魔の国のストリート
アミラは酒好きだ。
だが、昼間っから酒場でたむろっているタイプでもない。
男についていくのでなければ、おそらくカフェやショッピングモールのある家族連れの多い、街の中心地だと思った。
広い路地の真っ只中を歩くジルを、避けて歩く通行人たち。
ジルは有名人なのだ。なぜなら、去年までは王宮戦士として、このサングイス王国の武力の中枢を担う兵士団に所属していた。
階級は兵士長で、魔王軍の武将の地位を与えられていた。
武力でしか自らの命を護れず、武力でしか他人から認められないこの王国で、王宮の兵士長、兼魔王軍の武将というのはとてつもない強さを持った戦士の称号なのだ。
先般も、悪魔軍と対立した死霊軍の陸戦師団長を名乗るデブドラゴンと対等に渡り合った。
まあ、今はただの一般市民。妹と一緒に日々フラフラするロクデナシとしても名が通り初めてきたところだった。
ザワザワと賑わう街中に入る。
常時、厚い雲に覆われた薄暗い国。
石畳の狭い路地と、石造りの建物。その中に、煌めく照明をたくさんつけた商業店舗。
家族連れも、カップルもたくさんいる。もちろん外を歩く以上、二人以上の団体は、誰かが必ず腕ききの戦士だ。
「やめて! 離してっ」
聞き慣れた声が聞こえる。
自分の推理の正しさが証明できたジルは、ほくそ笑む。
人混みの先にいたアミラは、知らない男に手を握られていた。
「来いって言ってんだよてめえ。殺すぞ」
「このっ、」
アミラは掴まれていない方の手で剣を抜く。
抜いた流れで、男の胴をふたつにしようと勢いよく振った。
キャイン、と轟く金属音。
男も、アミラの手首を掴んでいない方の手で握った剣で、アミラの一撃を防御していた。
男は、アミラの手を離す。
と同時に、その手でアミラの顔をぶん殴った。
アミラの持っていた剣は、カラン、と音を立てて地面に転がる。
「うっ……」
「素直にいうこと聞いときゃあよ、こんな目に──」
男は、アミラの首を正面から片手で掴んで石造りの壁に叩き付ける。
そのまま膝蹴りをアミラの腹に何度か入れ、強引にアミラへと口付けをした。
「けっけっ。どうせこうなることはわかってんだ、最初から素直に──げえっ」
キスを強要した男の口から血が溢れ、アミラの口へと洪水のように注がれた。
「ぶえっっ!! ペッペえっ」
壁に背をもたれながら、ゴホゴホと咳き込んだアミラは、首を押さえて涙目で見上げる。
無表情の兄が、上半身だけになった男を引っ掴み、宙に浮かせていた。
「……いくらなんでも悪趣味じゃない? 兄貴」
「そうか? なかなかいいアイデアだと思ったが。……何度言っても言うことをきかんな。どうして一人で出かけるんだお前は。痛い目を見んとわからんのか」
「だって、こいつが急にさ……」
アミラは、二つに分断されて地面に転がる男を一瞥してから、不貞腐れてそっぽをむいた。
ジルと同じ美しい銀色の髪を長く伸ばしている。
頭からは、羊のようにうねった黒いツノ。
肌は濃い灰色だったが、別にアンデッドというわけではない。
悪魔族は元々肌が濃い灰色なのだ。髪、ツノ、瞳の色は人それぞれだったが、肌は概ねこんな感じだ。だから、死にたてホヤホヤの悪魔族アンデッドを生者と見分ける方法は瞳の色くらいになってしまうのだった。
アミラは、胸はデカいし、尻もデカいし、そのくせ腰は細い。
そのうえ、男どもを磁石のように惹きつける類稀なる肢体を見せつけるかのような露出の多い格好をしている。
歳の頃も一八。まあ無理もないとは思いつつ、兄貴としてはもう少し自重しろと言いたくなってくる。
「そんな格好するからだろ」
「……はあ? このくらい、みんなやってるよ! ったく、ホント兄貴は親みたいだよね」
アミラはこんなふうに言ったが、ジルたちに親はいない。
生まれた時から、いなかった。
施設で育てられた二人は、二人っきりの家族。だから、ずっと一緒に寄り添ってきた。
ジルはアミラの兄貴でもあり、父親代わりでもあったのだ。
普段は仲が悪いわけではないし──いや、どちらかといえば良い方だとは思う。
なのに、最近になって、何やら不機嫌そうにいちいち突っかかってくることがある。それがどういうタイミングなのかはいまいち掴めなかったのだが──。
今日みたいに、一人で出掛けようとするアミラの素行を注意する時には、よくこうなった気がした。
「あのな。俺はお前のことが心配で──」
「余計なお世話だって言ってんの! さっきだって、あたし一人で」
「倒せたか?」
「……えっと。まあ、もう少しすれば、そうなれるかと」
途端に小さくなる声。
うつむいて、モジモジし始める。
「だから言ったろ。一人で出歩くのはまだ早い」
「……兄貴には、わからないよ」
「何がわからないってんだ?」
「兄貴には才能がある。施設にいた頃、あたし、十歳の誕生日に死ぬんだってずっと思って暮らしてた。でも、十歳になった兄貴は、街では相手がいなくなるほど強くなってた。そんな兄貴に、あたしの気持ちなんてわかるわけないんだ」
不器用なりにアミラは感謝を表しているのだと、ジルは解釈した。
この国では、親のいない子供は十歳まで施設で保護される。それまでは、強力な施設管理者が護ってくれる。
だが、十歳になった日、施設から追い出される。
自らの力のみで、この国を生き延びなければならなくなる。
それを知った六歳のある日、ジルは強くなる決意をした。
いかなる敵に囲まれようとも、必ずアミラを護り抜く──。
そう決意し、剣を振り始めたのだった。
あの日に掲げた誓いは、今のところ守ることができている。
二〇歳になったジルに、もはや敵はいなかった。
ジルは、ふう、と息を吐く。
「……とりあえず、そんなふうに乳を放り出した服を着るのはやめろ。善良な悪魔でさえ、揉みたくなっちまうだろ」
「あのね。特定の彼女も作らないで一夜限りの遊び歩きを繰り返す兄貴に言われたくないですぅ!」
自分の素行を指摘されると言葉を失ってしまうジル。
だが、別に悪いとも思っていないから、言い返してやる。
「一夜であろうが百夜であろうが、愛し合うのに関係あるのかよ。やってることは一緒だろ」
「ぜーんぜん違うよ。どうせ寂しい女の心をくすぐって、体も心も自分の思い通りにして、欲望のはけ口にして捨てるわけでしょ。愛なんてあるかぁ、そんなもん」
「なんでお前にそんなことわかるんだよ! 俺だってなぁ、」
「はいはい。そういう経験は豊富だろうけど、真剣に愛し合った経験は、絶対にあたしの方が上だね」
口をへの字に結んで、妹の悪態に辟易する兄。
「……じゃあ、本当に愛し合ってる二人は、何が違うんだ?」
「『何があっても俺はお前と一緒にいる』、くらい言わないとね」
「そんなの、保証できないだろ」
「だからいいんだよ。ほら、練習してみ?」
意味不明なアミラの言動。ジルは会話のキャッチボールを早々に諦めた。
仕方がないので、可愛い妹の指示に従ってやる。
「……俺は、何があってもお前と一緒にいる。お前が行くところなら、たとえ地獄だろうが、どこへでも行ってやる」
「…………」
アミラは、パチパチと瞬きをしてジルから目をそらす。
しばしの無言。
やがてアミラは、うつむいて自分の大きな胸を見た。
胸元の開いた服を指で摘んでヒラヒラさせながら、肩をすくめる。
「……この服、あたしの趣味ってか、ディーンの趣味なんだよね」
「あいつ!」
「やめてよ! 喧嘩すんのは」
家へ帰るまでの間、ジルは先にアミラを歩かせて、自分はアミラの後ろを歩いた。
後ろからの襲撃に備えるためだ。前はよく見えるので、アミラだってジルが剣を振り始めるまでの僅かな時間でやられたりはしない。
いつ、何時、誰に襲われても対応できる。
そんな自信が、ジルにはあった。




