ゾンピアの街
ラウルの家へ行ったとき、マルクスから結構な大金を貰ったから、お店の利用は余裕で可能だった。問題は、レオの安全が確保できるかどうかだけなのだ。
アイリスは、店員に質問した。
「中へ入った後は、どんな感じになるんですか?」
「はい。アンデッドと行動を共にしていらっしゃるネクロマンサー様は、通常、体や服にも死臭が付着しております。そのため、まずはお風呂を利用していただきます。その後、私どもがお渡しする専用着に着替えていただき、お食事処へと入場していただきます」
店員は、慣れた調子でスラスラと説明した。
──なるほど。
だから、食事とお風呂はセットな訳か。
「リュカ、どうする?」
「……まあ、いいんじゃないか。いずれにしても、レオが食事にありつくためには店舗を利用するしかないだろう。残飯で凌がせるわけにもいかないからな。……なあ店員、この店舗を利用している間に、客であるネクロマンサーが危険にさらされることはあるのか」
「通常ありませんが、全く無いとも言えませんね」
「それはなぜだ?」
「お客様同士のいざこざには、私どもは関知しませんので」
「この街の治安は、誰が守っている?」
「ゾンピア市長・サルバドール様が直轄する自警団です。もちろん、揉め事が起これば、私どもは自警団へ即時通報いたします」
レオは、父と母を見上げた。
「とりあえず、行ってみるよ。僕だって、そう簡単にやられはしないさ。二人はデートでもしてきたら」
「でも……」
そうは言っても、「ゾンビの街」なんていう得体の知れない街で、一〇歳の我が子を一人にするのは心配でならなかった。
アイリスが迷っていると、リュカが言った。
「レオ、何か起これば合図として派手に魔法を使え。俺は万が一を考えて待機場所に残る。有事の際には、お前の魔法を合図に店内へ突入する。アイリス、お前はエリナたちと一緒に、この街の探索をしてきてくれ。自警団が管理しているなら、ある程度の治安は確保されているはずだ」
「やっほーい!! これで、これからちゃんとしたご飯にありつけるぅーっ」
レオは飛び跳ねて喜んだ。
「突入する」と言われた店員は、少しだけ嫌な顔をした。
「さて。ですがお客様、皆さん死霊秘術師ですか? アンデッドはどこに?」
「えーと。お食事をお願いするのは、この子だけです」
アイリスは、レオの背に手をやった。
レオは、ニンマリしながら興奮した様子だ。
「承知いたしました。しかし、他の方々は、お食事は宜しいので?」
「他はアンデッドですから」
「えっ!?」
店員は飛び上がって驚いた。
「しかし、魔素が……」
「魔素?」
「通常、どのようにうまく変装魔法を掛けたとしても、幾らかは魔素が漏れ出して、魔術かどうかくらいはわかるものなんです。それが──」
「感じませんか?」
「ええ、微塵も……。本当ですか? 変装魔法屋『メタモン』で変装されたのでは? これほど精巧な変装魔法、間違いなくメタモンでしか不可能なはず……しかし、確かにあそこは腕の良い変装屋ですが、さすがに魔素変換率は最高でも九八パーセントほどで、微量の魔素は必ず流れ出るはず……本当に、本当ですか?」
店員は、アイリスやリュカに顔を近付けてジロジロ観察しながら、ブツブツと独り言のように呟く。
全員がリュカを見たが、リュカは腕を組んでソッポを向く。もう腕を切り落とす気はないようだ。
「変装魔法屋? そんなのがあるんですか?」
「ええ、まあ。ただし神出鬼没で、彼を捕まえられたお客さんは幸運ですがね。しかし、ならばいったいどこで? 彼を超える変装魔法を使う魔術師など、今まで生きてきた中で私は一人も知りません」
店員は、依然としてアイリスの体をジロジロ舐めるように見てくる。
リュカの顔が、だんだん変わってきた。たぶん、もうすぐ剣を抜く。
不穏な気配を察したのか、ようやく「観察」をやめた店員。
「コホン。では、こちらへ」
レオを案内して、店内へと入って行った。
リュカは、もう一人の店員が連れて行こうとしたが、リュカは振り返ってアイリスを抱きしめる。
「アイリス。俺がいなくなってものすごく辛いと思う。すまんが、頑張ってくれ」
「うん。こっちこそ、リュカにだけ辛い思いをさせてごめん。レオのこと、よろしく頼むね」
二人は強く抱き合い、いつものようにキスをした。
突然、二人してビクッ! となって、抱き合ったままその場に座り込み、放心したように虚な目になる。
その様子をポカンとした顔で見つめるラウルと、何かを決意したような表情をしながら拳を握りしめ、ラウルを横目で睨みつけるエリナ。
レオは、ルンルンしながら、店内で受付をしている。
対してリュカは、店外から別館へ連れて行かれた。
レオが案内された雰囲気のある洋風の本館とは違い、リュカはまるで倉庫のような佇まいのほったて小屋へ入れられていた。
それを見たアイリスは、なんだかリュカが気の毒になってきた。
「ああ、なんか、リュカがかわいそう。あたしもレオがご飯食べる間、あんな感じのところに入れられちゃうのかな」
「そうですねぇ。ゾンビですからね」
まるで他人事のように言うラウル。
彼はエリナさえいたら他に何もいらないし興味もないのだろう。
「じゃあ、街でも探索に行こっか」
「わぁ。なんか旅行に来たみたいですね! ここってゾンビの街だとは思えないほど、街並みに雰囲気ありますもんねぇ」
エリナは、ラウルの腕に自分の腕を絡めて、キャピキャピした。
歩きながら上空を見ると、建物で切り取られた暗い空に、浮遊術で移動する人たちがかすかに見える。
細い路地はさまざまな明かりに照らされているし、頭上にはいくつも橋がかかっていて、薄暗さも相まって幻想的ですらあった。
最初にこの街に来てから、今のところ一人の通行人ともすれ違っていない。
これだけ大きな街にもかかわらず、あまり人はいないのだろうかとアイリスは思い始める。
不意に、横の路地から誰かが出てきた。
「うわっ!!!」
アイリスは叫びながら飛び上がった。
路地から出てきたのは、ゾンビだったのだ。
ソンビは、見るからにゾンビだった。
アイリスたちはレオのおかげで全員が人間のような風貌だったから、こんなにゾンビしてるゾンビを見るのは正直久しぶりだった。
目は垂れ落ち、肉はドロドロに腐り、「あ゛〜〜」と呻いている。
「びっくりしたぁ……いきなりゾンビが出てくるから!」
ゾンビは、アイリスたちが来た方向へ、フラフラと路地を歩いていった。
「あの人にも、ご主人様はいるんですよねぇ……あんなのを連れて歩く目的は、やっぱ戦わせるため、ってことなのかなぁ?」
「うーん……ってか、あたしたちも、レオがいなかったらああなっていた訳だし」
「そっか。なら、別に好きであのままってわけじゃないってことですね」
「それにしても、あんなに腐ってるのに、そんなに嫌な臭い、しなかったよね」
「よくわかりませんけど、それはたぶん、私たちがゾンビだからだと思います」
今のエリナの話、アイリスはよくわからなかった。
ゾンビは、魔力が作り出す精神作用であらゆる感覚が作動している、とリュカが言っていた。
つまり、人間だった頃の感覚がそのまま引き継がれているはずだとアイリスは思っていたのだ。それが肉体の感覚器によるものか、魔力によるものかの違いだけだ、と。
だとすれば、人間が嗅ぐのと同じように、臭いものは臭いはずだ。
「私も、アイリスたちと出会った頃はそこそこ腐敗が進んでましたが、臭いはしなかったでしょ?」
「確かに。レオは消臭魔法を使っていたから臭いをわからないようにしていたけど、あたしたちは特に何もされていなかったんだ。なのに、腐りかけたエリナの臭いなんて全くわからなかったね」
「どうやら、ゾンビは腐敗臭に鈍感なようですね」
「そっかぁ。上手くできてるね。もし臭いに敏感だったら、自分の臭いで卒倒しちゃうだろうな。どうやら他のゾンビたちは、変装魔法屋にお願いして生前の姿を維持するみたいだけど、『変装魔法屋』っていうくらいだから、きっとお金が要るんだろうね。普通のゾンビは、お金がないと、ああいう姿のまま過ごさなければならないわけだ」
「まあ、さっきの人に自我があったのかすら、ちょっとわからないですけどね」
自我がないゾンビもいる。
いや、記憶によれば、自我がないゾンビのほうが大半だったはずだ。
自分たちは、なぜ自我を得ることができたのだろうか。
アイリスは、そんなことを考えながらゾンビの街を歩いた。




