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暗闇の街へ

 ようやく長い長い橋を渡り切り、ゾンピアの街へ入る。


 街の路地は、さっきまで渡ってきた石橋の倍くらい──だいたい四メートルくらいの道幅だった。 

 二、三階建ての建物が、石畳の通路に隙間なく立ち並ぶ。

 建物も、道も、全てが白や灰色や茶色の石で作られていた。

 坂や階段、渡り廊下のように頭上を通る橋が至る所にあり、街の構造は平面というよりは立体的な様相をていしていた。

 

 街の中央方向には、狭い路地を挟むように立ち並ぶ建物の隙間から、大きな白い塔が見えた。どうやら、この街は中央の塔に向かって登り坂になっているようだ。

 

 頭上を望めば、このゾンピアを囲むようにそびえ立つ山々で、空は円形に切り取られている。

 空がその存在を辛うじて主張してくれるおかげで、上を向きさえすれば、今が日中であることは確認可能だった。


 だが、街には日の光はほとんど届かず、街の外でさえ薄暗かったので、このように狭い路地と立体的な街並みで作られるゾンピアは、昼であっても夜のように暗かった。そのため、あちこちに街灯が設置され、明かりが灯されていた。


 街灯は、頭上に設置されているものから足元に設置されているもの、道に埋め込まれているものなど種類が豊富で、光の色も様々だ。

 至る所に設置されるこのような灯りのおかげで、夜のように暗いとはいえ、見えなくて困るということはなかった。

 アイリスは、こんなにもたくさんの街灯が設置されている街を見たことがなかった。


「この明かり、蝋燭ろうそくなのかな」


 アイリスはふと口にする。

 足元にある、卵色に光るランプをまじまじと覗き込み、光を観察した。


「お母さん、これ、うまくやってるけどたぶん魔術だね」

「……でも、魔素オーラを全く感じないよ?」

「うん。きっと、魔素を一〇〇パーセント灯りに変換してる」


 魔素変換率に関係するのは、術者の「念力」だ。

 レベルの高い魔術師であっても、その念力には限界がある。

 だから、引き出した魔素を一〇〇パーセント目的の用途に変換するのは困難だ。九〇パーセントを越えれば上出来だろう。

 つまり、変換できなかった残りの一〇パーセントほどは、魔素として空気中に放散されることとなる。

 

 今、この魔法灯は、微塵も魔素を感じない。

 それはつまり、余すことなく完璧に魔素を変換された魔術は、魔術かどうかすら見破ることが困難であることを意味していた。


 レオは両手を大きく上げ、ぐーっと背伸びをし、ふああ、と大声を上げた。


「それにしても。……やっと着いたぁ。こんなに歩いたの、初めてじゃないかなぁ」


 ふふふ、とエリナが微笑む。

 

「ねえほら、レオ。見て、あれ」


 エリナが指差したのは、立ち並ぶ街並みの隙間から見える暗い空。

 そこには、人が、浮かびながら移動していた。

 

「浮遊術かぁ。レオにはまだ教えてなかったね」

「そうか! あんなふうに浮かべば、そもそもあんな長い橋を歩く必要なんてなかったんだ!」

「そうなんだけどね。浮かんでる最中はなかなかの魔法流量をずっと引き出し続けないといけないから集中力が必要で結構疲れるし、いくら浮けるからって全然歩かなかったら足腰だって弱っちゃうから、結局、魔術師だって普段はみんな歩くんだよ。ま、今度また教えてあげるから──」


 とアイリスが言うのも耳に入っていない様子で、レオは集中し始める。

 半目のまま、うつろな視線を地面へ落として、じっとしている。

 ピリピリと、レオの体から静電気のように魔素が飛び散っていた。


 魔術師であるアイリスには、レオが何をしているのか良くわかった。

 おそらく、「浮かぶ」という状態を作るために、魔素をどのようにすれば良いのか、イマジネーションを練っているのだ。

 

 本来なら、まだ覚えていない新しい魔術というのは、言われてすぐにパッとできるようなものではない。


 魔術とは、イマジネーション力と念力。

 いきなり「バク宙しろ」と言われてもできないのと同じ。なぜなら、どういう感覚なのか、まるでわからないからだ。


 思い通りに体を動かすには、体のどこに、どのようなタイミングで、どのように力を入れれば良いかを体得しなければならず、それには果てしない練習が必要だ。


 魔術もそれと同じ。その魔術を実現するために必要な「感覚」は当人にとって今まで体験したことのない未知の領域なのだ。

「体を浮かす」などという感覚、浮遊術を使えない者にとってはなかなか理解できないものだから、いくら大量の魔素を呼び出せたとしても、普通はイマジネーション力が追いつかない。

 

 ──ったく、しょうがないなぁ。

 魔術のこととなったら、こいつはほんと、止まらないな。


 しょうがないから、アイリスは息子の自由にさせてやることにした。

 この旅はレオの魔術の勉強も兼ねている、と最初に言ったのはアイリスなのだ。


「レオ。『この世のことわりに逆らい、我を浮かせ──浮遊エオリス』、だよ」

「サンキュ」


 レオは、相変わらず気取った笑顔を母親に向け、それから目をつむる。

 大きく息を吸い込み、ゆっくりと吐き──。

 目を開けた時には、「魔導モード」に入っていた。


 レオの周りの空気が気配を変える。

 石畳の道から塵がフワッと浮き上がる。

 水色の瞳が、どんどん寒気のするような冷気を秘めていく。


「この世のことわりに逆らい、我を浮かせ──浮遊エオリス!」


 いくつもの光が踊り、レオの足元に、紅蓮の魔法陣が描かれていく。

 描き終わったとき、魔法陣はレオのイマジネーション力と念力を受けて一層明るく輝いた。


 レオの足元が、地面から離れていく。


 最初は氷の上で立っているかのようにフラフラして、ともすればズルッとズッコケてしまいそうなほど不安定だった。

 が、集中しながら具合を調整していくうち、安定して宙に固定できるようになってきたようだ。

 ものの一分もしないうちに、レオはうまくバランスをとりながら建物の二階くらいまで浮き上がったり、そのまま水平移動したりと、ほぼ自由に空中を動けるようになった。


 エリナとラウルは、わぁ、と歓声を上げながらレオに手を振る。レオも、空中から見下ろして楽しそうに手を振った。


 初めての魔術を、一度目で成功させた。

 だけど、もうこんなことくらいでは驚かないアイリスは、腰に手を当てて我が子が飛び回る様を見守っていた。

 リュカはアイリスの横に立ち、肩を抱く。


「あんなふうに飛べちゃったら、あいつきっと歩かなくなると思って、あたし、教えるのを控えてたんだけどね」

「レオならどうせ、自分で調べてすぐに使えるようになっていたさ」

「そうだね。でも、ますます体を使わなくなっちゃうなぁ。あなたを超える当代随一の剣士になる、ってのは、ちょっと無理かも」


 アイリスは、はあ、とため息をつく。


「俺だって、もう、そんなことを望んではいないさ」

「そうなの? あたしは、お父さんを尊敬する好青年に育って欲しいけど」

「尊敬させるのは俺の務めだな。だが、あいつが目指すものは、やはりあいつ自身が決めるべきだ」

「……そうだね」


 アイリスがリュカを見上げると、昔からリュカは、いつも優しい顔をしてくれる。そのままいつものように、ちゅ、とキスをする。

 目ざとく二人を見ていたエリナとラウルは、それから二人で見つめ合い、自分たちも同じようにした。


 と。


 ラウルとキスをしていたエリナが、唐突に地面にへたり込む。

 放心したように、その場でクラクラしていた。

 ラウルは、「大丈夫?」とか言いながらエリナに手を差し出している。

 

 浮遊していたレオは、颯爽と地面に降りてきた。


「行くよ! モタモタしてると置いてくからな!」

「あっ、待ってよレオ! 道もわからないのに……」


 アイリスは、レオの横に並んで歩く。

 横目で顔をチラッと見ると、レオは、また不機嫌になっていた。


 大好きなエリナがラウルとキスをするところを何回も見せつけられるからだろうか。

 そのエリナとラウルは、アイリスとリュカに触発されてイチャイチャする。

 なんか悪いことをしちゃってるかな、とアイリスは反省しつつ……。


 それでも、リュカへの愛情表現は控えるつもりはなかった。

 なぜなら、愛情表現を控えた瞬間、アイリスはリュカから一晩中お仕置きの刑に処されるからだ。


 リュカは、アイリスと体を重ねるうち、初めて出会った時よりもどんどん過激になっていった。

 束縛具合は半端ない。アイリスとピッタリ趣味趣向が合うので良いものの、気を抜けばとんでもないことになってしまう。


 思うだけでできる(・・・)ゾンビが一晩中すると一体どうなるのか、興味が湧いてワクワクしちゃうけど、いくらゾンビといえど一晩中は疲れるに違いない。

 とりあえず、当面はお仕置きを受けちゃわないように気をつけよう、とアイリスは心に誓った。

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