煤けたフィルム、共生の檻
シズの転落は、事故として処理された。
儀式の混乱の中、足を滑らせた不幸な出来事。誰もがそう口にした。いや、そう思い込もうとした。断崖にいた島民たちは、目の前の悍ましい現実から目を背けるように、あるいは、自分たちにも責任の一端があることを恐れるように、口を固く閉ざした。シズという絶対的な権力者が消えたことで、儀式そのものも、まるで悪夢だったかのように語られなくなった。ケンジは、混乱した記憶の中で、自分がシズを突き飛ばしたのかもしれないという、確かではないが消せない疑念に苛まれ続け、以前の粗暴さは影を潜めた。ただ時折、虚ろな目で海を見つめるようになった。ミサキも、嘘が招いた予期せぬ結末に怯え、島の中でひっそりと息を潜めるように暮らすようになった。
凪の病状は、その後、不思議と小康状態を保った。シズという絶対的な支配者と、「凪ぎ巫女」という重圧から解放されたこと、そして何より、俺が「守ってくれた」という歪んだ安心感が、彼女に精神的な安定をもたらしたのかもしれない。あるいは、病状そのものが、因習と結びついた心因性のものだった部分もあるのかもしれない。真実は、もう誰にも分からなかった。
俺と凪は、あの夜の岬での秘密を共有した。
それは、俺たち二人を固く、そして歪に結びつける、血塗られた鎖となった。罪悪感、依存心、そして、二人だけが知る秘密を共有する者同士の、奇妙な連帯感と安堵感。俺たちは、互いを監視し、互いに依存し合いながら、汐凪島という名の美しくも息苦しい檻の中で生きていくことになった。互いが互いの監視者であり、逃亡を許さない看守となったのだ。
ユイは、全てを知っていた。俺がシズを突き落とした瞬間を、その目で見ていた。彼女は、深く、長く葛藤した。正義感の強い彼女にとって、俺の行為は決して許されるものではなかった。しかし、島の狂気、凪の置かれていた絶望的な状況、そして、俺が凪を守るために下した究極の「選択」を目の当たりにし、告発という一線を越えることができなかった。告発したところで、この閉鎖された島で真実が受け入れられるだろうか?さらに深い混乱と悲劇を招くだけではないか?彼女の正義は、あまりにも複雑な現実の前で、その形を失い、沈黙を選ばざるを得なかったのかもしれない。
夏休みが終わり、俺は本土に帰るはずだった。だが、帰らなかった。帰れなかったのだ。凪を一人、この島に残していくことはできなかったし、凪もまた、俺が島を離れることを決して許さなかっただろう。「ずっと、そばにいてくれるよね…?」凪はそう言って、俺の服の裾を掴んで離さなかった。俺たちは、互いが互いの「檻」となったのだ。俺は親を説得し、島の高校に転校し、凪のそばで、島民として生きていくことを選んだ。吃音は、凪の前ではほとんど出なくなった。凪との間には、もはや言葉の壁は必要なかったからかもしれない。しかし、他の島民の前では相変わらずだった。それは、俺がこの島に完全には溶け込めない、永遠の「よそ者」である証のようでもあった。
ユイは、結局、秋風が吹き始める頃、誰にも何も告げずに、一人で島を去った。置き手紙もなかった。ただ、俺の部屋の机の上に、一枚だけ、あの夏に俺が撮った、三人の笑顔の写真が置かれていた。彼女にとって、この島は、美しかった夏の思い出と共に、あまりにも苦い記憶を刻みすぎた場所だったのだろう。去り際に、彼女が俺たちにどんな感情を抱いていたのか、俺には分からない。軽蔑か、憐憫か、それとも、理解を超えたものへの、静かな諦念か…。俺は、彼女の幸せを、遠い空の下で願うことしかできなかった。