15話 侵食される最円家
万願寺が買い物袋を持ってマンションにやってきたのは、俺が帰宅してから三時間ほど後のこと。
「ごめん、遅くなっちゃった。すぐ作るね」
「レシート」
「はい」
渡されたスーパーのレシートを確認。その金額よりも多めの額を封筒に入れると、玄関の見えやすい棚のところに置いた。
こうしておくと、彼女は帰る際に持っていってくれる。
最初は手渡しをしていたのだが、「そういうつもりで作りにきてるわけじゃない」とか「お金の関係みたいで嫌だ」とか言ってきたので、最終的に彼女に“選ばせる”ことで落ち着いた。
ここに置いておくのは、謂わば「気持ちだから持って帰るもよし、持って帰らぬもよし」という意味を含んでいる。
だから、万願寺がどうするかは自由。そして、大抵の場合ちゃんと持って帰ってくれた。
当たり前だ。三人分の食費はバカにならない。
もはやこの部屋にも慣れたもので、万願寺は家から持ってきて置いてあるエプロンを棚から取り出したあと、髪を結わえてキッチンに立つ。
それから、どこで買ってきたのかスマホスタンドにスマホを装着したあと動画を見ながら料理を始めた。
ちなみにだが、彼女も一緒にご飯を食べる用に食器棚には見覚えのない皿が増えている。気がつけば、コップなんかも置いてあったりした。
一番焦ったのは、朝起きて寝ぼけたまま歯磨きしようとしたら知らない歯ブラシが我が物顔で置いてあったとき。
正直めちゃめちゃ怖かった。俺が知らぬ間に誰かが部屋のどこかに住んでるのかと思った。
ドラマとかで、親にバレないよう他人を部屋に住まわせる展開がよくあったりするが絶対すぐバレる。
警察を呼ぶ前に万願寺に確認しておいて良かった。というか、勝手に置くなよ……。
やがて、キッチンのほうから良い匂いが漂ってきたところで、桜が部屋から這い出てきた。普段部屋にいるときは呼びに行くまで出てこないのだが、万願寺が来るときだけ自分からやってきて机に座って待機している。その光景には敗北感。
そして、それを見計らったかのように運ばれてくる万願寺の手料理。
微かに上がる香ばしい蒸気とパリパリに揚がった鶏もも肉。そこにたっぷりとタルタルソースがかけられていて、彩りを添えるようにサラダまで付いていた。
その名もチキン南蛮。
「今日、鶏が美味しそうだったからさ」
料理が盛られた皿をコトンと置きながら付け加える万願寺。
まぁ、レシート見た時点で鶏であることはわかっていたが、チキン南蛮まではわからなかった。てっきり唐揚げかと……。なんか夏休みゲームの晩ごはん当てクイズを間違えた気分。
というか、
「お前、料理教室にでも通ってんの?」
「通ってないけど?」
「なんか、料理の腕上がってね?」
「あー、でも、ここ来るようになってそういう動画けっこー見てるかも」
「そうなのか」
「うん。料理教室とか行ってみたいけどね」
「いくらだ?」
「なにが?」
エプロンを脱いだ万願寺が小首を傾げる。
「料理教室に決まってるだろ」
「……は?」
俺はスマホを取り出してチキン南蛮……ではなく、ヨダレを垂らしながら、穴が空きそうなほどチキン南蛮を見つめる桜を写真に収めた。
「行くなら出すぞ?」
なにせ、かわいい桜の姿を拝めるのだ。金はいくら投資しても構わない。
そんな気持ちで言ったら、万願寺に笑われた。
「なんで最円くんが出すの? バカじゃん?」
「行ってみたいって言っただろ……」
「そういうのってさ、普通親か自分でだすものでしょ」
「桜のためなんだから、俺が出すの当然じゃね?」
「最円くんのシスコンって、ちょい歪んでるよね」
「普通だろ。家族なんだから」
「家族、ねぇ……」
万願寺は諦めたように笑って椅子に座る。
それは、お馴染みとなった最円家の晩ごはん風景。
彼女は「いただきます」のあと、机に置いてあるリモコンを手に取ると自分が見たいチャンネルに変えた。
「うちの家、部屋にテレビないから助かるわー」
うん、なんか馴染みすぎてる気がしなくもないな。
* * *
食後、食器を洗って居間に戻ると万願寺の姿がなかった。
「万願寺もう帰ったのか」
そう呟いたら、
「ううん。お風呂」
桜が気もなく答えた。
「……まじかよ」
そのまま浴室のほうへ行くと、中からシャワーの音が聞こえてくる。むろん、覗きにきたわけでも文句を言いにきたわけでもない。
「おい、お前着替は持ってきてるのか?」
それを確認するだけだったのだが、浴室の前にはちゃんと着替が置いてあった。
私服とその上に下着。
「なっ! なに勝手にきてんの!?」
それに、万願寺が焦ったように胸元から上だけを外に出し、ポタポタと髪から水滴を落としながら叫んだ。
「変態! ばかッ! 帰れ‼」
帰れって……。ここ俺の家なんだが。
とはいえ、いつまでもそこにいるわけに行かず言われた通り出ていく。
分別はあるつもりなので、そこから何かしようとは思わない。
その後、バスタオルを頭に乗っけて出てきた万願寺が俺を睨んでいたが、物申したいのは俺のほう。
「シャワー借りるなら先に言ってくれ」
「この前、借りていいか聞いたら「好きにしろ」って言ったじゃん」
予想外の返答に驚きを隠せない。
「そんなこと言ったか?」
「うん。だから着替も持ってきてたんだけど」
「なるほど」
たしかに俺の意向としては、桜のために来てもらってるのだから好きにしてもらって構わない。ただ、マジで入る奴おるぅー?
「ピンクのボトルに入ってるシャンプーうちのだから使わないでね」
しかも、他人の家にシャンプー据え置きする奴おるぅー?
「でもさ、最円くんも結構良いシャンプー使ってるんだね?」
一瞬、万願寺がなんの事を言ってるのか理解できなかった。
「ああ、それ桜のために買ってきたオイルシャンプーだろ? 俺は石鹸で髪洗ってるし。お前こそ、それ使うなよ?」
「……まじ? 頭皮ボロボロなるよ?」
「知るか。それと、お湯張ったら上がるとき栓抜いておいてくれ。掃除して新しいお湯張り直すから」
「そんな面倒臭いことしてんの!? それ水道代やばくない?」
「桜が入るときだけだ。俺が湯を張るわけないだろ。節約のために冬しかお湯つかわない」
「桜ちゃんの後のお湯使えばいいじゃん」
「桜が浸かったお湯を誰かに使わせるわけないだろ!」
当たり前のことを指摘してやる。
「あと、バスタオル忘れたときは無印のやつ使ってくれ。ブランド物は桜専用な」
幸いにも、今回は万願寺が全て自分の家から持ってきていた。
だから、怒るポイントは何もなかったのだが、
「……なんか、最円くんマジでおかしいと思う」
何故か、彼女はバスタオルで顔を覆って声を涙で滲ませた。
うーむ。泣かれると非常に言いづらいのだが、俺は桜のためにもう一つ言わなければならないことがあった。
「それとだな……その、お前が付けてる下着だが、桜の教育上あまり良くないから置くときは隠してくれ」
「ばかぁぁぁあ!!」
直後、俺は万願寺にビンタされてしまう。
覚悟はしていたが、それはどうしても言わなければならなかった。桜が身につけるには、あまりにも早すぎる代物だったからだ。




