31話 すれ違い
なんの因果か、最近は他人を家に呼ぶことが多くなった気がする。
それは偶発的なものもあるのだが、よくよく思い返してみると胡兆の影響なのかもしれない、とも思う。
――最円くんのやり方は間違っていると思います。
彼女の主張、それは桜を外に連れだすというものだった。
そのために計画された先週の日曜日は、最後の最後で妙な悪漢たちによって台無しにされたものの、たしかに桜は楽しそうではあった。
それに……桜自身もこのままではいけないと考えていたことを初めて知ることができた。
だから、俺は無意識に外の世界との繋がりを家に持ち込もうとしているのかもしれない。
だから! 女の子を部屋に呼ぶのは、決して邪な下心からなんかじゃないッッ!
そんな結論をだした俺は、静かに拳を握りしめる。
「……何をしているの?」
「あぁ、俺の正当性を確認していたところだ」
「意味がわからない事をしないでくれる?」
京ヶ峰は呆れたような息を吐いたあとで上を見上げた。
「それにしても……良い所に住んでいるのね?」
「まぁ、な」
親父の良いところは、莫大な金を家族に残したことだ。そのおかげで、少なくとも俺が稼ぐようになるまでは何不自由ない生活をおくることができる。
悪いところは、金には代えられない自身を犠牲にしたこと。
部屋まで戻ると桜が迎えてくれたが、京ヶ峰に気付いてビクリと止まる。
「桜、ちょっと作業で居間にいるから、何かあったら呼んでくれ」
「わ、わかった……いひひ!」
桜はそう言って笑うと部屋に戻っていく。
「……親戚の子?」
そんな桜に、京ヶ峰が首を傾げる。
「妹だ」
「血が繋がってるようには見えないけれど」
「残念ながら、俺は正真正銘あいつの兄なんだ」
それに彼女は「ふぅん」と興味なさげな声だけ洩らしただけ。そのまま居間に案内すると、何事もなかったかのように筆跡鑑定の続きを再開。
俺もそれに参加して作業をしていると、不意にインターホンが鳴った。
万願寺だろうと予想してドアホンを起動させたら、やはりそこにいたのは万願寺。だが、それだけでなく、彼女の隣には一ノ瀬までいた。
『この前のお礼で、一ノ瀬さんも手伝いたいって言ってたから連れてきちゃった』
連れてきちゃったじゃねぇ……。
俺はため息を吐きそうになったものの、そのまま彼女たちをマンションへと入れた。一ノ瀬の人柄はある程度知っているし、万願寺もどうせ入れてくれるだろうと確信して連れてきたに違いない。まぁ、その通りなんですけど。
筆跡鑑定という膨大な作業には、どう考えても人手が必要だった。
そして、生徒総会準備のお礼だというのなら、その功績は作戦をたてて実行してみせた京ヶ峰にある。もちろんそれは万願寺にもあるわけで、少なくとも俺が受け取るべきお礼は何もない。
「一ノ瀬もきたぞ」
そう京ヶ峰に告げると、彼女の反応は芳しくなかった。
「どうして彼女が?」
「この前のお礼で手伝いたいんだと。お前が頑張ったお陰だな」
なんて、遠回しに褒めたら、京ヶ峰はコホンと咳払い。
「……あの作戦は万願寺さんがいたからよ」
予想通り、素直に喜ぶことはなかったが。
なんにせよ、作業をする人が増えたことで筆跡鑑定は目に見える速度で進み始めた。
犯人が特定できるかどうかは別として、全校生徒分のノートを確認し終えるのに、そんなに時間はかからないだろう。
途中、昼になったタイミングで万願寺が「ご飯をつくる」と申し出てくれたので、お金を渡して買い物に行ってもらった。
その間も俺たちは作業を進め、万願寺は帰ってくるとそのままキッチンに立って料理を始める。
できたのはスパゲティ。
「桜ちゃん呼んでくるね?」
万願寺は盛り付けた皿を机に置いたあと、エプロンを畳みながら俺に言ってくる。
「桜が嫌そうだったら、部屋に運ぶだけでいいんじゃないか?」
「あー、そうだね。どっちにするかは桜ちゃんに選んでもらうから」
「んじゃ、それで」
それから万願寺は桜の部屋へと向かう。
俺は目の前のノートを一旦脇の方に追いやると、まだ温かな湯気を立ちのぼらせるスパゲッティと位置を替える。
そうしてフォークを手に取ったとき、京ヶ峰と一ノ瀬がジッと俺を見ていることに気づく。
「……どうした? せっかく作ってくれたんだから、冷めないうちに食べたほうがいいぞ?」
それに彼女たちは顔を見合わせ、再び俺のほうを変わらぬ視線で見てくる。……なんだよ。
口を開いたのは京ヶ峰だった。
「万願寺さんが買い物に行ったときから思っていたのだけれど……あなたたち同棲でもしているの?」
「は?」
冗談かと思ったのだが、彼女たちの表情は至極真面目。一ノ瀬に至っては、どこか好奇心のようなものが見て取れる。
「そんなわけないだろ。ちょっといろいろあって、飯を作りに来てくれるだけだ」
詳しく説明するのが面倒だったため、「ちょっといろいろ」に全て包含して説明したところで万願寺が戻ってきた。
「桜ちゃん、迷惑じゃなかったら一緒に食べるってさ」
「迷惑なわけないだろ。むしろ、桜に迷惑をかけてるのは、桜のひとときを邪魔してる俺たちのほうだ」
「……あっそ。あと、これお釣りね。エプロン汚れちゃったから洗濯しといてくれると助かる」
「あぁ」
「じゃあ、連れてくるから」
そして、再び消える万願寺。
「本当に……一緒に住んでいないの?」
そして、再び向けられた疑わしげな視線。
「住んでない」
だが、京ヶ峰が納得する様子はなく、一ノ瀬が小さく手をあげた。
「あの、ご飯を作りに来てくれるってことは、二人は付き合ってるんですか?」
なんでそうなる……。
彼女たちの思考についていけず困惑してしまうものの、俺は大事な部分を説明していなかったことに気づいた。
「ご飯を作りにきてくれるのは桜のためだ」
「桜って、さっきの妹さん?」
「あぁ。飯は基本的に俺が作ってたんだが、万願寺のほうが料理が上手いから頼んだんだ」
「作るのが面倒だったからではなく?」
「桜のためにやることで面倒なことなんて何一つない。家族なんだから当たり前だろ」
そう言ったのだが、京ヶ峰は納得しなかった。
「そうかしら? たとえ家族であっても嫌なことは嫌で、面倒なことのほうが多いはずだけれど?」
その言葉には、どこか棘がある気がした。
「まぁ、それはあるかもしれない。だが、家族と他人とではやっぱり違うだろ。嫌なことも面倒なことも、家族なら悪い気はしない」
「家族家族って、あなたは自分に「家族だから」って言い聞かせているだけではないの? 万願寺さんにご飯を作ってもらっているのには、別の理由があるのではないの?」
言葉の棘は次第に大きくなり、口調すらも鋭さを帯びた。
それは会話というよりも、一方的な尋問に近い。
「お前……なにをそんなにムキになってるんだ」
それには傷つくよりも、京ヶ峰が怒っている原因が分からない苛立ちのほうが強くなる。
「たとえ、それが俺自身に対する言い聞かせだったとしても別に良いだろ。逆に、どんな理由が他にあるんだ?」
そう問うと、京ヶ峰は唇を噛み締めた。
「私は……ただ……もしかして、あなたが万願寺さんのことを――」
その時、居間の扉が開いて、万願寺と桜が入ってきた。
「お待たせ! ……って、あれ? どうしたの?」
俺たちに取り巻く空気を敏感に感じ取ったのか、不可解な表情をする万願寺。
桜は、そんな彼女の後ろに隠れていた。
「桜、飯にしよう」
二人が現れたことで不穏な空気はぶつ切りにされたものの、むしろそれは良かったのかもしれない。
俺が呼ぶと、桜はまるで木から木へと飛び移るモモンガのようにテテテテと万願寺の後ろから駆けてきた。
そうして俺の後ろに収まったところで、京ヶ峰と一ノ瀬へ視線をチラチラ。
「ちゃんと紹介してなかったよな? 京ヶ峰と一ノ瀬だ」
「さ、最円桜……です。こんにちは……いひひ!」
「わぁ、桜ちゃんって言うんですね! かわいい!」
当たり前の反応ではあるものの、一ノ瀬は目を輝かせて桜へと寄ってきた。そうだろそうだろ。
「……こんにちは。桜さん」
京ヶ峰も続いたが、先程の空気を引っ張っているせいなのか反応はあまり良くない。
そしてあろうことか、
「……ごめんなさい。私は帰るわ」
京ヶ峰はそう言って立ち上がったのだ。
「はぁ?」
それに呆気にとられていると、彼女は目の前にある分のノートだけをバッグに入れ、逃げるように居間からでていく。
それはあまりに急なことで、俺たちは引き止めることすらできなかった。
やがて、静まり返った居間の中で、俺の服を引っ張る桜の力だけが強くなる。
「ご、ごめんなさい」
見れば、桜は怯えを隠すようにぎこちなく笑っていた。
きっと、「自分が来たから帰ったのだ」と思ったに違いない。
そんな桜の怯えた頬にそっと触れる。
いつもの俺ならば、その謝罪を受け入れていただろう。
桜のせいじゃない、そう言ったところで桜の中で沸き上がった罪悪感が完全に消えるわけじゃない。それならいっそのことその謝罪すらも肯定し、許してしまったほうが安心するはず……。
だから、いつもの俺ならその謝罪に対し、笑顔で「許す」と言ったはずだ。
だが、
「万願寺、桜を頼む」
「えっ? あ、うん」
今だけは、その謝罪を否定しなければならないと思った。
「京ヶ峰を連れ戻す」
なぜ急に帰ったのかは知らなかった。
だが、話もしない私的な感情だけで桜を傷つけたことは許せない。
京ヶ峰には……桜に謝ってもらわなくてはならない。




