罠
いつもは大臣や上級官職の妻子たちを中心として開催されているお茶会。
その開催場所は、国王や大臣たちが住居を構えるロイヤルフロアのお茶室だ。
アイリスたちは、アルテリア王国宰相アイザック・ローズからここへ招待されていた。
お茶室は二〇人ほどが着座できる円卓が一つ入る程度の広さだったが、飾り付けは豪華で、宰相や国王の部屋へと続く廊下と遜色ないレベルの装飾が施されていた。
開催時刻は、夕食が終わって家族の団らんも済み、そろそろ寝る準備でも始めようかというニ一時。
宰相に待たされ、当初より遅い時間帯の開催となってしまったのだった。
今、この円卓には、宰相夫妻とアレックス、ゴードン夫妻とアイリスだけが座っている。
ローズ家とアルフォード家は、三人ずつ固まって、テーブルを挟んで対極に位置して座っており、お付きの聖騎士連中は、全員がその真後ろの壁際に立っていた。
「公務が重なっておったゆえ、このような時刻になって申し訳ない。さあ、今日は良いお茶が入ったんだ。大臣、紅茶はお好きでしたな」
「ええ、宰相閣下が特別に仕入れてくださったとは、それはそれは貴重なものでしょうな」
ははは、と社交辞令の笑みが交わされる。
アイザックとゴードン、マリアは笑顔で応対していたが、宰相の妻・アシュリーとアレックスだけは憎悪に満ちた目つきをしていた。
そんな中、アイリスはどんな顔をしていいかわからず、表情を固くする。
「これ。お前たち、いい加減にそのような顔をするのはやめなさい。大臣に失礼だ」
「……はい」
小さな声で返答するアシュリー。
アレックスは、それでも無言で、壁際のリュカを睨みつけていた。
「私の妻と息子が大変失礼した。気を悪くなさらぬようにな」
「いえ」
「時に大臣、アイリス嬢はアレックスとお付き合いをされていたかと思うが……」
アイザックは、ゴードンへは目線を向けず、メイドがティーカップへ紅茶を注ぐのを眺めながら言った。
「…………」
「二人は、仲良くやっているかな?」
「それが。どうやら二人はうまくいかなかったようで」
「ほう。誰か、気になる殿方でもできたか」
ゴードンはアイザックの表情をうかがいながら無言だ。
アイザックは、とうとうゴードンへ視線を向けた。
「それは、アレックスと付き合いをしているのにもかかわらず、ということか?」
「……おっしゃる通りです」
「ご令嬢のほうからそのようになさったなら、信義のかけらもない行いだと言わざるを得ないのではないかなぁ。いくら子供同士のこととはいえ、アレックスはひどく傷付いているだろうしなぁ。なあ、アレックス。子の不始末は親の責任と言えるであろう」
アレックスは、依然としてリュカを睨みながら小さく頷いた。
「ま、待って。お待ちください、宰相閣下。あたしが……」
「アイリス。お前は黙っていなさい」
「お父さん……」
「おっしゃる通りです閣下。すべての責任は私にあります」
「潔い。私は大臣のそういうところが好きだよ。ただ、アレックスからは、二人は結婚の約束までしていたと聞いている。それを破棄したとなると、事は単なる痴情のもつれでは済まないが」
アイリスは、開いた口が塞がらない。
目を見開き、今度はアイリスがアレックスを睨みつけた。
アレックスは、アイリスの視線は無視し、リュカだけを睨んでいた。
ゴードンは平然とした顔でアイリスへと問い掛ける。
「そうですか。アイリス、それは本当か?」
「いえ。違います!」
アイリスは、机に手をついて立ち上がった。
目の前にあったお茶のカップが音を立てて揺れる。
「だそうです」
「アレックスがそう言っておるのだ」
「アイリスは違うと申しております」
ゴードンは、一切の感情を見せる事なく穏やかな表情でアイザックと視線を交わす。
「困ったなあ。こちらには証人もいるのだがなあ」
「証人!?」
あまりにも意味不明なことを言われ続けたせいで、アイリスはつい礼儀を忘れる。
行き先のわからなくなった会話に混乱した。全ての元凶がアレックスであるかのような目をして彼を睨んだ。
ゴードンがアイリスをたしなめる。
「アイリス。わきまえなさい」
「良い良い。なあ、カシー。君は、二人が会話しているところを聞いたんだったな?」
アイザックは手を挙げてゴードンをなだめ、紅茶を淹れていたメイドへと問い掛ける。
メイドは、姿勢を正してアイザックへ答えた。
「はい、その通りです。確かに私は、アイリス様が、アレックス様と約束されている場面に居合わせました」
「嘘よ!!!」
こともなげに言うメイドに、アイリスは青ざめながら叫んでいた。
「それはさすがに醜い言い訳ではないか、ご令嬢。第三者がこのように申しておるのだ」
「何を……」
「大臣の娘ともあろう者が、信義のなんたるかも弁えずにフラフラと男遊びに溺れて良いものではなかろうが。大臣、ご令嬢の責任は、そなたが──」
「お待ちください!」
リュカが大声を出した。
その場にいた全員が、声を発したリュカへと向き直る。
アレックスの目が、燃えるような憎しみを宿した。
「大臣のご令嬢の相手は、この私です。この私が、ご令嬢を誘惑しました。すべての責任は、私にあります」
「ダメ! リュカ、」
「ほう!!」
アイザックの声が、高く、大きくなる。
口元を引き上げ、罠にかかった獣を見るようにニヤけた。
ポーターとニールが前に出る。
「お待ちください閣下! この者はまだ聖騎士になって間もなく、右も左もわからぬ中で──」
「黙れ。聖騎士風情が宰相の息子と婚約した女性に手を出すとは、それが一体どのような罪になるかわかって申しておるのだろうな?」
──ダメだ、ダメだ、ダメだ!!!
このままじゃ、リュカは……
呼吸が、どんどん苦しくなっていく。
アイリスは、胸を鷲掴んで喘いだ。
「お父さん。僕、あいつのこと許さないよ。処刑してよ」
アイリスは、目を見開いた。
アレックスが言い放ったこの一言で理性が消し飛んだ。
何をおいても、絶対に許しておけない言葉だった。
気が付けば──
「そうだな。それが良い。いや、むしろそのくらいの罰も受けんのじゃぁ、丸く収まらんな、大臣。それが良──」
「燃え盛る炎よ──」
アイリスの足元に、鮮やかな青色に輝く魔法陣が現れる。
アレックスへと向けた指先に、紅蓮の炎がチラついた。
この時、確かにアイリスは思っていた。
殺してやる……と。
目を剥いて驚いたアレックスは椅子をガタつかせて後ずさる。
ゴードンは叫んだ。
「やめろ! アイリス、何をやってる!」
「敵を焼き尽くせ──」
殺害対象を見据えるアイリスの後ろから、リュカが抱きついた。
「やめろ。アイリス、大丈夫だ。俺は大丈夫」
アイリスは炎を消した。
灼熱球を出そうとしていた手で、後ろから抱きつくリュカの腕をキュッと握る。
「ダメだよ……あいつは宰相なんだ。あいつが殺すって言ったら、絶対だよ」
どうしていいかわからなくなった。
こんなふうに、理性を飛ばされるほどの怒りに塗れた経験はこれまで一度もなかった。
今まで、人を殺すことなど最低だと罵ってきたのだ。
リュカを殺されそうになったことも、殺意を持ったことも、何もかもに混乱していた。
「ははははは! 言葉遣いはメイドより酷いが、宣った内容はその通り、真実である! 城内警備の聖騎士と魔術師を呼べ! 六人とも牢へ入れておけ!!」
ゴードンはアイリスの横に立ち、ここで初めて、怒りを込めた視線をアイザックへと向ける。
アイザックは愉快そうに笑っていた。




