あの命この命⑩
(そういえば、あのとき、竜に激突したのは何だったのだろう?)
勝利のムードの中でネムスがあたりを見回すと、すぐそばにちょこん、と座り、ネムスを見上げている見慣れた姿があった。
「フィーア!急に出て行って心配したんだぞ!」
ネムスはしゃがんでフィーアに抱きつく。フィーアはなぜか得意げだ。
「おう、フィーア。お前すごいな、あんなこと出来たのか」
カミックの言葉に、ネムスも遅れて理解する。あの時飛んできたあの物体は、フィーアそのものだったのだ。
「ふふん。すごい?」
「すごいなんてもんじゃないよ」
フィーアの頭をわしゃわしゃとなでる。あの時、フィーアの一撃がなければ、自分たちだけでなく、教会にいた村人たちも炎に飲まれていただろう。こんな幼子ながら、なんというパワーだろうか。ネムスは感嘆する。
鼻高々、といった様子だったが、何かを思い出したのか、ハッとした表情になり、ネムスの服の裾を引っ張り、こっちこっちと連れて行こうとする。
「フィーア、どうしたの」
「ネムス、パパのけが、治して」
「怪我?トルクスさんが?」
「うん。こっち!」
駆けていくフィーアを追いかけようとしたところで、ネムスは後ろに引っ張られる。カミックに首根っこを捕まえられていた。
「ネムス、俺が行って、トルクスを教会まで運ぶ。お前は教会に戻れ。バートンの爺さんとクララさんの手伝いをしてやれ」
その言葉にハッとする。そうだ、カミックも、クリンスマンも、まだクララの死を知らないのだ。
「……そうですね。父さん、お願いします」
カミックは少し言葉に詰まったネムスをいぶかしげに見つめた。なにか聞こうとしたようだったが、もうだいぶフィーアの姿が小さくなっていたため、慌ててそのあとを追いかけて行った。
「ね、ネムス君。自分は魔獣の残党を倒しに行ってくるから、クララさんによろしく言っておいてくれるか?」
「え、えっと、その」
さて、クリンスマンにどう伝えたものか。
真実を知れば、クリンスマンは自分を責めるだろう。しかし、真実を告げないのも無責任だ。だいたい、クリンスマンが悪いわけではない。行き場のない怒りを彼にぶつけるわけにもいかないのだ。
「よい、ネムス君は先に戻っておれ。わしが説明しておく」
バートンが助け舟を出してくれたので、ネムスは先に教会に戻る。教会の中では、大きな脅威が去ったことに抱き合って喜ぶ人たちで溢れていた。しかし、クララが斃れているところには、沈痛な面持ちの人垣ができていた。
喜んでいる村人たちも、クララの状態に気づいた者たちから、一人、また一人と人垣に加わっていく。
クララがいかに村人たちから愛され、頼りにされていたか。村人たちの表情は、それを痛いほど物語っていた。そして同時に、彼らの顔には、この先への不安が色濃くにじみ出ていた。当然だろう。この村は今、医療の拠りどころと信仰の拠りどころを同時に失ったのだ。
「ネムス!これかしら?」
ネムスがその人垣を見つめていると、マイラがネムスに向けて走ってくる。手には銀色の箱を抱えている。
「母さん!ありがとう!」
銀色の箱を受け取り、蓋を開く。中には絹糸の束と縫合針、鉗子、鑷子、剪刀が入っている。絹糸は高かったが、バートンにねだって買ってもらった。医療器具の方は、ムズカに作っておいて貰ったものだ。
「何に使うの?」
「傷を縫うんです」
「え」
「母さん、お湯を沸かしておいてください。後で使います」
「わ、わかったわ」
口をあんぐりあけた母を尻目に、ネムスはある患者の下へと走る。名前も知らない、一人の村人だ。息があり、なおかつ手持ちの手段で救える可能性がある中では最重症の患者だ。胸部から腹部にかけて大きく傷を負っていた。幸い、傷は筋層までにとどまり、臓器には傷がついていないようだったが、傷口からはびまん性に血が流れ出し続けていた。すでに意識は朦朧としている。
傍らにいる、妻と思われる女性に声をかける。
「ご家族の方、落ち着いて聞いてください。この方はこのままだと失血で命が危ないです」
「あ、あなたは手伝いの……。クララさんはまだ?」
「……クララさんは、今は治療できる状態にありません」
「ええっ!」
卒倒しそうな奥さんを慌てて支える。
「そんな、クララさんが無理じゃ、もう」
「気を確かに。ひとつ、方法があります。縫うんです、傷を」
「縫う!?あなたこそ気は確か!?そんな恐ろしい、人の体を縫うなんて!」
目を白黒させている奥さんをみて、ネムスはやはりか、と内心舌打ちする。治癒魔法があるこの世界では、傷は治癒魔法でさっと治すものだ。傷を縫い合わせて、塞ぐなんてやり方は思いもしないものだろう。
「いやよ!そんなこと!」
「でもこのままじゃ……」
「せめてバートン先生!バートン先生を呼んできて!」
金切り声で叫ばれ、ネムスはたまらずいったん引き下がる。バートンの治癒魔術は初級まで、ちいさな切り傷を治せるくらいだ。あれは手に負えないと思うが……。
だが、希望もないのに言われた通りにしておこう。バートンはどこだ、とあたりを見回すと、いまのひと悶着が聞こえていたのだろう。村人たちに注目されていた。その眼は決して優しいものではなく、猜疑心に満ちた、冷たい視線であった。
(そりゃそうか)
ネムスははたから見ればただの子供だ。その子供が、あまりに突拍子のないことを言っているこの構図を、信用しろというのが無理があるのだ。思えば、診療所でも、お産の場でも、手伝いばかりで、主体的に患者への治療を行ってきたわけではない。ここまでさぼってきたことのツケがここでも出たな、と苦々しく思う。
しかし。
(クララさんに頼まれたからな)
諦める訳にはいかなかった。ここの対応を誤れば、いたずらに犠牲者を増やすばかりだ。
ちょうどバートンが戻ってきたので、患者を受け渡す。傷の状況をみてバートンは渋い顔をしていたが、やるだけやってみる、と患者に向かって治療を始める。




