうど古沢君が家を出たタイミングだった。吉沢君の手にも傘が握られていた。
「おはよう、古沢君」
「おはよう、七海さん。……今日、雨が降るそうだよ」
「そうみたいだね」
空は雲が多くどんよりとしている。雨は午後かららしいから、下校時間には土砂降りだろう。
私は手に持った傘を古沢君に見せる。古沢君も手に持った傘を見せてきて、私たちは意味もなく傘同士を軽くぶつけ合った。
「あ、やばい! 遅刻する!」
時間を確認して走り出した私たちは始業時間ギリギリで教室へ駆け込んだのだった。
ちなみに傘を持ってきた今日は一日晴れとなり、午後には厚い雲は無くなり嘘のような快晴となった。嘘となってしまった天気予報に、翌日、古沢君は苦笑いで購買のパンを一つ奢ってくれた。税抜きで百円だ。
こんな私たちのやり取りを、彼の言葉を嘘にした誰かが遠くから笑顔で見守っている気がした。
予定調和感なかったかもしれませんが、喝采を送りたかったので。