悪夢のような
一面の炎の中をひとつの影がゆっくりと進んでいく。
立ち上る黒煙と劫火が段々と村を包む。
けれど、彼女は立ち止まることも、振り返ることもしない。
必ず、止めてみせる、と渇いた唇から声が洩れた。
影はゆっくりと消えて往く。
その瞳に決意の色を湛えて。
***
綺麗な女の子が引っ越してきたらしい。私がその話を聞いたのは町の集まりの帰りのことだった。
「まだ若いのに一人で住んでて、なんか訳ありらしいのよ。玲も見に行ってみない?もしかしたら当たりかも!」
そう言って笑ったのは葉流ちゃんだ。私よりひとつ上の十七歳。彼女の両親は考古学者で世界中を飛び回っているので、彼女は一人暮らしをしている。そして、彼女自身もその手の知識に篤く、今もとある遺物にご執心だ。もっとも、それは私たち全員の目的でもある。明るい栗色のセミロングを揺らし、愛嬌たっぷりの新緑の瞳を輝かせて葉流ちゃんは悪戯っぽく笑う。
「そんな偶然、滅多に起こんないと思うなぁ。」
そう言いつつも、興味を引かれた私は葉流ちゃんについて噂の彼女を見に行くことにした。
その子は町外れの小さな家にいた。長く空き家だったそこにいつの間にか引っ越してきたらしい。外観こそ古めかしい感じだけれど、こっそり窓から覗いた室内はそれなりに綺麗にされていた。引っ越して間もないからなのか、部屋は簡素でほとんど物がない。目につくのは数冊の本がある棚とベッド、それから背もたれのある椅子がひとつだけだ。彼女はその椅子に腰かけていた。真っ直ぐな黒髪をショートにした彼女は此方に背を向けて本を読んでいるみたいだった。そう広くはない室内は薄暗かったけれど、他に人が居そうな気配はない。
「んー、顔が見えない…。」
「それより何か感じる?」
必死に顔が見える角度を探す私に、葉流ちゃんが問う。
「うーん…。」
特には、そう答えようとしたとき、ふと彼女に影が差した気がした。もう一度よく見てみたけれど、変わった様子はない。
「どう?」
「わかんない!」
「あっそ…。」
がっくり肩を落とす葉流ちゃんに照れ笑いを返す。
「まぁいいか。とりあえず様子を見て改めるよ。」
「うん!」
窓に背を向ける葉流ちゃんを追って私も離れた。少し離れてから振り返れば、彼女は部屋から消えていた。
***
――行ったみたいだな。
部屋の暗がりから声が掛かる。聞き慣れたそれに特に反応することなく、ボクは椅子から立ち上がった。手にした本をそこに置くと、窓の外に視線を送る。栗色のセミロングの髪の子を追って、長い茶髪の女の子が去って行くのが見えた。その茶髪の子に、薄く影が掛かる。付かず離れず彼女を追う影が不気味に揺らめいている。それはボクのよく知る魔物のようにも見えた。
――ただの興味本意ならいいが…
――あれは…
「さぁね。」
再度掛かる声に気のない返事をして、ボクは部屋から出ていく。気を付けろよ、という言葉は無視した。
***
翌日、町外れを通りかかると葉流ちゃんが居た。声を掛けようとしてよく見ると、彼女の向こう側にあの女の子がいた。思わず隠れて様子を伺う。
噂通り、綺麗な子だった。ほっそりした顔に通った鼻筋、あまり日に焼けていない肌に唇の赤みが映える。ただ、もっと印象的だったのは瞳だ。燃えるような深い|紅<<あか>>はまるで意思の強さを反映しているみたいだ。歳は私と同じくらいだろうか。
深紅の瞳を葉流ちゃんに向けて、彼女は言い放つ。
「何か用?」
「ちょっと気になることがあるのよね。」
葉流ちゃんは此方に背を向けていて表情は窺えない。ただ、その声音がわずかに緊張と興奮を含んでいる。
「あんた、どこから来たの?」
「…言えない。」
「この辺じゃ見ない髪と瞳の色よね。」
「…それが何か?」
一更に進まない話に業を煮やして、葉流ちゃんがため息をつく。
「じゃあ、単刀直入に。あんた、|緋炎<<ひえん>>の民でしょ?」
その言葉に彼女は僅かに反応した。その様子を見て、葉流ちゃんはクスリと笑った。
「当たり?」
「…だったらどうするわけ?」
「うちらの仲間にならない?」
剣呑さを顕にする彼女に葉流ちゃんは嬉しそうに言った。その言葉が意外だったのか、彼女の雰囲気が若干和らぐ。
「目的は?」
「ちょっとここでは話せないわね」
それを聞くと、彼女は小さく息を吐いた。
「…今、結論を出せないな」
「なら、明日出直すから一緒に来て」
葉流ちゃんの誘いに、その子はわかった、と言うと背を向けた。
「あ、待って。うちは葉流。名前くらい教えてくれてもいいでしょ?」
「…|悠里<<ゆうり>>」
それだけ言うと、彼女は歩き出した。葉流ちゃんもそれ以上引き留めることはなく、それを見送った。そして――
「で、あんたは何してんの?」
「ひょえっ!?」
盗み見を見つかった私には葉流ちゃんにお説教される未来が待っている。
***
「ねぇ、葉流ちゃん。さっきあの子に言ってた緋炎の民って何?」
「…説教が足りなかったかしら、玲ちゃん?」
飽くまでも笑顔で、葉流ちゃんは私を脅した。でも、悪いとは思いつつ、好奇心には勝てない。ため息を吐いて、まぁいいか、と彼女は話し出した。
「緋炎の民っていうのは、召喚師の血統の一種よ。一通り文献漁ってきたけど、容姿以外の特徴があんまり載ってないのよね。まぁ、あの反応なら本当に当たりかも知れないけど」
「ふーん…召喚師?」
「そ。悪魔や精霊を呼び出して使役することでこの世の理に干渉することができる存在よ。」
「えっと…つまり?」
「魔術が使えるってこと。」
「えっ、それすごい!」
驚く私に葉流ちゃんは呆れた顔をした。
「というか、あんたには前にも説明したんだけど…」
「あれ…?そうだっけ…?っていたいいたいっ!」
苦笑いで誤魔化そうとする私の頬をつねって、葉流ちゃんは口元だけにこにこと笑っている。その目が怖い。
「これで目が覚めたでしょ!全く…ところで、あんたは明日、拠点で待ってて」
「えっ!」
一緒に行くつもりでいた私に葉流ちゃんは言った。
「一人じゃ…」
「大丈夫よ。玲じゃあるまいし」
「うーん…でも…」
「なぁに?珍しく食い下がるじゃない?」
言い淀む私に葉流ちゃんは首をかしげた。
「あのね、夢、見ちゃったの」
「もしかして、悠里の?」
「うん…」
私は小さく頷いた。
私には少し変わった力がある。悪いことが起こる場所が暗く見えたり、それが起こる前に夢を見たりする、所謂霊感みたいなものだ。
昨夜見た夢の中で、炎の中に立ったあの子は私に背を向けていた。その向こう側には黒い大きな影。間違いなく悪夢だ。
「あの子、嫌なものを連れてる。炎と黒い何か」
「うーん…それだけじゃ何とも言えないわね」
葉流ちゃんが悩ましそうに天を仰ぐ。
「分かった。気を付ける!でも、あんたは留守番よ」
「葉流ちゃん…!」
「大丈夫。警戒はしとくわよ」
手を振って笑う彼女に私はそれ以上何も言えなかった。
***
ノックの音で外に出れば、昨日の約束通り葉流がいた。
「じゃあ、行こう」
背を向けて歩き出す彼女について、ボクも無言で歩を進める。向こうから話しかけてくる様子はなく、互いの間には静寂が広がる。少し歩くと彼女は道を外れ、森の中へと向かう。奧へ進むにつれ深くなる木々の群れが突然開けた。
「この先がうちらの拠点よ」
葉流が指差す先にはぽっかりと口を開けた洞窟がある。足を止めずに進む彼女を追ってそこに踏み入った。暗い洞窟の奥から僅かに光が漏れる。扉だ。
「ようこそ、悠里。ステラプレへ」
開かれた扉の奥に広がる部屋は意外にも広かった。部屋の中心には大きめのダイニングテーブルがあり、その奥にはキッチンが見える。手前にはソファーとテーブル、端の本棚には無造作に本とガラクタが突っ込まれていた。その隣には扉がある。奥にも部屋が続くのかもしれない。
それから、室内には三人が思い思いに寛いでいた。
「んお?その子が例の?」
まずこちらに気づいたのはダイニングテーブルでカードゲームに勤しんでいた男だ。短い黒髪に活発そうな黒目が興味深そうにこちらを見ている。その正面でカードの相手をしていた男もこちらに振り返った。癖のある赤毛と緑の丸い目が特徴的だ。明るく笑いかけながら彼が言う。
「お、早速紹介して!」
「こらこら。こういうときはこちらから名乗るものでしょう」
それを制したのはソファーで本を読んでいた男だ。焦げ茶色の真っ直ぐな髪と同じ色の瞳から柔和な雰囲気が窺える。その彼が真っ先に名乗る。
「はじめまして。僕は慶太です。ここでは主に機械、情報処理担当をしています」
立ち上がって丁寧にお辞儀した彼はお茶をいれますね、とキッチンに向かう。それに倣う形で癖毛と短髪が立ち上がった。
「オレは疾風。実務担当だから解んないことがあったら何でも聞いてよ!」
「で、オレ、駿。疾風と同じで外飛び回ってるから居ないことも多いけどな」
「あれ、玲は?」
一通り自己紹介が終わったところで、首をかしげた葉流に駿が奥の扉を指差した。
「多分、部屋。そのうち来るだろ」
「仕方ないわね…じゃあ、先に紹介しちゃおう」
葉流に促されるように手を牽かれ、前に出る。
「この子が昨日話した悠里。今日はとりあえずうちらを見てもらうってことで来てくれたわ」
「葉流さん、立ち話もないでしょうし、座ってください」
人数分のお茶を運びながら、慶太が言った。ボクがテーブルに着けば、すかさずティーカップが置かれる。
「さて、悠里はまだうちらのこと警戒してると思うし、気になることは何でも聞いて」
軽い調子で葉流が正面に座る。その右隣に慶太、反対側に駿、ボクの左手には疾風がいる。
「なら、まずは目的だね。ボクが緋炎の民だとわかっていて、声を掛けた理由は?」
いきなり核心に迫るボクに慶太が呆れたように葉流を見た。
「本当に何も説明してないんですか、貴女は…」
「まぁ、いいじゃない。そ、目的ね」
慶太を軽く躱すと葉流は言葉を仕切り直した。
「うちらの組織、ステラプレは簡単に言えば正義の味方やってんのよ。具体的には、古代の精霊が宿る遺物『メダル』を探してるわ」
「精霊のメダルは巨大なエネルギーを持っているんだけど、それはこの星の生命力そのものなんだ。悪用しようとしている奴らより早く、メダルを星に返したい」
「で、そのためには強い仲間が欲しいわけ。それこそ、普通の人間に無いような力を持ってるやつね」
疾風、駿がそれに続き、ボクの顔を見た。
「貴女が本当に葉流さんの言う緋炎の民だとすれば、これ以上ない助っ人なんですよ」
慶太が言葉の端に疑問を忍ばせる。ボクの力の有無を問うように。
「目的は解った。でも緋炎の民を組織に抱えるリスクの説明にはならないね」
ボクが切り捨てるように言うと葉流が今までに無い真剣な顔をした。
「メダルの悪用を狙う組織ね、ルクスルナって言うのよ。その中に少なくとも一人、召喚師がいるわ。現状、うちらにはその対抗策がないの。あんたが召喚師の末裔、緋炎の民なら力を貸してほしい」
全員の視線がボクに集まる。各々、緊張した面持ちでボクの答えを待っているようだ。
召喚師を相手に闘うなら、確かに普通の人間には荷が重い。それに緋炎の民であれ、そうでなかれ、一族を離れた召喚師が居るなら会ってみたいとも思っている。彼らとは利用し合うような形にはなれ、十分なメリットがあるように思えた。
そういえば、もうしばらくどこかに留まる生活をしていなかった。本音を言えば、ここに至るまでのことを思うと不安のほうが大きい。ただ、流浪にも疲れ始めたところだった。
――いいんじゃないか?少しくらい。
何処からともなく彼の声は響いた。ボクにだけ聞こえるそれは普段より僅かに明るい。それを聞いて、ボクは顔をあげる。
「ボクにはボクの目的があるから、どこまでキミ達に付き合えるかはわからない。」
「それでもいいわ。うちらに力を貸して。」
「…分かった。それならボクの力を貸すよ。ボクは確かに緋炎の民だ」
静かに椅子を引いて立ち上がると、左手を前に出し呟く。
「アッシュ、お願い」
「――あぁ、いいぜ」
姿なく声だけが響くと次の瞬間、ボクの掌に小さな炎が躍る。それは、一瞬だけ煌々と輝くとすぐに消えた。一同が驚いたように固まる。
ガシャン、と何かが落ちる音がした。見れば、ソファーの向こう側、奥へ続くらしい扉の前に、先日葉流と一緒にいた女の子が立ち尽くしていた。その足元には割れた皿とクッキーが散らばっている。
でも、ボクが驚いたのはそこじゃない。
彼女は炎に驚いたのか、その蒼い瞳を大きく見開き、こちらを見ていた。その蒼い瞳は緋炎と敵対するもうひとつの召喚師の血筋を表すものだった。
「――蒼氷!?」
「えっ?」
「何でここに…!」
テーブルを離れ身構えるボクに彼女は更に狼狽えた。
「えっ!?」
「答えろ!」
「えっと…ご、ごめんなさい!」
それだけ言うと、彼女は外に向かう扉を開け放ち走って出ていった。その様子に驚いて、葉流が声をあげる。
「ちょっと、いったいどうしたのよ!?」
「どうしたって…何も知らないわけ?…あの子は蒼氷の民だろ?」
僅かに落ち着きを取り戻したボクが見れば、全員が困った様子でこちらを見ていた。それは嘘にしてはあまりにも自然すぎる。
「本当に、知らないのか…」
毒気を抜かれたボクは小さく息を吐いた。
「玲が、蒼氷の民…?召喚師一族の…?」
「あいつ、ちょっと勘がいいだけだぞ?」
戸惑いがちに疾風と駿が顔を見合わせ、葉流と慶太も首を振る。
「玲はうちらと知り合って長いけど、召喚師の力なんて見たことないわ」
「もしかして、蒼氷の民であることに無自覚なのか…だとしたら…」
稀に、召喚師の能力に目覚めるのが遅くなる場合がある。加えて、覚醒直前の召喚師は主の居ない悪魔の標的になりやすい。不意に先日、彼女が纏っていた暗い影を思い出した。
「あの子、襲われる」
「…どういうこと?」
つい、口に出してしまったボクの独り言を捉え、全員の表情が固くなる。
「影が憑いてた。恐らく、悪魔に狙われてる。今、一人にならない方がいい」
「なら、すぐに連れ戻さないと!」
「よっしゃ!」
「おう!」
「ですね!」
口々にそう言って彼らは頷いた。最後にこちらを向いて、葉流が手を差し出す。それはあたかも、信頼を置く仲間にするように。
「悠里、初任務よ!」
「…分かった!」
その手を取って、ボクは確かに微笑んだ。
***
「あの子、何であんなに怒ったんだろ…」
勢いで拠点を飛び出した私は当てもなく一人歩いていた。考えても出ない答えにぐるぐると思考が廻る。ため息をついて顔を上げると目の前には――
ごん、と鈍い音がして私は真正面から木にぶつかった。余りの痛さに顔を押さえて踞る。
「うぅー…ん?」
痛みから立ち直り、目の前を見ると、草むらから何かが覗いている。仔犬だ。
「わぁ!可愛い!おいで!」
さっきまでの悩みを一瞬忘れて私は仔犬を呼ぶ。すると、尾を振っていた小さなその犬が不気味に笑った。
「見ツケタ、蒼氷ノ落シ子」
「えっ…」
耳障りな声で喋った犬は驚いて固まる私の前で奇怪な音を立てて変化した。大きく、歪になったそれは、昨日の夢に見た黒い何かへ成り果てた。その怪物は大きく裂けた口を歪めて笑う。
「何…これ…」
逃げなきゃ。そう思う心とは裏腹に身体が、足がすくんで動かない。夢で黒い怪物と炎を呼び寄せたのはあの子ではなく、私自身だと気付いてしまったから。
そんな私に怪物は容赦なく飛びかかった。思わず目を閉じたその時だった。
「波動の龍、我が言霊に従い全てを飲み込め!炎の波動!」
凛と澄んだ声に炎の燃える音、そして人のものではない叫び声が響いた。恐る恐る目を開ける。
「あっ…さっきの…」
黒髪の彼女は怪物から私を守るように、そこに立っていた。振り返った紅い瞳が不満そうに私を見る。
「悠里」
「えっ…?」
「名前だよ。そう呼んで」
「あ、うん。えっと…悠里ちゃん…って前!」
恐らく、悠里ちゃんの攻撃をまともに受けた怪物は、怒りに身を任せて彼女に標的を替えたようだ。その鉤爪を振り上げた。
「緋炎ノォォ民ィィイイ!」
「アッシュ」
悠里ちゃんに振り下ろされた鉤爪は、その前に突然現れた男の子にあっさり止められた。灰色の髪に鋭く光る紅い瞳の彼はその手にした緋色の大刀を薙ぎ払う。
「ったく。いつもいつも、お前は悪魔使いが荒いんだよ」
「時間稼ぎよろしく」
彼の文句を聞き流して、悠里ちゃんがゆっくりとこちらに向き直り、私のことをじっと見た。
「怪我してない?」
「あ…うん、大丈夫」
「じゃ、少し待ってて」
それだけ言うと、彼女はまたこちらに背を向けて左手を前に出した。強い風が吹いて彼女の首から下げたペンダントが赤く光を放つ。悠里ちゃんの前に幾何学模様と不思議な記号が並んだ円型の模様が広がった。
「来い、コールディ!」
その中心から紅い光と共に殆ど等身大の棍が現れた。真っ白なそれに真っ赤な炎の模様が浮き上がる。それを見て、怪物と切り結んでいた男の子が悠里ちゃんの隣まで下がった。
「さっさと終わらせろよ」
「そうだねっ」
入れ替わるように彼女が前に出る。それを待っていたかのように、怪物が雄叫びと共に両腕を振り上げた。
「危ないっ!」
思わず叫んだ私の心配をよそに、彼女はそれを軽く躱す。空振りした怪物の腕が轟音を立てて地面を大きく抉った。彼女はそのまま背後に回ると、器用に棍を振り回した。何度か打ち据えると、怪物に出来た大きな隙を見て彼女が一歩跳び下がる。
「炎獄の主、我が声に応じ討ち滅ぼせ、劫炎の刃!」
呪文に応えるように彼女が前に出した右手から獣の牙を模した炎が現れる。それは、黒い怪物に飛び付くと更に大きく燃え上がった。
「喧嘩を売る相手はもっとよく考えるべきだったね」
あっという間に黒い煙になってしまった怪物に悠里ちゃんは事もなさげに言い捨てた。そのまま何事もなかったかのようにこちらへ戻ってくる。
「アッシュ、お疲れ」
「あぁ。次はもっとマシな仕事を寄越せ」
「保証はしない」
その言葉を聞いて、灰色の彼はため息を吐いた。彼女はどこ吹く風だ。
「さて、と、さっきは悪かったね。勘違いで驚かせて」
悠里ちゃんはそう言ってこちらに手を差し出した。その手を見て、私は自分が地面に座ったままなのを思い出す。私が手を取れば、彼女は軽く引いて立たせてくれた。
「あ、ありがとう…」
「どういたしまして。じゃ、戻ろうか」
「えぇっ!?」
踵を返す彼女に驚いて私は思わず声を上げた。それに顔を顰めて彼女が問う。
「…何?」
「え、えっと…その…」
その様子に狼狽える私を見て、彼女はため息を吐いた。
「いいよ。聞けば」
「え?」
「聞きたいことがあるんだろ?」
「あ、うん…じゃあ…」
しどろもどろなりながら、私はゆっくり言葉を選ぶ。
「さっきの怪物、あれ、何?」
「悪魔だよ。異界から召喚された、ね」
「その人は…?」
私は視線を灰色の彼に移す。改めて見れば、彼の紅い瞳には人間のそれとは異なる銀色の輝きが揺らめいていた。
「アッシュ。ボクに憑いてる悪魔だよ」
「悪魔って…さっきのみたいな…?」
「失礼だな。あんな低級と一緒にするな」
アッシュと呼ばれた彼は心底嫌そうな顔をして言う。
「オレは炎の化身とまで言われる上位悪魔だ。あんな名無しとは格が違うんだよ」
「えっと…ごめんなさい…」
「解ればいい」
ぶっきらぼうにそう答えて、彼は煙のように居なくなった。
「それで?」
「…あの悪魔、私のことを蒼氷の落し子って言ってた」
「そうだね。キミはボクとは違う召喚師の血筋だ」
「でも、何の力もないのに!」
ショックから突然大きな声を上げた私を見て、悠里ちゃんは僅かに目を細めた。
「力は生まれたときに宿るものだけど、直ぐに現れないこともある。キミの場合は今、目覚め始めたんだ。それに――」
彼女はそこで言葉を切ると何かを思い起こすように顔を逸らした。
「この力は目覚めてしまえば、もう眠らない。覚悟を決めて付き合っていくしかないよ」
その言葉を彼女は自分に言い聞かせるように呟いた。葉流ちゃんが、彼女を訳ありだと言っていたことをふと思い出す。悠里ちゃんも何かを抱えているのかも知れない。再びこちらを向いた彼女がはっきりと口にする。
「これからもこんなことが度々起こると思う。キミが嫌がろうとも、回りを巻き込んでね」
私の覚悟を問うように。
私の今後を問うように。
「キミはどうする?」
こちらを見つめる深紅の瞳には、迷いはない。
私は怖かった。あの悪夢のような現実が。でも――
「私に召喚術を教えて!」
怖がるばかりじゃ何も変えられない。悠里ちゃんの目がそう言っているように見えた。
「皆を守れるように、私は負けたくない!」
それが、私の覚悟。
それを聞いて、悠里ちゃんは僅かに微笑んだ。
「そっか。それがキミの覚悟なんだね」
「玲だよ」
「ん?」
「私の名前」
「…分かった、玲」
「うん!」
私も悠里ちゃんに笑いかけた。
「おーい!玲ー!悠里ー!」
名前を呼ばれてそちらを見れば、遠くのほうからステラプレの皆が走ってくるのが見えた。
「行こう」
「あ、待って!」
やれやれ、と息を吐いて歩き出す悠里ちゃんを呼び止めて、小さな声で問う。
「悠里ちゃん、いつからいたの?」
「玲がため息ついてぶつぶつ言いながら歩いてたときから」
「もしかして、木にぶつかったの見てた…?」
「皆には黙っといてあげるよ」
「う、うわーー!!」
悲鳴を上げる私を面白そうに眺めながら、彼女は歩き出した。顔を赤くしながらそれを追った私が安堵した仲間たちに怒られるのはこの直ぐ後だ。
***
――留まることにしたんだな
拠点からの帰り道、アッシュが呟いた。彼は姿を現すとボクの顔を覗いて僅かに笑みを溢す。
「ほんの気紛れだよ。少し付き合おうと思っただけ。だいたい、未覚醒の召喚師なんて放っておけないでしょ」
「そうか。ここがお前の翼を休める止り木になればいいな」
「さぁね。ボクにはボクの目的があるんだ。根付く気はないよ」
そんな風に言って顔を背けたボクにあいつは優しく笑いかけた。
「そうならないことを願ってる」
ボク自身が気付かなかった本音を感じ取って、アッシュはそう言った。




