The CIRCLE①
「オイ!大丈夫か!届くか!」
「早く引き上げてくれ!かなりまずそうだ!水を飲んでるかもしれねえ!」
晴れ渡る夏空の下、慌ただしく大人たちが川から少女を引き上げている。一足先に川から助け出され、ブルブルと震えている少年、ネムスの姿は、はたから見れば、その鬼気迫る状況に圧倒され、立ち竦んでいるだけの年相応の少年に見えたかもしれない。あるいは、死の淵から生還し、恐怖に慄いている姿か。川遊びで深みにはまり、声も出せずに流されて行く幼馴染を助けようとして、しかし幼子の泳力ではどうにもならずに一緒に溺れかけてしまったのであるから、そう映るのは当然のことであった。
「え……?なんだ、これ……?」
当然、恐怖もあった。しかし、1番大きかったのは、困惑の感情であった。
何に対しての困惑か?
「これは、ぼくの記憶、なのか……?」
それは、命の現場で慌ただしく動くその現場をきっかけとして、溢れ出してきた、全く違う世界で、他人の命のために働いていた記憶に対しての困惑。
およそネムスとして生をうけてからの年月では蓄積しきれない、膨大な知識に対しての困惑。
そう。
ありていに言ってしまえば。
前世に日本で医者として働いていた記憶である。
ネムスは、この世界に生を受けて5年になる少年である。周囲と比べて、ひどく大人びたところがあった。あまり子供の遊びに興味を示さず、文字を早々に覚えると、難解な魔導書を読むことに熱中していた。両親はそんなネムスに期待する反面、そのバランスを欠いた早熟さを心配していたのであるが、ネムスとしては、物心ついた頃から、幼稚な遊びに興じる己に対してもたげてくる自責の念に、その理由がわからないながらも従っていただけであった。まさかその原因が、転生したおっさんの精神性であるとは、前世の記憶を失っていたため気付かなかったのだ。
そんな困惑の中にいるネムスをおいて、状況は刻々と進んでいく。引き上げられた少女の周りを大人たちが取り囲んでいるが、どうしたらいいかわからずいるようだった。一人が「先生たちを呼んでくる!」と言って走っていったけれど。
ーそれじゃ、遅すぎる。
「......ちょっとそこをどいてください」
気迫のこもった声で、しかし冷静に、ひとだかりに声をかけると、びくり、として大人の一人が場所をあけてくれる。ネムスはそこに膝をつくと、青白い顔をした幼馴染の少女の口元にほほを近づけながら、同時に胸の動きを観察する。
ー呼吸はある、あるが、弱すぎる。
同時に、首元に置いておいた手で、頸動脈の拍動をさぐる。
ーよかった、心臓はまだ、しっかり動いている。
脈はまだしっかり触れるから、血圧は十分あるだろう。であれば、優先されるのは。
少女の顎先をすこし挙げ、気道を確保し、鼻をつまみ、口と口を合わせて、空気を送り込む。胸がしっかり上がることを確認して、繰り返す。
(戻って、戻ってこい……!)
心肺蘇生法。心臓マッサージと人工呼吸で、心停止患者の蘇生を試みる。厳密には、今は心停止はしていない。しかし、このまま放っておけば、呼吸停止から心停止に至る。そう判断して、ネムスは呼吸のサポートを始めたのである。
一般的に、おとなで心臓が止まっている患者で優先されるのは人工呼吸より心臓マッサージである。しかし、小児の心停止では窒息など呼吸がうまく行かないことが原因となっていることも多い。呼吸のサポートが必要な場合もあるのだ。
何回、息をふきこむのを繰り返しただろうか。
もぞり、と身動きのあと、少女の瞼がふるふると震えながらゆっくり開き、そしてケホっと咳こむ。飲み込んでしまった少量の水を吐き出すと、ネムスと目を合わせた。
「あれ、ネムス、どうして......」
「よかった、ルルナ......」
ネムスがほっと胸をなでおろし、へたり込むと同時に、ネムスの幼馴染の少女、ルルナが声を発したのを聞いて、大人たちが歓喜の声をあげる。よくやった、ボウズ、などと肩を叩かれたり、抱きかかえられて担ぎあげられる。しかし。
「ちょっと待って、おろして、おろして!」
必死に訴えておろしてもらい、再びルルナの隣に座りその状態を観察する。意識が戻ったからと言って気を抜いてはいけない。むしろここからが大事なのだ。
今のところ呼吸はしっかり続いている。顔色は戻ってきているが、まだ不十分だ。服は冷たい川の水で濡れている。夏の日差しが照っているとはいえ……。
(まずは、復温したほうがいいな、濡れた服を脱がせて......)
「濡れている服を脱がすよ、はずかしいかもだけど我慢してね......」
と言って服を脱がせている間に、先ほど走っていった大人が戻ってくる。その後ろから、金髪の修道女と、立派なひげを蓄えた初老の男性が、いろいろ携えながらえっちらおっちら走ってくるのが見えた。