流れゆく日々③
気が付くと、また雪がちらつく季節となった。
気が付くと、とは言ったものの、ネムスとて何もせずに過ごしていたわけではない。確かに治癒魔術の鍛錬は指導者の恋模様という外的要因によってさぼりがちであったが、それ以外についてはなかなかの成果をあげていた。
まずは一般魔術。一応、初級魔術については、火、雷、水、氷、土、風など、一通り発動できるようになっていた。発動できるが、できるだけで、その威力はカスカスである。バートンは弟子の出来の悪さを嘆いていたが、出来の悪い弟子当人としては発動できるだけでも嬉しかった。
次に、医学について。これは手を付けるところが多すぎて、なかなか目に見えた進展というものはなかった。しかし、いくつかの独自の研究の結果、分かってきたことがあった。
まず、現在のこの世界の医学の到達地点について、であるが、治癒魔法に頼り切っているおかげで、ほとんどの外科手術は行われていない。実際、やろうと思うと、いくつかの障壁がある。
一つは、麻酔がないことである。鎮静、鎮痛、筋弛緩の三本柱。これなしで外科手術をしようものなら、そこは手術室ではなく、阿鼻叫喚の拷問室と早変わりである。人道的な外科手術を実施するためには麻酔の確立が欠かせない。
もっと勉強しておけば良かったのだが、さすがにネムスも笑気ガスなどをはじめとした麻酔薬の作り方は知らなかった。であれば、この世界にあるもので代替するしかない。ネムスが目をつけたのは、この世界に生きる様々な魔獣や、植物であった。家にあった図鑑を眺めていると、痺れ毒や催眠ガスを持った危険な生物がいるということが分かったのである。果たして薬品として使えるのか、つまり、求めている効果以外の有害事象が生じないかということについて、これは採取して使ってみないとわからない。ひとまず使えそうなものをリストアップしたところ、他人に見られたら毒殺を企てる危険人物だと勘違いされかねないリストが完成してしまった。ひとまず図鑑に挟んで隠しておいた。いつかこれらの魔獣になどに出会うときがあれば、積極的に採集したいものである。
次に、清潔である。清潔といっても、ただ手を洗えばいいだけではない。少しでも菌がついていれば、膿瘍の原因となったりするわけであるので、菌のついていない器具は欠かせない。ただ、これは現世のように、高温・高圧の蒸気で消毒することはある程度可能であろう、と考えていた。圧力鍋のようなものを作れば出来そうだ。
それだけでなく、抗菌薬も必要である。ネムスが睨んでいた通り、やはりあの聖水は、どうやら抗菌薬としての効能がありそうだ、と見極められたのも収穫だった。この世界でも、当然腐敗や発酵は起こるので、細菌や真菌が存在する可能性が高い。診療で余り、廃棄になる聖水を拝借して、パンに振りかけてみた。普通のパンとどちらがカビが生えやすいか比べてみると、あきらかに聖水をかけたものはカビや細菌のコロニーができにくかった。あとは、経静脈投与できるのか、というところであるが、この難易度はかなり高いだろう。聖水の作り方は極秘のようで、バートンやクララに聞いてもわからない、極秘であるの一点張りであったが、バートンは目が泳いでいたので、なにかは知っていそうな様子であった。とりあえず現状は、帝都の大聖堂から定数配布する形で流通しているようである。
そして、最後に父に師事し始めた剣。驚くべきことにこれがどうやら向いているらしい。運動し始めて、自身の身軽さに衝撃をうけた。前世の自分も、けして運動が苦手、というわけでもなかったのだが、あきらかに違うのである。剣を握り始めてからも顕著で、父の見本を真似するのだが、手直しされることも少なく、剣筋がぶれないので父も驚いていた。まずは基礎、ということで基本の型の反復練習と、複数の型を連続してよどみなく繰り出す練習をしている。意外とこういう基礎練習も苦にならない性格で良かったと思うものである。
自分が剣に向いているのはおそらく父の遺伝であろう。実際に師事して近くで見ると、父の所作は洗練されていた。あの試しの儀でみたクリンスマンの戦闘と比較すると、まず体幹がぶれず、足さばきもスムーズで、動作に無駄がなかった。剣のスピードもすさまじく、一瞬きする間に複数回切りつける。
どこで習ったのだろう、と父に尋ねるが、昔な、とごまかすばかりで教えてくれなかった。父と母の出自については謎が多い。おそらくこの村に住み始めてからはそれ程経っておらず、それこそ自分が生まれる前後なのだろう、とネムスは予想していた。しかし、村においてあからさまに避けられるわけでもなく、むしろ村人からは一定の畏敬の念のようなものを抱かれている印象であり、その謎な立場について謎が深まるばかりであった。
もしヒントがあるとするならば、母が前髪で隠している左目に文字通り隠されているかもしれない。母の左の額から頬にかけて、目を縦断するように大きな傷があり、その傷の影響で左目はほとんど視力が残っていないようだ。普段は斜めに前髪をおろして傷を隠しているが、当然家族として生活していればわかるものである。その目の傷はどうしたのか、と母に尋ねたこともあるのだが、この村にくる前に少しね、と答えられたきりで具体的なことは何も教えてくれなかったのだ。
そんな冬の日、ネムスは父と連れ立って村の外に来ていた。この時期は大型の魔獣は冬眠に入るため、小型の魔獣しか現れない。比較的安全に魔獣との戦闘の手本を見せるにと同時に、冬の間の貴重な食糧源を求めた狩りの側面もあった。
とはいえ、なかなか獲物は現れない。となれば、質問のチャンスである。
「父さん、そろそろ教えてください。父さんと母さんは、どういう風に出会って、なんであの村に住んでいるんですか」
「お前ほんと、最近そればっか聞くなあ」
「そりゃ、気になりますから」
「そんな気になるかねえ」
薄く積もった雪を踏みしめながら、木立の間を抜けていく。今年の冬はあたたかい。すでに去年は吹雪いていた時期なのだが、あまり雪が降らなかった。
「すまんな、母さんと決めたんだ。お前が大人になるまでは話さないって」
「でも父さん、僕は試しの儀を越えたので、もう成人といっても過言でもないのでは?」
「また屁理屈を。過言だ、ガキんちょ」
丁度木立の開けたところに出る。ガキんちょ呼ばわりに反論しようとしていたネムスを、父が手で制す。一気に緊張感が走る。父が剣の柄に手をかけると同時に、あの試しの儀でも見た、狼のような獣が現れる。
「ブロンズウルフですね」
図鑑を熟読した今のネムスにはその獣の名前がわかる。赤茶けた毛色からブロンズウルフと呼ばれているこの魔獣は、この地方に多く生息している。魔力に乏しく、毒などは持たないが、運動能力に優れている。群れで行動することが多いはずだが、と思っていると、やはり、最初に現れた獣の背後から2匹が顔をのぞかせる。
「お前はそこの後ろで見てろ」
言われた通り木の後ろに隠れ、父の背中を見守る。父は3匹の獣とにらみ合い、じりじりと距離を合わせる。張り詰めた緊張の糸が限界に達しようかというとき、焦れた一匹が父に向かってとびかかる。その刹那、父もほぼ同時に動いていた。鞘から滑るように抜き放たれた剣が、きらりと輝いて獣を空中で両断する。
「グギャギャガギャ!」
断末魔をあげながら倒れる獣の背後から連鎖のように次の獣が滑り出てくるが、すでに返す刀が、そこに首が来るのが分かっていたかのように、その空間に置かれている。二匹目の首を貫いた剣を抜き放つと、三匹目の獣の鼻面を蹴とばし、一気に振りかぶって両断する。
あっという間の、無双劇であった。
しばらくあっけに取られた後、木陰から這い出て、父の下に向かうと、父はすでに獣の下処理の作業に入っていた。
「父さん、すごかったです」
「まあな、これくらいは朝飯前よ」
軽薄な顔でにやりと笑う父は、先ほどまでの修羅のごとき剣豪と同一人物なのか、と疑いたくなる。
「ほれ、お前も手伝え」
ネムスも懐から小刀を取り出し、獣の血抜きを行いながら、父に尋ねる。
「父さんならミラージュサーペントも倒せますか?」
「よく知ってんな、ミラージュサーペントなんて。昔パーティを組んでた頃に一回倒したことがあるぞ」
ミラージュサーペントは、図鑑で読み、あたりをつけていた魔獣のうちの一匹である。牙の麻痺毒のほか、催眠効果のある霧を吐き出す大蛇であると図鑑には記載があった。
「そうなんですか、すごい!」
「まあ、だがソロでは無理だな。厄介すぎるからな、毒やら催眠やらで」
「父さん、いつか僕にも倒せるでしょうか」
「なんだ、倒したいのか」
「まあ、その」
「わかるぞ、その気持ち。お前もいっちょ前に男子だったんだな」
本当は、成分が気になるのだが、強敵と戦いたがっていると思われているようだ。
まあ、そう思われていた方が変だと思われなくて都合がよいか、とネムスは一人納得した。




