あれ? ゾンビになっちゃった?
剣術の訓練を嫌がる十歳の息子・レオを、困った顔をしながらあの手この手でなだめようとする夫・リュカ。
王国史上最強の剣聖と言われているのに、小さい息子に四苦八苦する姿が可愛く思えて仕方がない。
そんな二人を見ていると、いつも心が温かくなって、なんだか涙が出そうになって──。
死なないで。
これからなの。奪わないで。
あたしたちの、未来────。
「アアアアアアアアッッ!」
自分の叫び声で意識を取り戻し、アイリスは目を開ける。
見回すと、なぜか城下町の大通りのど真ん中にいた。
暗い街並みに、街灯の明かりがチラホラ見える。きっと今は夜中だろう。
どうしてこんなところにいるのだろう?
自分の家は、お城のロイヤルフロアにあるのに……。
頭がボーッとしている。
それが心地よかったので、また目を閉じて、そのままにしていた。
やけに上下に揺すられると思ったら、お姫様抱っこをされているようだ。
自分にこんなことをするのは、夫のリュカに違いない。
力の入れ加減とか、筋肉のつき具合とかで、やっぱりそうだ、とアイリスは確信する。
「あ゛〜〜〜〜」
……うるさっ。誰?
心を八つ裂きにされるような悪夢にうなされていた気がする。
愛する夫と息子が殺される、悪い夢。
「あ゛〜〜〜〜」
さっきから聞こえる無神経な呻き声がうるさくて、おちおち寝てもいられない。
睨みつけてやろうと思って、アイリスは仕方なく、もう一度重い瞼を開けた。
見事な満月が照らす人影を、見上げるように眺める。
アイリスの視線に気が付いたのか、自分を抱き上げている男がこちらへ顔を向けた。
男は満月を背にしていたので影のような輪郭しか見えなかったが、瞳だけは、まるで魔物のように真っ赤に光っていた。
「きゃっ……きゃああああああっ!!!」
叫びつつも、体ごとグルッと回転させ──
一回転して地面に片膝をつき、思いのほか華麗に着地できた。こんなに運動神経が良かった記憶はないのだが。
霧掛かっていた意識がスキッと晴れる。
アイリスは、改めて自分を抱いていた男を観察した。
上半身は裸で、筋肉質だが細身で背は高く、鮮やかな赤毛は肩に届かないくらいの長さで風に揺らいでいる。
下半身は、聖騎士の頂点に立つ「聖騎士団長」だけが着用を許される、真っ赤なプレートアーマーだ。
アイリスのハートをズキュンと射抜く整った顔はまるで死者のように血の気を失い、肌は濃い灰色となっていた。
ダメ押しは、不気味に光る紅蓮の瞳。
アイリスは確信した。
間違いなくゾンビ。
だが最も驚くべきは、目の前にいるこのゾンビが、毎日欠かさず見ていた人物──愛する夫・リュカだったことだ。
「……リュカ? リュカなのっ!?」
──どうして? なんで?
まず、思い出さねばならなかった。どうしてこうなったのか、を。
モンスターのくせに襲いかかってくる素振りなど微塵も見せず、ただじっと見つめてくる夫似のゾンビへ視線を返しながら、アイリスは記憶の海に手を突っ込んでかき回した。