10話 一つの辛辣な意見
授業が終わり、その日の雑務ノルマを急いで達成した俺たちは、教室にやってきた一ノ瀬も交えて、大量にある意見についての検討を行っていた。
とはいえ、その大半は話し合う必要のないものばかり。
既に回答が記載されている文を資料から抜粋したり、校則から意見に関して該当する部分を持ってきたりと、会話よりは事務的作業のほうが多い。
教室には、一人だけノートパソコンに向かう千代田のキーボード音だけが響いている。
彼女だけは、すでに処理した回答を一つの資料にまとめる作業を任されていた。
そんな中で、
「……あのさ、こういうのって無視しちゃっていいよね?」
万願寺が苦笑いしながら見せてきた一枚の紙。
そこには、
――今いる六組の人たちは全員退学させたほうが良いと思います。
そんな辛辣が書かれていた。もちろん、匿名の意見。
それに慌てて咳払いする。
「んー、俺には何て書いてあるのかよく読めないんだが……生徒からきた意見なんだし無視はダメだろ。まぁ、作業をやってる過程で書類の一枚や二枚がうっかりゴミ箱に入ったりすることもあるだろうが引き続きがんばれ」
遠回しに「捨てろ」とアドバイス。
万願寺はそのアドバイスに最初キョトンとしていたが、遅れて理解したようで、
「そ、そうだね! 確かに無視はよくないよね! ごめんね? 変なこと聞いちゃってさ」
そう言ってその紙を下げた。
実は、同じような意見を俺も見つけていたのだが、誰に相談することもなくうっかり捨ててしまっていた。
あれ、どこいっちゃったんだろうなー。うっかり捨ててなければ対応したのになー。でも、ないものは仕方ないしなー。人による作業だからこういうことってあるよなー。
それで自分の作業に戻ろうとしたときだった。
「万願寺さん。その意見って、ちゃんとした理由は書かれてあるのかしら?」
下げた意見について、京ヶ峰が食いついてしまったのである。
「え? いや、書かれてないけど」
「そう。なら、ちゃんとした理由を本人に聞く必要があるわね?」
そして、彼女は不穏なことを言いはじめた。
「これ匿名の意見だから、誰が書いたかわかんないよ?」
「書かれてある筆跡から辿れるんじゃないかしら? 最円くん、全校生徒の筆跡がわかるような物を職員室から貰ってきてくれないかしら? ノートか提出プリントでいいから」
「お前……本気で言ってるのか?」
「ええ。本気で言ってるのよ」
確かに、京ヶ峰の目は真剣そのもの。
「前の質問みたいに生徒総会で晒して呼び出せばいいだろ?」
「出てこないと思うわ」
「いや、前のやつも出てこないと思うがな……」
ボソリと言うと、京ヶ峰は突然バンと机を叩いた。その音に、一ノ瀬が「はぅ!」と驚きの声を洩らす。
「匿名だからといって何を書いても良いとは限らないわ。その言葉で私はちゃんと傷ついた。それを見過ごすなんてできない」
そして、彼女お得意の正論が飛びだした。
「あのなぁ、世の中にはいろんな奴がいるんだ。そういった陰湿な事をして楽しんでる奴だっている。それにいちいち構うくらいなら、ちゃんとした意見のほうに力を注いだほうが良いんじゃないか?」
だが、俺はそれに抵抗をしておく。なぜなら、このままだと俺が職員室に行って筆跡鑑定にまでつきあわされそうだったから。
要は、仕事を増やしたくなかっただけ。
その意見に京ヶ峯は拳を強く握りしめていた。やがて、諦めたように拳を緩めて息を吐くと、そのまま立ち上がる。
「……そう。なら、私一人でやるわ」
ツカツカと彼女は教室からでると、扉が寂しげにパタンと閉まる。
残された俺たちには気まずい空気が流れた。
「なんか、ごめん」
万願寺が謝罪。それに俺は首を振るしかない。
「誰も悪くないだろ。強いて悪者をあげるとするなら意見を書いた奴。ただ、それも意見のうちの一つではあるしな」
「でも見せなきゃよかった。京ヶ峰さん、けっこうショックだったのかも」
「ショックというより、普通に怒ってるだけだと思うが」
そして、俺と万願寺はほぼ同時にため息を吐いた。
「あの、あれは……放っておいていいんですよね?」
そんな空気を見かねたのか、一ノ瀬が恐る恐る発言。
「放っておくわけないだろ」
そう答え、俺は気乗りしない体に鞭打って席を立つ。万願寺もそれに倣った。
「千代田、お前も手伝え。全校生徒分のノートやプリントなんて、めちゃめちゃあるんだから」
そう言って、ノートパソコンの画面を見れば、千代田はこっそりとマインスイーパーというゲームをしていた。
こいつ……。
「おい」
「あっ……地雷踏んだ」
無理やり止めさせようと腕に触れたら、クリックするマスを間違えたのか画面にはゲームオーバーの文字。
「安心しろ。地雷はすでに踏み抜いてある。その処理を今からしにいくんだ」
「……面倒。現実逃避。コンテニュー」
「現実逃避すな。ほら、行くぞ」
「うぇぇ」
嫌がる千代田を立たせてから、京ヶ峰を追うために教室を出る。
「あ、あの! その……まさか、みんなで行くんですか?」
後ろから、そんな俺たちを引き止める一ノ瀬の声がした。
「そうだが?」
「でも! それは京ヶ峰さんに任せて、私たちは出来ることを進めたほうがいいと思います……」
尻すぼみになっていく一ノ瀬の主張。それに俺は万願寺と顔を見合わせてから再び彼女へと向き直る。
これは、説明不足というやつだろう。
「一ノ瀬には言ってなかったが……、人員が一人少ない俺たちが他の六組よりも早く作業を進めてたのは京ヶ峰がいたからだ。あいつを抜きにして作業する想定なら、俺はこの仕事を引き受けてない」
「でも、時間もあまり残されてないですし……」
なるほど。どうやら一ノ瀬は、仕事の進捗を心配していたらしい。
だが、それは杞憂に過ぎない。
「俺から安心しろっていうのはおかしな話だが、あいつは受けた仕事を中途半端で終わらせるほど甘くないぞ? ここで放っておいたら、後で割食うのは確実に俺たちだ」
そう。だからこそ、俺は京ヶ峰が提案してきた危険な賭けに乗ってでも彼女を引き入れた。
彼女なしでは普段の雑務と並行して作業を進めるなんて無理な話。
たしかに、京ヶ峰がやろうとしていることは無茶であり無謀ですらある。それをやり遂げたところで、作業量に見合った何かがあるとも思えない。
それでも……だからといって、それは彼女を切り捨てる理由にはならなかった。
「俺は、あいつの能力を高く評価してる。それを手放したら、あいつ抜きでやる作業にはなんの価値もない」
まぁ、もちろん俺の主観。ただ、それは万願寺も同意した多数意見とも言える。
一ノ瀬はビックリしたような顔をしていた。というか、たぶんそれはビックリしていた。
「一ノ瀬も手伝ってくれるなら、もっと早く終わるぞ」
そんな彼女を俺は誘う。もはや逃げられない仕事量をどうにか減らすためだ。
それでも彼女は躊躇する。そこには、自分だけでも他の作業を進めたほうがいいんじゃ……という迷いが見て取れた。
あとひと押しというところ。
こういう時は、心に訴えかけるのが吉だろう。
「それに……女の子ひとりに無茶させるわけにはいかないだろ?」
「うわ、くっさ」
万願寺のせいで台無しである。俺はちゃんと傷ついた。
それでも効果あったようで、
「……わかりました。私もお手伝いします!」
一ノ瀬は付いてきてくれた。
そうして、俺たちは職員室へと向かう。
「あいつ、流石に職員室で問題とか起こしてないよな」
ふと、心配になった事を口にしてみる。
「わかんない。でも、先生たちからダメって言われたら、京ヶ峰さんでも諦めるんじゃ?」
「いや、あいつのことだから「各クラス回って置き勉してるノート盗ってこい」とか言い出したりするかもしれないぞ?」
「まっさかぁ……」
万願寺は笑ってみせたのだが、不意に真剣な表情をして俺を見つめてきた。
あり得なくない、そう感じたのだろう。
そして、そんな表情をされたものだから、言った俺ですら不安が増してくる。
「……急ぐか」
「うん」
なるべく速歩きで京ヶ峰を追う。その速歩きはすぐに駆け足へと変わった。
廊下は走ってはいけないのだが、京ヶ峰の性格を考えると正直それどころではない。
後ろをチラリと見れば、千代田はピタリと付いてきていたが、一ノ瀬は少し離れている。
「もうダッシュしちまおうぜ?」
暗に「走るけどいいよな?」と一ノ瀬に問いかけた。
彼女はそれにすら躊躇っていたが、やがて「急ぎましょう!」と自分から速度をあげて俺たちを追い抜く。
それが、合図だった。
誰もいない特別棟の廊下を数人の足が叩く。
横一面に並ぶ窓枠の影は伸びて、オレンジと黒の縞模様を俺たちは駆けた。
誰か一人でも転んでしまえば、巻き込み事故になりかねない少し危険な状況。
それを一蓮托生と表現するのならば、この仕事を引き受けた時点で、既にそれは形成されている。
誰一人孤立することなくこの仕事は進めなければならない。
そのために、なぜか俺たちは廊下を全力疾走していた。




