9話 万願寺優
「――それで、私のところに来たってわけ?」
百江由利は、そう言って呆れたような顔を向けてきた。
俺は、万願寺の言葉が真実かどうかを確かめるべく、現二組のクラス代表であり、万願寺の友達でもある彼女を昼休みに訪ねたのである。
直接教室に行ったら引きつった表情をされた。まぁ、六組の人間が堂々と教室に来ることはあまりないからかもしれない。
今、俺と百江がいるのは人気のない屋上。
屋上は青春の舞台にされがちな場所だが、なぜ人がいないのか来てみて理解した。
雨風にさらされて掃除もされてないせいか普通に汚いのだ。
「たしかに優のことよろしくって言ったけどさ、あんまりあの子とは深く関わらないほうがいいよ」
万願寺から言われたことを百江に説明すると、彼女はため息を吐いてからそう言った。深く関わらないほうが良いとはどういうことだろうか。
「優はね、目の前の不幸を絶対に無視できないの。共感……? っていうのかな。お腹が痛い人を見ると優までお腹が痛くなるし、むかし、課題を忘れてみんなの前で何十分もきつく説教された奴がいたんだけど、その時の優は汗びっしょりになって貧血で倒れた」
「まじか……」
俺が遅刻をしたとき、顔面蒼白になっていた万願寺を思いだした。
あれは教師の不機嫌に怖がっていたわけじゃなく、怒られていた俺の身になって具合が悪くなっていたのか。
「優は目にしただけで、勝手に他人に自分を重ねてしまうの。それがあまりにも強すぎて、あの子は周囲と足並みを揃えられないのよ」
「じゃあ、お前を利用したっていうのは……」
「優が望んだのよ? 追放されることを。私はそれを止められなかった。だって、そういうときの優はあまりにも辛そうだから」
それから百江は淡々と説明した。
万願寺を追放するために率先してクラスを煽動し票を操作したことを。
「もう一度言うけど、優には深く関わらないほうがいい。妙な老婆心であの子を気遣ったって、最後に傷つくのはあんたよ。そして、そんなあんたを見て優も傷つく」
「まるで負の連鎖だな」
「事実そうなんだから仕方ないじゃない。私だって何度も優を思って発言や行動をしたけど、結局優は不幸な人を見過ごせなかった。バカなことだってわかってるくせに自己犠牲をしてしまう。その時に思うの。あぁ、私が優にしたことは無駄なんだなって。そうじゃないと分かっていても、裏切られたような気持ちになる。そんな私に、優は申し訳なさそうに謝るのよ」
百江はほぼ無表情だった。しかし、その目には悲しい色が滲んでいる。
「優だって、自己犠牲が愚かだってことくらい理解してるの。でも、無理なのよ。不幸を絶対に無視できない。なぜなら、自分も不幸になるから。あれは優の自己防衛なの」
百江の言葉は、まるで自分自身を納得させるかのように聞こえた。
納得させて、仕方ないで終わらそうとしているかのように見える。
だが、果たして本当にそれで良いのだろうか?
俺には疑問でしかない。
「目の前の不幸を無視できないなんて、別に万願寺に限った話じゃないと思うけどな? 当たり前のことだろ? 俺だって、自らを追放者で終わらせようとしているやつを放っておくことなんてできない」
たしかに、俺は腹痛のやつをみて自分まで腹痛になったりしない。怒られてるやつを見ても自業自得ぐらいの感情にしかならない。
それでも、自分がそうじゃないからといって無視なんかできない。
百江はしばらく俺を見ていたが、やがて大きくため息を吐いた。
「去年も優と同じクラスだったんだけど、教室で私の財布が盗まれる事件があったの。まぁ、机のうえに置きっぱなしにしてた私も悪いんだけど」
そして、そんなことを話しだしたのだ。
「警察も学校にきたからあんたも知ってるでしょ?」
「そんなことあったか?」
「あんたね……。まぁ、いいわ。で、犯人の候補に優の名前があがったの。犯行があったのは体育の時で、そのとき優だけ一旦教室に忘れ物を取りに行ってたから」
「あいつが犯人なのか?」
「違うと思うけど? 優の鞄からは何もでてこなかったし。優は犯人を見たんじゃないか? って話になったんだけど、あの子は何も見てないって言ったわ」
「手がかりなしか。被害総額は?」
「一万ちょっとだったかな。でも、あるとき机のなかに一万円札が入った封筒があったの」
「返ってきたのか」
それに百江は首をふった。
「たぶん……優が入れたんだと思う。なぜかあの子、その時だけバイトしてたから。たぶん、私が気づいてないと思ってるんだろうけど」
「じゃあ、やっぱりあいつが?」
そう呟いた俺の発言を、百江は鼻でわらった。
「金を盗んだ犯人が、バイトしてまで金を返すと思う?」
「ないな……。だが、なんであいつはそんなことを?」
「わかんない。だから厄介なのよ。誰も優を理解なんてできない。優もそれを分かってるから誰とも深く関わろうとしない」
彼女は疲れたように言って俺から視線を外した。
「もしかしたら、優は犯人を見たのかもね? でも、言わなかった。友達の私が被害にあったのに」
その声は本当に悲しそうだった。
「みんな普通は善人に感情移入するでしょ? 悪人には誰も感情移入なんてしない。罵倒して叩くだけ。でも、優は悪人にも感情移入するんじゃないかな? 全員の気持ちに共感してしまうから、優だけが誰にも共感されない」
そこまで聞いて、万願寺が自身のことを「社会不適合者」と言った意味がなんとなくわかった気がした。
「少なくとも、私やあんたには優を幸せにすることなんてできない。それ自体を優も諦めてるから」
そう言って終わらせようとした百江に反論しようとしたのだが、なんと言えばいいのかわからなかった。
まさか、そこまで深刻なことだとは思ってもなかったから。
代わりに、
「なんで……そんなに詳しい話を俺にしてくれたんだ」
出てきやしない言葉を埋めるため、そんなことを聞いた。
それに百江はすこし考えてから、
「昨日見て思ったけど……あんたは優を拒絶してなかったでしょ? 普通なら宗教勧誘の噂があるような人とは関わりたくもない。でも、そんな感じしなかったから」
「……なるほど」
「もう行っていい? 学校内で六組の人と話してると変な噂されかねないし」
「あぁ。時間取らせて悪かったな」
一応謝罪の意を示すと、彼女は「大丈夫」とでも言うかのように首を振り、屋上から出ていった。
残された俺は、汚い屋上で頭を冷やすため風にあたる。
話を聞いて事情を知って、どうすればいいのかわからなかった。
それでも、どうしたいかは俺の中に明確にある。
そのための方法について、俺はしばらく考えていた。




