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追憶の故郷

「母さん! 母さん、どこ!?」

「はぁい、どうしたの」


 居間から叫ぶ息子の声で、クリスティは叫ぶように答えた。

 リックの声が聞こえたが、ソニアは、あまり家の中に無断でズカズカ入るのははばかられた。

 台所の裏口から出て、玄関の方へと回る。

 

 冬は豪雪地帯となるイデアの街並みは、切妻の尖った黒い屋根の家々で作られていた。

 道にはまだ雪が残っていて、屋根の上には雪が積もっている。

 午前中は比較的暖かくて日が出ていたが、予報では昼から天気が崩れて、雪が降るかもしれなかった。

 

 玄関から叫ぶリックの声が聞こえる。


「たぶん昼を回るから!」

「はいはい、わかってるって。昨日聞いたわよ」

「ソニアはぁ?」

「こっちに──あれ?」

「リック」

「……ああ、どこ行ってたん──」


 玄関にいるリックに、後ろから声をかける。

 振り向いたリックは、言葉を失っていた。

 

「どうしたですか?」

「……ううん。綺麗だよ、ソニア」


 リックは、ソニアの首の後ろへ手を回して、キスをした。

 胸に火が灯ったようになり、体中に伝播していく。

 

 ──死体にキスをするなんて、いったいどういうつもりなの。

 いくら話せるからって、もう生きてはいないんだ。……やっぱりこの人、おかしい人なのかも。


 そんなふうに思いながらも、ほっかほかになってしまった体をどうしていいかわからず、ソニアはリックを見つめることしかできなかった。

 そうこうしていると、自分の部屋から出てきたリックの妹・クララがドタドタとやってくる。


「お兄ちゃん、待って!」

「遅いんだよ、お前はいっつも。ほら、早くしろ。みんなが待ってるんだ」

「わかってるよっ! 女の子には、支度ってもんが──」


 クララは、ソニアを目に留めた瞬間に顔をしかめた。

 きっと──いや、間違いなくクリスティがソニアに着せた服のことで不機嫌になったのだ。


「……それ、あたしのだよね。どうしてあなたが着ているの?」

「ああ、クララ、私がソニアにあげたのよ。あなた、どうせ古いのは着ないでしょう。あまりにも寒そうだったから──」

「ゾンビに『寒い』とかあるわけないじゃない。いいのよこいつらは、何も着なくたって」

「おい! その口をどうにかしろお前は! いつも言ってんだろ、それでも死霊秘術師ネクロマンサーか! アンデッドたちに敬意を持てってんだよ」


 クララは、下唇を噛んで、リックを上目遣いで睨む。

 

「……どうして、お兄ちゃんはいっつもソニアの味方なの? もうゾンビなんだよ? 生きてる間も付き合ってたりしてた訳じゃないでしょ。……ただの友達(・・)、でしょ。だいたい、なんでソニアなの? 前のゾンビ『グリアス』の方がよっぽど強かったじゃない! それをあたしに譲ってまで、どうしてソニアなの?」


 そう言ってから、クララはソニアを睨みつけた。

 それは、むしろソニアの方がリックに尋ねたかったのだ。

 生前のリックとの関係は、クララはおそらく知っているはずだ。この小さな村で誰にもバレないようにするのは、はっきり言って無理だ。

 リックの友達や同僚など、男たちは当然の如く知っていた。だから、回り回って、どこかでクララも耳にしているはずだった。

 そして、だからこその、この態度なのかもしれないと思っていた。 


「長い付き合いだからな。それだけだよ」

「付き合いで決めていい訳ない! お兄ちゃんは、この村の筆頭ネクロマンサーなんだ! それを──」

「……あの、この服──」

「いらないよ、ゾンビが着た服なんか! あたしが喋ってんのに黙ってて!!」


 ソニアが服を返そうとしたが、クララはまるで虫でも見るかのような目でソニアを一瞥して、家を出ていった。


「……あいつ、ほんとソニアにだけは当たりキツいよな」

「大丈夫。私、大丈夫です」

「ごめんな。……もっと変装魔法の得意な奴がいたら、ソニアのこと、まるで人間みたいにしてあげられるのに。そうしたら、クララだって、きっとソニアに優しくすると思うんだけどなぁ」


 リックは顎に手を当ててムーン、と唸る。

 ソニアは、わかっていた。

 そんなことをしても、クララは決して自分と仲良くなどしてくれないだろう。

 彼女の怒り(・・)は、そんなところにはないと思った。


「さあ、ソニアもそろそろ行こう。もうすぐ寄合の時間だ」

「はい」


 リックは、ソニアの手をとる。

 

 ──まただ。

 どうしてこの人は、いつも私の心を、こんなふうに──


 そう思っても、拒むことなどできはしない。

 拒むな──

 温かくなる心が、そうささやくのだ。

 ソニアは、リックに手を引かれるがまま、集会所へと向かった。


 村の家は全て黒い屋根で作られていたが、村長の家と集会所だけは、このまちで唯一、赤い屋根で作られていた。集会所と村長宅は隣接して建てられ、その位置は村の最も山手側の中央で、村が一望できる。


 リックたちが集会所の扉を開けると、もう村の主要人物たちが集まって思い思いに話をしていた。

 集会は午前中に始まり、会議を行ったのち、ここで昼食──というかほとんど宴会のようなものを開宴し、昼もだいぶと過ぎた一五時頃にお開きとなる予定で、それがまあ、いつもの恒例であった。


 リックは、この村の筆頭ネクロマンサーだ。すなわち、この村で公式的に認められた、もっとも優秀な死霊秘術師である。


 妹のクララは一六歳。リックと同じ黒髪を、ポニーテールにしている。瞳の色も、リックと同じ黒。両親も同じで、一家全員がそうだった。

 二十歳のリックよりは四つも年下だが、ここ最近はリックに負けず劣らず頭角を現し、ハイクラスの死霊秘術師が揃うこのイデアの里の一翼を担うほどに一端いっぱしの戦士として認められていた。ただ、そのせいで天狗になり、横暴な言動や態度が目立つようになってきていたのを、リックはよくボヤいていた。


 そのクララは先にここへ着いて、村の戦士たち(・・・・)と話している。

 今、クララが話しているのは、金色の短髪、死霊秘術師のくせに体を鍛えることに生きがいを見出している脳筋野郎。死霊秘術師としてはリックの次点、アンデッド・オーガを操るネクロマンサー「ファビアン」だ。


 ファビアンは、リックに気付いて手を上げた。


「おう、リック。相変わらず女連れで何よりだ。お前、いつになったら強靭なアンデッドを選ぶんだよ?」


 ファビアンは、ソニアを指差して、虫を見るような目で見下した。

 その目の光は、クララとそっくりだとソニアは思った。


「うるさいな。そんなもの、僕の勝手だ。だいたい、クララにやった『グリアス』だって十分強靭だったろ」

「はあ〜〜。わかってねえなぁ。『強靭なアンデッド』でのはよ、俺のオーガゾンビ『ドレイク』のような奴を言うんだよ。まあ、グリアスは、クララにはまだちょうどいいと思うけどよ。お前、村の筆頭ネクロマンサーだろ。いつまでもそんな女を連れてていいわけじゃねえ。いつでも俺が代わってやるよ」

「なら、実力で僕に勝ってみろ」


 リックは、特に表情を変えることなく言い放ってファビアンの隣に座る。

 ファビアンは、怒りを全開にして顔中にシワを作り、リックを睨み続けていた。

 そんなファビアンの様子に居ても立ってもいられなくなったらしく、クララが口を尖らせた。


「お兄ちゃん! ファビアンにそんな言い方しないで」

「お前の憧れの人に文句を言っちゃ悪いと思って、俺は自分からは何も言ってない。だがな、ソニアのことをコケにするなら今この場ででも叩きのめしてやる」

「……またソニアソニアって」


 クララも、リックを睨みつけた。

 村長が目で合図してくるので、クララは仕方なくファビアンのそばを離れ、自分の席へと戻る。


 長細い部屋に配置された、細長いテーブルに、向かい合わせにズラッと座る要人たち。

 片側は死霊秘術師がランク順に座り、向かい側には村の官職に就く者たちが、これまたランク順に──すなわち、リックの向かいには村長が座っていた。

 次点のファビアンは、いつもリックの下座。それが全くもって納得いっていないらしく、いつもこうやって嫌がらせを言ってくる。


 アンデッドは、会議と会食の最中は、飼い主の真後ろに立っているのが通例だ。

 だから、ドレイクはファビアンの後ろに立っているし、ソニアはリックの後ろに立っている。

 ソニアは女の子だが、ドレイクはガタイの大きな鬼人族(オーガ)だ。

 そんな奴が真隣に突っ立っていると、ソニアの居場所が圧迫されるのだ。そのくせ、二番手の分際でドレイクは飼い主の尊大な態度を踏襲し、ソニアに何の配慮もしようとしない。

 真後ろと決まっているのに上座側にズレるのも何かはばかられて、ソニアは納得いかないながらも、いつも自ら一歩下がって立っていた。

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