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夏凪フィルムと初恋サイダー  作者: もりも理幽
破滅への序曲、共犯者たちの夏休み
8/12

孤立と狂奔

 夏休みの終わりが、刻一刻と迫っていた。それは、島に伝わる「凪送り(なぎおくり)」の儀式の日が近づいていることを意味していた。シズたちが凪の病状悪化を口実に、そして長引く不漁を神の怒りとして、儀式の強行を決めたのだ。具体的な日時は知らされなかったが、島の空気は目に見えて張り詰め、不穏な気配が濃密に満ちていた。


 俺とユイは完全に孤立していた。「よそ者」である俺たちの訴えに耳を貸す島民はいない。それどころか、シズに逆らう者、島の和を乱す者として、あからさまな敵意のこもった視線を向けられるようになった。すれ違いざまに舌打ちされたり、「厄病神」と陰口を叩かれたりするのは日常茶飯事だった。ユイは、それでも諦めずに、島外に助けを求める方法を探し続けていた。スマートフォンの電波が微弱に届く丘の上まで行って、何度も本土の知り合いや関係機関に連絡を取ろうとしたが、繋がっても途中で切れたり、話がうまく伝わらなかったりした。「もう、どうしたらいいの…誰も、助けてくれない…」彼女の顔から、日に日に生気が失われていくのが分かった。その瞳に宿っていた太陽のような光が、翳っていくのを見るのは辛かった。


 一方、島の大人たちの様子は、日に日に異様さを増していった。特に、シズに近い長老格や、不漁続きで追い詰められている漁師たちは、どこか熱に浮かされたような、集団的な狂気に取り憑かれたような雰囲気を醸し出していた。彼らは、凪の命を案じるというより、島の安寧を取り戻すという大義名分のもと、儀式を成功させることしか考えていないようだった。その瞳は、現実から乖離した、狂信者のそれだった。神社の境内では、夜ごと松明が焚かれ、読経とも呪詛ともつかない低い詠唱の声が響き渡った。松明の煙と、湿った土の匂いが混じり合い、不気味な雰囲気を醸し出していた。その中には、不安げな表情で周りに流されているだけの人もいるようだったが、異様な高揚感と相互監視の空気の前では、個人の疑問やためらいは声にならず押し流されていた。


 そんな中、ケンジとミサキの行動が、事態をさらに悪化させることになる。


 ケンジは、凪が「凪ぎ巫女」として特別な存在であることを盲信していた。シズの言葉を鵜呑みにし、俺がその神聖な儀式を邪魔しようとしていると考え、憎悪を剥き出しにしてきた。


「テメェのせいで、凪の具合が悪くなったんだ!島の厄災も、全部テメェらよそ者のせいだ!」


 ある夜、俺はケンジに呼び出され、人気のない浜辺で殴られた。抵抗しようにも、体の大きさも、憎しみの強さも、彼の方が上だった。砂浜に倒れ込み、口の中に砂と血の味が広がった。吃音でうまく反論できない俺を、彼は「ほら見ろ、何も言えねえじゃねえか!」と嘲笑った。


 ミサキは、そんなケンジの気を引くために、そしてユイへの嫉妬心から、悪質な嘘を島中に流した。「本土から来た転校生ユイが、凪様に呪いをかけようとしている」「海斗は、本土の悪い奴らと繋がって、凪様を島から連れ去ろうとしている悪魔の手先だ」――。閉鎖的な島では、そんな根も葉もない噂が瞬く間に広がり、俺たちへの風当たりは暴風のように強くなった。ミサキ自身も、噂を広めるうちに、それが真実であるかのように思い込み始めている節があった。ケンジに「よくやった」と頭を撫でられたい一心で、彼女の行動はエスカレートしていった。その目は、嫉妬と承認欲求で歪んでいた。


 ユイは、島の狂気と、自分の正義が全く通用しない現実に、深く傷つき、打ちのめされていた。


「どうして…どうしてみんな、分かってくれないの!?凪ちゃんは、生贄なんかじゃないのに!ただの、病気の女の子なのに!どうして誰も助けようとしないのよ!」


 涙ながらに訴えるユイに、俺はかける言葉も見つけられなかった。彼女の「正しさ」は、この島ではあまりにも脆く、無力だった。俺は、そんなユイを守ることすらできなかった。自分の無力さが、腹の底から込み上げてくる怒りへと変わっていった。


 俺の心は、すでに冷たく、硬く固まっていた。


 凪を守る。そのためなら、手段は選ばない。


 シズや島民たちの狂気から凪を救い出すには、もはや常識的な方法では間に合わない。俺が、この手で、凪と共に運命に抗うしかないのだ。この狂った連鎖を、断ち切るしかないのだ。


 その覚悟は、俺の吃音にも奇妙な変化をもたらしていた。極度の緊張状態にあるはずなのに、凪を守るという一点においては、言葉は不気味なほど淀みなく口をついて出るようになっていた。まるで、喉の奥にあった鉛が溶けてなくなったかのように。それは、恐怖を乗り越えた強さの表れなのか、それとも、狂気への入り口に立った者の、人間性の変質なのか、自分でも分からなかった。


 俺は、あの古いカメラを常に持ち歩くようになった。フィルムは残り数枚。その一枚一枚に、これから起こるであろう出来事を焼き付けなければならない。それは、真実の記録なのか、それとも、俺たちの罪の証拠となるのか…。ファインダーを覗くたび、そこに映る世界が、現実感を失い、まるで悪夢の一場面のように感じられた。カメラの冷たい金属の感触だけが、妙にリアルだった。

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