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骨董品にセールは合わないってば

作者: ラン=コバルト

春の温かい日差しが古物店の中に差し込み、時の流れに沈んだように侘しく佇む品々を、陽だまりがやさしく抱いている。

「あぁ~、これ、よさげですねぇ。長持ちしそう」

深緑色のジャケットを着た若い男性は磁器製の茶碗を手に取って、しげしげと眺めた。

「決まりそうかい?」

「あ、あぁ、ちょっと待ってくださいねぇ」

彼はもうかれこれ一時間はこうして悩み続けている。

髭をふさふさとたくわえた店主は椅子に深くもたれかかり、優柔不断な客を眺めている。店主の髪はもうすっかり白くなっており、ところどころゴマがまぶされたように黒髪が混じるばかりである。それとは対照的に、若い男性は肌艶がよく、髪も黒くストレートに伸びている。同じ空間にいるのが不思議な二人であった。

男性は売り物を取ってはなおし、取ってはなおしを何回も繰り返している。この客の長考癖はいつものこととはいえ、店主はいら立ちを吐き出すように深くため息をついた。

「あ、これ、いいかも」

「どれだ?」

これ、これと客が指さしたものは、縁のところが少し欠けていた井戸茶碗であった。

取り立ててみるべきものもない、地味な茶碗だ。華やいだ装飾があるわけでもなく、わびさびともて囃されるようなゆがみがあるわけでもない。ちゃぶ台に何気なく並べられるだろう、味気ない代物であった。ただ、どことなく、瞑想をしているような静謐をまとっている。

「あぁ、民藝のやつか」

「たしか、柳宗悦さんが収集したものと同じ品なんですっけ」

柳宗悦とは、昭和の前半にかけて活躍した美術評論家である。

「……よく知ってるな」

「何度も来てますから」

店主は軽く鼻を鳴らし、カウンターに茶碗を持ってくる。

コーナーにも茶碗にも値札はない。店長は茶碗をくるくると回して、その値段を口にする。

「12万だ」

「……え、高くないですか?」

「いやなら買わんでいい」

「えぇ……。いつもならこんな高くないのに……」

「ふん」

実のところ、半ば店長の娯楽と化したこのアンティークショップは、品物の値段を店長がその場の気分で決めてしまっている。『品物の本当の価値を値段にしている』とは店長の言であるが、それを信じるのは、店長の物々しい年長者然とした雰囲気にのまれた者だけであろう。審美眼に大して自信があるわけではないこの男性は、小遣いを入れた財布が干上がらない範囲で、気に入ったものを買っている程度である。ただ、12万円というのは今まで聞いてきた中で一番高い。

「私怨入ってませんか?」

「……それだけ迷って買ったんだ。相当気に入ったものなんだろう?」

「それは、まぁ」

店主は開き直ったように抗弁した。

とはいえ、この男性も妻の買い物についていくとき、とくに服選びの時には散々待たされた覚えがある。今どき百貨店に行くものだから、ほかの店で買ったものを詰め込んだ買い物袋で両手がふさがり、なにも時間を潰せるものがないのは相当の苦痛である。食事のメニューを過去にさかのぼって思い出すくらいしかやることがないのもつらい。それで小一時間待たされたとあっては、文句の一つでもいいたくなる。

しかし、それはそれとして。

「もうすこし、低くなりませんか?」

「これが、こいつの価値だ。それ以下でも以上でもない」

「はぁ……。ほんとですか?」

「信じられんというなら買わなければいい」

「そんなんだからお客さんがつかないんじゃないんですか」

「……」

店主はあきらかに、痛いところをつかれたとでもいうように顔をしかめた。

退職金で始めた娯楽。しかし、酔狂ばかりで商売が成り立つはずもなく、貯蓄は心許なくなってきた。そろそろ、ちゃんと商いをしないといけない時期に差し掛かってきたのだ。

「お願いします。2,3万円でも安くしてもらえればいいですから!」

両手を合わせ、頼み込む男性を無視し、目下の懸案をどうしようかと頭を悩ませていると、ふとひらめいた。

「あ、いいぞ」

「え、ほんとですか」

「あぁ。4万円まで値下げしてやる。その代わり、店手伝ってくれんか?」

「店を……?」

老人は問題を一挙に解決する妙案を思いついたとばかりに膝をぴしゃりと叩く。

「あぁ、新生活応援セールだ!!」

「それ……骨董でやるんですか?」

店主はハッとした顔になり、しばし目を伏せて黙考した後、おもむろに口を開いた。

「……なんとかしろ」

「えぇ……」

とんだ無茶ぶりである。




新学期に合わせたセールではいろいろなものがセットになって売られることがある。ランドセルと文房具の学校セットや電子レンジと冷蔵庫の家電製品セットなど。進学するのも就職するのもこれくらいの時期なので、当たり前といえば当たり前だ。しかし抱き合わせとはいえ、骨董品が一緒に売られているのを見たことはあるまい。

「アンティーク、アンティークはいかがですかぁ~。あなたの住まいを少しお洒落に。嘉納屋です~」

店の中でごそごそと作業していた店主が、売り子として商店街を往来する人々に声を駆け回っている男性に声をかける。

「新緑コーナーってのはこんな感じでいいのかい」

店主がカメラに取った店内の写真には、苗をイメージした緑色の額縁の中に、深緑色の壺が鎮座している様子が映し出されていた。壺は底が小さく、上に向かうにしたがって大きく膨らんで伸びている。上へ伸びる形状の不安定さが、成長しようとする新芽の勢いを表現しているという。

「あ、いいと思います」

「そうか」

店主は素っ気なく答える。

“芸術品”をひとつだされても、それ単独では俄かには価値を推し量りがたい。しかしそれがどんな文脈の中に置かれたものであるのかを知れば、見る目が変わる。バンクシーの絵がわかりやすいだろうか。価値というより“意味”が分かるといった方がいいかもしれないが。

そういう訳で、店を手伝わせられることになった男性は、コンセプトがあった方がわかりやすかろうと店主に進言した次第である。

「そろそろ、変わってくれませんか?」

「あん?俺だと一人も客が来なかったの見ただろう」

「え。そりゃ、圭太さんがムスッとして行ったり来たりするだけだったからじゃないですか」

「いや、華がなかったんだ。じじいがうろつくだけだったからな」

クリスマスにサンタクロースみたいな身なりにさせていれば、多少は目を引いたであろうか。まぁ、それでも、不機嫌そうな顔を見た衆人は避けて歩くだけだろうが……。

男性は華がないという言葉で、ふと思い至る。

「バイトに若い女の子を雇った方がよかったんじゃないですか?」

「お前みたいに古臭い趣味を持った若いもんは他におらんし、おってもうちの敷居をまたがん」

「えぇ……」

男性は呆れたように肩を落とすばかりであった。

しかし、何も収穫なしでは済まされない。値引きにつられて引き受けた仕事だが、どうせなら最後までやらなくては。

男性は気を取り直して商店街で声をかけて回る。

試しに花瓶に花を挿して歩き回っているが、興味を持つ人は一人もいない。

仕方なしに店の前まで戻ってきたところで、女性がティーカップを見つめているのが見えた。往来の真ん中、長椅子の隣に置かせてもらった丸机に桜柄のテーブルクロスをかけ、その上に紅茶を注いだティーカップを並べている。茶碗でも湯呑でもカップでも、実際に使われているところを見た方が、家に置いた時のイメージが付くだろうという考えであった。

これは、と男性は期待しながら、女性に声をかけた。

「気に入りましたか」

「え?あ、はい。まぁ」

「このティーカップでもいいですし、他にもいろんなものがありますよ」

「へぇ……。どこのお店ですか?」

「あそこです」

男性は真横を指さす。『新生活応援!!』と大弾幕を広げた店は、遠目からでもわかりやすい。

「あそこが骨董屋さんだったんなんて、始めて知りました」

「ま、まぁ、そうでしょうね……」

視界にも入らなかったのかと男性は苦笑する。

「こんなに可愛らしいカップがあったんですねぇ」

女性はしみじみと呟いた。

「掘り出し物ですから」

少しくらいは洋風の食器か何かはないかと店主に詰めたら、そんな浮ついたものはないと逆上された。それでもめげずに男性が棚や倉庫をひっくり返してようやく見つけた、それらしい品であった。そのままの意味で、掘り出し物である。

「……ちょっと見てみようと思います」

「はい。ぜひ、ごゆっくり」

カップをしげしげと眺めていた女性はそういって店の中に入っていった。

あとは、店主が何とかしてくれるでだろう。

まずは一人目、と男性は小さくため息をついた。




「ほれ」

「あ、ありがとうございます」

店主は箱詰めした井戸茶碗を男性に渡す。男性は四万円を店主に渡し、箱をカバンの中にしまった。

比較的好調だった売り上げに気をよくした店主は、ニカッと歯を見せて機嫌に笑う。

「次は盆セールだな!」

「えぇ……一人でやってくださいよ」

「む。ならクリスマスはどうだ?」

「骨董にクリスマス商法が一番似合いませんって」

春にかこつけたセールがたまたまうまくいったからと、セールのお題目は何でもいいと思い込んでそうな節がある。

「そういうものか……?」

店主は髭を撫でつけながら、不思議そうにつぶやくばかりである。

「そもそも、この店の知名度がないのが悪いんです。暇なら、オカリナでも横笛でも練習して、店の前で吹いてください。多分、少しくらいならみんな見てくれるでしょう。もしかしたらバズるかもしれませんよ」

「はぁ……」

分かったような、分からないような、曖昧な返事だった。

男性は『では』とあいさつし、踵を返して帰路についた。

帰り道を歩きながら彼はふと思う。

12万円が私怨のこもった価格だったなら、本当は4万円がもともとの値段ではなかったのだろうか……?

……実質タダ働き?え?

えぇ……。

彼は、虚脱感のようなものを感じながら、とぼとぼと帰り道を歩いて行った。


「春」「アンティーク」「問題」でした。

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