表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
6/66

X-③

むせかえる血の匂い、あわただしい足音、叫び声、モニターの音、なにやら遠くで呼びかける声……。自分は薄い膜を一枚隔てたところで、それを他人事のように眺めている。

「先生!大丈夫ですか!?」

そう呼びかけられて、そうだ自分は医者だ、こんなところでボーっとしていてはいけない、動かねば、とハッとする。

「ごめんなさい!患者さんの状況は?」

そういうと、看護師さんが怪訝な顔でいう。

「なにいってるんですか?患者は先生ですよ?」

そういわれた瞬間、突き刺すような胸の痛みに気づく。見下ろすと、胸からはだくだくと拍動とともに赤い血が流れ、血だまりをつくっている。

「あ、あ、あ”あ”ああああああ!」

あまりの痛みと恐怖に絶叫すると、周囲は渦巻きながら暗転し、自分は一人、暗い闇の中に落ちていく……。


「ネムス!ネムス、大丈夫!?」

うっすら目をあけると、心配そうに見つめる母、マイラの姿があった。ネムスはそれで自身がうなされていたことに気づく。周囲はまだうす暗く、早朝だろう。体はびっしょり汗をかいており、はりつく服が気持ち悪かった。

「はい、母さん……」

マイラはネムスの頭をなで、胸に抱く。

「ここのところ毎日うなされているわ……。やっぱり、溺れたのが怖かったのね……」

「……」

「しっかりしてるから、ついつい忘れちゃうけど、まだ子供だわ……」

抱きしめられながら、ネムスは複雑な気持ちを抱く。

前世の記憶を思い出してから、ネムスは毎晩のように悪夢を見ていた。決まって毎回、前世の医療現場にいる夢であった。夢を見るたびに、自分が医療現場に持っている、心的外傷の大きさに辟易とする。診療所を手伝うのがしぶしぶである理由が、ここに詰まっていた。


そして、母にも申し訳ない気持ちになる。実際、つい先日までは、自分は達観した子供ではあるが、違和感なくネムスとして生きてきた。しかし、前世の記憶を取り戻した今、ネムスと前世の自分の境界があいまいであり、どう立ち振る舞うべきか悩んでいた。母に対しても、以前までと同じようにふるまうことは出来ていなかった。母も、わが子と思って育てている少年が、まさかおっさんだとは思ってもみないだろう。信じてもらえないだろうし、下手に傷つけたくもなかったので、自分の前世については誰にも話さないでおこうと決めていた。


「まだ早いし、寝ましょうね」

そう言って、布団をかけられる。頭脳は大人だが体は子供の高校生探偵状態、といえば聞こえはいいがとにかく体はまだ幼いので、睡眠時間は長く必要だ。また眠くなってきたので、瞼を閉じる。そういえば瞳を閉じて、って歌があったけど、閉じるのは瞳じゃなくて瞼だろう、などくだらないことを考えている間に眠っていた。



「最悪だあ……」

すがすがしい朝の日差しの中、背中を丸めたネムスは一人で、井戸端でこそこそ洗いものをしていた。洗っているのは、自分の寝巻と敷布である。

「ようネムス」

びくり、と顔をあげると、ニヤニヤとした、自分によく似た顔の青年がこちらを見下ろしている。

「お前、漏らしたのか?」

「……」

答えずにプイと顔をそむけると、うひゃひゃひゃ!と下卑た声をあげて笑い転げている。

結局、あの後また悪夢にうなされ、今度は寝汗ばかりかおもらしまでしてしまったのである。恥ずかしかったのでこそこそ着替え、こっそり寝具を洗っていた。敷布団も干したので、いずれは両親に気づかれることではあったのだが、おっさんプライドがネムスを駆り立てたのだ。

笑いのあまりひいひい苦しそうにしている父、カミックにネムスは怒りの声をあげる。

「うるさいです、父さん!僕は子供なんです!そんなこともあります!」

「いやいや、そりゃそうだけどよ、おまえはなんというか、昔っから大人みたいだからさ」

「数年前まではおむつだったでしょう!」

忘れもしない、おしもの世話をされる屈辱の日々。乳児期は排泄のコントロールができないものだというのはいまになればわかるが、その当時は記憶が戻っていないのに精神ばかりが大人だったので、なんでそんなに嫌がるのかしら?と母に言われながら早く終われと祈っていた。自分に赤ちゃんプレイの素養がなくてよかったと心から思うところであった。


「わるい、わるい。そういえば、診療所で手伝い始めたんだって?」

ひとしきり笑ったあと、木刀を持って素振りの準備をしながら、まったく悪かったと思ってなさそうな顔でカミックはネムスに尋ねる。

「はい。あんまり乗り気じゃないんですけど……」

「なんだ、そうなのか。俺はぴったりだと思ったけどなあ」

「本当ですか?」

「ああ。ついでに先生におねしょも治してもらえ」

「いい加減にしてください!」

「おっと」

ネムスは持っていた桶を怒りをこめて投擲するが、カミックはそれを木剣の腹で軽くいなす。この憎たらしい父親は、村の衛兵の長を務めており、それなりに腕は立つのである。

「まあ、なんだ、昼間は母さんのこと、俺が見とくからよ、心配せず手伝いは行ってこい」

「普通に頼りにならなそうで心配です」

「おい、この力こぶをみろよ、頼りになる男だろう?」

「力以外の部分が頼りにならなそうなんです!」

「言ったなこいつ!」

ぎゃーぎゃーと言い合いをしていると、家の裏口から、母が「ごはんよー!」と声をかけてくる。

「……父さん、ご飯作るのは手伝ったんですか?」

「ん?いや、そのだな」

ネムスはカミックのことをじとー、と見つめる。カミックはポリポリ、と頭を搔きながら言う。

「……お前だって手伝ってないじゃねえか」

「僕は昨日手伝いました。母さんが身重の間は交代で手伝う決まりを作ったじゃないですか」

「うぐぐ……」

ほんとにこういうとこが頼りにならないんだよな、母はなんでこんなやつと結婚してしまったのだろう、とひとりごちながら、ネムスは裏口から家に入り、朝食の準備を進める母の手伝いを始めた。カミックはバツの悪い顔をして、ネムスの後ろで小さくなっている。

まあ、憎めないやつではあるんだが。とネムスはひとりごちた。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ