ゾンピアの番人
ハッと気づくと、宿屋のベッド。
どうやら意識を失っていたようだ。
「お母さん! 僕だよ、わかる? ……ったく。今度はお母さんかよ。二人して、一体何やってんのさ。早く服を着てくれる?」
「えっ!? レオ?」
アイリスは、慌てて素っ裸の体にシーツを引き寄せ、上半身を起こしながら周りをキョロキョロした。
「あっ」と声を上げる。
そして思い出す。
調子に乗って挑んだせいで、リュカから返り討ちに遭ったことを──。
アイリスは、記憶を辿る。
禁酒を約束してくれなかったアイリスに、リュカは心臓を握られたような顔をした。
「愛してる」と何度も言いながら夢中で抱きついてくるリュカは、いつもの「アイリスいじめ倒しモード」じゃなくて、まるで少年のような顔になってしまっていて、年下彼氏を持ったような気分になってしまったアイリスはそれがあまりにも可愛くて、気づいたら心がパアッとなって──。
今に至る。
リュカは、アイリスの横に添い寝して、ずっと髪を撫でてくれていたらしい。
──くそぅっ。
また、やられちゃったぁ……。
どうして?
なんで正気に戻ると、あたしのほうがダメージでかいの?
ふん。いいんだいいんだ。あたしのほうが、リュカのことを好きな気持ちが大きいんだ。だから、どっちかっていうと、あたしの勝ちなんだ! 絶対、またあのお酒飲んでやるから!
プンプンしていたが、愛情いっぱいの笑顔を振り撒きながらアイリスの髪を撫でているリュカを眺めているうち、そんな気持ちはスッと晴れて、かわりにウズウズするような、フワフワするような愛しさで体が満たされていく。
アイリスはリュカにギュッと抱きつき、自分の頬をリュカの胸に当ててスリスリし、チュッチュした。
まあ、それでもイマイチ納得はいってない。
少し拗ねながら「服っ!!」と叫ぶ。
しゅぱ、と音を立ててアイリスの体は司祭服に纏われた。
チェックアウトの準備が完了し、宿屋の会計を済ませる。
例の女将さんに、またニヤニヤされる。
「昨夜は旦那様でしたねぇ。でも、叫ぶ回数がすごかったですけど旦那様は大丈夫ですか?」と、リュカをチラ見しつつ女将はアイリスへ耳打ちした。
リュカは、まだちょっとフラついていた。
エリナは聞いていないふりをしていたが、明らかにアイリスと女将の会話に耳を尖らせていた。
宿屋を出て、五人で路地を歩く。
リックたちとの待ち合わせ場所は、またもやペリタス武器屋前。もはやアイリスたちの定番だ。
アブドラのことを知っているのはジルだけだが、彼が「全員の都合がいいならその武器屋でいい」と言ったらしい。
「よお。調子はどうだ?」
集合場所に現れた途端、片手を挙げて陽気に話しかけてくるジル。
アイリスは、とりあえず腕を組んで睨んでやった。
「……『調子はどうだ』じゃないでしょ。あんた、あたしにとんでもないお酒、飲ませたね」
「はあ? そんなことねえよ。うまかったろ?」
「……まあ、そうだけど」
憎めない悪ガキのような笑顔を作るジルへ、細めた目を向ける。
リュカは、アイリスがジルと喋るだけでも、まさにジルを殺そうとするかのような殺気に塗れた。
今朝の様子を見る限り、きっと容赦はしないだろう。アンデッドだから死にはしないが、次こそ千年くらいは復活できないレベルでジルをギタギタにしてしまうかもしれない。
ジルは凶兆に気づき、肩をすくめておどけた顔をすると「君子危うきに近寄らず」といった様子で距離をとっていた。
しばらくすると、リックたちが来る。
アイリスは、すぐに気づいた。
なんと、明らかにリックとティナの距離感が縮まっていたのだ。「どちらか一方が」ではなく、互いに体を引っ付け合う感じだ。間違いなく、二人の心の距離をも表している。
ただ、ティナと触れそうなほどに近いところにいるリックのことを、ソニアはチラチラ見ていた。
──リックはソニアのことを弄ぶ奴だ。
この感じ、ティナも食べられちゃったと見るべきか。
いや、すでに食べ終えたのなら、遊び人がいつまでも遊びの女と恋人みたいにベタベタするだろうか? そうだとすると、まさに食べる一歩手前ということか──。
昨晩に何かあったのか、それともなかったのか。一番すぐにゲロってくれそうなソニアにあとでこっそり聞いてみようとアイリスは心に誓った。
「ジル、全員集合したよ。それで? アブドラの居場所を、そろそろ教えてよ」
ジルは、顎を少し上げて、十歳のボスを見下ろす。
「俺が案内するまでもないさ。俺との闘争であれだけの魔法力を引き出したんだ。リーダーはすでにアブドラに認められている」
「……どういうこと?」
「おいコラ、アブドラ! 聞いてんだろ? お前さんを超えるかもしれん大魔導士のお出ましだ。さっさと姿を現せよ!」
ジルは、武器屋ペリタスの前で叫ぶ。
すると、レオがピクッと動いた。
迷うことなく、武器屋の向いにある建物の二階を見上げる。
「どうしたの?」
「……そこの建物の二階に、妙な魔力が発生した」
「え?」
アイリスも、そこを見上げた。
建物の一階は服屋なのか、村人が着る服を専門に扱っていそうな、なんの変哲もない服屋だ。
その服屋の横に、二階への階段がある。
階段の横には、「喫茶クニークルス」と書かれている。
だが、アイリスには魔力の気配など感じられなかった。
「喫茶店?」
「……だね」
「『妙な魔力』とは、なんだ?」
リュカがレオに尋ねる。
これは、リュカの領分ではないのだ。
「わからないけど……たぶん、人が現れた」
「……行ってみるしかない、よね」
ジルを先頭にして、全員で、石でできた階段を登っていく。
壁に取り付けられたランプが、誰かの魔法力でボヤッと光っている。
二階へ入るための木製扉を、ジルが開けた。
建物外観とは違って、内装は木材がふんだんに使われた、ロッジのような雰囲気だった。
天井は高く、古風なシャンデリアが取り付けられている。
カウンターの奥には、黒髪オールバックの男性店員が一人。
そして、木を切り出して作ったような厚みのあるテーブルの一つに、一人の中年男性が座っていた。
椅子に座っているので正確にはわからないが、きっと背は低いだろう。
白い癖っ毛の髭を伸ばし、髪もまた白い癖っ毛だ。
一見すると、ドワーフか……そうでなければサンタクロースか。
しかしその瞳は、お人好しとは対極にありそうな、鋭い目つきをしていた。
テーブルには、古びれた木製の杖が立てかけられている。
中年に見えるが、ともすれば実年齢はもう少し若いのかもしれない。
年齢を重ねているように思ったのは、その顔が、歴戦の勇者のように苦労を滲ませていたからだろう。
先頭にいるジルは、アイリスたちへと振り向いた。
「紹介するぜ。彼が、この『ゾンピア』を、主人の留守のあいだ預かる番人、アブドラだ」




