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傷心の剣聖

 ジルが勧めたお酒はフルーティで飲みやすいから危険だ──

 なんて、若くて可愛いバーテンダーは言っていたが、この蒼き女神(カエルディア)とかいうお酒も大概だ。

 このバーテンダー、あたしのことをどうにかしようとしてるんじゃないだろうか、と妙な考えを巡らせながらアイリスはチラッと店主を見つめる。


 だんだんと、いやもうだいぶん前からクラクラしている頭と、フワフワしている体。

 アイリスは、とっても気持ちいい気分だった。


 ジルがアブドラの話をしているのを聞いて、ふと、老人から仕入れた話を思い出す。

 カウンター席に座っていたアイリスは両手をぱあん! と叩いた。

 何が起こったのか、とみんなが一斉にアイリスへ注目する。シーンとした店内を、アイリスは、そのままテーブル席のほうへフラフラ歩き出した。


「そうだっ! あのれぇ、あらし、カフェでおじいちゃんからねぇ、」


 何も無いのにけつまずいて、テーブル席のソファーに座っていたジルへと倒れ込む。

 正面からギュッとジルに抱きつくような形になってしまった。

 目もかすんできたアイリスは、至近距離からジルをぼーっと眺める。単に、よく見えてなかったからだが……。


「ハッ、よく効いてんな。大丈夫かよ? ……ゲェっ」

「アイリスっ!!」


 すぐさまアイリスを抱きしめてジルから離し、ゴミのようにジルを蹴飛ばすリュカ。

 首を小さく横に振ってアイリスへ懇願する。

 

「お願いだ。そんなふうにされたら、俺、もう、耐えられない」

「えぇ? どうしたの?」

「いやだ。他の男に、抱きついたりしないでくれ。俺、俺……」

「やぁだなぁ! あらしが愛してるのは、リュカらけらよ! これは、その、なんかあしもとに石があるから、つまずいて」


 石など無い。

 もう、何も見えていないのだった。


 今度は、自分を抱くリュカをじっと見上げてニヘニヘ笑う。

 リュカの唇を人差し指でトントンして、トロンとした目をする。


「へへへ。男前。……んっ」


 熱烈なキスがおっ始まった。

 アイリスのご乱心(・・・)に耐えられなくなっていたリュカは、どうやらもう気持ちを抑えられなかったようだ。

 向こうの壁際で後頭部を押さえながらようやく上半身を起こしたジルが、呆れて叫ぶ。


「もう、てめえら家でやれ!」



◾️ ◾️ ◾️



 ふと目が覚めると、誰かに抱かれていた。

 モゾモゾと顔を動かすと、リュカの顔が見える。リュカは、アイリスを抱きしめたまま眠っていた。 

 ……と思ったが、リュカは半目で意識朦朧いしきもうろうとしているようだった。

 すぐさまハッとする。ゾンビが眠るはずないのだ。


「だっ、大丈夫!? リュカっ」


 リュカの体をする。

 何か調子が悪いのかと、心配になってしまった。

 上半身を起こしたアイリスは、裸だった。

 

 調子が悪いのなら、レオならなんとかできるかもしれない。術者であるレオはどこかと、部屋の中を見渡す。


 ここは、おそらく昨日泊まった宿だろう。部屋の内装が似ている。

 窓の外が暗いが、そもそもゾンピアは一日中暗い。部屋の中にいると、窓の外の明るさで今が何時か判断することはできないが──

 部屋の中には壁掛け時計があった。長い針が一目盛だけカコンと音を鳴らして進む。それによると、今は「七時」だ。

 

 部屋の中にはレオはいない。

 リュカは、瞳だけこちらへ向けた。


「わかる? どう? どんな調子?」

「……だいじょうぶ。もうちょっと、やすませて……」

「休む? どうゆうこと?」


 そこへ、玄関扉をコンコンする音が聞こえる。扉のところへ行こうと立ち上がり──

 素っ裸であることを思い出してアイリスは慌てて服を探す。

 そしてまたもや失念していたことを思い出し、「服っ!」と念じて服を出現させる。

 扉を少し開けて覗くと、そこにいたのはレオだった。


「レオ! どこに行ってたの?」

「……はあ? ふざけてんの?」


 怒っている。

 なんにも覚えていないが、なんとなく、きっと自分が悪いのだろうとアイリスは思った。


「えっと。何があったか、教えてもらえると」

「……覚えてないんだ?」

「え──……。その。……はい」

「もう、お酒禁止だね」


 十歳の息子は、ブチ切れていた。

 笑ってもいない。めちゃくちゃ怒っている。

 レオは、そのまま部屋へ入って扉をバタン! と思いっきり閉めた。その音でアイリスはビクッと飛び上がる。


 アイリスは、レオをリュカのところへ案内し、リュカの調子が悪いことを伝えた。

 レオは、ベッドで横たわるリュカを見下ろし、じっと見つめていたが──。


「昨日、部屋へ戻ってから二人で何をしたの?」

 

 答えないリュカ。

 アイリスへとアイコンタクトをする。

 それで、アイリスはようやく、おぼろげにだが全貌を理解できた。


 ──まさか。

 リュカ、イきすぎて、動けないんじゃ。


「昨日の酒場で解散してから、お父さんが『どうしても二人っきりにしてほしい』って言って譲らなかったんだ。だから、仕方なくそうしたんだけどさ。一体どうしたっての? 何なの、このザマは」


 う〜ん、と唸りつつ明確な回答は避ける。

 レオの頭を撫でつつ、ごめんね、と謝った。


 レオが言うには、今日はみんなと一緒にアブドラのところへ行こうという話になっているらしい。

 レオは、ジャミルとソニアが変装魔法を使っていることから、一度アブドラに会ったことがあるんじゃないかと尋ねたようだ。

 だが、ジャミルとソニアは、ここへ来るもっとずっと前、イデアやマキアにいた頃に、偶然にも旅をしていた有能な魔術師から変装魔法を掛けてもらったらしい。だから、アブドラのことは知らなかった。

 最終的には、ジルが「アブドラのところへ案内する」と申し出てくれたそうだ。

 

「ってか、今日行くの? 七時でしょ、もう夜だし──」

「……あのね。今は朝の七時(・・・・)だよ」


 口を開けたまま固まる。

 どうやら真っ昼間から始めて明け方まで淫蕩いんとうに沈んだらしい。

 ゾンビになってから、なんか生きてる頃より淫乱になっている気がする。

 そろそろちゃんとした生活をしないと、まともな人間に──もとい、ゾンビに戻れなくなるのでは、とアイリスは心配になってきた。


 レオだけ朝食を食べなければならないので、一人、部屋を出ていく。

 そうこうしているうちに、リュカは、かなり意識レベルが回復してきた。

 アイリスはベッドに腰掛け、喋れそうな感じになってきたリュカの頬に触れながら尋ねる。


「ねえ。昨日、あれからどうなったの??」

「……酒場を出てから、すぐに解散して」

「うん」

「俺たちは、二人でここに」

「うん。で、した(・・)んでしょ?」

「うん」 

「でも、それだけでリュカがそんなになるなんて、珍しくない?」


 そうなのだ。

 アイリスは常にぶっ飛んでしまうのだが、リュカは意識が飛ぶなんてことはない。


「俺、二〇回くらいイっちゃって」

「はあっ?」

「一発一発がめちゃくちゃ重くて……何回も死ぬかと思った。アイリスは酔ってたから、イってないと思うけど」


 開いた口が塞がらなかった。

 

「どうしてそんなことになったの?」 

「ジルに引っ付くアイリスのことを見てたら、心が張り裂けそうだった。アイリスのことが、好きで、好きで、大好きで、堪らなくって、それで、もう訳がわからなくなって」

「……もう」


 アイリスは、まだ横向きになったまま動けないリュカの髪を撫でる。

 どうやら、ダメージはかなり深そうだ。


 ──しかし、なんかあたしのせいらしいが、さっぱり覚えていない。

 ってか、ジルに引っ付く!? あたしが? 一体何が起こったんだっ?


「それで、そんなに意識混濁してんだね。でも、あたしはなんで眠ってたの? ゾンビになってから眠くなったことなんてないし、眠っちゃうなんて──」

「きっと、あの酒のせいだ」

「ああ……なるほどねー」


 ──うっすらと思い出してきた。

 ジルとバーテンダーのこと。

 それで意識消失しちゃったのか。

 二杯しか飲んでないのに。やべぇ酒だな、あれ……。


「アイリス」

「うん? なに?」


 見ると、リュカは玉のような涙をポロポロ落として泣いていた。

 目尻のあたりから染み込んでシーツがどんどん濡れていく。

 アイリスは慌てた。


「ちょっ、どうしたの!?」

「ごめん」

「なによ、それじゃわかんないよ」

「……もう、あのお酒、飲んでほしくない、かも」


 シーツのほうへ視線を落として、力なく呟くリュカ。

 圧倒的な強さを誇る無敵の剣聖は、どうやら心がボロボロになってしまったらしい。


 そうなのだ。

 これは前からだが、誰も敵わないはずの剣聖の唯一の弱点は「酔ったアイリス」。

 お仕置きだなんだと言ったところでまるで効かない。酔ってしまって正気じゃないからだ。王宮にいた時は、アイリスが酔った時はリュカが常に張り付いていた。

 

 いつもとは真逆のパワーバランス。そのギャップにキュンキュンしちゃったアイリスは、「裸になりたい」と念じた。

 服を消し、リュカに添い寝してギュッと抱きしめる。

 

 ──レオが食事を終えて戻ってくるまで、まだ時間があるな。

 よぉし。今日はリュカをヘナヘナにしてやる!


 でも、あのお酒はまた飲んでみたいなぁ、と思っていたアイリスは、レオと同じくリュカにも禁酒をお願いされたが、「傷つけてごめんね」とだけ言って、「飲まない」とは約束しなかった。

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