パルス-①
雲が高くなり、秋晴れが続いて、朝晩冷えるようになってきたころ、母、マイラが産気づいた。
満月の夜のことであった。父カミックとネムスがいつものごとくギャーギャーと言い合いながら鍋を煮込んでいたところに、臥せっていたマイラがか細い声で「産婆さんを呼んできて……」と呼びかけたのだ。二人は慌てて火から鍋をおろす。
「俺が呼んでくる!ネムス、母さんをみててやってくれ!」
そういって外套をひっつかむとカミックが駆けだしていく。外はしとしとと冷たい雨が降っていた。
「母上……」
「大丈夫よ、ネムス。そばにいて手を握っていてくれればいいから……」
とりあえず母の汗ばんだ手を握る。周期的に痛みがくるのか、時折顔をしかめている。手首をさりげなくさわり脈をとる。腕にはすこしむくみがあった。
(やっぱりちょっと血圧高いのかな……)
ここのところ、マイラは頭痛を訴えることがあった。妊娠が原因で血圧が高くなってしまうことがある。バートン先生に薬をもらってはいたものの、やはり出産となれば心配であった。経産婦だからするっと生まれてくれればいいが……。
(くそ、こういう時に助産の経験があれば……)
「ううう、いきみたい……」
「母上、もうちょっと辛抱してください!」
産科は研修以来なのでとりあえず見よう見まねである。とりあえず産婆さんがくるまではあまり進めすぎないように、背中をさすりながらリラックスさせておく。
体感では長く感じたが、実際は4半刻程度で父、カミックが産婆さんを連れてきた。産婆さんを背負い大汗をかき、両手にお産に使うあれこれを抱えている姿は、普段のおちゃらけた姿からは想像もつかないほど頼りになった。
到着した産婆さん(助産師さんが正確な呼びかたなのだろうが、かなりお年を召されていて、あまり産婆然としていた)がそのご老体に似合わずテキパキと環境を整えていく。布団などを駆使して、上体を起こした息みやすい体勢を整える。
異変は、その態勢に移行して、母が破水して判明する。
「血性だ……!」
にわかにその場に緊張感が走る。先程まで穏やかであった産婆さんの横顔も引き締まり、額にじんわりと汗が浮かぶ。
羊水は基本的には多少の着色はあれ透明なものである。感染や、お産のストレスがあった場合には、赤ちゃんがお腹の中でうんちをしてしまうことなどで、緑色にどろどろとした混濁羊水になる場合もある。しかし、血性の場合、気にしなければならないことがある。
(早剥か、前置胎盤か……いずれにしてもまずいぞ、この村の医療態勢では)
早期胎盤剥離、本来は赤ちゃんが産まれてから剥がれるはずの胎盤が、赤ちゃんが生まれる前に剥がれてしまうものである。胎盤が剥がれてしまうので、赤ちゃんには臍の緒を通して酸素が送れず、命の危険がある。お母さんも出血が多い場合には命の危険がありうる、赤ちゃんもお母さんも危険な、有り体に言えばヤバい状態である。前置胎盤の場合は、産道に被さるように胎盤があり、出産の際にはその部分が剥がれてしまうので、おなじように危険なのだ。
「産婆さん、手伝えることは⁉︎」
「赤ちゃんの頭は近くまできている、産んでしまうしかない!あと、人手がほしい!」
ネムスは顔を上げて、母と父をみやる。痛みに顔を顰めている母親と、母の手を握りながら、状況がよくわからないながらも緊迫した空気に狼狽えている父があった。
ネムスは逡巡する。父にバートンとクララを呼んできてもらうか、それとも……。
「父さん、母さんのお腹を押すのを手伝って!」
刹那の思考でネムスが下した結論は、状況をまず一旦収拾することであった。父に人を呼んでもらうのであれば、ここは産婆さんと自分だけになる。自分は非力であり、母のお産のサポートは難しい。力自慢の父であれば、お産でやれることがある。
「押すったって……!」
「つべこべ言わずに!ここに手を当てて、思いっきり下に押し出すように!」
「やったことねえって!」
「だれでも最初は初めてなんです!迷ってる間に赤ちゃんが死んでもいいんですか!」
「うぅ、痛みが来たわ……」
マイラが呻く。
「父さん、今です!いきみに合わせて!母さんはへその方を見てぐっと!」
母がぐうっといきむのに合わせて、父が力を込める。
クリステル圧迫法。
医療技術が進歩した現代でも多用される、もっとも原始的で、そして効果的な手法である。
ググッと押し出された赤ちゃんの頭。産婆さんが手で誘導し、肩がみえると、そこからはつるんと赤ちゃんが現れる。
「やった、生まれた、生まれたぞマイラ!」
「良かった……」
両親2人が安堵している中、次なる異変は母の足下で起きていた。