魂の意思
アイリスたちは、息つく暇もなかった。
広場を囲う魔物どもが、アトラスとマルンを援護する。
二匹の武将を攻撃しようとするリュカとアイリスに、武器や魔術を使ってまるで豪雨のような攻撃を加える。
威力の如何は別として、武将クラスの魔物との闘争中に横槍が入るのは、命取りになりかねなかった。
リュカの頭部にヒットする氷の塊。
どこから飛んできたか確認しようとするリュカのわずかな隙を、アトラスは見逃さない。
紅蓮の魔法陣の出現とともに放たれる灼熱球をぶち当ててアトラスを防御に集中させ、アイリスはコンマ何秒かの隙を作ってリュカの回避猶予を確保する。
アイリスに向けて振られる巨斧を、リュカは多重魔法剣で受け弾き、アイリスを抱いて駆け、アトラスとマルンに囲まれるのを防ぐ。
そのリュカの駆けた先を狙って、暴風雨のように降り注がれる炎や氷や風の魔法──。
二匹の怪物と善戦していたアイリスとリュカは、しかしすぐさま大軍の総攻撃を受け劣勢を強いられる。
当然だ。最初からわかっていたことだ。だからこそ、仲間が必要だったのだ。
しかし、まだリックたちに期待するわけにいかない……
と、そんなことを考えていたアイリスの視界に飛び込む、輝く魔法剣。
水色の魔法陣によって顕現する、空気さえも凍結させようかという非情な冷気をたたえたソニアの剣は、疾風の如く舞ってリュカを襲うマルンの槍を高く弾き上げ、同時に凍らせていた。
「ソニアっ!」
「ぉりゃあああああああっっ!!」
目にも止まらぬ速さで、凍りつく連撃をマルンの胴に叩き込む。
太刀筋と同じラインで、黒い鎧に亀裂が入った。
すぐさまソニアは、マルンの半径五メートル領域から退避する。
マルンは、槍の中心を持ってぐるぐると回転させてから、ソニアへ向けた。
「……覚えているぞ、アンデッド『ソニア』。今度こそ、主人であるリック・ブライアントとともにここで朽ち果てるがいい」
「私たちは負けない。死んでいったみんなの魂が、お前を倒せと叫ぶんだ!!」
「死者の魂は叫びなどしない。ただ静かに術者の忠実なる僕となるのみよ。リック、死霊秘術師の貴様ならわかっておろう。待っておれ……すぐに貴様も妹と同じように、バラバラに踏み潰してやるわ!」
槍の穂先を覆う氷が、光弾の発射をいくらか食い止める。
しかし時間稼ぎにしかならない。激しく振動し、パキン、と高い音を響かせ、氷は破裂するように弾け飛んだ。
マルンは、ソニアではなくリックを狙ってきた。ソニアは、氷結の剣を振って光弾群から愛するリックを防御する。
ソニアが襲われただけなら、なんとか凌ぐことができるんじゃないかとアイリスは思っていた。
だが、脇目も振らずリックだけを狙われた。
ソニアは、マルンの槍を回避することはできない。それは、即座にリックの死を意味するのだ。
リック自身も理解しているはずだ。
退避路を常に意識している。後ろへ退がりたいと焦っているだろう。
だが大量の魔物どもがそれを阻む。
リックは、自分たちの後ろを脅かす大群に対処するのに精一杯だ。
真正面のマルンの猛撃は、ソニアが絶対に防がなければならない。
リュカは、アトラス率いる魔物どもと交戦中だった。
アイリスは、マルンに押されるリックを助けようと駆け出す。
そのアイリスを阻むように、敵が雪崩れ込んだ。
「リック──!!」
アイリスが放った灼熱球によって目の前の魔物たちが焼かれ、視界が朱色に燃え上がる。
次に立ちはだかった悪魔族のアンデッド・リッチは、アイリスと魔法合戦を挑んできた。
緑色の魔法陣を浮かび上がらせ、吹雪と氷の魔術でアイリスの放つ地獄の業火に対抗しようとしたが──。
「どけぇええええっっ!!」
灼熱球の連射で押し、吹雪をかき消し魔術師を蒸発させる。
半身が焼けて溶けたアイリスは、それでもなお周りから押し寄せる魔物どもへ火球を投げつけ続けた。
わずかに現れた炎の裂け目から、リックの現状が視認できる。
光弾の連射に加えて、死霊槍ゲイボルグが何度もソニアに襲いかかる。
その槍の素早い動きは、何人もの槍使いから、数え切れないほどの「突き」を同時に喰らっているようなものだった。
その上、剣と槍の間合いの差。ソニアの剣撃速度がいくら異常なほどに速くとも、いつまでも凌ぎ切るのは無理だ。
残像が見えるほどの速度をもった槍の突きと、数え切れないほどの光弾の群れが同時に繰り出され、ソニアを押していく。
ソニアの剣が弾かれる。
ソニアが剣を戻すまでの間に、きっとマルンはとどめを刺してくる、とアイリスは思った。
「ソニアっっ!!!!」
アイリスは叫んだが、マルンは予想外に「突き」を止めた。
マルンの体に、バリバリっ、と電撃が走る。
「グアアっ」
マルンの呻き声。
すぐさま見回し、自らの敵を探す。
きっとマルンには、「自分の周りで何かが動いている」のは把握できただろう。
だが、捉えることはできていない。それは、キョロキョロするマルンの挙動が示していた。
対して、遠くから見ていたアイリスは把握する。
マルンに一撃を加え、なおも素早く動いてマルンを翻弄する戦士の正体──。
「おらああああっ」
ジャミルは、パチパチとアークを発生させる剣を、マルンの背後から放っていた。
その斬撃は、それほど深くはないように見える。
だが、魔法剣としての付加効果が、マルンの動きをわずかに硬直させる。
敵の姿が見えていないマルンは水平回転するように、槍を水平に振った。当てずっぽうに振って、当ててやろうとしたのだろう。
ジャミルは身を低くし、槍の薙ぎ払いを回避する。
「ジャミル!!」
「すまん! 遅くなったなソニア、これからは二個イチで行くぜ!」
「うんっ!!」
「いいえ」
リックに近寄り、庇うように抱き寄せるティナ。
紫の魔法陣を足元に浮かばせ、マルンを見据えたまま言った。
「四個イチってとこね」
ティナとジャミルは、自分たちを囲んでいた魔物を退け、リックと合流した。
氷魔法、氷結の剣、雷撃魔法、雷撃の魔法剣。
四種類の攻撃がマルンを襲う。
マルンがとうとう、イラついたように呻く。
「……おのれ」
──押している。四人なら、押していける!!
ふと、アイリスは、不思議なことに気づく。
周りのモンスターどもを焼き払いながらだったから、しっかり見えたわけではない。
でも、おそらく間違いない。
マルンの傷が、復元されていない。
いや、全ての傷ではないようだった。いくつかの傷だけが、復元されずに残っている。
それは、ソニアの斬撃。
ジャミルの付けた傷はもう復元完了しているのに、さっきソニアがマルンの胴に刻み込んだいくつかの斬撃は、まだ復元されていなかった。
ソニアの剣閃がマルンの腕に切れ目を入れる。
斬られた自分の腕を見たマルンは、その化け物らしい目を見開いていた。
「……貴様。まさか」
ソニアは、真正面に構えた剣をマルンに向ける。
アイリスにもわかった。
マルンが呻いたのは、四人に攻撃されているこの状況にではなかった。
ソニアが使っている剣──それこそ、マルンが警戒心をあらわにしたものだったのだ。
「……『聖銀の剣』」
マルンは、周囲を見渡す。
おそらくは、初めて退路を確認した。
ソニアは、ティナ、ジャミル、そしてリックの前に立ち、静かに剣を構えた。
「もう一度言う。死んでいったみんなの魂が、お前を倒せと叫んでる。魔法死霊軍・陸戦師団長マルン。覚悟を」
銀色に輝く刀身が、死霊槍ゲイボルグを弾く。
ソニアと互角に斬り合う最中、マルンの背後から雷撃を伴った斬撃が撃ち込まれる。
「グッ……」
マルンには、叫んでいる間などなかった。
硬直時間を狙って、聖銀の剣が襲いかかってくるのだ。
真正面から素早く踏み込んだソニアは跳躍してマルンの胸の上に乗り、全力で剣を水平に振り抜く。
「グアアッ!!」
雄叫びをあげ、腕と槍を振り回し、体をよじって、かろうじて首を飛ばされるのを防ぐ。
飛ばされてしまえば復元できない。聖銀の剣で斬られた傷口は、アンデッドに掛けられた復元魔法を無効化しているのだ。
マルンは、もはや必死だった。
槍の中央を持って素早く回転させ、自分の周囲にいるこざかしい人間どもを弾き飛ばそうとする。
ソニアに気を取られたマルンは、またもやジャミルの雷撃剣を受けた。
ビリビリとアークが舞い、下方から斬り上げるソニアの剣が、マルンの鎧をかすって切り裂いた。
「カアアアアアッッ」
マルンの叫びと同時に、ソニアがジャミルに合図する。
ソニアとジャミルは、すぐさまマルンの半径五メートルから退避する。
直後に現れた緑色の魔法陣は蜘蛛の巣のように広がったが、一匹の獲物も捕えることはできなかった。
咄嗟にできる動きではない。
事前に、二人で何度も打ち合わせをしたのだろう。
ティナの唱える雷撃魔法が、マルンの硬直を再び引き戻す。
同時に、リックの繰り出す氷の刃は雨のように降り注ぎ、マルンの視界を奪っていく。
それらに紛れたプラチナの閃光が、槍を持つマルンの右腕を斬り落とした。
間髪入れずにジャミルとティナは動く。
硬直時間を、少しでも長く──。
二人は時間差で、次々と攻撃を繰り出す。
姿勢を低くしたソニアの回転斬撃は、マルンの左足を膝から切断した。
「ぐあ……待て! 待ってくれ!」
マルンは叫ぶ。
地面に膝をつき、残った手をソニアのほうへと突き出し、命乞いをした。
「……無駄だ。貴様らがやろうとしていることは無駄なのだ。いくら貴様らが強かろうと、余は貴様らの白魔法で消滅させられるほど大人しくはしていないぞ。しかし余は、その剣では完全消滅しない。聖銀の剣は、確かにアンデッドには効果が高いだろう。だが、あくまで制圧できるだけだ。我らアンデッドは、長き時を経て、いずれは復活するのだ。この戦いに意味など無い! 今、余を殺したところで何になる」
リックも、ソニアも、表情ひとつ変えなかった。
アイリスは、マルンが言ったことについて、それほど詳しく知っていたわけではない。
ただ、アンデッドを完全消滅させる条件はもちろん知っている。
その中に、確かに「聖銀の剣」での攻撃は入っていない。
奴の言っていることは、間違ってはいないのかもしれない。
ただ、完全消滅はできなくとも、強力な攻撃によって破壊された場合、復活までの時間は限りなく長くなるのだ。
「聖銀の剣によるアンデッドの完全破壊が、一体どのくらいの期間、アンデッドを封印するのか。
もしかすると、リックたち「死霊秘術師の里」の人たちは知っていたのかもしれない、と思った。
リックは、迷いなく静かに口をひらく。
「それでも、百年──いや、三百年は復活できない。上手くすればもっとだ。その間、数えきれないほどの命が護られる」
マルンは目を見開いた。
もはや、狂気に身を任せているように見えるのは、マルンにとってはリックたちなのだ。
「待て! ……そうだ、ひとつ土産話をやろう。それで余を許してくれ」
「土産だと?」
耳を傾けようとしたリックに、マルンはニヤッと笑った。
「そうだ! リック・ブライアントよ。貴様の妹が最後になんと言っていたか、余は聞いている。それを教えてやろう! 愛する妹のことだ、知りたいだろう? 『お兄ちゃん、ごめん』。……ははは。おそらく遺言だろう! どうだ、これで──」
ソニアの瞳が、水色の輝きを爆発的に増す。
身体中から魔素オーラが噴き上がり、狂気を孕んで殺害対象を睨みつけた。
それは、術者の怒り。
いや、術者と、アンデッドの、混合された悲しみだったのかもしれない。
「まっ……」
言葉を言う猶予さえも与えられなかった。
次の瞬間、アイリスの目に映ったのは、マルンの胸を貫いた、ソニアの振るう聖銀の剣だった。
「さようなら。また、三百年後に会いましょう、マルン」
「おのれえええぁああああああああああああっっっっっ!!!」
ソニアは、そのまま縦に斬り上げる。
そして横に。
首を飛ばし、回転斬撃で頭部を粉々に斬り刻み、胴体もまた連射斬撃によって分解していく。
聖なる剣で小さく斬られた破片は蒸発し、空気中に混ざっていく。
魔王死霊軍武将・マルンは、長い眠りについた。




