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護衛

 アレックスとお出掛けを続ける気分ではなかった。

 そもそも、リュカを前にしたアレックスは一歩たりとも動けず、アイリスをリュカという暴漢から護ろうともしなかった。

 ただただ呆然とするアレックスを、アイリスは強引に手を引いてお城へ連れて帰ったのだった。 


 お城に戻っても、騎士の目つきが頭から離れなかった。

 剥き出しの殺意にさらされたアイリスは、まだ寒気が引いていなかった。


 何かが溢れそうになるのを必死でこらえながら、家へと急ぐ。

 玄関扉を開け、家へ入ると、父のゴードンも、母のマリアもいた。


「おい! こら、アイリス──」


 呼び止めるゴードンの声を無視して、自分の部屋へ一直線。

 ベッドに突っ伏す。

 布団を掴んで、声を押し殺して泣いた。

 

 コンコン、と扉を叩く音がする。

 アイリスは返事をしなかったが、マリアの声が聞こえた。


「アイリス? 入っても、いい?」

 

 これにも返事をせずにいると、マリアはドアを静かに開けて部屋へ入ってきた。

 魔法灯もつけていない暗い部屋の中、アイリスの背にそっと手をやり、それから髪を撫でる。


「何かあったの?」

「……なんでもない」


 娘が泣いているのに気付き、後ろから包み込むように抱きしめるマリア。

 マリアは、そのまま何も言わなかった。

 安心したのか、次から次へと涙が溢れ出た。

 しばらく、何も言われずにそのままにした。

 このまま黙っていてもしょうがないな、と思ったアイリスは、顔を上げる。


「なんでもないよ。もう、大丈夫」


 扉の入口から顔を覗かせ、心配そうに中の様子を探るゴードンの顔が見える。

 どうやら、アイリスの様子がおかしいのでそれが心配で門限を破ったことは怒れずにいるようだ。

 それだけはちょっとラッキーだな、と思いながら、アイリスはマリアに抱かれつつ部屋を出た。


 マリアはアイリスの横につき、テーブルの席に座る。向かいには、ゴードンが座った。

 マリアは、暖かい紅茶を淹れてくれた。

 熱い紅茶の上澄みを静かにすする。

 少しづつ、気持ちは少し落ち着いた。


「アイリス。ご飯はまだだろう。先に食べるか?」

「ううん。今はいい。『先に』って?」

「ああ、お前に話がある。明日のことでな」


 ゴードンは、改まって背筋を伸ばす。


「もうすぐ、我がアルテリア王国は隣国のイストリア王国と戦争になる。だが、今はまだ前段階だ。こちらから敵国へ間者を忍ばせているところ。それはつまり、敵国からも同様に刺客が送り込まれてくることを意味する。万が一を考え、大臣級の要職者とその家族には、護衛として一人につき一名の聖騎士がつくことになった。明日、我々を担当する聖騎士と顔合わせをする予定なんだ。聖騎士団長がここへ連れてくる。アイリス、お前も立ち合いなさい」


 特に興味もないことだったが、国の決定に逆らうことなどあり得ない。

 アイリスは、無言で小さく頷いた。



◾️ ◾️ ◾️



 翌朝、ゴードンとマリアは早くに起きて朝食を済ませていたが、アイリスは昨日の疲れが出たのか死んだようにぐっすり眠ってしまった。

 なので、今、遅めの朝食をとりながら紅茶をすすっているところだった。


 食事が終わると、給仕のメイドが食器を片付けるのを見ながら、食堂をウロウロする。

 用もないのに食堂と自分の部屋を行ったり来たりする。

 何度もトイレに行った。

 ソワソワして、アイリスは落ち着かなかった。


 一〇時には、聖騎士団長が訪ねてくる予定だった。

 あと三〇分くらいだ。

 護衛などどうでも良いと思っていたが、よく考えてみたら、自分の行く先々へ、自分付きの聖騎士が常に張り付いてくるのだ。


 部屋で過ごしている時は、どうするのだろう?

 ご飯を食べるときは?

 お風呂へ行くときは?


 そういった詳細を、アイリスは何も聞かされていない。

 いや、仮に聞かされていたところで、変更できるものでもない。

 命令なのだ。従う他、道はない。

 

 自由気ままに城を抜け出したりすることは、もうできないだろう。

 その聖騎士について来てもらったら抜け出すことは可能かもしれないが、それがデートだったりした場合には、雰囲気ぶち壊しだ。


 あーあ、と心のうちに溜まったモヤモヤを声にして吐き出す。

 マリアが微笑んだ。


「なぁに?」

「いーえ。なんでもありませーん。お母さんはさ、嫌じゃないの?」

「あら、何が?」

「何がって。聖騎士だよ」

「かっこいいじゃない。若い聖騎士さんがずっとそばにいてくれるなんて、私、夫一筋を貫けるか心配なくらいだけど」


 ふふふ、とフワフワした感じで言う母。

 セミロングでカールした金色の髪をフワッと揺らし、アイリスと同じ澄んだ水色の瞳を向けてくる。

 母は、こんなふうにいっつもフワフワしているのだ。もっとキリッとしてほしいとアイリスは普段から思っていた。


「あたしは聖騎士なんて嫌い。どうせだったら魔術師に護衛してもらいたかったなぁ。だって、人を斬って殺す仕事だよ? しかも、あいつらは好き好んで殺すんだ。喜んで人を殺す奴らなんて、人間として最低だよ」


 口に出すと尚更そう思えてくる。

 昨日、自分のことを殺気走った目で睨んできた騎士のことが思い浮かぶ。

 あんな奴、どうやって好きになれってんだ、と心の中で毒づく。

 アイリスは食卓に頬杖をつきながら、険しい顔で紅茶を飲んだ。


「どうでしょうね。そんな人も、いるのかもしれないけど。でも、人を殺す聖騎士は、自分が殺されることも覚悟しているでしょう?」

「だから? それなら人を斬り殺してもいいっての?」

「そうじゃないけどね。それなりの覚悟がないと、できないんじゃないかなあ、って思って。ふふ」


 何がそんなにおかしいの、とイライラしながらアイリスは残りの紅茶を流し込んだ。

  

「おい、聖騎士団長が来たぞ」


 ゴードンが、マリアとアイリスを呼びに来た。

 ソファーのある応接の間へ入ると、すでに聖騎士団長と三人の聖騎士が部屋へ案内されていた。


 アイリスは、四人の聖騎士へ順に目をせる。

 一度視線が通り過ぎた男を慌てて二度見し──。

 アイリスは、指をさして叫んだ。


「あ────っっ!!!」


 聖騎士団長とその他二名には目もくれず。

 アイリスは、一際美貌の目立つ、真紅の髪の、黄金色の瞳をした聖騎士を呆然と見つめる。


 昨日、殺人を犯し、アイリスを殺気立った目で睨みつけた当事者。

 アレックスの前で自分のことを泣かした男。

 下賤な騎士だと思っていたのに。

 まさか聖騎士だったとは想像もしていなかったのだ。

 アイリスは、その聖騎士へ指をさしたまま口をパクパクさせ、目を見開いていた。

 ゴードンは、目をぱちくりさせる。

 

「なんだ? お前たち、知り合いなのか?」

「いやっ……その」

「じゃあ順に紹介しよう。カイル聖騎士団長はもう知っているな?」


 ゴードンは、まず最初に聖騎士団長を紹介した。

 アイリスも、もちろん何度も会ったことがある。

 少年のように背が小さく、愛嬌のある童顔で、ミディアムの金髪をしている。

 ブラウンの瞳をしていて、特になんの変哲もない、見た目はどこにでもいそうな平凡な青年だ。

 

 アイリスが敬愛する魔術師団長アレクシアは、類稀なる美貌を持った美しいお姉様で、その魔力も人並みはずれている。

 彼女は魔術師団長に相応しい容姿と実力を持ち合わせていたから、アイリスにとってカイルとの差は余計に目立って見えた。

「聖騎士団長」とは、この国の全ての兵士を取り仕切る最高責任者と言ってもいい。

 軍務大臣の次に偉い要職者。なのに、こんな人がなぜ団長なのか、と常々思っていた。


 ゴードンから紹介されたカイルは、聖騎士らしからぬニコニコとした柔らかい表情で、手を前に振って礼をした。


「大臣、奥様、お嬢様のことは、この三名が護衛いたします。まず、ポーター聖騎士長。こちらは聖騎士歴一〇年を超えるベテランです。彼は魔導大臣を護衛いたします」

「よろしく頼む」

「はい! お任せください」


 ポーターは、カイルと同じように礼をしながら、元気よく答えた。


「次はニール聖騎士。彼も、五年以上勤めている有能な聖騎士です。彼は奥方様の護衛を」


 ニールもまた、優雅に手を前へ振り挨拶をした。

 マリアは、ニールへ笑顔を向ける。

 ニールは、パチパチとまばたきをして照れくさそうにした。


 次は、あいつの番だ。

 アイリスは、ごくっ、と唾を飲み込んだ。

 昨日のことが思い出される。

 心拍が速くなり、視線が定まらない。

 対して、目の前にいる赤髪の聖騎士は、動揺することもなく真っ直ぐにアイリスを見つめて立っていた。


「そして、リュカ。まだ新人ではありますが、剣の腕は抜群。必ずや、敵の刺客からお嬢様をお護りいたします」


 リュカは、一歩前へ進み出て、アイリスの真ん前へと至る。

 彼はアイリスより頭ひとつくらい背が高いので、アイリスは見上げる形になった。

 

「お初にお目にかかります。リュカです。あなたのことをお護りするために、命の限りを尽くします」


 ニールに続いて同じ挨拶をしたリュカの目は、昨日のように殺気に満ちてはいなかった。 

 なんだったら、うっすらと優しく微笑んでいるようにすら感じられる。

 

「あ……」

「おいおい。お前も何か言わんかぁ。ったく、フワフワしてからに」

「あ、あの……よろしくお願いします……」


 ──こいつ、一体何考えてんの!?

 もう、わけわかんないっ!


 リュカは、アイリスの言葉に一礼で応じてスッと下がる。

 カイルは二人の様子をじっと見ていたが、やがて説明を始めた。


「彼らは玄関の前に立たせ、中へは入らせませんが、お出掛けの際は離れることなくお供いたしますので、それだけはご承知おきを」

「うむ、ご苦労。聖騎士団長、私の家族をお願いする」

「お任せください」


 カイルは、ゴードンと、ゴードンの護衛をするポーターとともに家を出ていった。

 続いて、ニールとリュカも同じように玄関から出て行こうとする。

 彼らは、マリアとアイリスが家にいる間は玄関前で警戒することが任務だからだ。

 そんな彼らを、マリアが引き留めた。


「まあまあ、せっかくだから、お二人ともお茶でも飲んでいってくださいね」


 マリアは、ニールのパーソナルスペースを簡単にぶち破って、体が触れてしまいそうな距離感でニコッとする。

 ニールは少しだけ顔が赤くなった。


 マリアの年齢は三二歳。

 まだまだ若い。おそらく二十代前半であろうニールが年上好きなら、熟練されてきた色気にドキドキもするだろう。

 緊張の汗をかきながらも誘惑を断ち切るように、ニールは顔を逸らしてからキッパリと言った。


「いえ。我々は任務の途中ゆえ。玄関前で待機します。御用の際は何なりと」

「そう? 構わないのに。またお誘いしますねっ」


 小首をかしげて可愛く言う母の様子を見ていたアイリスは、その振る舞いに目を細める。


 ──めちゃくちゃ積極的にアプローチしてんじゃん!

 この人、まさか本当に聖騎士を誘惑する気だろうか?

 やめてよ、不倫なんてしてお父さんと別れるなんて。


 横目で母を睨むアイリス。

 すると、さっきまでと全然違う、一転して低くなった声が──。

 

「お嬢様、だったんだな」


 リュカは、打って変わってぶっきらぼうな口調に変わっていた。

 こいつ、やはり猫を被っていた! と、アイリスは表情を固くする。


「……やっぱりそっちが本性よね。どういうつもり? こんなところに入り込んで」

「入り込む? 俺はれっきとしたアルテリアの聖騎士なんだよ。命じられた任務を遂行しているだけだ」

「昨日あんなことをして、クビにでもなったらよかったのに」


 リュカの目つきが、少しだけ鋭くなる。

 アイリスは、昨日のことを思い出して反射的に後ずさった。

 何を言われるのか──と思ったけれど、リュカは何も言わなかった。 


「……な、何よ。言いたいことがあるなら、はっきり言いなさいよ!」

「真実など見ようともしないお前に、何を話したところで無駄だ」

「見えているかどうかなんて、初対面のあなたにわかるはずがない。思い込みであたしの人物像を妄想するのは勝手だけど、これからしばらく一緒にいるのにそんな目で見られるあたしの身にもなれっての」

「ほう。貴族にとってはただの『盾』に過ぎない俺のことを、一応、人としてみなすつもりはある訳だ」

「盾だなんて思ってない。人間だとは思っているよ、一応ね! ただ、あなたがクズかまともな人間かは、話を聞いて判断するからっ」

「お前に認めてもらおうだなんて、思ってないがな」


 自分で自分のことを()だとか言う割に、主人(・・)のことを冷たい目で見下すリュカ。

 ふーっ、ふーっ、と息を荒げてリュカをめ付けるアイリス。


「……ふん。あの男が属している組織は、子供を誘拐して売りさばいている。徹底的に躾け、それでも逃げ出そうとする子供は殺し、従順になった子供だけを売っているから買い手には評判がいいんだ。人間の命の価値は同じじゃない。あんなクソみたいな奴らと子供たちの命の重さは同じではない。俺は売られた子供だったから、ああいうのは許せないんだ」

「だからって、人を殺していいわけじゃない!」

「お前が見ていたのかは知らないが、最初に斬りかかって来たのは向こうだぞ。俺は咎めただけだった」

「それは──……、見てないけど。だ、だからって、人殺しが、罰も受けずにのうのうと──」

「もちろん、お叱りは受けたさ」

「お叱り? その程度で許されるなんて、この国も腐ったものね!」


 またボルテージが上がってきたアイリスは、体を支配していた恐怖感とトラウマが、アドレナリンによって吹き飛んでいた。 


「お前の正義がどんなものか知らんが、やたらめったら他人に押し付けるのはやめろ。俺は素直に連行されたし、正式に罰も受けた。お前になんら後ろ指をさされる言われはない」

「何よ、罰って! あんたが一体、なんの罰を受けたっての? 言ってみなさいよっ!!!」


 バシッ! とリュカを指さし、声を張りあげる。

 リュカは、顎を少し上げながら目を細めてアイリスを見下ろした。


「だから今、俺はここにいるんだよ。ジャジャ馬らしいじゃないか、アイリス・アルフォード。よーくわかったぜ」

 

 アイリスは、目をパチパチさせる。

 空いた口が塞がらないまま、さした指をゆっくりと下ろした。

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