数年後、夏凪ぐ刻
数年の歳月が流れた。
汐凪島には、表面上は穏やかな時間が流れている。シズがいなくなった後、古い因習を口にする者はいなくなり、島はゆっくりと、しかし確実に変化していた。不漁も徐々に解消され、島には少しずつ活気が戻りつつあった。島民たちはかつての狂騒を遠い過去の出来事として、あるいは都合よく忘れたかのように、日々の暮らしを営んでいた。
俺と凪は、島の若者として、当たり前の日常を送っているように見えた。一緒に畑仕事を手伝ったり、祭りの準備に参加したり。凪の体調は安定しており、以前よりずっと活動的になった。時折、二人で夕暮れの海岸を散歩することもあった。凪は、俺の腕にそっと寄り添って歩く。その仕草は、ごく自然な恋人同士のように見えるだろう。
しかし、その平穏は、凪いだ夏の海の底に沈む鉛のように、重く、息苦しいものを孕んでいた。
俺たちの間には、常に目に見えない緊張感が漂っていた。互いの視線が、互いを縛る鎖のように感じられることがある。祝い事や祭りの夜、賑やかな輪から少し離れた場所で、ふとした瞬間に、あの断崖での出来事が、煤けたフィルムの映像のように脳裏をよぎる。松明の炎、シズの最後の表情、潮騒の音、そして凪の歪んだ微笑み。そのたびに、俺たちは無言で視線を交わし、互いの存在と、共有する秘密を確かめ合うのだ。それは、決して消えることのない烙印だった。
俺の手元には、今もあの古いフィルムカメラがある。手入れはしているが、使うことはほとんどない。中には、あの夏の終わりに撮りきらなかったフィルムが、そのまま残されている。現像することは、永遠にないだろう。時折、カメラを手に取り、その重さと冷たい金属の感触を確かめる。ファインダーを覗くことは、もうない。俺が見つめるのは、レンズ越しの世界ではなく、この逃れられない現実だ。フィルムの感触を確かめるようにポケットを探る癖がついたのは、いつからだったか。
夏になると、凪が時折、サイダーを飲みたがることがある。店の軒先で見かけると、「あ、サイダー」と小さく呟くのだ。
けれど、二人でサイダーを飲むことは、もうない。一度だけ、好奇心から買ってみて、二人で縁側で飲んだことがあった。しかし、あの夏の、きらめくような甘酸っぱい味はどこにもなく、ただの甘い炭酸水にしか感じられなかった。あまりの味気なさに、俺たちは顔を見合わせ、どちらからともなく黙って瓶を置いた。それきり、サイダーを口にすることはなくなった。あの味は、失われた純粋さの象徴であり、同時に、俺たちが犯した罪の、苦く、そして永遠に消えない後味を思い出させるからだ。
俺たちは、この汐凪島という檻の中で、互いを監視し、依存し合いながら、生きていく。
これが、俺たちが選んだ未来。選択の結果としての、必然。
罪と秘密を共有した、共犯者たちの夏休みは、終わることなく続いている。
ただ、夏の凪いだ海のように、どこまでも静かで、息苦しい時間が、永遠に続いていくだけだ。ファインダー越しではない、このどうしようもない現実の世界で。
(了)
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