百点の彼氏
人混みはすぐに流れ始め、アレックスは人混みに紛れる。
「殺してやる」という気持ちが込められたかのような、背筋を冷たくする視線はすぐに見えなくなり、憎悪に塗れた瞳がまるで幻であったかのように錯覚させた。
傷つけてしまったことには胸が痛んだが、リュカと顔を見合わせると、そんなことはすぐに吹き飛んだ。
リュカに抱きつき、白銀の鎧に体を預ける。
すぐに顔をあげ、彼の表情を見て、微笑んでいることを確認した。
手を繋ぎながら、お城への道を戻る。
誰に見られるとか、そんなことは気にならなかった。
家に帰ると、もう夕食の時間だった。
聖騎士も含めて食卓を囲み、アイリスは何事もなかったかのように振る舞った。
でも、どうしても視線は動く。
アイリスがリュカを見た時、彼とは必ず視線が合った。
視線が合ったのにそのまま外したりしたくなくて、アイリスとリュカはその度に微笑んだ。
ゴードンはバクバクと飯を食べていたが、マリアは上目遣いで二人の様子を見ていた。
夕食が終わって、リュカはお風呂に入っていた。
お風呂が終われば、彼は玄関から出て行ってしまう。
もっと、ずっと一緒に居たくなっていた。
一晩中、彼の肌に触れていたかった。
──寝室に呼ぼうか?
いや、今日の今日、互いの気持ちを確認し合ったばっかりだし。早すぎるかなぁ。
でも、こんな気持ちになったのは初めてなんだよな……。
いつの間に、こんなふうになっちゃったんだろう?
アレックスといる時に、こんな気持ちになることなんてなかった。今までの彼氏だってそうだ。
……もう! どうしていいか、わかんないっ!
食卓に両肘をついて両手で頭をガシガシするアイリスの背中に、マリアがそっと手を添える。
マリアは、アイリスの横に座った。
「……お母さん」
「自分の気持ちに、忠実に生きなさい」
「え?」
「お父さんが言ったでしょう。もうすぐ戦争が始まるの。戦争が始まれば、彼は戦場へ行くでしょう。それは、明日にでも──いや、今夜にでも、始まってしまうかもしれない」
「…………」
「後悔の無いようにしなさい。アイリス」
「……はい」
母の様子は、いつものフワフワした感じではなかった。
その忠言に、従うべきだと思った。
──でも。
リュカは、今、どういう気持ちなんだろう。
早すぎたりしないだろうか?
失敗したくない。この関係を大事にしたい。軽い女だと思われたくない。
後悔の無いように……か。
リュカが、お風呂から出てきた。
マリアはアイリスに笑顔を向けてから、夫婦の部屋へと戻っていった。
アイリスは、心臓の音が聞こえるほど──いや、心臓の音しか聞こえないほど、鼓動が踊っていた。
「ふう。さっぱりしたよ。こんな護衛生活ができるなんて、思ってなかったよ」
「うん……」
リュカは微笑みながら髪を拭く。
が、アイリスの様子がおかしいと思ったのか。
アイリスに近寄り、抱きしめた。
ボディソープの匂いがふわっとアイリスを包む。
昼間の鎧状態ではわからなかった、リュカの胸板を肌で感じる。
リュカはアイリスの髪を撫で、おでこにキスをした。
間近で見つめ合い、口付けを交わす。
「どうした?」
「うん……」
──うんうんばっかり言ってちゃダメだよ。
どうしよう。どうしよう。
行っちゃう。このままだと、リュカが。
「……寝室に、来てほしい」
唾液を飲み込んだ音が部屋中に響き渡ったかのように感じた。
目線を逸らし、無意識に息を止めていた。
まるで審判の時を待つかのような気持ちで、何度か瞬きをする。
アイリスが顔を上げようとした時、リュカはもう一度アイリスをギュッと抱きしめた。
その力は、今までより強かった。
きっと、それが彼なりの愛の表現なのだと思った。
見つめ合い、またキスをする。
リュカは、玄関の外にいるニールに一言だけ話しに行き、すぐに戻ってきた。
二人は、アイリスの寝室に入る。
ドキドキしたが、嬉しさと幸福感が上回った。
いつの間にか大好きになっていた彼と、朝まで一緒にいられるのだから。
◾️ ◾️ ◾️
朝になり、窓から差し込む陽の光で目が覚める。
ハッとし、アイリスはベッドの横を確認する。
リュカは、スースーと寝息を立てていた。
ずっと玄関前の廊下に座り込みながら仮眠していたのだ。疲れていないわけがなかった。
アイリスは、こちらを向いて眠るリュカの顔をまじまじと観察する。
こうして見ると、一五歳だと言われても信じられないくらい幼い、まるで天使のような寝顔。
長いまつ毛はアイリスが嫉妬するくらいだ。きめ細かな肌も、剣士だとは思えないほどに綺麗。
しかし、そっと布団をめくって体を見ると、魔術師や貴族ではあり得ないほどに筋肉がついた、引き締まった傷だらけの体。顔と体のギャップがものすごいのだ。そこがまたキュンキュンさせられる。
たまらずキスをし、抱きしめる。
男の子と裸同士で抱き合うなど、前夜が初めての経験だったのだ。
その温かさで幸せ感いっぱいになり、つい全力で抱き潰したくなってしまう。
「おはよ」
リュカが目を覚まして言った。
彼はアイリスの胸に顔を埋めて言ったので、口が密着された胸がこそばゆい。
だから、
「おっはよ──っ!」
と声をあげて、ギュッと強く抱きしめる。
すると、逆に強く抱きしめ返してくるリュカ。
わー、待って待って、と騒いでやった。
体を離し、見つめ合って、それから、フッと微笑んで、互いにおでこを引っ付けた。
「俺、全然、護衛してないな」
「一番近くで、護ってる」
ふふふ、と笑い合って、またおでこを引っ付けた。
朝食の用意ができている食卓へ、二人揃って寝室から現れるアイリスとリュカ。
部屋を出る時、リュカは、ゴードンに殺されても文句は言わない、と言っていた。きっと大丈夫だよ、とアイリスはそれに返した。
とはいえ、すでに食卓に座っていたゴードンとマリアにどんな顔をすればいいか、アイリスは困った。同じ頃にやってきたニールはニタニタしている。
アイリスとリュカは、二人並んで席についた。
給仕のメイドが料理を配膳している間、マリアも微笑ましそうにしながら二人を眺めていたが、ゴードンはムスッとしていた。
リュカはまともにゴードンとマリアを見ることができず、バツが悪そうにしていた。
マリアはゴードンを肘で突く。
「ほら。あなた、昨日言ったでしょう」
「わかってる。でも、まだ一五歳だぞ……」
「年齢は関係ありません。というか、あなた、私を初めて抱いたとき、私が何歳だったか覚えてるの?」
「えーと。一六だったな。一歳違う」
「一緒でしょ、そんなの! ほら、娘が選んだ相手に、ちゃんとお話ししてあげて」
どちらかというと、ゴードンのほうがバツが悪そうだった。
後ろ頭をかきながら、ゴードンはチラチラとリュカを見る。
リュカは、椅子に座りながら、膝の上に両手を置いてガチガチになっていた。
「えーと。リュカ、だったな。娘のことを──アイリスのことを、どう思ってるんだ?」
アイリスは、隣に座るリュカの顔へ、恐る恐る目を向ける。
ゴードンの一言で、リュカの顔からは緊張が消え去っていた。
まっすぐにゴードンを見据え、迷いなく答える。
「命に代えて、護り抜きます。聖騎士としてではなく、一人の男として」
胸の奥が、ボワっと燃えた。
この場所に、彼しかいないかのように見つめた。
リュカは、そんなアイリスのほうを向いて微笑む。
マリアは、両手を胸の前で合わせて言った。
「百点じゃない?」
「……だな。ちなみに、私の時はどうだった?」
「うーん。八〇点くらいかしらね」
マリアの返答に、ゴードンは苦い顔をした。




