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『現代の「米騒動」で縄文と弥生から見えるもの』

作者: 小川敦人

『現代の「米騒動」で縄文と弥生から見えるもの』


## 文明は進歩しているのだろうか

私たち現代人は、より豊かで、より便利で、より自由な生活を手にしているのだろうか。


中学生の頃、歴史の教科書で目にした縄文土器と弥生土器の違いに、私は不思議な感覚を覚えた。縄文土器には精緻な模様や造形が施され、見ているだけで、どこか心がゆったりとするような温もりがあった。一方、弥生土器は薄く、すっきりとしているが、どこか冷たさを感じた。文明が進んでいくならば、技術は洗練され、芸術も複雑化するのではないかと考えていた私には、逆の印象に映ったのだ。


## 時間と余暇の視点から


この違いを改めて考えたとき、そこに「時間」という要素が大きく関係しているのではないかと気づいた。つまり、縄文人たちの方が「余暇」、つまり自分のために費やす時間を持っていたのではないかということだ。狩猟や採集は季節ごとの活動をこなしながらも、自然のリズムに従った生活であり、必要なときに必要な分だけを得るという持続可能なスタイルを保っていた。それは現代で言うところの「ワークライフバランス」が取れていた社会とも言える。


ただし、ここで一つ、学校教育で刷り込まれてきたある「縄文文化のイメージ」に、私は疑問を感じている。それは「縄文=狩猟採集民=未開」という一面的な理解だ。たしかに、狩猟や採集は縄文時代の生活の重要な柱だったが、それが文化の全てではない。むしろ、考古学的証拠や出土物を冷静に見ていけば、縄文社会は狩猟採集以上に多様な生活形態と社会構造を持ち、一定の秩序を備えたコミュニティとして存在していたことが浮かび上がってくる。


## 縄文社会の複雑性


例えば、長期間にわたって同じ場所に定住した竪穴住居の存在、大規模な環状集落、食料を備蓄する貯蔵穴の設置、地域ごとの土器や祭祀道具の違い。これらは、単なる生存のための生活ではなく、文化的・宗教的・社会的営みを伴った暮らしがそこにあったことを物語っている。


さらに興味深いのは、縄文時代における交易の広がりである。和田峠や神津島の黒曜石が、東北や中部地方にまで流通していたこと、内陸の遺跡から海産の貝殻や貝輪が発見されていること、新潟産のヒスイや秋田の琥珀が遠方でも使われていたことなどがその証拠だ。これらは、地域ごとの交流関係と、比較的安定した社会ネットワークの存在を示している。


考えてみれば、交易は基本的な信頼関係がなければ継続しない。奪うことが日常であれば、贈る文化は根づきにくい。縄文文化が1万年という長い期間存続できた背景には、ある種の社会的合意と互恵的なつながりがあったと考えられる。


もちろん、縄文時代が完全な平和の時代だったわけではない。一部の遺跡からは争いの痕跡も見つかっており、集団間の小規模な衝突や資源を巡る競争も存在したと考えられている。しかし、大規模な組織的戦争の痕跡は比較的少なく、長期にわたる文化的安定性を維持できたことは注目に値する。


## 弥生時代の変化と新たな価値観


一方で、稲作を中心とする弥生時代の暮らしは、一年中の労働を前提としていた。田植え、草取り、水の管理、害獣の対策、収穫、そしてまた次の準備。さらに、村落単位での水の取り合いや、収穫の分配による格差が生まれやすくなる。農業は安定した収量を約束する代わりに、「所有」や「階層」といった概念を人々の間にもたらした。


弥生時代の特徴である鉄器・青銅器の導入や、階級の発生、環濠集落の形成などは、社会がより複雑になった証拠である。これは単に「秩序の崩壊」というよりも、異なる形の社会構造への移行と見るべきだろう。新たな技術と生産様式は、異なる社会的価値観や組織形態をもたらした。


弥生時代は縄文文化の1万年に対して、わずか600年しか続かなかった。しかし、この期間は日本の古代国家形成への重要な過渡期となり、独自の文化的価値を創出した。技術革新と社会変化は、新たな可能性をもたらす一方で、それまでの社会的安定性に変化をもたらしたと考えられる。


## 現代社会への問いかけ


この歴史の流れは、現代にもつながる。先日、ニュースで報じられた現代の「米騒動」は、まさにそれを象徴する出来事だった。ウクライナ情勢や気候変動、経済不安などの影響で米の価格が高騰し、消費者が米を求めて奔走した。誰が米を作り、誰が価格を決め、誰がその影響を受けるのか――この問いには、現代の私たちがすでに「所有」や「分配」の構造の中で生きていることを改めて突きつけられる。


米を巡るこの構図は、弥生時代に始まった「農耕=管理=分配」のモデルと本質的に関連している。現代ではさらに複雑化し、より多くの人々が自らの食と生活に対して間接的な関係しか持てなくなっている。私たちはいつのまにか、自らの生存に必要なものを自分の手で直接得ることが難しい社会構造の中に組み込まれてしまった。


## 縄文的価値観の再評価


だからこそ、私は縄文時代という長く続いた時代に再び目を向けたいと思う。比較的安定した社会関係の中で交易が行われ、自然と共に生き、芸術や祈りが日々の暮らしと地続きにあった時代。彼らの暮らしは単に「原始的」でも「未発達」でもなかった。むしろ、現代社会が見失いつつある持続可能性と、人間同士の直接的なつながりを重視した社会の一例として考えることができる。


縄文文化は、単純な狩猟採集生活ではなく、多様で複雑な社会構造と交流ネットワークを持ち、独自の価値観に基づいた文化を育んでいた。その持続可能性と長期にわたる安定は、今日の社会が直面する様々な課題に対する一つの視点を提供してくれる。


## 文明の進化とは何か

便利さや富の総量ではなく、「文化の持続性」や「社会的安定」も重要な指標ではないだろうか。縄文人の営みの中に、現代社会が再考すべき「持続可能な生き方」のヒントがあるように思える。それは過去への回帰ではなく、未来に向けた文明の再考のための貴重な視点となるだろう。

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