いざこざ
腰を落として構え、猫娘ソニアと虎男ジャミルの剣を微動だにせず受け止める男。
髪は銀色で、頭からはうねった黒いツノが生えていた。
背中には蝙蝠のような黒い翼が折りたたまれている。この特徴だけで、間違いなく悪魔族の男だとわかった。
背は高く、リュカとどちらが高いか、というところ。
男の瞳は、青色に光っていた。
表情ひとつ変えることなく、男は獣人二人の剣を同時に弾き落とす。ジャミルとソニアは、その勢いで後ずさった。
「なっ! なんだお前! 邪魔すんじゃ──」
「そこまでだ狼藉者。俺はこのゾンピアの自警団だ。武器屋の主人から通報を受けて来た。大人しくついて来い」
「なんだとっ、」
男の警告を無視し、ジャミルは剣を構える。
パチパチと空気を弾くような音をさせ、ピカッと光るアークを飛ばしながら、剣は男へと振り下ろされた。
「……バカが」
そのセリフとどちらが早いか、銀髪の悪魔の姿は消える。
一瞬消えたように見えるほど、まるでワープするかのような速さで、悪魔男はジャミルを通り越していた。
ジャミルの腕が、体から離れる。
ボトっ、と音を立てて、その場に落ちた。
「ジャミルくんっ!! ああっ、」
武器屋の入口でおずおずしていた女の子が、目を見張って駆け出した。
今にも泣き出しそうな顔だ。
斬られた上腕のあたりを手で押さえながら片膝をつくジャミルにしがみつく。
銀髪の悪魔男は、ソニアをギロッと睨みつけた。
ソニアは口を半開きにしながら、迷っているようだった。
だが、後ろを振り向いてリックの表情をうかがうと、歯を食いしばって両手で剣を握った。
「……ソニア。やめろ。もういい」
リックは、ソニアに戦闘停止を命じる。
ソニアは、ホッとした表情で剣を収めた。
どうやら、いざこざはこれで収束しそうだった。
アイリスを盾にして、後ろでビクビクしながら事の成り行きを見守っていたエリナとラウル。
「おい、お前たち。お前たちも来い。事情を聞かせてもらう」
男は、アイリスに向かって言う。
「いえ、あたしたちは関係ありません。ここを通りかかっただけで──」
「名は何と言う? お前たちはネクロマンサーか? 飼っているアンデッドはどうした」
「あたしはアイリスです。後ろの二人はエリナとラウル。えーと……いや、あたしたちは、全員ゾンビで──」
「なに?」
男は、アイリスの顔をジロジロと見る。
今日散々やられてきたように、つま先から頭の先まで舐めるように観察されていく。
「バカな。魔素を微塵も──」
「もうそのセリフ、聞き飽きました」
「なんだと?」
「魔力により顕現せし燃えさかる炎よ、我が命により現れよ──灼熱球」
アイリスは、立てた人差し指の先に、小さい火球を出現させる。
その炎を顔に近づけ、術者・レオの魔力漂う紅蓮の瞳を男に見せる。
炎はアイリスの顔を覆っている変装魔法を飛ばし、顔半分くらいが、濃い灰色の肌を露出させていた。
ボケッとした顔で呆気に取られる男。
この反応も、少し見慣れてきた。
アイリスは、炎を消して男へと言う。
「オッケーですか? なら、あたしたちはこれで──」
「待て」
男は、唐突にアイリスの手首を握る。
そのまま、じっと見つめられた。
不意を突かれて、何をされるのかと一瞬怖くなるアイリス。
「なっ、なんですか? まだ何か──」
男は、そのままアイリスの手を引いてアイリスの背中に手を回し、抱き寄せる。
間近でアイリスを見つめる男の顔は、さっきまでの役人めいた事務的な色を消し、柔らかく、見惚れるような顔つきだった。
よく見ると、リュカほどではないとはいえ、かなり整った顔。
アイリスは反射的に顔が熱くなっていた。
「どこに宿をとっている? 今から俺と来ないか。こいつらの処理が終わったら、一緒に食事でもしよう。アンデッド専門のいい店がある、きっと気に入る──」
「待って待って! 突然何を言ってるの?」
今日一で話の流れがわからない展開だった。
しかし、モテたのだということにだけは気づく。
ああ、あたしってやっぱりモテるんだ、罪な女だな……とすぐに自意識過剰な優越感に浸る。
が、このままってわけにもいかない。心を鬼にして、気取って言ってやった。
「残念ですけど、あたし、夫がいるんです。だから──」
「その夫を捨てて、俺のところへ来い」
「はっ!? 何をいきなり──」
「俺はお前が気に入った。必ず幸せにする。後悔はさせない。俺は、市長サルバドールのアンデッドで、名は『ジルベルト』だ。『ジル』と呼んでくれ。お前のネクロマンサーと夫には俺が話をつけてやる。術者をサルバドールに移せ。俺と一緒に──」
「ちょっ……離して!」
アイリスは、男の上半身をグッと手のひらで押して離した。
と──
キャイン、と金属音がした。
どこかで聞いたことがある。
この状況、まるでデジャブのようだ。
まだアイリスの腰のあたりに手を回したままのジルベルトに両手を突いて、逃げるように上半身をのけぞらせ、音のしたほうを見る。
リュカとレオが立っていた。
リュカは、もう一度、剣を石畳の路地に擦らせて音を鳴らす。
「リュカ!!」
「俺の妻を離せ」
「ほう……お前が、『前夫』か。ついさっき、アイリスは俺がもらった。今から俺の妻にする」
男は、まるでリルルのようなことを口走った。
リュカの体から、紅の魔素オーラが蛍のように散る。
うちに秘められていた紅蓮の瞳は表に顔を出し、その輝きはアイリスでもわかるほどに殺気が込められていた。
ジルベルトは、アイリスを離す。
アイリスは、すぐさま駆け出してリュカに抱きついた。
リュカは片手でアイリスを抱きながら、なおもジルベルトを睨みつけて言った。
「それで? 誰が、誰の妻だって?」
「耳が遠いな、赤髪の。お前ごときが俺に敵うと思ってるなら、可哀想に……弱者としか戦ってこなかったんだろうな。来い。身の程を思い知らせてやる」
ジルベルトは、剣を肩に乗せながら、もう一方の手を前へと突き出して「来い」と合図する。
リュカは、自然体で構えていた。
リュカのその様子を目の当たりにしたジルベルトは、呆れたような顔をする。
「ふん……舐めてんのか? その態度は高くつく──」
口上を言い終える前に放たれた斬撃。
斜め上方から振り下ろされたリュカの剣は、気付けばもうジルベルトの頭上へ──。
間合いを的確に読んだジルベルトは僅かに下がり、五センチほどの空間を残してリュカが放った剣先を躱わす。
同時に、ガラ空きのリュカの頭部へ剣を振り下ろした。
が、リュカは剣を振り抜く前に、手先で柄を素早く切り返して疾風の如くジルベルトへと斬り上げる。
両者の放った剣は、高らかに響く硬い音を鳴らしてピタリと止まった。
「やめぃっ!」
場を凍りつかせる覇気が込められた声。
剣を交えていたジルベルトは、力を抜いて自分の剣をリュカの剣から離し、頭を下げながら後ろへと下がった。
二人が戦っていた武器屋から塔のほうへと続く階段のところに、白髪の長い髪と髭が特徴的な凛々しい壮年の男性が立っていた。
貴族だろうと思わせる黒いタキシードを着用しており、おそらく高貴な立場の人物だろうとアイリスは思った。手には、青い宝玉の取り付けられた杖を持っている。
その男性は、低く、腹に響くような声でジルベルトへ問うた。
「ジル。何事か」
「はっ……。サルバドール様、申し訳ございません。つい、遊びに興じてしまいました」
ジルベルトは、また頭を下げる。
どうやら彼は、この街の市長・サルバドールらしい。
アイリスも、リュカに続いて頭を下げる。
リュカと一緒に来ていたレオは礼などせず、チャンバラがひと段落するのを待っていたかのように走り出す。
ジャミルに抱きついておいおい泣くお嬢様のところへと駆け寄った。
ジャミルは、泣きじゃくるティナの頭を、残ったほうの手で撫でて、逆に慰めていた。
「大丈夫だ、ティナ。死にゃあしないさ」
「ああ、でもジャミルくん。腕が……」
落ちていたジャミルの腕を拾ったレオは、その腕をティナに渡しながら二人の会話へ割り込んだ。
「ねえこれ、ちょっと持ってて。君、名前は?」
「私はティナ。……腕を持って、どうするの?」
「くっつける。ちょっと集中力がいるから、黙ってて」
絶望に沈むティナにニコッと微笑んで、レオは気持ちを集中させ始める。
水色の瞳は冷気を纏い、レオの周囲で砂塵が舞う。
レオから少し離れたアイリスでさえ、寒気がするような気配で鳥肌が立った。あのティナという少女は間近にいるのだ。きっと背筋を凍らせているに違いない。
「砕かれ、ちぎれ、斬り刻まれた重器を戻せ──復元せよ!」
ジャミルに抱きつくティナごと覆うような紅蓮の魔法陣。
いくつもの赤い光は石畳の上を素早く走り、一つの図形を描いていく。
描かれていくごとに増大する魔素オーラ。
完成した時には、まるで竜巻のように渦巻き立ち昇る魔法力で、アイリスは三人が見えなくなっていた。
サルバドールとジルベルトは、目の前で唸る魔法力の嵐に、怪訝な顔をしていた。
ファッ、と霧散し跡形もなく魔素は消え去る。
微塵もその気配を残すことなく、魔素は完全消滅していた。
「ああっっっっ!!」
ティナが叫ぶ。
自分の手で支えていなければボトっと地面へ落ちてしまうはずのジャミルの腕が、寸分違わず綺麗に、元の通りに接合されていたのだ。
すぐさま指をグーパーさせて、肘を曲げて、思い通りに動くことをジャミルは確かめる。
「本当かよ……」
鳩が豆鉄砲を喰らったような顔とはまさにこのことだ。
そんな顔をしながら、ジャミルは思わず呟いていた。
驚いていたのはジャミルとティナだけではない。
アイリスもリュカも、まさか、という思いだった。
復元魔法は、壊れる前に掛けておくのが普通だ。壊れる前に形状を記憶させておけば、難易度的にはさほどのものではない。
しかし、壊れてから元に戻すのは難易度が高い。
陶器の壺が割れるように、元に戻す際に一つの形に限定される割れ方をしていればある程度は可能だが、生物の腕のように、複雑かつ軟性があり形状変化を伴うものを正確に復元するのは、困難を極める。
医療手術と同じく、膨大な練習の果てに習得する「卓越した技術」とでもいうべきものが本来は必要なのだ。
「ティナ。ちゃんと動くよ。見た目だって完全に元通りだ」
「うわあああああんっ」
ティナはジャミルに抱き、大声を上げて泣いた。




