欠けていたもの
村へと帰ったリックは、すぐさま村長のところへすっ飛んで行った。
ソニアがそばで見ていても、リックは尋常でないくらいに疲弊していた。魔力を放出するために極限まで集中し、精神は削られに削られていたのだろう。
だが、悠長にしている場合ではない。
村の危機なのだ。
慌てながら村長宅の扉を叩く。
「村長! お願いです! 開けてくださいっ」
すぐに出てこないことに、リックはイライラしているようだった。
こんなふうに急いでも、何も変わらないのかもしれない。
だが、命がかかっているのだ。
一刻も早く──
「はい。どなたですか」
出てきたのは奥様だった。
リックは、被せ気味に話す。
「あの! 村長はおられますか」
「ああ、うちの人なら、隣の集会所ですよ。何やらファビアンさんが話があるとかで──」
「ありがとうございます!!」
「あっ、あの──」
後ろから呼び止める声も聞かずに、リックは走った。
集会所の扉を開け、おそらく居るのはいつもの部屋だろうとあたりをつけて廊下を駆けていく。
階段を上がり、長細い部屋の扉をバアン、と開けた。
そこには、村長のほか、ファビアンとクララが座っていた。
「……なんだリック。お前のことは呼んでないぞ」
ファビアンは、不愉快そうに言った。
「村長、大変です。結界の外に、魔物の大群が!!」
「なんだと! それは本当か」
「竜神族です。数え切れないほどの魔物を引き連れ、魔界石交換中の僕たちウィ襲撃してきました。全員で総力を上げて僅かに下がらせ、かろうじて結界は死守しましたが、あんなのが村に入ってくれば全滅は免れません! 村長、結界は絶対に維持しないと──」
「リック。俺もな、今、村長にその話をしていたところだ。お前……その話、嘘じゃないのか?」
「なに? ファビアン、お前──」
ファビアンはため息をついて、困った奴だと言わんばかりの顔をして言った。
「はっきり言って、リックよ、お前の考えに賛同するのは、トニーとニコくらいのものだろ。他の全員が、俺の考えに賛同してくれている。お前はそれが悔しくて、そんな嘘をついているんじゃないのか」
「ファビアン!! 今は、そんなことを言っている場合じゃ──」
「むしろ言ってる場合なんだよ。その魔物を見たのは、お前とトニー、ニコだけなんだろ?」
「……それは」
「ほらな。お前の話を、他のみんなに証明する手立てはあるのか。ないんだろ? 当然だ。お前らしか見てないんだからな!」
リックは、どうしていいかわからない様子だった。
ソニアは、リックと村長の顔を交互に見て、うろたえることしかできなかった。
村長は困った顔をして、リックを慰めるように言う。
「リックよ。わしは、お前のことは人一倍、認めとるつもりだ。他のみんながお前のことを色々言うたとしても、お前は人付き合いが昔から苦手だったからな。だが、今回ばかりは、ほとんど全ての戦士たちが、ファビアンの考えに賛同しているのだ。確かに、ファビアンの言うことは合理的で、今後はそうすべきだとわしも思う。お前としては悔しいかもしれんが、ここは──」
「そうじゃないっっっ!!!」
リックは叫んでいた。
人付き合いの苦手な奴が、こういう話し合いでうまくやれるはずがないのだ。
ソニアは、こういうことになると、薄々わかっていた。
それでも、言うしかなかったのだ。
「そんな問題じゃない。村の人たちの命がかかってるんだ。考え方を変えていくのがどうとか、みんなの意見がどうとか。元に、僕らを皆殺しにできる力を持った魔物が──」
「全て、お前が蒔いた種だリック。みんなは、お前に賛同していないんだよ。命が掛かっているからこそ、信用できない奴の言うことなんて聞けない。まだわからないか?」
ファビアンは、勝ち誇ったように言った。
やはり、リックがこういう話し合いで誰かを説得するなんて、無理な話だった。
ソニアは、リックの背中に手をやる。
その様子を、クララは憎しみを込めた目で睨んでいた。
リックはうつむき、ソニアに目をやり、それから集会所を出た。
◾️ ◾️ ◾️
ソニアは、腐敗した体から漏れる異臭も、溶けて落ちる肉片のことも気にせず家の中で過ごせるようになったので、居間でリックと一緒に過ごしていた。
家へ帰ってきてからも、リックはずっと居間のソファに座ったまま、頭を抱えて苦痛を我慢するような顔をしていた。
どんなふうに声を掛けていいかわからなかった。
もう、村のみんなを説得するのは難しいかもしれない。
説得するには、普段からの信用を積み上げるしかないのだ。多少の問題程度ならうまく説得すればなんとかなるかもしれないが、命の掛かった大きな問題ほど、信用が大事になる。
リックには、それが欠けていた。
食事の時間になり、リックとソニアは、クリスティから食堂に呼ばれる。
ソニアは別に食事を必要とはしなかったが、食事の味がわかることはこの村では知られていたので、味だけでも楽しみなさい、と言ってソニアの分まで作ってくれたのだ。
席に座ると、クララが入ってきた。
クララは、無言で自席に座る。
視線だけを上げ、ソニアを一瞥して言った。
「……食事の場に、ゾンビなんていたらご飯がまずくなるわ。すぐに立ち去って」
「集会所での会食でも同じだろう」
「家でまで、苦痛を味わいたくないの」
「クララ」
「お母さん。あたし、間違ってる?」
クリスティは厳しい目をして言った。
「あなたは勘違いをしているわ。私たちは、死霊秘術師の里を営んでいるの。アンデッドに対する敬意なしに、続けていくことはできない。あなたは、アンデッドを死人形としか見ていないでしょう。そんなことを知ったら、お父さんは悲しむわ」
「お父さんは、そんな考え方をしていたから死んだんじゃないの」
クリスティは目を閉じ、痛みを我慢するような顔をする。
リックは、またクララを殺しそうな顔をした。
クララはそれを察し、身構える。
ソニアが心配そうに見ていると、リックはそれに気付いて、呼吸を整えてからクララと向かい合った。
「……どうしてお前は、そうなった」
「どうしてって? 村のみんなの信用を得ることもできない筆頭ネクロマンサーに言われたくないわね。そっくりそのまま返してやるわ。どうしてそうなったの?」
もう、まともに話をすることすら困難だと思った。
売り言葉に買い言葉。
口論に負けないことしか考えていない。
相手のことを嫌っているのは、絶対的な前提なのだ。
「サリーの言うような魔除けの守りで、強力な魔物を排除できると本気で思ってるのか」
「じゃあ聞くけど、排除できないって、なんで思うわけ?」
「魔界石で排除できることは、すでに証明できているんだ。村人全員の命がかかってるってのに、どうして賭けをする必要がある?」
「ファビアンが言ったでしょう。その魔物、本当にいたの?」
少しだけ、沈黙があった。
誰も、何も言わなかった。
「……お前までも、それを言うのか」
「言ったはずよ。あたしは、ファビアンを死霊秘術師として信用する、って。むしろ、積極的にファビアンが正しいことを証明したいくらいよ」
「わかった」
リックは、もう何も言わなかった。
ソニアは黙って食堂をあとにし、居間で待つことにした。




