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武神・アトラス

 マルンは、ドシン、ドシンと音を立てて、その重そうな体躯を跳躍させながら、ひしめき合うように立ち並ぶ石の建物の屋上を伝って追ってきた。


 アイリスたちは、狭い路地を縫うように駆ける。

 できる限り奴の視界に入らないよう心掛けたが、果たして撒けるのかどうか、自信はなかった。


「リュカ! リックたちはどっち方向だろう? あたし、方向全くわかんない」

「さっき上空から街を見下ろした時、こっちに魔物が集まっている区域があったんだ。もしかすると、そこで戦っているのかもしれない、と思ってな」

「了解!」


 頭上で鳴り続けていた追跡音は聞こえなくなっていた。

 リュカは、迷うことなく路地を曲がり、駆けていく。

 目の前に迫る石の壁にぶつかってしまわないよう上手く躱して、二人はまるでレースでもしているかのように疾走した。


 走った距離からして、もうすぐゾンピアの外周付近というところ。

 目の前に、開けた広場が見えてくる。

 広場は、ひしめき合うような魔物と、魔物どもの怒号で埋め尽くされていた。その中心には、巨大な魔物が一匹いる。


 鉄仮面をつけた、巨大な筋肉の塊。

 上半身は裸で、下半身は魔王軍の黒いプレートアーマーに覆われている。

 その体躯とほとんど違わない巨大な斧を片手で持って、肩に乗せていた。

 巨神族サイクロプスのアンデッド。武神・アトラスだ。


 と、アトラスの手前、空中に数匹のアンデッドが宙に舞う。

 輝き、水色に光る水飛沫が舞った。その水飛沫は冷気を纏い、空中で凍っていく。

 魔物の声が邪魔をして聞こえないが、その水飛沫が上がったあたりで一筋の光が見えた。


「……あそこにいる! いくぞアイリス!!」


 リュカは、アイリスをいつものように片腕で抱き、跳躍する。

 広場にいる幾多のゾンビどもを余裕で飛び越えた。この時、アイリスたちは広場の全景を上空から確認する。


 着地点は、魔物たちの中心にいるアトラス。

 この時、アトラスも上空からの襲撃に気づく。

 肩に乗せた獲物を握る手に力が入った。腰を落として対空攻撃の姿勢に入り、両腕を使って巨斧を下方から振り上げる。


 剛力が繰り出す巨大な斧の一撃。

 事前に行った酒場での作戦会議によれば、アトラスとの戦闘で最も警戒すべき事象は、武器破壊だったはずだ。

 

 リュカは、迷いなく多重魔法剣を振り下ろす。岩石に覆われた刀身は、アトラスの振り上げる斧と交わり、十字を描いて高い音を鳴らした。

 リュカは剣を見下ろして確認する。

 刀身は力強く燃え上がり、使い手の心と寸分違わず、敵を討つ気力に溢れているかのようだった。


「──リュカ!! アイリス!!」


 安心したようなリックの叫び声。

 全方位を取り囲む敵に対応するため円陣を組んでいた四人に、アイリスは駆け寄る。

 そこには、ティナも、ジャミルも、ソニアもいた。

 四人は固まって行動し、ここで魔物に囲まれたのだろう。


「あんたら、呼んだのに来ないから!」

「だってよ、塔になんて行っても──」

「このゾンピアは、全ての魔法陣を封印された! 今、魔法陣のところへ行っても無駄だよ!」

「……そんな。じゃあ、どうするって──」

 

 アイリスたちの会話を、敵は待ってくれなどしない。

 アンデッドどもは、リックへ容赦なく襲いかかってきた。


「……凍てつく氷の結晶よ敵を切り刻め──氷刃グラキエス!」


 リックの足元に現れる水色の魔法陣。

 真正面からリックを斬ろうとした悪魔族のゾンビは、体中を氷の刃で切り刻まれて膝をついた。

 その背後から跳躍し、上空からリックを狙う次の刺客・ガーゴイルが剣を振りかぶっていた。

 リックは顔を向け、歯を食いしばる。


「魔力の氷よ敵を穿うがて、氷柱スティーリア!」


 魔法陣は明るく輝き、リックは下から水色に照らされる。

 氷の柱が地面から生え、天へと向かって素早く伸びる。

 ガーゴイルの振った剣先がリックの頭部へと到達する寸前、間一髪のところで対空攻撃として機能し、ガーゴイルを吹っ飛ばした。


 ティナは雷撃魔法を使って敵を痺れさせ、黒焦げにしている。

 ソニアは、リックの掛けた氷系魔法剣。敵の体に食い込み、その後に水飛沫から氷へと変化させ、体を内部から破壊していた。


 ジャミルはティナの掛けた魔法剣で、雷によって敵の動きを止めながら斬撃でトドメを刺している。


 この場の敵を倒し、道を切り開くため、アイリスも火炎系呪文の詠唱に入る。

 リュカは、一人、アトラスと向かい合っていた。

 アトラスは、緑の単眼を鉄仮面の奥から光らせ、まるで地震の鳴動音のような低い声を響かせた。


「……また会ったな。勇敢なる剣聖よ」

「覚えてくれていて光栄だ、武神アトラス。ついでだ、そのまま死んでくれ」

「力を、出しきれなかっただろう」

「……なに?」

「愛する者を人質に取られ、護りながら戦った。限界を越え、全力を出せたというなら、今からでも再びその女を人質にしてやるが」


 灼熱球イグニスを唱えて敵を灰にするアイリスの耳に、アトラスの声は聞こえていた。

 リュカは、静かな声だった。


「全力は出せたさ。だが、人質など取らずとも、お前は今、ここで死ぬ。この俺を、怒らせたのだからな」

「ならばその力をこの場で見せよ。くだらん戦いをしようなら、直ちに女を殺してお前の力を引き出してやる」


 口上の終わり際に、金属音が重なった。

 斧と剣は弾き合って離れ、すぐさま再びあいまみえる。

 夜のように薄暗いこのゾンピアで、連打される魔法剣の光とその残像は、リュカの周りを花火が散るように明るくした。


 対して、アトラスの巨斧は光ってなどいない。

 奴の体で光っている部分といえば、ただ一つ明かりを灯す緑の目以外無かった。

 リュカの剣は派手に見えるが、闇に紛れて低い風切り音を轟かせるアトラスの斧は、背筋を凍らせるような寒気を走らせた。

 幾度も金属音を鳴らせるうち、リュカの剣はどんどん属性を変化さていく。

 

 と──


 武神との闘争中であるにもかかわらず、リュカは、広場の入口へと目を向ける。

 リュカの様子で、アイリスも気づいた。アイリスたちが来た路地のほうを振り向くと、建物の屋上に、パリパリと光が散っていた。


「みんな逃げて!!」


 アイリスは叫んだ。

 

 まるで流星のように向かってくる幾多の光群。

 見てから回避するのは不可能に近かった。アイリスたちは斜め上空から襲い来る流星に、体を撃ち抜かれた。

 その流星は、アイリスたちだけではなく、死霊軍の兵士たちをも、まとめて貫いていた。

 アトラスは、自分に向かってくる光弾を斧と腕で弾き返し、術者を睨む。


「……マルン。貴様、こやつらが俺の獲物だとわかっていて奪おうというのか」

「グエッグエッ。余が先に交戦した獲物だアトラス。後から出てきて余計な真似をするな」

「先に交戦したというなら、貴様が逃したのだろう。見ていたぞ。貴様の空戦師団が無様に焼き裂かれるのをな。貴様の不手際だ」


 マルンは屋上から飛び降りる。

 地面に着地してドシンと音を鳴らし、広場を揺らした。


「……ならば、なおのことわかっておろう。こいつらは余の獲物だアトラス。我が空戦師団を葬ってくれた礼、たっぷりとしなくてはな」


 凶悪な顔貌をさらに凶悪に変貌させ、再び槍の形を成した光の塊をアイリスたちへ向けながら、マルンはアトラスを説き伏せようとする。


 化け物同士で向かい合う中、リックとソニアは、マルンを凝視していた。

 アイリスはそれを見て、リックが話していたことを思い出した。


 このなかで、直接マルンの攻撃を受けて大切なものを奪われたのは、アイリスとリュカを除けばリックとソニアだけだ。

 しかし、アトラスやマルンといきなりまともに戦わせるのは危険な気がした。アイリスたちは、まだリックたちの実力もろくに把握していないのだ。戦いの中で実力を把握し、徐々に任せていくべきだと考える。

 強烈な憎悪を顔に浮かべてマルンへ突っ込もうとする二人を、アイリスは止めようとした。

 

「待って!! 気持ちはわかるけど、真正面から向かっちゃ──」

「……どうわかるってんだ?」


 拳を握りしめたリックからは、水色の魔素が吹き上がる。

 それと共鳴したかのように、ソニアの瞳が眩く光る。


「俺たちの気持ちは、俺たちにしかわからない。あいつは──」


 リックとソニアは、魔王死霊軍の武将、竜神族(ドラゴニュート)・マルンを睨みつけながら、

歯を食いしばる。

 きっと、内から溢れる憎しみが、彼らに過去を振り返らせているのだろう、とアイリスは思った。





 ────…………





 風の吹き荒ぶ、寒い日だった。


 イデアの村は、都会であるマキア王国よりもかなり奥地にある。

 マキアからイデアに行くには、崖の山道を通り、山を二つ三つ越えなければならない。

 山々に囲まれた秘境とも言える山間部に、イデアは位置していた。


 ソニアは、井戸の水を汲んで、リックの家へと運ぶ途中だった。

 マキアではもうすぐ春のはずだが、山間部にあるイデアが暖かくなるのはもう少し先だ。

 井戸の水が凍ってしまう冬は、炎の魔術師が必要になる。氷を溶かして、水を作るのだ。

 幸いにも、水が凍るほどの季節は過ぎていた。だから、水汲みにはソニア一人で来ていた。


 お家の裏側にある、台所へ直通する扉を開けて、水の入った大きな桶を置く。

 ゾンビだから別に疲れはしないが、ふう、と一息ついた。


 こういう癖は、ゾンビになってからしばらく経つというのに、全く無くならない。

 呼吸などできはしないのに、声を使って息を吐くような仕草をしてしまうのだ。前に村の魔術師へ尋ねた時、「それは、魔力によって作り出された精神が全てを成しているからだ」と言っていた。


「ああ、ソニアちゃんおかえり! 寒かったでしょう。ああもう、どうしてそんな薄着をしているの?」

「ありがとうございます、おばさま。でも、あたし、ゾンビですから。寒くはないですよ」

「ゾンビだけど、女の子でしょう。女の子は、ほら、こうやって……」


 夏に着るような薄着で、胸もはだけていたソニアに、リックのお母さん──クリスティは服を着せてくれた。

 

 ソニアは、自分の体を見回す。

 つい一週間前に死んだ自分の体は、気温の低い山間部であるおかげで腐食はあまり進んでいなかった。


 でも、これからの季節は、暖かくなる。

 すぐに自分の体は腐って、ドロドロになって、見るも無惨な、まさにゾンビとしか言いようのない姿になってしまうだろう。

 死霊秘術師が多いイデアの村だからこそ、ソニアは大事にしてもらえている。

 だけど、大好きなリックとは、もう──。


 涙が出たような感覚があった。

 でも、涙は出なかった。

 ゾンビなのだ。

 もう、今までのように暮らすことはできない。

 どうして、リックは自分のことを、蘇らせたのだろう。

 ただの、体だけの関係だったはず。

 ゾンビとして蘇らせても、もうソニアの体をたのしむことはできないはずなのだ。


「ああ、やっぱり可愛い!」


 クリスティは、リックの妹の服をソニアに着せる。

 こんなことをして妹のクララが怒ってしまわないかと言ったが、クリスティは「大丈夫よ、あの子、古い服は着ないから」と言って、ソニアの頭を撫でた。


 鏡を見てみなさい、とクリスティは言う。

 ゾンビを部屋に上げるなんて、普通はなかなかしない。

 いくら消臭魔法をかけているとはいえ、腐りかけた肉が家中に落ちてしまうかもしれないのだ。

 でも、クリスティは、そんなことを構ったりせず、家へ上がっていいと言ってくれた。


 鏡の前で、自分の姿を見つめる。

 オレンジの髪に、濃い灰色の肌。

 ブラウンだったはずの瞳は、リックの魔法力である水色に、ボヤッと光っていた。

 赤いワンピースに、茶色い毛皮のもふもふしたアウターを着せられる。


「ほら。ネッ?」


 クリスティは、ソニアに抱きついて笑顔になった。

 こんなふうにされると、なんだか心がフワフワしてしまう。

 ソニアは、つい、同じように微笑んでいた。

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