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荒くれ者

 手首を切られた男の声は、これでもかというほど憎悪が込められていた。


「てめぁ……殺すぞこらぁああっっ」


 しかし手を失ったことは、男の気力をいささかも衰えさせることはなかったようだ。

 アイリスは、低音を響かせる男の怒号に体がすくむ。

 対して、騎士は顔色ひとつ変えることなく、男を見つめていた。

 

 片膝をついた男は騎士を下からめ上げ、残った手で、腰に下げた短刀の柄を握った。 

 騎士は、片手で持った剣をだらんと垂らして地面に剣先をつけている。


 殺し合いなんて、もっと叫び合い、必死になってするものだと思っていた。

 アイリスの想像通り、短刀を握りしめた男は鬼のような形相になり、騎士を挑発するように叫んでいる。


 なのに、騎士のほうは無表情。

 いや、「無表情」というのは少し違うと思った。

「道を歩いている人の顔」。そう、それがもっとも近い。


 地面の段差につまづかないようにする程度の警戒心しか持ち合わせていないかのような──まるで「目の前に大した危機などない」と思っているかのような、そんな表情なのだ。

 

 剣のことなどわからない。

 だが、素人のアイリスでも確かに感じた。

 きっと、この騎士は殺す、と。


 気が付けば、アイリスは野次馬の列から前へ出て叫んでいた。


「やめなさい!」

「ちょっ……アイリス、だめだよ、やめなよ……」


 アレックスは、弱々しい小声でアイリスを引き止めようとする。

 アイリスは、そんなのに構うつもりはなかった。

 こんなところで人の手を切り落とすなんて──そして殺すなんて、絶対に間違ってると思った。


 騎士は、男から顔を背けず、目線だけをアイリスへと向ける。

 流し目を向けられたアイリスは、何かの魔法を掛けられたかのように体が強張った。

 もちろん魔法ではない。

 魔法陣も、それを出現させるための詠唱も無い。

 

 これは、「殺気」。

「殺すぞ」という強い気持ち。

 

 こんな目を向けられたことは、生まれてから今まで、一度もなかった。

 続きの言葉を言うために口を開こうとしたが、口は思った通りに動いてくれなかった。

 

 騎士の視線がアイリスへ移ったのを好機と思ったのか、片膝をついていた男の短刀は、疾風の如く騎士へと襲いかかる。

 

 騎士の姿が、一瞬ボヤけた。

 後ろの景色が透けて見え、まるで騎士の体が透き通ったかのように錯覚した。

 残像が見えるほどの素早い身のこなしで回転しながら舞った体は、剣先をも見えなくさせる。


 短刀を持った男の首は、その場にボトっ、と落ちた。


 頭部を失った首は、上空へと血飛沫を噴き上げる。

 男はゆっくりと膝から崩れ、バタン、と前のめりに倒れた。

 

 まばたきすることも忘れ、アイリスは呆然と死体を見つめた。

 しばらくの間、何も考えられなかった。

 

 騎士は、剣を収めようとする。

 ハッとしたアイリスは、拳をギュッと握って、まっすぐに騎士の横顔を睨みつける。

 気が付けば、アイリスはその騎士へ警告していた。


「すぐに王国聖騎士を呼ぶ。その場で大人しくしなさい。あなたのことを連行します」


 騎士は、凛とした態度のアイリスへ、ゆっくりと顔を向ける。


「……連行? なぜだ?」

「人を殺した」

「悪人はその場で裁く。のさばらせば、その時間だけ人に害を及ぼすだけだ」

「殺さなくてもいいはずだよ。罪を犯したなら、裁判にかけて裁けばいい」

「そんなもの、証拠不十分で釈放されるに決まっている。悪人ってのは、決して単独では悪事を働かないからな。人様の子供をさらい、暴力で言うことを聞かせ、逆らえば殺し、売り飛ばして金を儲ける輩。俺は、そういう奴らだけは許さないことにしている」


 騎士は、近くにいた子供に近寄る。

 子供は、あちこちにアザがあった。


「もう大丈夫だ」

「あ、ありがとう」


 騎士は、子供の手を引いて、立ち去ろうとした。


「待ちなさい!」


 アイリスは、なおも騎士を呼び止めた。

 気持ちが高揚し、一瞬、恐怖をどこかに飛ばしていた。


「……お前に、俺が止められるのか?」

「そうやって相手を脅かして、恐怖でなんとかしようとする。最低だよ。あなたみたいな人を、あたしは絶対に許さない」


 騎士は子供の手を離して、アイリスへと近付いてくる。

 まるで野獣のような殺気を撒き散らす騎士の眼光に、アイリスは射すくめられる。

 手も、足も、何一つ自由に動かせなかった。

 呼吸は速くなり、目には涙が溜まり、今にも泣いてしまいそうだったが、下唇を噛んで懸命に気力を振り絞った。


 苛烈な眼光を向けてくる騎士が、アイリスの目の前に立つ。


「では、どうする」

「今から、あたしがあなたをお城へ連れていく」


 騎士はアイリスへ顔を近づけ、声を荒げた。


「俺は、自分の信じるようにする。間違っていると判断すれば誰の言うことでも絶対に従わない。仮に、それがアルテリア王であったとしてもだ」


 涙は、とうとう目尻からこぼれ落ちた。

 こんな奴の前で泣きたくなかったアイリスは、顔を横に向けて涙をぬぐった。

 

「聖騎士だ! 聖騎士が来たぞ!」


 誰かが叫んだ。アイリスは振り返る。

 お城のほうへと続く大通りの先に、こちらへ歩いてくる王国聖騎士の団体が見える。

 騎士は、全く動じることなく、王国聖騎士たちを見つめていた。


 ──まさか、こいつ、聖騎士まで殺す気じゃ……


「やっ、やめなさいっ!」


 アイリスは、騎士が何もせず、何も言わないうちから、釘を刺した。

 騎士は、大きなため息を吐く。


「何を?」

「聖騎士を、殺す気でしょう」

  

 騎士は、虫を見るような目でアイリスを一瞥いちべつする。

 

「目に見えるものだけを見、見えないものは見ようともしない。つまらない奴だ」

「なっ……」


 その言葉通り、心底つまらなさそうにした騎士は、子供にだけ優しい笑顔を向け、手を振り、大人しく王国聖騎士に連行されようとしていた。


「ちょっと! 間違っていると思えば、従わないんじゃなかったの? それなのに、大人しく、ついてくんだ」

「王国聖騎士が俺を連行すること自体は、なんら間違ってはいない。殺人事件が起こったのだからな」


 騎士は、こともなげに言い放ち、連行されていった。

 アレックスは、一瞬どこに行ったのか把握できないほどに、アイリスから離れて震えていた。


「…………はあ? 意味わかんない……」


 アイリスは、振り上げた拳をどうしていいかわからず、しばらく立ち尽くしていた。

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