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たった一つの

 自分の体が上下に揺れている。

 あれ、これってなんか前にも──

 

 と思って目を開ける。

 どうやら、リュカにお姫様抱っこされているようだ。


「……リュカ」

「おはよ、アイリス。盛大にイったな」

「え。……あたし、どのくらい失神してた?」

「かなり重かったみたいだな。開始一五秒でKOだ。一発で二時間眠った」


「一回の失神につき目覚めない時間」の最長記録を更新。

 まだ頭がクラクラするし、体はフワフワする。

 到底、動かせそうにない。

 アイリスは、遠慮なくリュカに体を預けることにした。


「一つ、いい場所を見つけたんだ。そこでしばらく休もう」

「……待って。レオを、探さなきゃ」

「レオは、もう見つけたよ」

「えっ!? どこにいるの?」


 アイリスは、力を入れて、頑張って首を回して辺りを見回す。

 しかしレオがいる感じは見られない。


「あれから、すぐに見つけた。でも、お前と同じことを口にしたよ」

「同じこと?」

「一人にして欲しい、って」

「…………」


 リュカは、上り坂になっている路地をどんどん登る。

 どこへいくのか尋ねようか迷ったが、黙っていることにした。

 

 たどり着いたのは、死霊の塔。

 リュカは、塔の中へと入る。

 役所の一階中央にある立派で幅の広い階段を登り、二階の端から上へと続く、細く長い階段をひたすら登っていく。

 いつまで登るのか、と思うくらいに長かった。きっと、頂上に行くのではないかと思った。


 やがて、塔の周囲に造られた回廊型の小さなテラスにたどり着く。テラスは、壁でできた胸の高さ程度の手すりで一周を囲われていた。

 ゾンピアの全て──三六〇度が見渡せる、死霊の塔の最上階だ。


「立てるか?」

「うん。もう大丈夫だと思う」


 リュカは優しくアイリスを降ろす。

 アイリスは、手すりに身を乗り出して景色を眺めた。


「わあ。すごいな、ねえ、リュカ──」

 

 後ろを振り向くと、リュカの横にレオが立っていた。

 リュカは、レオの肩を抱いて、微笑んでいた。


「さあ。アイリス」


 レオは、口をへの字に結んで、アイリスへ上目遣いをしている。

 その目には、たっぷり涙が溜まっていた。


 アイリスは、レオを抱きしめようと近づく。

 レオは、それに合わせて後ずさった。


 まるで、杭でも胸に打ち込まれたかのような気持ちになる。

 アイリスはうつむき、視線をそこら辺に這わせ、必死で考えた。


 ──どうすればいいだろう。

 無神経にも、レオの心を傷つけた。

 自分の考えを最優先にした代償だ。

 レオは、あたしに死んでほしくないんだ。

 もうリルルを倒しに行かない──レオはそう言った。


 レオの願うことは、レオにとって何より大事で、それでいて何も難しいことじゃない。

 それなのに、我が子の切実な願いすら叶えてあげようとしない最低の親。

 そんな親が、王国にいる大切な人たちを幸せに?


 思い上がっていたのかもしれない。

 なんとかできると。

 あたしは、なんの変哲もない、一人の親。

 自分の家族を護るだけの、でも家族にとってはかけがえのない、たった一人の……。

 何もかもを得ることは、もうできない。

 アルテリアを撤退した時と同じだ。何を最優先するのか──


「僕は」


 レオが、口を開こうとする。

 アイリスは、顔を上げた。


「たとえ世界中の全員が死ぬことになっても、お母さんとお父さんにだけは、死んでほしくない」


 弱々しく、願うように出された言葉で目を閉じる。

 これほどまっすぐな気持ちをレオからぶつけられたことは、今までになかった。

 冗談事を除き、レオが親に対して真剣に何かを乞うたことはないのだ。

 初めて、レオは、親にお願いをした。

 

 ──莫大な魔法力に──。

 世界最高の魔術師(トップ・ウィザード)と張り合うほどの才能に、目がくらんでいた。

 まだ、たった十歳の子供なんだ。何度忘れたら気が済むのか。

 もう二度と死ねない。

 自分から死にに行くようなことは、絶対にできない。

 

「……諦める」


 アイリスは、紆余曲折した結果、自分のたどり着いた結論を口にする。

 ひざまづき、レオを強く抱きしめ、溢れる涙をレオの胸に染み込ませて言った。

 

「リルルを倒すことは、諦める。ずっと、あなたのそばにいるよ」


 レオは、恐る恐るアイリスの背中に手を回した。

 リュカは、そんな二人に両手を回してグッと抱いた。


「嘘、つかないでね」


 アイリスは、そう言ったレオのほっぺにキスをする。

 涙で濡れた頬をレオの頬にり付け、抱きしめながら何度も何度もうなずいた。


 ようやくレオに笑顔が戻る。

 だけど、レオはアイリスの目を覗き込むようにしている。

 レオは賢い子だ。

 親が嘘をつくかもしれない──きっと、その思いは消えていないと思った。


「疑ってんな?」

「とーぜん。嘘つきでしょ、大人は」

「あ、それちょっと傷つくんですけど。あたしは昔から、正直者を自称してるんだよ」

「……確かにね。だから、相手が傷つくこともスラッと言えちゃうんだ」


 これは本当にグサッときたので、アイリスは言葉を失い、慌てる。

 

「……悔い改めることにします」

「神様でも信じることにしたの? お母さんは信じてないでしょ」

「どうしてそう思うの? そんなこと言ったっけ?」

「『結局自分はいろんなことが何とかなる』と思ってるからね。思い上がってるタイプなんだよ。祈りたくなるほど困ったことがないから、祈ったりしない」


 レオは、アイリスを指差して、まだ涙で濡れた目を細めていた。


 ──いくらなんでも言い過ぎだっ!


 と思ったが、言い返しようもなく。

 言い返せたとしても、言い返すつもりもなく。

 照れ隠しで暴言を吐く息子に、アイリスはほっぺを膨らますことで応えた。 


「さあ──そろそろ宿でも探そうか。今日は、三人で寝よう」

「うん!」

 

 二人の親を見上げ、レオは安心したような顔をする。

 アイリスは、「絶対に父に死んでほしくない」と切に願っていた自分の気持ちを思い出す。

 レオも、同じだっただけなのだ。


 いつまでも悲しい気持ちに囚われているわけにもいかない。

 元気を出していこうとして敢えて明るい声を出した。


「ほら、二人ともさ、なかなかの絶景だから、もう一度景色を目に焼き付けて──」


 アイリスは、テラスの手すりに手を掛けた。

 ゾンピアの絶景が視界に入ったその時、変化が起こった。アイリスは、首をかしげてそれを見守る。


 眼下に広がるゾンピアの遥か向こう、いくつもの石橋の先にある、ここからでは豆粒のようにしか見えない白い魔法陣が順に消えていく。

 流れるように、ゾンピアを取り囲む幾多の魔法陣がどんどんその灯りを消灯していくのだ。


「あれ? どうしたのかな?」

「…………っっ!! あれはっ──」


 リュカとレオの二人も手すりへ身を乗り出す。

 二人は、目の色を変えていた。

 

「いったいどうしたの?」

「……魔法陣が、封印されていってる」

「封印?」


 すべての魔法陣が消灯されたと思った矢先、最後に残された、たった一つの魔法陣だけが消えなかった。

 その魔法陣から、緑色の小さな光が大量に出現する。

 緑の光は、ここからでもわかるくらいに、すごい勢いで石橋を渡り始めた。

 

 すべての緑光が石橋に侵入したと思った矢先、第二弾の緑色の団体がまたもや現れる。

 それは、アイリスたちの目の前で、何度も繰り返された。


「ねえ、あれ……」


 そう言いかけたアイリスも、とうとう気付く。

 緑の光は、瞳の光。

 消そうとしても到底消えはしない、記憶の中に焼きついた魔法力の色。


「でもっ!! どうして!? あんな大量のアンデッド!! ここには、ネクロマンサーと一緒じゃなきゃ──」


 絶句したが、三人ともが同じ事実を共有した。

 その答えは、一つしか考えられないのだ。

 リュカは、怒りを宿した紅蓮の眼光でたった一つ白く光る魔法陣を睨みつけて言った。


「来ているんだ。リルルが、あそこに」

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