ゾンピアのバーにて
リックたち四人は、デスパレスからの景色を、ゆっくり見ようとしたようだった。
今日、朝イチに来た時にはジルに絡まれてしまったから、ゆっくりできなかったのだ。
リュカは、またジルと鉢合わせたりしないか気になっているようで、アイリスから離れて辺りを見回していた。
「そういえばさ。ジルもこれから仲間になるから、仲間同士の絆を深めるために、一緒に食事でもしない?」
レオが発案する。
アイリスは、常に求愛してくるジルがそばにいるとリュカが怒ってしまうのであまり気は進まなかった。
でも、確かに、それはそうなのだ。
これからジルは、命を懸けてリルルと戦うための戦友となる。
互いをよく知っておくのは、大事なのかもしれない、と思った。
仕方がない。アイリスはレオへと耳打ちする。
「いいけど、リュカにはレオから言ってね。ほら見てよ、ここへ来ただけでもうあんなにピリピリしてる。そのうえ、あたしがそんなこと言うと、『アイリスはあいつのことが好きなのかーっ』って、なっちゃうから。そんで、この場で失神して、また医務室送りになっちゃうから」
「……ったく。どんな夫婦なんだよ……」
レオは呆れ果てて空を見上げた。
とりあえず、全員に説明して、アイリスたちは影に隠れて変装魔法を元に戻す。
リュカは、明らかに不快感情を顔で表現していた。
アイリスが提案していたらと思うと冷や汗が出る。
「パーティーリーダーのレオが言うのだから仕方がない」といったところか。
とりあえず、一段階目としてアイリス、リュカ、エリナ、ラウル、レオの中で意思決定はなされた。
なので次は、魔法灯が幻想的に照らし出すデスパレスで夜景を眺める四人へと、レオは話しかける。
とりあえず、開口一番「なんでここにいんの?」とティナに言われたが「夜景を見に」とレオが誤魔化した。
四人は、レオの提案を承諾してくれた。
四人の反応はそれぞれだったが、あくまでそれは性格的なものが影響したのであって、特に異論がある態度ではなさそうだとアイリスは思った。
よって、そのまま死霊の塔にいるはずのジルを呼び出すことにした。
塔の中へ入ると、レオは役所の受付嬢に尋ねる。
「あの、ジルベルトさんに会いたいんですけど」
「あいにく、ジルベルトは自警団の訓練の最中です。武道場に行けば、話はできると思いますが……」
武道場、と聞いて嫌な予感がする。
また戦うことになったりしないだろうか、とアイリスは心配になった。
親切にも係の人が案内してくれる、とのこと。
一人の男性職員に先導してもらい、一向は、別棟である武道場へと向かった。
武道場では、真剣を使った実践訓練がなされていた。
大勢の団員が壁沿いに座り込み、中央では、ジルと一人の団員らしき者が立ち会っている。
団員は、獣人、竜人、悪魔、人間、色々だった。
今まさに勝負が決しようとしていた。
ジルは、気合十分で突っ込んでくる団員を華麗に躱し、猛然と振った剣を寸止めする。
「ま、まいりました」
「ああ。腕を上げたな」
ジルが、立ち会った団員に手を差し出し、立たせる。
アイリスたちが武道場を覗いていると、中にいる団員に気付かれた。彼らは中央にいるジルへと声をかけ、報告する。
こちらに視線を向けたジルは、歩いて近寄ってきた。
「なんだ? もう出発するのか?」
「いや、違うよ。もしよかったら、交流を兼ねて一緒にお茶でもどうかなって思って誘いに来ただけなんだ。お仕事中なら、また今度いいから考えといてよ」
会話するレオとジルの後ろで、団員たちがザワザワする。
彼らはアイリスをジロジロと見て、小さな声で話し合っていた。
どうやらあの女性が、団長が命を懸けてでも欲しいと願った女性らしい、と。
アイリスは、なんとなく照れ臭くて顔が熱くなった。
やっぱ罪な女だなああたし、と思いつつ、ちょっとだけ優越感に浸っていた。
リュカはムスッとして腕を組んでいる。
「団長、すごい綺麗な人っすね! お目が高い」
「アホ。俺は負けたんだ、結局手に入らなかったんだよっ」
「そしてこちらが、団長を負かした剣士っすか。へぇ〜〜……そんな強そうには見えないっすけどねぇ」
「そりゃそうだ。次にやれば俺が勝つに決まってらぁ」
まるで仁王のような形相になったリュカを、アイリスは必死になだめる。
やはり嫌な予感は的中した。アイリスとレオは、苦笑いしながらリュカとジルの間に陣取って、後ろから押してくるリュカの圧力を、体を張って背中で押さえていた。
「いいじゃないっすか。行ってきてください。だって、団長はもう、彼の仲間なんでしょ?」
団員たちの中で、さっきから喋っているこの青年が、もしかすると副団長的な立場なのかもしれない。
ジルと同じく瞳を青色に光らせ、長い黒髪を手でキザに掻き上げる。
ウサギのような黒い耳と、同じように浅黒い肌。体つきは逞しく筋肉のついた、若い獣人黒うさぎ青年だった。
「……そうだな。俺はもう、こいつらの仲間なんだ。ここはお前に任せたはずだったな。ジャン、俺が戻るまで、頼むぞ」
「はい! お任せくださいっす!」
ジャンは、右手の指先をこめかみに付け、ビシッと敬礼をした。
「そんで? これから何をすんだ」
「もう少ししたら、出発することになるかもしれない。その前に、君の話を色々聞いておきたいんだ」
そう言って、レオはジルを、武道場から連れ出した。
◾️ ◾️ ◾️
アイリスたちは、とりあえずそこらへんのカフェにでも入ろうかと相談していたが、ジルは呆れたような顔をして、別の提案をする。
「それなら酒場に入ろうぜ。大の男がカフェばっか行ってられんだろ」
アイリスは、驚いて尋ねた。
「酒場? そんなのあるの?」
「風俗店すらあんのに、どうして酒場がないんだよ。当然あるさ」
「でも、アンデッドって、酔えるの?」
「ヒヒ。まあ、来てみりゃわかるさ」
不敵に笑うジルの表情が、アイリスに謎の警告を伝える。
ゾゾゾ、と体を這うような感覚が、貞操の危機を感じさせた。
リュカはベタッとアイリスに引っ付き、肩を抱き、常にジルを睨みつけていた。
アイリスたちの宿がある方向とは反対側に坂を降りていったところに、酒場はあった。
常に夜のようなこの街で、様々な色に煌々と輝く飲み屋街のライトはまさに夜の街という印象をアイリスたちに与えた。
「うーん。僕、飲めるもの、あるのかな」
「大丈夫だ。リーダーはソフトドリンクでも飲んでおけ」
ジルは、レオのことをリーダーと呼んだ。
別に、誰が伝えたわけでもないのにだ。やはり、誰がどう見てもそうなのだろう。
「久しぶりねえ、お酒なんて。マキアを出てきて以来だわぁ」
「ティナは今、何歳なの?」
「アイリスはきっとあたしより年上だよね? 今ちょうどハタチだよん。そこのぶっきらぼうな猫耳ネクロマンサーと一緒」
「うるさいな。僕は、村ではお酒なんて飲んでいなかったんだ」
「前も言ったけどさ、そりゃ友達いないからでしょ? あたしがいないとカフェですら一緒に行く人、いないでしょ」
「うっさい。酔っ払ってそこらへんの道で転がる下品な女よりゃマシだ」
アイリスは、二人の会話を聞いて、へぇ〜、とニヤつく。
すでに二人は色々ありそうだ。
ジルが選んだお店に、こぞって入る。
店内は柔らかい照明が照らしていたが、適度に薄暗くて落ち着いた雰囲気が作られていた。
客は少数だ。暗いがまだ昼間だからだろうか。カウンターの奥では店主であろうバーテンダーがグラスを拭いていた。
ここでも、アイリスたちは人数が多いため、カウンターとテーブル席の二手に分かれる。
全員で十人だったので、ジルを含むアイリス・エリナ組はテーブル、リックたち四人はカウンターに並んで座った。
注文の段になり、レオだけがソフトドリンクを頼んだが、大人は店主おまかせでやってみろ、とジルに言われる。
カウンターの奥にいる青年バーテンダーが店主なのだろう、ジルから注文を受けると、かしこまりました、と答えた。
お酒なんて久しぶりだったから、アイリスはワクワクした。
リュカはお酒が弱かったのでさほど飲むことはなかったのだが、アイリスはどっちかというと好きな方だ。
さっきのリックの話のように、酔っ払って王宮内で記憶をなくし、運ばれちゃうこともあった。
そんな時は、リュカが必ずそばにいて、世話をしてくれていたのだった。
バーテンダーが、ブツブツと呟く。
グラスの少し上ぐらいに、小さな水色の魔法陣が現れる。
グラスの中には、どこからともなく黄金色に輝く液体が現れ、注がれていく。
その液体は、水面が揺れるごとに、光の加減で繊細な色の変化を見せていた。
「魔術で作ったお酒なんだ!」
「もちろんそうさ。ちょっくら高いがアンデッドにはこれだ。それに──まあ、一口飲んでみな」
アイリスは、渡されたグラスを口につける。
恐る恐る、口に含み、喉を通らせ──。
「うまっ!!」
「だろ?」
悪そうな、しかし憎めない愛嬌を振り撒いてニヤッとするジル。
体がブワッと温かくなる感覚は、まさにアルコールに違いなかった。
はああ、と息を漏らしてアイリスはソファーにドカっと体重をかけた。
ジルはスッとアイリスの肩に手を回して自分の頭をアイリスの頭に引っ付ける。
「他にもいい店はたくさんある。今度、俺と──」
瞬間、ジルの胸に剣が突き立てられた。
アイリスを挟んでジルと逆側に座っていたリュカは、座ったまま、逆手に握った剣を振るってジルを串刺し、剣を前方に振り払ってジルをテーブルの向こう側へと吹っ飛ばした。
リックたち四人が座っていたカウンターの椅子にぶち当たり、イッテぇ! と叫ぶ。
リックたちはびっくりして飛び上がっていた。
「このっ、何しやがる!!」
「死ね」
「上等だ表出ろコラ。今度こそぶち殺してやらぁ」
「何度でもみじん切りにしてやる」
二人は、入店して五分そこそこしか経っていないのに、もう外へと出ていってしまった。




