求めた情報
初対面のおじさんに、性癖まで知られてしまうなんて、アイリスは本当にこの場から逃げ出したかった。
でも、逃げてしまうわけにもいかない。
ここに何をしに来たのかをもう一度心に刻んで身を乗り出す。
「あの。あたしたち、アブドラさんにお願いがあって」
「断る」
「…………えっと、」
「ワシが、お前さんたちのお願いとやらを聞かなければならない理由が、何かあるのかね?」
「…………」
いきなりこんな風に言われてしまうとは思っていなかった。
もっともなことではあるが、はいそうですか、と引き下がるわけにもいかない。
アイリスは、気圧されないように踏ん張った。
「『お願い』という言い方は語弊がありました。杖を作っていただきたくて。もちろん、お金はお支払いします。それと、少しだけお話を聞かせていただけるだけでいいんです」
「断る」
「どうしてですか?」
「お前さんたちは、何が目的だ?」
「……あたしたちは、魔王死霊軍のリルルと戦おうとしてます」
「ワシは、その死霊軍のリルルを、倒したいとは思っていない」
「…………」
ほとんど門前払いのような態度をされる。
アイリスは、ほとほと困ってしまった。
考え込み、黙り込んでしまう。すると、リュカが代わりに口を開いた。
「では、なぜ俺たちに会おうと思った」
「ん?」
「姿を現す必要はなかったはずだ。どうして会った?」
「気になっただけだ。ワシは、さきほども述べた通りゾンピアで起こる全ての事象を把握している。大きな魔法反応を感知した。その原因が何か、この目で確かめる必要があった」
「それで?」
「……言葉通りだよ。『確かめただけ』だ。『把握した』、それがゾンピア管理者としての仕事だ」
「…………」
「逆に聞くが、お前さんたちは、どうしてワシが味方すると思ったのだ?」
変装魔法屋を営んでいるのだ。
商売をやってこの街で生計を立てている人物なら、同じく金銭で仕事を請け負うだろうと考えていた。
その考えを、真っ向から否定された。
ジルは、大きくため息をついた。
「……どうやら、あんまご機嫌がよろしくはないようだな」
「ジル。お前は、どうしてこの者たちをワシのところへ連れてきた」
「客だろ? 金を払えば全て客だ。お前さんこそ、性格の曲がったジジイを気取って、今日は一体どうした?」
「……いつものことだろ」
「いいやぁ。ちなみにな、既にわかってるとは思うが、こいつは俺の新しいボスだ。アブドラ、あんたが杖を作らなくても、何の情報を与えなくても、こいつらはリルルのところへ突っ込んでいくだろう。タダで死なせるわけにはいかねぇ。俺も、当然先陣切って戦うことになる」
アブドラは、髭を撫でながら、ジルを見つめた。
椅子にもたれて両肘を背もたれに引っ掛けたジルは、顎を上げながら見返した。
「お前ほどの戦士にそこまで言わせるとは、それほどの者どもか?」
「見てたんだろうがドワーフのタヌキ親父が。まあ、お前さんのことは超えるかもな。あるいは、リオへ到達するかも」
「バカな。いまだかつてそんな者は一人も現れなかった」
「今まで現れなかったからといって、これからも現れないってか? それこそお前さんらしくもない、非合理的な考え方だな。やっぱ今日はねじ曲がってるぜ」
「…………」
アブドラは、黄色い飲み物をまた一口飲む。
レオを見つめて、言った。
「ワシは、その昔、リルルと友達だったこともある。長らく連絡しとらんかったがな。そのワシの話を聞いたところで、お前さんたちは信じるのか?」
「信じるかどうかは、僕たちのほうで判断しますよ」
見るからにイライラしているレオ。
もういいよ、と言わんばかりの顔だ。頬杖をついてオレンジジュースを見つめ、アブドラを見てもいない。
だいたい、レオは杖など欲していない。無くてもいける、とまで言い切っていたのだ。
「なかなか太々《ふてぶて》しい態度だな、ボウズ。人に物を頼むならもっと従順に振る舞ったほうがいいぞ。それに、大人に対する態度でも、赤の他人に対する態度でもない」
「レオ」
「でもさ……」
アイリスが困った顔をするので、レオは大きなため息でストレスを吐き出した。
「リルルを倒すなど、口で言うほど容易いことではないぞ。ジルとサルが言っただろう。軽々しく命をかけた勝負などするべきではない」
とうとう、レオは嫌気がさしてしまったようだ。
首を小さく横に振った。
「……ねえ、別にもう、この人に頼まなくてもいいんじゃない? 僕、いい加減ムカついてきたよ」
「こら! あの、すみません……」
アイリスはあたふたする。
アブドラは、ため息をついた。
「……別に、金さえ払えば杖くらいは造ってやってもいい。だが、魔王軍の情報など知らん」
「娘のことは、忘れたのか」
「……なんだと?」
ジルの言葉で、初めてアブドラが感情を顔に表した。
「怒り」だ。アイリスは、間違いないと思った。
瞳が黄色に変わっていく。
変装魔法を突き破り、下にあった魔法力が光っているのだ。
「教えられんだと? お友達を売るのは気が引けたか。そんなタマじゃねえだろ、娘を魔王軍に殺されて、それでも魔王軍に肩入れするかよ」
「お前こそ、こんな奴らに肩入れして、アミラのことはもう忘れたか。自分の命に誓って妹を探し出すと言ったかつての言葉は嘘だったのか」
ピン、と空気が張り詰めた。
話の内容はさっぱりわからないが、どうやら深刻な話になってしまったらしい。
ジルとアブドラは、睨み合っていた。
「……嘘じゃねえさ」
ジルは、床に視線を落とす。
「だが、ゾンピア管理者であるお前さんは、こいつらが何を賭けて俺と戦ったか、その結果、どんな戦いをしたか、全て知ってるだろ。俺はよ、気に入ったんだよ」
「軽々しく命を賭けるなというのはお前の持論だろ」
「重かったぜ、こいつらの剣は。賭けた命の重さ、かもな」
「…………」
アブドラは天井を見上げた。
視線を下ろした時には、アイリス、リュカ、レオを順に見つめていた。
「レオ、だったな。お前には、覚悟があるか?」
「当然だよ。じゃなきゃ、死霊軍の大将なんかにケンカ売らないでしょ」
ふんぞり返って言う。
慌てふためくアイリスと、肩をすくめるリュカ。
アブドラは、別に気を悪くした風でもなかった。
「……リルルは、これまで一度たりとも倒されたことがない」
「ああ、知ってるよ」
「それがなぜかは知っているか?」
「…………」
「そうだろうな。知っていれば、倒すなどと軽々しく口にすることはできないはずだ」
もちろん知らなかった。
「討たれた記録がない」という程度のことしかわからない。
だが、アイリスたちは、仮にどのような困難な壁であろうと乗り越える覚悟でやってきたのだ。
やっとこさレオは本腰を入れる気になったのか、アブドラをまともに見つめた。
「世界最高の大魔導師と呼ばれる魔物は、魔王軍には二人いる。一人はリルル、もう一人は魔王だ。彼らは、支配者級である彼らにしか使えない、特別な術を使う」
「特別な術? すごい攻撃魔法か何か、か?」
レオは、腕を組んで悩む仕草をする。
「ありとあらゆる物理攻撃・魔法攻撃を弾き返す多重結界『魔神の盾』。これがある限り、万の兵で挑もうとも、どれだけ強い戦士が襲い掛かろうとも、決して敗れることはない。たとえ勇者の一刀でも貫くことは不可能だ」
店内は静かだった。
誰も声をあげないし、店員も音を立てるような作業はしていなかった。
モーニングの時間が始まったばかりのゾンピアは、お店の外もまだ静かだった。
「……そんなバカな。『何も効かない』ってこと? そんなこと、理論的に言ってできるわけないよ」
「ああ。もちろんだ。彼らは、たった一つの弱点を受け入れることで、その他全ての攻撃から完璧に身を護る結界を手に入れたんだ」
今の話が本当なら、以前、リルルがアルテリアを襲撃した時、仮にリュカの刃がリルルに届いていても勝てなかったことになる。
これこそ、アイリスたちが求めていた情報だった。
レオは、体をテーブルに乗り出して言った。
「それで? その弱点ってのは、何だよ?」
「剣士による一太刀だ」
今度の静寂は、言葉の意味がわからないから訪れたものだった。
拍子抜けした、と言わんばかりに表情を曇らせるレオが喋る前に、アブドラは続ける。
「ただし、使用する剣には条件がある。禁呪『アウローラ』によって、その剣士の愛する者の体を変質させて造った剣のみが、魔神の盾を打ち破る」




