36話 その後
誰もが固唾を飲んで俺の一挙一投足を見守っていた。
特に、容疑者である女子生徒の顔には恐怖とも呼べる感情が貼り付いている。
まぁ、これで不遜な事を見える形で言ってくることはないだろう。
京ヶ峰が望んだ粛清ではなかったものの、同じような効果は見込めるはず。
「邪魔したな」
誰にともなくそう告げた俺は一組の教室をでた。
窓を殴った腕は力が入らずダラリと下げたまま。血が流れているが、アドレナリンのせいか痛み感じない。動かすのは良くないんだろうなぁという浅い知識しかない俺にはやはり、取り敢えず止血のため保健室に向かおうという浅い考えにしか至れず。
廊下にいる生徒たちはまるで、邪険に扱うように俺から距離をとった。
「最円くん!」
そんな中、後ろから追いかけてきた声に振り返れば、顔面蒼白のまま苦しげな表情をうかべる万願寺。片腕を、まるで震えを抑え込むように強く握りしめている。
そんな彼女の後ろにいる京ヶ峰もまた、複雑な表情を浮かべる。唇を強く噛み締め、強く握りしめられる両拳からは何を思っているのか窺いしれない。
ただ、前向きな感情じゃないことだけは何となくわかった。
「悪い。今日はもう帰るな?」
ただ、そのことについて話し合う余裕はなく、力なく笑って背を向ける。
だが、
「腕……大丈夫なの!?」
万願寺はそれを許してはくれなかった。
「痛ッッ!!」
追いつかれて触れられた腕には、力が抜けるような感覚と共に痺れるような痛みが走った。やばい……もしかしたら骨に異常があるかもしれん。
「ほら、血も出てるじゃん。待ってて。先生呼んでくるから!」
そう言って彼女は駆けていく。
「帰るより病院に行ったほうがよさそうね」
そして、後ろから京ヶ峰の声。
痛みを堪えて無理やり笑えば、呆れたようなため息で返された。
「言いたいことはいろいろあるけれど今度にしておくわ。私自身も整理できていないから」
そうして京ヶ峰は、無事なほうの腕を掴んできた。
「あなたのことを少しでも知っていなければ……狂った異常者だと思ったでしょうね」
それは独り言とも取れる呟き。
「突然窓を割ったんだから、そう思うのが普通だろ」
「……馬鹿ね。そんな風に決めつけるにはもう遅いのよ」
だが、返した言葉は鼻で笑われた。
もはや……俺から言えることは何もなかった。
ただ、他の奴らと違い、それでも近づいてきた彼女たちは間違っているのかもしれない。
たぶん、俺はとっくの昔に狂ってしまっているのだろう。
いつからか……俺は、桜だけを絶対として崇めた。
それは、桜が「好きだ」とか「愛している」だとか、そういった類の感情じゃない。
主観において、桜以外の者たちを消していった結果、相対的に桜が残ったというだけのこと。
それを純粋な愛と呼ぶには、違う気がする。
だからこそ、俺には桜以外の奴らがわりとどうでもよく思えてしまう。
それを正常と呼ぶこともまた、違う気がした。
俺は誰かや何かを守るために窓を殴り割ったわけじゃない。そこには確実に、誰かを傷つけて構わないという狂気があったのだから。
それはきっと、正当化されてはならないのだろう。
「――以前、君には忠告していたはずだがね? 最円。いや、もはや生徒として認識することもおこがましいな。この犯罪者予備軍め」
……だからといって、そう呼ばれることも違う気がする。
「窓割っただけじゃないですか……」
そんな反論に、与那国先生は軽いため息。
「物を破壊することは立派な犯罪だ。それでも予備軍へカテゴライズしたことに君は情状酌量の余地を感じて涙するべきではないのかね」
先生はそう断じてみせた。ただ、視線は俺ではなく前方を向いたまま。
当たり前だ。先生は運転中なのだから。
あのあと、教室で起こした騒ぎにより、俺は駆けつけた教師によって確保された。救いだったのは、万願寺が連れてきた与那国先生によって、すぐさま病院へと連行されたこと。
現在、そんな先生の車で病院に向かっている真っ最中。
前方を見ていると数十メートル先の信号機が赤信号に変わり、車はゆっくりと速度を落として停止線の手前で止まった。
目の前を、数人の歩行者が通っていく。
「彼らはなぜ、安全に横断歩道を渡れると思う?」
それは、唐突に出された問題。
「歩行者側の信号が青だからじゃないんですか?」
「違うな。私が赤信号で止まったからだ。信号機は安全を確保するための手段でしかない。それを皆が守ることで、初めて安全が確保されるのだよ」
「……そうですか」
どうやら、先生お得意の遠回しなお説教らしい。要は、「ルールを守れ」と言いたいのだろう。
それをわざわざ説明しないのは、俺の理解力を信じているからなのか、言っても無駄だと諦めているからなのか。
どちらにせよ、直接的な事を言ってこないのはありがたくはあった。
やがて、視界には病院が見えてきた。
車は駐車場に入ると、空いてるスペースへ停まる。
「もし、次に窓を割るのなら、誰もいないところで金属バットを使いなさい」
片手で扉を開けるのに苦戦していると、先生が不意にそんな事を口走った。
聞き間違いかと思って見れば、先生は穏やかに微笑んでいる。
「そうすれば、今度は心配などすることなく説教できるからな」
「……」
その時、もしかしたらこの人は遠回しな説教が好きなわけじゃなく、ただ単にツンデレなだけかもしれないと思った。
先生の言葉はつまり、俺のことを「心配している」という意味だったから。
結局、俺の腕は五針縫う怪我で済み、激痛は関節の捻挫によるものだった。幸い骨や靭帯に影響はなく、安静にしていれば二週間ほどで完治するらしい。
とはいえ、肘や手首の可動域が恐ろしいほど狭い。ぶっちゃけ日常生活に支障をきたすレベル。
それでも、学校の窓を割ったくせにその怪我で休んだなんてあまりにもマヌケ過ぎて休むわけにはいかず、ちゃんと学校に行ったら即生徒指導室に連行された。
渡された原稿用紙は反省文を書くためのもの。
だが、利き手を怪我しているため鉛筆すら握ることもできない。
それを説明したら、教師たちからは呆れられた。
……まぁ、そんなことよりもだ。
「――お前……っていうか、今、お前らのクラスがなんて呼ばれてるか知ってるか?」
それは昼休みの学食。
利き手で箸やスプーンを握ることができず、なんとか握ったとしても関節の可動域が狭い俺は口までそれを持っていくことができず、恥ずかしながら益田の介護を受けながら食事を取っているときのこと。
彼は、俺にアーンと食事を運びながらそんなことを言ってきた。
「知るか」
「“害悪の世代”だってよ」
「なんでクラスの俗称に世代使ってるんだ。少年漫画の影響受けすぎだろ」
「た、確かに世代だと俺も入るよな!?」
今さら驚いてみせた益田。驚くのはいいがスプーンを動かすな。
「つーか、俺が言いたいのはだな? 薫が一組に戻るのは絶望的だということさ」
「……そうかもな」
「かもじゃなくて絶対無理だろ。よくもまぁ、俺もこうしてお前に付き合ってるよ、まったく」
「俺の票が欲しいだけだろ」
「まぁ、そういう見方もあるな!」
そういう見方しかないだろ……。はやく俺以外の奴と相互投票しろよ……。なんか悲しくなってくるぞ。
事件後、意外と周囲の人間関係が変わることはなかった。
ただ、益田が言ったように二年六組自体の評判は地に落ちた。
とはいえ、俺が所属する前から万願寺や京ヶ峰には悪評があったのだから、印象自体はさして変わらず。
変わったのは――、
「あのさ、今日からうちと京ヶ峰さんで最円くん家に食事作りに行くから」
それは万願寺からの言葉。
「は? なんでだよ」
「万願寺さんと話して決めたのよ。あなたの怪我が完治するまで、私と彼女が交代で食事をつくるわ」
疑問に答えたのは京ヶ峰。
「いや、そんなこと急に言われてもだな」
「じゃあさ、その腕で桜ちゃんにちゃんとした食事作れるわけ?」
「それは……」
「あなたのためではなく桜さんのためよ。これなら良いでしょ?」
「まぁ、たしかに」
万願寺が提案してくるなら分からなくもないのだが、何故か京ヶ峰までもが、そんなお節介をしだしたこと。
ただ、桜にちゃんとした料理を作ってやれないというのは紛れもない事実であるため、俺はその提案を受け入れるしかなかった。
 




