信念
リュカが護衛についてから、初めてのお昼になった。
食事は、アルフォード家の食卓室へ、王宮調理師が作った料理を給仕人が運んでくる。
左右に分かれれば二〇人は座れそうなほど長い食卓に料理が並べられている。
アイリスが来た時には、ゴードンとマリアが既に席についていた。
そこには聖騎士たちはいない。
アイリスは、単純に疑問に思い、ゴードンに尋ねた。
「リュカ──いや、聖騎士たちは?」
「王宮調理師が、彼らにも昼食を持ってきているそうだよ」
「でも、ここには置かれてないじゃない」
「彼らは、食事の時も玄関の前で警備するそうだ
「……ふーん」
アイリスは席を立つ。
おもむろに玄関へと向かい、扉をガチャっと開けた。
ニールとリュカは、廊下で立ったまま壁に背もたれて、パンをかじっていた。
彼らは、頭以外は銀色に輝くプレートアーマーを着装していた。
「……何してんの?」
「飯だよ、見てわかんねぇか」
「おっ、おい、リュカ、大臣のお嬢様だぞ! いい加減に……」
「いいんすよ、こいつにはこれで」
ニールはどうやらリュカの先輩のようだったが、リュカは構わずアイリスにズカズカと言う。
リュカのダルそうな物言いにオロオロするニールは、リュカとアイリスへ交互に目線を移した。
アイリスはムカっとして、扉を力いっぱいに強く閉めてやろうかと思ったが、閉める直前で思いとどまった。
──夕食はどうするんだろう。
それに、休憩は? お風呂は? まあお風呂なんて毎日入る必要はないにしても、いつまでこれを続けるの。
まあ、あんな人殺しがどうなろうとあたしの知ったことじゃないけど。
「あなたたち、明日の朝までここでこうしてるつもりなの?」
「はあ? 当たり前だろ。いなくなったら警護にならないだろ。明日どころか、警備を解除されるまでずっとだ」
「お風呂も行かないの?」
「ここで体を拭く」
「夕ご飯は?」
「今と一緒だ」
「そんなのばかりじゃ、栄養が取れないよ」
「お前が気にすることじゃない。構うな」
「休憩は?」
「あるかぁ、そんなもん」
「……何時間かで交代したりはしないの?」
「当たり前だ。お前の警護は俺が任されているんだ」
そう言われれば、これ以上の言葉は出ない。
「でも、それでいいの? そんなの、健康を害しちゃうよ」
「だから言ったろ。俺は今、罰を受けてんだよ」
「…………!」
アイリスは、今度こそ、力一杯に扉を閉めてやった。
ばあん、と大きな音が響く。
食卓に戻ると、ゴードンがびっくりしていた。
「なんだなんだ、どうした?」
「なんでもないっ」
明らかに怒っている娘の顔を見て、ゴードンはマリアと顔を見合わせる。
マリアは、澄ました顔でニコニコしていた。
ゴードンは、両手の手のひらを上に向けて肩をすくめる。
「さっぱりわからん」
「ま、若者同士は色々あるんですよ」
「ないっっ!!」
アイリスの恫喝でビクッとするゴードン。
フワフワしながら言うマリアが妙な誤解をしていそうなので、アイリスは断固として訂正しておいた。
次の日になっても、リュカとニールは、同じように玄関の前で立っていた。
アイリスは玄関扉を開け、その事実を確認して少しだけ気の毒になってしまった。
「ねえ。どうやって寝たの」
「ここで座って、二人で交代してだ」
こちらを見もしないで回答するリュカにムッとしながらも、何かモヤモヤする。
家に戻り、ゴードンとマリアに提案した。
「あの人たち、ご飯くらい、ここで食べさせてあげたらどう? あたしは別にあんな奴らがどうなろうが関係ないんだけどね、これだとちょっと可哀想な気がするし。まあご飯はまだしも、お風呂と仮眠くらい、家の中を使わせてあげたら? 護衛的にも問題ないんじゃない」
「私も、それがいいと思います」
「だけどなぁ……私もそれでいいんだが、聖騎士連中は頑固だからな。一度言ってみるが」
ゴードンは、玄関のほうへ歩いていく。
そんなに時間も経っていないのに、すぐに帰ってきた。
「ダメだそうだ。聖騎士団長の命により『玄関扉の前で警護せよ』となっているから、と言って聞かない」
アイリスは、だんだんイライラしてきた。
──あの団長、子供っぽい顔でいつもニコニコしているくせに、部下を人間だと思っていないんじゃないか?
聖騎士だって人間なんだ。ご飯も食べるし、お風呂も行くし、トイレだってする。
よくわからない理屈を、あたしたちに押し付けないでほしい。
……そうだ。きっと、あたしが聖騎士を嫌いなのは、人を殺す時も、こういう訳のわからない理屈を持ち出すからなんだ。理屈を持ち出せば、殺していい訳じゃないのに。
なんか、こういう一つ一つのことが、諸悪の根源のように思えてきた。
よぉし……もう、こうなったら。
アイリスは、決意を固めたような顔でまた玄関へツカツカ歩いて行く。
それを温かく見守るマリアと、眉間にシワを寄せて不安そうに見つめるゴードン。
玄関ドアをばあん、と開け放つ。
びっくりした聖騎士二人が、一斉にアイリスを見た。
「これから、聖騎士団長カイルに異議を申し立ててくる。あなたたちに人間らしい生活をさせるよう、取り合ってくる」
「ちょ……待て待て、何を言っている?」
リュカが初めて慌てた。
アイリスは、こんなリュカを初めて見た。
なので、ちょっとだけ嬉しかった。
最初からここで引き下がる気など毛頭なかったが、彼の驚いた顔を見て、余計に突き進む意欲が湧いてきた。
「こんなの、間違ってる! あなたたちはロボットじゃない。こういうの、あたし嫌いなの。止めても無駄だから」
カイルは、自分の言うことを取り合ってくれるだろうか。
でも、納得いかないのだから言うしかない!
拳を握りしめながら颯爽と歩き出すアイリスの手を、リュカが掴んだ。
引き寄せられ、意図せずリュカに体を預ける形になる。
ほんの二〇センチほどしか離れていないリュカの瞳に見つめられる。
吸い込まれそうなほどに美しい瞳。
いつも付き合いをするのは香水の匂いで包まれている貴族や大臣の家族たち。
聖騎士の体からは、男くさい、汗の匂いがした。
なのに、不思議なことに、掴まれた手も、密着するほどに近付かれた体も、振り払う気持ちにはならなかった。
「やめてくれ。俺たちは大丈夫だ」
悲しそうな顔をされた。
彼らのためにしようとしたのだ。
そのほうが、待遇が良くなるに決まっているのに。
「どうして? こんなの、間違って──」
「俺たちが、望むんだ。命令に従うことを。そのためなら、命だって惜しくはない」
まっすぐに、迷いなく見つめる瞳。
その瞳を見るだけで、アイリスは、彼の覚悟が伝わった気がした。
──この男の子……リュカだって、あたしと同じくらいの年齢だ。
それが、こんなふうに、命をまるでゴミのように、価値の無いもののように扱う。
他人の命だけじゃなかった。
彼は、お母さんの言うとおり、自分の命すら投げ出す覚悟なんだ。
どうして、そこまで?
アイリスは、目の前の少年が一心に守ろうとしているものに儚さを覚え、居てもたってもいられなくなった。
「……でも」
視線をウロウロさせる。
彼を説得する言葉がないか、まだ考えていた。
ふと、手を握られたままだったことに気づく。
アイリスはハッとして、リュカを振り払った。
バクバクする心臓が、どういう理由でこうなったのか、アイリスにはわからない。
早く答えが欲しかった。
迷いながらリュカへとチラチラ目線をやると、リュカにもまた、モジモジしたような様子が見受けられた。
「……なによ? 何度も言うけど、言いたいことがあるならはっきり言いなさい」
「もし、許してもらえるなら」
「もらえるなら?」
「トイレだけ、貸してもらえると助かる」
リュカは、ニールと顔を見合わせて小さく頷く。
アイリスは眉を引き上げ、それを返答の代わりとした。




