8話 追放された理由
どんなハッピーエンドにも変わらない条件というものがある。
それは『一人ではハッピーエンドを迎えられない』ということだ。
窮地の主人公のもとには必ず仲間が助けにくるし、恋愛は二人が結ばれることが絶対条件。
逆に、たった一人でハッピーエンドを迎える者はいない。
そして……バッドエンドは一人でも迎えられるエンドだ。
つまり、ハッピーエンド至上主義者である俺は孤独になってはいけないし、誰かを孤独にしてもいけない。
悪い言い方をするのなら、それはきっとお節介とでも言うのだろう。
それでも、やはり俺はハッピーエンドが好きだ。
人は誰しも、幸せになるために生まれてきたのだから。
「――万願寺。ちょっといいか?」
昼休み。俺は万願寺を教室から連れだした。
昨日のことがあったからなのか、それとも、今日も俺が遅刻して一限目の担当教師の機嫌が悪かったからなのか、彼女は朝から元気がなかった。
「……なに?」
そう問いかけながらも、困ったように眉尻が下がっているのは、俺が何の話をするのかある程度予測しているからなのかもしれない。
「お前が二組を追放された理由って何なんだ?」
「……私が?」
その質問に万願寺は意外そうな表情をした。予測していた内容とは違ったのかもしれない。
「それが分かってたら追放なんてされなくない?」
「まぁ、そうだろうが、検討くらいはついてるんじゃないのか?」
「んー。……ていうか、その話し方的に最円くんには分かってる感じ?」
「あぁ」
「そうなんだ? 私にはわかんないや」
そう言って万願寺は笑った。
その笑みはまるで「別に気にしていない」とでも言いたげ。だが、俺には笑って済ませようとしているようにも見えた。
ハッピーエンドは最後、誰もが笑って終わる。
だから、笑って終わればそれはまるでハッピーエンドに見える。
そうやって偽りの終わりを迎えることを俺は否定しない。むしろ、ハッピーエンドには嘘みたいなご都合が混じっている。
だが、そういった嘘はいつも合理的に計算されていた。
身近なものでいえばマヨネーズの作り方と同じかもしれない。材料が一緒でも、混ぜる順番を間違えればマヨネーズにはならない。
数学の式においても、計算する順番を間違えれば答えはまったく違ったものになる。
ハッピーエンドに嘘は必要かもしれない。
しかし、嘘を混ぜるタイミングは選ばなければならない。
そして、万願寺の作り笑いは、おそらく適切じゃなかった。
「お前について流れてる噂を知ってるか?」
「……さぁ」
「宗教勧誘をしているって噂だ」
「へぇ」
無関心みたいな相槌。だが、自分が悪く言われている噂に対して、無関心でいられる者などいるだろうか?
「そんなのさ、言いたい人には言わせておけばよくない?」
その毅然とした態度は、逆に怪しくも思える。
なにより、この学校ではそういった噂や評価が学生生活に直結する場所だ。
それを聞いて平気でいられるのなら、俺の邪推は杞憂だったというだけのこと。
「宗教勧誘なんて、本当にやってるのか?」
「知らない。別にそんなこと考えたこともないし」
知らない。それは、やってるかやってないかで聞いた質問に対する答えじゃなかった。
「じゃあ、お前が紹介してくれるって人に会ってみていいか?」
「……え?」
「悩みを解決してくれる人がいるんだろ? 一度会わせてくれ」
「……」
昨日はあんなに距離を詰めてきて、その人に会わせようとしていた万願寺。
だが、「会わせてくれ」と前向きな検討をしたにも関わらず、彼女は即答しなかった。
「一応、連絡取ってみるね? その人、忙しいから会えるかどうかわからないけどさ」
「昨日は、今度会う予定があるって言ったなかったか?」
「あー、そうだっけ? ごめん、ノリで嘘吐いたかも。うちそういうこと結構あるからさ」
「少し時間つくってくれるくらいならいいだろ?」
「わかんない。とりあえず連絡だけしておくね」
そう言って、万願寺はその場を去ろうとする。どう見ても、その人と俺を会わせたくないのがバレバレだ。
まぁ、『会わせたくない』んじゃなく『会わせられない』んだろう。
俺は去ろうとする万願寺の腕を掴んだ。
「……なに」
「その人、本当はいないんだろ?」
ビクリと顔をあげる万願寺。その瞳には怯えの色が滲んでいた。
「俺は、万願寺が追放された理由はその噂だと思っていたし、昨日までお前は本当にそういう奴なんだろうなって思ってた」
万願寺は何も言わずにただジッと聞いていた。
その表情はどこか張り詰めていて、どこか……期待に満ちているようでもある。考えすぎだろうか?
「昨日、お前が一緒にいた二組のクラス代表がいただろ?」
「由利……のこと?」
そう言って疑問符を浮かべた万願寺に、俺は思っていることをストレートに述べてやる。
「あいつ……もしかしてお前を利用してクラス代表になったんじゃないのか?」
その瞬間、万願寺は目を見開いた。
その反応から、俺の予想は確信へとかわり、万願寺自身もその事に気づいていたことを知る。
彼女はそれを突き止めてほしくなかったに違いない。だから、はぐらかそうとして笑ったのだろう。
それを言われてしまえば、自分が誰かに利用された愚か者だと認めることになるから。
「弱みを握られてるのか何かは知らないが、あいつの指示で宗教勧誘者のフリをしてるんだろ?」
返答はやはり無し。
「もしそうなら、俺はこのことを見逃せない。自分が上にいくために誰かを蹴落とすなんて俺には絶対許せ――」
話の途中、万願寺が無理やり俺の手を振り払った。
その事に一瞬呆けると、彼女の目にはいつの間にか憎悪が浮かんでいる。
「最円くんってさ……気持ち悪いね」
「……へ?」
そして辛辣を浴びせられた。
その言葉に耳を疑ってしまう。
やがて、面食らう俺に向かって万願寺はニッコリと微笑んでみせた。
「一応言っておけどさ、ゆりを利用したのはうちだよ?」
その声には凛とした芯が通っていた。
「……どういうことだ」
「もう、隠すのめちゃキツそうだから最円には言うけどさ、私が二組を追放されたのは確かにわざと。でも、それはゆりが言いだしたことじゃない。私が言いだしたこと」
「万願寺が……?」
確認したら、彼女はあはっと堪えきれない笑いを溢した。
「そのためにさ、ゆりはクラス代表になってくれたんだよ」
……言っている意味がよくわからなかった。仕組んだのは万願寺? なら、
「自分から追放されたってことか?」
その問いに、やはり彼女は満面の笑み。
そこには、これまでのおバカな一面も、繊細な一面もない。
「うち社会不適合者だから」
社会不適合者、そんな言葉を彼女は平然と使った。
「あとさ、憶測とか妄想で友達のこといろいろ言う人は嫌いなんだよね。マジで気持ち悪い」
もはや、これまで見た万願寺の印象はどこにもなかった。
その目には、確かな嫌悪と憎悪。そして見下したような呆れが入り混じっている。
「あー、そういえばさ、あの子本当に妹なん?」
開き直ったように笑みを浮かべ続ける万願寺は、急にそんなことを聞いてくる。
「……妹だ」
どうやら、まだ信じてなかったらしい。
「そうなんだ? 昨日はごめんね。それだけ謝りたかったから」
反省の意なのか、謝罪のときだけは軽蔑が薄れた。
それから万願寺は話は終わったとばかりにくるりと背を向ける。どうやら彼女が予想していた話とは桜のことだったらしい。
彼女はそのまま教室に戻っていく。
俺には、それを引き止める気力はなかった。
「気持ち悪い……かぁ。ははは」
言わずもがな、彼女の放った一言で大ダメージを受けていたからだ。
まぁ、前向きに考えるのなら、俺は憶測や妄想で物を言いたかったわけじゃない。万願寺が何も言わないから、そうするしかなかっただけのこと。
引けるカードが一枚しかないのに、それを引いて罵倒されたとしても、素直にそれを受け取る必要はない。
仕方なかったってやつだ。うん……仕方なかった。
そんな言い訳を頭の中でつらつらと並べていると、精神は幾分か回復してきた。
万願寺に数分遅れて教室に戻ると、彼女はすでにいつもの様子。
彼女は、そうやって周囲を欺いてきたのだろう。
――ゆりを利用したのはうちだよ?
まだ、万願寺の言葉が真実とは限らない。それは、愚か者を否定したい彼女の抵抗だったのかもしれない。
だが、もし本当に彼女の言葉が真実であるのなら、やはり、そうであることを確かめなければならない。
気持ち悪い、か。
まぁ、ハッピーエンド至上主義者とは、得てして気持ち悪いものだ。
他人の揉め事に首を突っ込み、自分の考えがまるで正義であるかのように振る舞い、そして周囲を巻き込む。
それは気持ち悪いものなのかもしれない。
だが、真のハッピーエンド至上主義者とは、それを自覚してなお止まらないからこそ、ハッピーエンドを掴みとる。
女子から言われた辛辣程度でセンチメンタルになるような奴は真のハッピーエンド主義者ではない。
だから、俺は落ち込まない。絶対……絶対にだ。
「……はぁ」