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瑣末なこと

 塔に着いた頃には、レオは腰が曲がってフラフラしていた。

 リックとティナは、魔術師とはいえ、このくらいの坂道を問題にしない程度の体力は持ち合わせているらしい。


 全員で、頂上である塔へと辿り着く。

 塔とその周辺にあるテラスはもちろん夜のように暗い。テラスは、至る所に設置されている、魔法力によって輝く街灯で照らされていた。

 レオは、テラスの手すりに寄りかかって悲痛な声を上げる。


「こりゃ、杖が要るよ! 早く杖を手に入れないとっ」


 レオは、本来の目的とは違う動機で杖を欲するようになっていた。

 塔に入る前に、一服を要求するレオ。

 その姿を見て、呆れながら「こりゃあ、やっぱり本格的にビシバシ剣術訓練をやらんといかんな」と決意する両親。

 

 仕方がないので、レオに水分補給の時間を与えてしばし休憩する。

 そんなレオに、ティナは手に持っていたカゴを差し出した。 


「ねえ、レオ。もし良かったらだけど、ほら」

「なに? これ」

「お弁当と、飲み物。口に合うかはわからないけど」


 アイリスは、カゴの中を覗く。

 サンドイッチと、水筒が入っていた。

 

「……ありがとう」


 ティナを見つめながら、レオは照れくさそうにした。

 リックは、そのカゴを覗き込みながら悪態をつく。


「へえ、虎女が弁当かあ。ほんとに食えんのかな」

「なによ! あんたの分なんてハナから無いんだから、関係ないでしょ!」

「ふん」


 さすがに、さっき遅めの朝食をとったばかりなので、レオはお腹に入らないだろう……

 と思っていると、サンドイッチを引っ掴んでバクバク食べ出した。

 吐いちゃうんじゃないかと心配になったが、レオは「美味しい」と笑顔をティナに向ける。ティナは、ぱあっと明るい笑顔になった。

 互いに微笑み合い、水筒の蓋を開けて一口飲んだレオは、目を見張った。


「あっ、すごく美味しい! 何これ?」

「ドルチスの実のジュースだよ。昨日、帰りに果物屋さんがあったから、買ったんだ。あたしたちの故郷、マキアの国の特産物なんだよ!」


 レオはごくごく飲んでいた。それを嬉しそうに眺めるティナ。


 ──まあ、レオは十歳で、ティナはハタチくらい。

 本気の恋愛対象ではなく、可愛い弟感覚なのだとは思うが。

 レオのほうは、なんかティナに心を持っていかれそうになってる気がする……。


 エリナは、微笑ましそうにレオを見守る。そして、そのすぐ横には寄り添うようなラウルがいる。

 レオは結局、いつものようにエリナを見て複雑な顔をする。


 単にエリナの見た目がレオのどストライクにハマってる……くらいに思っていたが、いくらなんでも執着しすぎなんじゃないだろうか、とアイリスはまた心配になった。

 アイリスは、リュカへ寄って耳打ちする。 


「ねえリュカ、レオってさ、エリナのことが好きだよね」

「ん?」

「だからさ。最初に出会った時から、レオ、エリナに惚れてるっぽいんだよ。気付かなかった? あの子、ゾンビなのにねぇ。そんなに好きなのかなぁ」

「エリナは、アイリスに似てる」

「え?」


 リュカは、エリナを眺めながら言う。


「どこが?」

「目元も、口元も、顔の感じも。俺が見ても、似ていると思うよ」

「そうかなあ……?」


 エリナと自分が似ているなど、思ったことはなかった。

 自分では、全くわからない。

 

「でも、仮に似ていたとして、だからなんなの?」

「…………なに、ということはないが」


「おい。ここで何をしている?」


 悶々と考え事をするアイリスの後ろから、悪意のある太い声が投げ掛けられる。

 リュカは即座に反応した。

 剣の柄を握りしめ、自然体ではあったが隙なく構えているのがアイリスにもわかる。


「俺たちがどこに行こうが、お前の知ったことか」

「……ふん」


 ここへ来た目的をもう忘れたのか、早速ケンカを売るリュカ。

 アイリスはリュカの前に出て、手でリュカを抑えた。

 ジルベルトは、小首をかしげてアイリスへと言う。


「アイリス。俺はお前のことを諦めたんじゃない。サルバドール様の手前、あの時は見逃してやっただけだ。そうじゃなけりゃ、こいつのことなどお前の前で八つ裂きにして、今ごろ干物にしてやっていたさ」

遊びに興じた(・・・・・・)だけじゃなかったの?」

「俺は、本気だ」


 まっすぐにアイリスを見つめるジルベルトの瞳。

 確かに、きっと彼は本気だ、と思わせられた。


 ビキビキとリュカの拳が音を鳴らす。

 食いしばられた歯はギリギリと鳴る。


「リュカ」

「…………」


 アイリスは、リュカに抱きついてじっと目を見つめる。

 ジルベルトを睨みつけていたリュカは、視線だけをアイリスへと移し、深呼吸をするようにして心を落ち着けていた。

 ジルベルトは唾を吐いて、うんざりしたように言う。


「……ふん。何の用だと聞いているんだ。用が無いならさっさと帰れ」

「ジルベルトさん。僕らは、あなたを仲間にしたくて来たんだ」

「……はあ?」


 低い声で呆れていることを表現する。

 銀髪の隙間から見える青い瞳は、変装魔法ではなく術者の魔法力の色だろう。


 ジルベルトは、瞳の色を変装魔法で偽装していない。

 彼は、最初から術者である市長のことを「サルバドール様」と呼んでいた。

 まるで術者の忠実なるしもべであることを誇りに思っているかのようだとアイリスは思った。


「笑わせる。俺が、どうしてお前らの仲間になるんだ?」

「困ってるんだ」

「お前らが困ろうが、俺の知ったことか」

「話を、聞いてくれないか?」


 ジルベルトは、口端を引き上げ、レオを見下した。


「……この俺を手に入れたいというなら、俺の条件も飲め」

「なんだ?」

「アイリスをもらう」

「貴様……!」


 憎しみのこもったリュカの瞳が紅蓮に光り、同じ色の魔素エネルギーが体から湧き出るように撒き散らされた。

 自然体ではなく、腰に携えた剣の柄を持ったまま低く構える。きっとこのまま戦闘を開始すれば、鞘から抜くと同時に斬りかかることができるだろう。

 リュカは、そういう体勢をとった。


「……身の程を知らんというのは、可哀想なことだ」


 ジルベルトは余裕を口にして、背中にある斜めに背負った剣の柄に手をかける。 

 もはや衝突は免れないと思ったその時、塔の入口から、またもやサルバドールが現れた。


「ジル、どうしたのだ。一般の者へ殺意をむき出しにするなど、お前らしくもない」

「サルバドール様……申し訳ありません」

「良い。理由を話せ」

「は。この者どもが、この私を仲間にしたいと」

「ほう。それで?」

「私は、そこにいるアイリスという娘が気に入ったので、彼女を引き渡すことを条件として、力を貸してやっても良いと答えました」

「はっはっは!」


 サルバドールは、天を仰いて大笑いする。


「悪魔族の剣士らしくてワシは好きだぞ?」

「は……」

「久々に面白い。そういうことであれば、やるが良い。『死霊の塔』を含むこの『デスパレス』を今から封鎖してやる。好きにやれ。ワシが見届けてやる」

「ありがとうございます」

「ちょっと待ってよ! 戦って決めるってのか? 話くらい聞いてくれても──」


 予想外に事態をあおるサルバドールの言葉に、レオが抗議した。

 二人の戦いを止めるどころか、事情を聞いたうえでやらせようというのだ。

 何を考えているのか、さっぱりわからなかった。


「話? 聞く必要など無い」

「どうしてだ?」

「口ではどうとでも言えるからだ。ただの一般人だというならワシらも干渉はせん。だが、ジルに力を貸せというなら、自らの力を先に示すのが道理というものだろう」

「…………」


 レオは心配そうな顔でリュカを見上げた。リュカは、なんら異論のない顔をしている。

 ジルベルトは、スッと剣を抜いた。


「決まったな。俺が勝ったらアイリスはもらう。リュカ、お前が勝ったら、俺はお前たちの仲間になってやる」

「待てよ! 僕はまだ了承してない。どうして僕らが、お母さんのことを賭けないといけないんだっ」

「くっくっく。お前の母親か? 連れ子などいらん。俺が勝ったら、お前は親子の縁を切って二度とアイリスに会うな」

「めちゃくちゃだ! こんなの──」

「お前が俺を仲間にしたい理由はなんだ?」

「あ?」


 ジルベルトは、蒼く輝く強い眼光でレオを威嚇する。

 レオは、ジルベルトをめ上げながらそれに答えた。


「……強い剣士が必要なんだ。僕たちがこれから立ち向かう敵を倒すには──」

「お前たちが成し遂げたい目的ってのは、この程度のリスクすら負うことなく達成できるものなのか?」


 ジルベルトの挑発に乗せられている。

 それはわかっていたが、奴の言うことも、もっともだったのだ。

 今直面していることなど、リルル討伐を成し遂げようとする自分たちにとっては、瑣末さまつなことに過ぎないのかもしれない。

 こんなことすら乗り越えられない自分たちがリルルを倒すなど、おこがましいとさえ思わせられた。


 アイリスは、歯を食いしばる。


 ──この程度のこと……だって?

 あたしたちが成し遂げようとしていることは、この程度のことじゃない!!


 拳を握りしめるアイリスのそばに、エリナが駆け寄った。


「だめ! アイリス、こんな挑発なんかに乗っちゃダメっっ!!」

「…………」


 アイリスの腕を掴み、必死の形相で説得しようとする。

 サルバドールは、レオを、虫ケラを見るような目で見た。

 

「小僧。昨日見た限り、そこそこ魔術は使えるようだな。だが、貴様程度・・・・の魔術師が、大した覚悟もなく敵だ何だとのたまって戦うのはやめておけ。ゲームと命懸けの殺し合いの区別もまだついておらぬのだろう」


 レオの周りの塵が舞う。

 リュカの体から、紅蓮の魔素オーラがチリチリと音を立てる。

 アイリスには、最前列にいるレオとリュカの後ろ姿しか見えていなかったが、二人が今、どんな目をしているのか、見なくてもよくわかった。


「お母さん」

「…………」

「ごめんね。なんか、賭け事の景品みたいにしちゃって」

「いいよ。気にしないで」

「でもね。結果的にいうと、別に、景品にはならないから」


 レオとリュカの真正面にいる、ジルベルトとサルバドールの顔色が変わる。

 レオは、振り向くこともなく、軽く言った。

  

「どうせ勝つに決まってるから。だから、ちょっとだけそこで座って待っててよ、お母さん」

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