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思い出

 心を不安にさせるような古くボロい石橋に足を踏み入れる。

 レオは飛び跳ねながら歩いて、ワクワクしているような様子だった。


「こら、レオ! 危ないよ」

「どんなところなんだろうね! ゾンビの街なんて」

「そりゃあ、腐った死体がウロウロと……」


 アイリスは、想像しただけでも気持ちが萎える。

 どちらかというと、もっと美しいものを見て過ごしたい。


「でもさ、見てよあれ。すごいおっきい街だよ? 死体ばっかの街がそんなに繁栄するかな」

「もしかしたら、レオみたいに、すごい変装魔法を使える魔術師さんがいるのかもしれないよっ。そしたら、みーんな、見た目は生きた人間みたいだもんね!」


 エリナは、両手を胸の前を合わせて無邪気に目を輝かせる。

 そんなレベルの大魔導師は滅多にいるもんじゃないのだけど。

 でも、確かに、この街を作った魔術師ならその程度のことは当然のようにできちゃいそうだ。


 リュカはパーティの先頭を歩く。どうも、突然橋が落ちたりしないか警戒しているようだった。

 その後ろをエリナとレオが並んで歩いていたので、最後尾にいたアイリスはラウルの横を歩いた。

 ちょうど良い。聞きたいことがあったのだ。

 アイリスは、前いるエリナに聞こえないように小声で話しかける。


「ねえ。エリナって、いい子だよねぇ。彼女とは、どこで出会ったの?」


 ラウルは、口をパクパクさせながら顔を赤くする。

 えーと、その、と口ごもりながら、手を合わせてにぎにぎしていた。

 思わずニヤニヤしてしまうアイリス。


「……彼女は、うちのメイドとして働いていたんです。僕はどちらかというと体が弱くて、だからすぐに熱を出したりして。死ぬ前には難病も発症してしまいました。そんな僕のそばに、彼女はずっと一緒に居てくれました。料理も上手だし、お菓子なんかも──彼女それまで作ったことなかったらしいんですけど、『ラウルが喜ぶと思って』って言って、作ってくれたりして。毎日見せてくれる笑顔がどんどん可愛くなっていって、そんなことが続くうちに、いつの間にか好きになってました」


 顔を赤くしていた割に、なかなか小っ恥ずかしいことをペラペラと喋ってくれたラウル。

 嬉しそうに話すから、アイリスも少し照れ臭くなってしまった。


「へえーっ。どっちかというと、エリナが積極的なのかなぁ」

「え? そうですか? まあ、すごく優しいですけど。じゃあ、今度はアイリスさんとリュカさんのこと、教えてください。どうやって出会ったんですか? あんな怖い人が、アイリスさんの前じゃデレデレですもんね」


 ラウルはリュカが苦手そうだから、そんな印象なのだろう。

 確かに、リュカは、女性と男性では扱いがかなり違う。

 アイリスには別格に優しいが、その他の女性にもある程度は優しく接する。

「男は千尋せんじんの谷に突き落として鍛えるものだ」と常々《つねづね》言っているのだ。

 ……の割に、一人息子のレオには甘いのだが。


「リュカは、男には厳しいからなあ。めげずに、話しかけてあげてね」

「はい! わかりました。……で?」

「へっ?」

「『へっ?』じゃありませんよ! 誤魔化されませんよ。めです」

「えっと、それは、その──」

「まさか、人に聞いておいて、自分は話さないつもりじゃありませんよね? 僕は絶対に引き下がりませんよー」


 目を細めて意地悪そうに言うラウル。

 えへへ、と笑いながら、アイリスは空を見上げた。

 

 この場所は、切り立った高い岩山に囲まれているので、見上げると空が円形に見えた。

 視界の中に、空がすっぽり収まってしまうのだ。

 そのせいで、日中のはずなのにかなり薄暗かった。

 もしかすると、日光が苦手なアンデッドのために、こうしたのかもしれないとアイリスは思った。

 道を踏み外したら大変だから、レオは、光の魔法「ルクス」を使って足元を常時照らして歩いていた。 


「そうね……」


 一〇年も前のことだが、今でも鮮明に覚えている。

 アイリスは、決して忘れることのない思い出に意識を沈めた。





 ────…………




 

 王宮教師のやってくる時間が迫っていた。

 アイリスは、少し慌てながら勉強の用意をする。

 なぜなら、さっきまで彼氏のアレックスと遊んでいたから。

「遊んでいた」というのは、まあ言わばデートなのである。アレックスに誘われて「お城デート」をしていたのだ。


 アレックスの父親は、この国の宰相アイザック・ローズ。

 対して、アイリスの父はこの国の魔道大臣。どちらが偉いかというと、まあ、わずかに宰相の方が上だった。

 アレックスから付き合ってほしいと言われた時、あからさまに断るわけにもいかないと思い、アイリスはとりあえず承諾したのだ。

 

 アイリスは、別にアレックスのことが嫌いとかではない。

 元々、いつもよく話をする仲の良い男友達だった。

 アレックスは会話も上手だし、一緒にいると楽しい。今日だって、デートは楽しかったと思う。

 

 デートコースは、お城のデートスポット。

 アルテリア城の中にある教会で過ごし、塔の上で景色を見て、カフェでまったりしているうちに、あっという間に勉強の時間がきてしまった。本当だったら馬の調教と聖騎士の馬術でも見にいく予定だったが時間切れになった。

 だからかもしれないが、勉強が終わったら、お城の外へ出かけないかとアレックスに誘われた。彼は、「アイリスに見せたい景色がある」と言ってアイリスを誘ったのだった。


 自分も、もう一五歳。

 実際に付き合ったことも何度かある。

 でも、男の子とキスをしたことはなかった。今のところは、手を繋ぐまで。


 バタバタと勉強の用意を終えて、アイリスは壁に背をもたれながら「ふうっ」と息を吐く。


 ──どうしようかなぁ。

 アレックスと二人でデートすると、ドキドキする感じはある。

 顔だって別に悪くはないし……。

 でも、ずっと友達だったし。

 アレックスのことが好きなのか、いまいちよくわかんないんだよなぁ……。


 昼一でデートをし、一五時から勉強。

 だから、二時間の勉強を終えたのち、夕方からアレックスと出かけることにしていた。

 しかし、父・ゴードンの定めた門限は厳しかった。

 アイリスは、玄関にある張り紙に目を向ける。


〜門限一七時!!〜


 アイリスが今日出かけようとしている一七時頃が、まさにその門限なのだ。

 しかも、その後はすぐ夕食の時間だ。

 アイリスがいないことは、あまりにも早くバレてしまうだろう。


 ──夕方から出かけて、あたしに見せたい景色。

 夕焼けだろうか?

 それとも、しばらく歩いて、日が落ちてから星空でも眺めるのだろうか。

 でも、星空なら、お城の塔からでも見えるし。

 なんだろう?

 うーん。少しだけ、楽しみかも。

 ……よぉし。思い切って、脱出するかぁ!


 アイリスの部屋の扉がコンコンとノックされ、「はぁい」と返す。

 王宮教師がやってきた。

 アイリスは、夕方のことを考えながら、全く身の入らない勉強時間を消化することにした。


◾️ ◾️ ◾️

  

 王宮教師が帰っていき、アイリスは出掛ける支度を始めた。

 今は、さっきデートしたときの格好のままだ。

 昼のデートの時は、あからさまに見えるところ以外はさほど気合を入れていなかった。

 

 ──次は夕方からデートするわけだし。

 もしかしたら、もしかするかも。エリシアも、そういう時にそうなった、って言ってたし。 

 まさか、今日はないと思うけど。万が一ということもあるし。

 パンツくらいは履き替えておいたほうがいいのかなぁ……。とりあえず、上下揃えて一番可愛いやつにしておこうか。

 いやいや! いくらなんでも、そこまでは考えすぎ? そもそも外デートだしね。でも、キスくらいはあるかも。

 だから、歯は磨いておかないとね。

 近くで見つめ合ってもいいように、お化粧ももうちょっと念入りに……。

 でも、服とかガッツリ変えたら、あまりにも気合入ってる感が出過ぎちゃう。服は、お昼と同じにしよう。

 それに、そんな派手に変えたら家を出る段階でお母さんに呼び止められちゃうしね。


 アイリスは、様々な部分を地味にアップデートしてから、さりげなく家を出た。



 アレックスとの待ち合わせは、お城の入口から反対側の端まで一直線に通っている天井の高い広い通路──通称「ロイヤル・アーク」と呼ばれる場所だった。

 ここは、大臣級の官職者、貴族、使用人、魔術師、聖騎士、牧師、王宮調理師、王宮教師など、ありとあらゆる人間が行き交う場所だから、かなり人通りがあり、待ち合わせをしても目立ちにくいのだ。


 アレックスとの待ち合わせは、入口から三番目の柱のところだった。

 ちょうどその柱の横に出る階段を選んで降りてきたアイリスが見渡すと、アレックスはもう待ち合わせ場所に着いていた。

 アイリスに気付いたアレックスは、ニッと気取った笑顔を見せる。


「さあ、」


 アレックスは、アイリスの手を握る。

「男の子に手を引かれて歩く」というシチュエーションが、アイリスの心をフワフワさせる。きっとこれが恋なんだろうな、とアイリスは思った。

 お城から出る頃には、一体どんなサプライズが待っているのだろう、とアイリスはドキドキしていた。



 城下町の目抜通りを歩く。

 日は落ちつつあり、空はもう暗くなってきていた。冬の空は暮れるのが早く、あちこちの家屋で卵色の柔らかい明かりがたくさん照らされていた。

 

 アレックスは、光の魔法「ルクス」を使った。

 やっぱ「星空スポットなのかなぁ」と、アイリスは漠然と考えていた。


 と、その時────。



「ぎゃああああ!!」



 男の叫ぶ声が聞こえる。

 アイリスの手を握るアレックスの手に力が入り、歩みがピタッと止まった。


 アイリスたちの真正面、大通りの中央に、おそらくその声の主であろう手首を押さえた男と、剣を持った騎士がいた。

 男の手首からは血が流れ落ち、地面に血溜まりを作っていた。

 よく見ると、男は手首から先が切り落とされている。

 地面に片膝をついて、腕を掴み、必死に痛みに耐えているようだ。


 騎士は、自分を遠巻きにする野次馬たちを悠然と見渡す。

 アイリスは、騎士と目が合った。


 引き込まれるような黄金色の瞳。

 ミディアムの美しい赤毛。

 背は高く、思わず見入ってしまうほどの美貌を備えた顔。

 

 騎士は、年齢はアイリスと同じくらいか、もしかすると少し下かもしれないと思うくらいの、若い男の子だった。

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