始まりの朝2
ひさしぶりに部屋から出てきたユーリスに、妖精たちがかけた一言は、「おまえ、くせぇぞ」だった。
自分の身体の臭いをかぐユーリスの様子から、妖精達に言われたことをなんとなく察したソウは、なにやら言っているユーリスをうるさいの一言で一蹴すると、とりあえず入っておけと言って風呂に彼をたたき込んだ。
大柄といってもいい体型の中年男性を容赦なく引きずっていった少女に戦く妖精達にむかって、もどってきた少女は一言、
「掃除は終わったの?」
ぽつりと虚空につぶやいた。
間もなくして、キッチンの方から再びカチャカチャと音がし始めた。どうやら片付けをサボって二人の様子を見ていたらしい。
朝と同じようにバタバタと物が飛び交うキッチンを横目に、ソウは手近にある椅子に腰掛けると、ふぅ、と一息つく。
くぅ、とソウのおなかの虫が鳴り、朝食を食べ損ねてしまったことに気づいた。
気がつけば、窓の外にみえる太陽は高く上っていた。もう昼が近いらしい。
食事は昼まで待つことにして、急に手持ちぶさたになったソウは、ふと、リビングテーブルの上に手紙が置いてあることに気がついた。どうやら、妖精達が朝運んでおいてくれたようだった。
差出人は、ユーリスの元生徒だった。直接会ったことはないが、名前は何度か耳にしていて、よく手紙を送ってきてくれる。ユーリスから聞いた話だと、今まで受け持った中でかなり優秀な生徒で、今は国の魔法研究に関わってるとかなんとか。
正直よくわからないが、結構偉い人なんじゃないかという扱いになっている。
そういえば、どんなことが書いてあるのか読んだことがないな、とソウは手紙を手に取った。
これまでユーリスは、この人からの手紙はソウに見せたことがない。彼女の話が書かれている、と言われただけで、内容を詳しくは知らない。こんな機会はそうはないだろう。
そう思ったソウは丁寧に施された封を開けると、中からは数枚の便せんと、指輪が一つ。
ソウは指輪を横に置き、便せんを開いた。
『やあ、ご機嫌はいかがですか、先生』
という書き出しから始まり、そのあとに近状報告が書かれている、普通の手紙だった。内容はよくわからなかったけれど、どうやら今行っている研究についてらしい。こんな機密情報っぽいことを書いていいのか、というのは気にしないことにした。よほどユーリスのことを信頼しているのだろう。
そんなことを思って、ソウは2枚目を開く。書き出しにこうあった。
『ところで、ソウちゃんはもう少ししたら15歳になりますね?』
唐突に自分の名前が出てきたことにドキリとした。この世界でソウのことを知っている人はほとんどいない。この人は数少ない、ソウを知っている人間だ。だからといって、見ず知らずの人から自分のことを話題にされるのはどうも気分が落ち着かない。知らないところで自分を知られているというのは、普通の人にとっては恐怖だ。
まだ見ぬ人に少し苦手意識を持ちつつ、ソウは次の一文に目を移す。
『ソウちゃんにはいつ合わせてもらえますか?』
………?
その後も、その後も……、同じような内容が続いていた。会いたい、会ったらこんなことをしたい、そんな妄想が数枚に渡りびっしりと書き綴られていた。それはまさに恐怖そのものだった。
ソウの口から思わず、「ひっ」と小さな悲鳴が漏れる。
(この人には絶対に関わらないようにしよう……)
会ったら何をされるかわかったもんじゃない。
ソウの中の危険人物リストに一人追加された瞬間だった。
♢ ♢ ♢
元生徒の怪文章の最後は、いたってまじめな内容だった。
『最近、私たちの周りでもある噂が流れ始めてます。『七帝』が動き始めているみたいです。次は私のいる王都が狙われるとかなんとか。その確証はありませんが、最近よく動きがあるのを聞きますので、先生も気をつけてください。特にソウちゃんは一人で歩かせないようにしてください。彼女に何かあったらぶっ飛ばします。念のため、ソウちゃん用に護身用の魔術を付与した指輪を渡します。私特性のものですから、必ず身につけるようにさせてください。』
途中の内容はアレだったけれど、一応普通にソウ達のことを心配してくれているようだった。
『七帝』。この国を含めた周辺諸国の権力者達を監視することを目的とした組織だ。
誰が行っているのか、その正確な構成人数など、詳しいことはわかっていないらしい。ただ、それぞれが特殊な異能の力を持っているらしい、何年かで人員が代わっているらしい、という噂があるくらいだ。
都市伝説のようなその存在は、一般市民の中では話のネタ程度におさまっているみたいだ。「早く寝ないと七帝が襲いに来るぞ」と寝ない子供に言ったりするとかしないとか。
一方で、各国の有力者達は、彼らの行動の話が出る度に気が気では無い。なにせ、彼らにとっては『七帝』と言う存在は恐怖そのもの、テロリストと何ら変わらないのだ。この手紙の送り主のように、特に国に仕えているであろう人々は、彼らの動向には嫌でも敏感にならざるを得ない。
(そんなに心配しなくてもいいのにね)
ソウは手紙を置いてそう心の中でつぶやく。
なにせ、彼らの標的はあくまで“権力を持つ人達”だ。
彼らの制裁の仕方はばらばらで、武力を使う者もいれば、多方面から圧力をかけて解決する者もいるらしい。
物騒なものもあるけれど、そのほとんどは市民に与える影響は少ない。街中を歩いていたとして、巻き込まれることなんてことはないと言ってもいいだろう。
ソウが手紙を封筒にしまうのと同じタイミングで、リビングの扉が開いた。
「お待たせしました。ソウさん」
そう言ってユーリスが部屋に入ってきた。
服装はだぼっとしたパジャマだが、髪は整えられていて、顔色も先程と比べるとかなりましになっている。まだ元気、とは言えない様子だが、少なくとも前のように沈みきった状態ではない。どうやらうまく気分が切り替えられたようだった。
(普段はその辺りはちゃんとしているんだけどな……)
少しだけだが、以前のように戻ってきたユーリスの姿にソウはほっとする。
そんなソウの様子を見て、ユーリスが声をかける。
「心配をおかけしました、もう大丈夫ですので」
そう言ってまた力なく笑う。いつも通りの、頼りなくも優しい笑顔。
紅茶を入れてきますね、と声をかけて、ソウはキッチンに向かう。
キッチンでは、まだ妖精達がドタバタとなにかをやっていた。どうやらまだ時間がかかるらしい。
もともと作り置きしていた紅茶をカップに移してリビングに戻ると、ユーリスが例の手紙を暖炉の火にくべていた。
「……何やってるんですか」
「いや、何でかわからないけど、変な呪いとかかけられてそうだったからつい」
そう言っているユーリスの手には1枚目と最後の便せんが残っていた。どうやらちょうど欲望を書き殴った部分だけを燃やしていたらしい。あっさりとやるあたりなかなか容赦が無い。
あの手紙のことは考えないようにして、ソウはカップを差し出す。
ユーリスはカップを受け取ると、テーブルを挟んでソウと反対側に座ると、ゆっくりと口に運んだ。それにつられて、ソウも紅茶に口をつける。会話がない、静かな時間が過ぎる。
それで、と何時間にも感じられた一瞬の間の後ソウが切り出した。
1週間前何があったのか、ずっと気になっていた。なにも聞かされなかった。聞けなかった。こういったことは、早めに知っておきたい。
「学校でなにがあったんですか?」
その言葉にユーリスの動きが止まる。顔はうつむいた状態で手元をじっと見つめていた。
「なにも面白い話はありませんよ」
「大丈夫です、そこは元から期待してませんから」
微笑みながら毒を吐いたソウに苦笑いを返したユーリスは目を閉じると、一気にカップの中身を飲み干した。
ふう、と一息つくと、ソウの目を見てゆっくりと話し始めた。
「あの日、僕は─────」
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