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ハッピーエンドじゃないと出られない教室  作者: ナヤカ
二章 最円桜は一歩を踏みだす
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9話 胡兆くるみのお願い

――それは数年前のこと。


「よーいっ、ドン!」


 帰宅途中の河川敷。綺麗に整備されたランニングコース。


 そのスタート合図は、いつも唐突に桜の口から放たれた。


「あっ、おい! 待てって!」


 小学生の頃、学校内でトップクラスに速い桜の足には男子も敵わず、兄である俺ですら並走がやっと。スタートダッシュが遅れれば、桜に追いつける者などいなかった。


 必死に腕を振って走る俺に比べ、桜は跳ぶように前を駆ける。


 その様子を誰かは、「まるで天馬のようだ」と表現した。


 前で揺れるプラチナブロンドが夕日の光を反射して輝き、すれ違う人たちは皆、桜を目で追わずにはいられない。


「おいッ! どこまで走る気だ!!」

「向こうの橋まで!」


 優雅に駆ける桜からは重力が感じられない。

 それどころか、完璧な容姿に同じ人間なのかと疑ってしまいたくなる。

 一体いつ勉強しているのかテストは常に満点。

 桜の言うことに誰もが否定なく賛同する。


 それはまるで主人公。


 そのとき世界は、桜を中心として回っていた。


 少なくとも俺の目には、そう見えていた。


 そんな桜は、突然走るのをやめる。


 彼女が言った橋は、まだまだ視線の先。数百メートル走っても、まったく大きさに変化のないその橋に、俺は絶望と安堵をしながら桜に追いついた。


「どう……した? はぁ……はぁ……」


 膝に手をつき肩で呼吸。しかし、夕暮れのなかで佇む桜は息一つ乱してはいない。


 そんな桜の視線を追えば、河川敷で遊ぶ子どもたちの姿。


 よく見れば、男子が数人で女子を囲んでいる。


 いじめているのだと、すぐにわかった。


「……おい、まさか助けるつもりか?」


 そんな気がして桜を見上げれば、そこにあったのは得意げな笑み。


「お兄ちゃんは危険だと思う?」


 思わずため息。それに「危険だ」と答えたところで、桜が止まるはずがないことはわかりきっていたから。


 それでも、


「……危険だ」


 そう答えたら、


「わかってないなぁ。危険に立ち向かうのが英雄(ヒーロー)じゃん?」


 それは、さも当たり前みたく返されたのだ。


 まるで、「自分は英雄(ヒーロー)なのだ」と言わんばかりに。


「こらぁー!」


 声を張り上げ彼らへと向かう桜。その光景に俺はウンザリする。


 あと何度、こんな事があるのだろうか。

 あと何度、桜は危険に立ち向かえば気が済むのだろうか。


 考えることも嫌になって、馬鹿になって桜を追う。


「どうせ喧嘩するのは俺なのに……」



 その頃、世界は桜を中心として回っていた。


 桜はまるで主人公だった。


 だが、それは今でも変わってない。


 もしも、この世界を物語とするのなら、その主人公は桜だろう。


 主人公はハッピーエンドを迎えるものだ。


 だから桜も、ハッピーエンドを迎えなければならない。



 * * *



 普段の学校生活において、六組に話しかけてくる者などほぼいない。


 そう説明すると、六組自体が邪険に扱われているみたいに思われがちだが実は違う。


 六組だから嫌われているわけじゃなく、嫌われているからこそ六組に追放された、というのが正しい認識だろう。


 逆に言えば、嫌われていなければたとえ六組であっても話しかけてくる奴らはたくさんいる。


「俺さ、今度胡兆さんに告白しようと思ってるんだ」


 現在、学食で飯を食べながら戯言を述べている益田なんかが良い例。


「お前……それ何回目だ。どうせ遊ぶ約束なんかもできないくせに」


「あぁ、確かに今まではそうだったさ。でも、それで思ったんだ。受験や就職のことも考えれば、遊ぶことができるのも残り少ないという事実に! 俺は今すぐにでも胡兆さんに告白しなきゃならない!!」


 彼はご飯粒を口から飛ばしながらそう熱弁した。


「あの、益田くん。最円くんを少し借りても良いですか?」


 そんな俺たちの前にひょっこり現れたのは、今まさに話題の人物である胡兆くるみ。


「益田。ほら、今言えばいいんじゃないか?」


 グッドタイミングとばかりに益田を見れば、彼は胡兆を見たまま固まっていた。


「あっ、え、その……え?」


 その硬直から解けた益田は、今度は混乱を表情にだす。


「最円くんをお借りしたいんですけど」


「……は、はい」


「行きましょう。最円くん」


 結局、益田がそこで告白することはなかった。 まぁ、さっきの声量だと告白したようなものではある。


 俺は動揺したままの彼に「またな」と言って席を立つと、スタスタと歩いていく胡兆を追いかけた。


 それを呆然と見ていたのは益田だけでなく、学食にいた生徒たちも同じ。


 それはそうだろう。なにせ、男子の中でもそれなりに人気の高い女子生徒が六組に話しかけたのだから。


 だが、やはりその認識は間違っていた。


 六組であろうと、話しかけてくる奴はいるのだから。


「最近は、どうですか?」


 生徒があまりいない中庭の隅までくると、胡兆は突然そんなことを聞いてきた。これは英語でいう「How are you?」ということだろうか? なら、お勉強したままの返しをするのが良いだろう。


「元気だ。そっちは?」


「私も別に変わりありませんよ」


 そうして会話が途切れた。そこから先のお勉強はしてないので俺にはどうすることもできない。


 そんなこちらを察してか、胡兆はため息を吐いて再び口を開いた。


「あれから問題は起こしてませんよね?」


 あぁ、なんだ。その確認だったのか。


 ようやく彼女が話しかけてきた意図を察し、「大丈夫だ、問題ない」と答えようとした。


 だが、待てよ? 俺はふと、その言葉を直前で飲み込んでしまう。


「……たぶん、大丈夫だ」


「たぶん? 何か心配ごとでも?」


 俺の頭によぎったのは京ヶ峰のこと。


 彼女が生徒総会で行おうとしている質疑応答の件について思い出すと、不安になってしまったのだ。


「いや、実は今度ある生徒総会の手伝いを六組でしてるんだが、まぁ、たぶん問題ないと思う」


 それを事細かに説明するわけにもいかず、すこし濁した言い方をした。


「そうなんですね? ですが、六組には京ヶ峰さんもいますし、あまり心配はしなくても良さそうですけど」


 うーん。その京ヶ峰が原因で心配になってるんだが。


 俺は、それをどう説明したものか悩んだものの、結局あれこれ言うのは止めることにした。


 代わりに、


「京ヶ峰がいるとなんで心配いらないんだ?」


 疑問に思ったことを聞いてみた。


「京ヶ峰さん頭も良いですし、中学のとき生徒会役員でしたから」


「なん、だと……。それ本当か……?」


「はい。私、彼女と同じ中学だったんです。ただ、関わりはほとんどありませんでしたが」


 京ヶ峰が生徒会に入っていたと知って身震いした。奴はどんな恐怖政治を行っていたのだろうか……。


「彼女のお兄さんも優秀な方だったんですよ」


「……あいつ、兄ちゃんいたのか」


「ええ。今は就職してると思いますけど、私が通ってた塾の講師をしてました。人柄もよくて教え方も上手かったから生徒からは人気のお兄さんって感じでしたね」


「そうなのか」


 頭の中で、会ったこともない京ヶ峰の優しい兄を想像し、京ヶ峰と並べてみると、なぜだか『出涸(でが)らし』という言葉が浮かんだ。


 ちなみに、出涸らしとは、何度も()したせいで薄くなってしまったお茶やコーヒーのことをいう。まぁ、だから何とは言わないけどね!


「京ヶ峰さんも周囲に少しだけ優しくしていたら、今からでも生徒会に入れそうなんですがね」


「いや、それはやめておいたほうがいいと思うぞ」


「……なぜですか?」


「胡兆は知らないかも知れないが、京ヶ峰は我が強すぎる。実権なんか握らせたら何をやるかわからない」


「そうですかね? 生徒のために尽力してくれそうですけど」


「いや、あいつは――」


 自分のためにしか尽力しない、そう言いかけてやめる。


「京ヶ峰さんがなんですか?」


「あー、なんでもない。ただ、あいつは他人に関心がないからな」


 自分のためなんていうのは、京ヶ峰だけに当てはまることじゃない。それは俺も同じだし、きっと現会長である小金原先輩だってそうだろう。


 その、自分のためが回りまわって誰かのためになっているだけの話。


 俺が偉そうに言えることじゃないと寸前で気づいた。


「それは、そうかもしれませんね。他者に関心があったなら六組にいることもなかったでしょうし」


「その、優秀な兄ちゃんとは逆だな」


「まるで最円くんと桜さんみたいですね」


 胡兆はふふっと笑いながら言ったが、俺はそれに物申したい。


「いやいや、俺と比べたら桜のほうがよほど優秀だぞ?」


 兄である俺のほうが優秀なんてことはない。桜は俺の出涸らしじゃないし、むしろ、ろ過されてできた分とても綺麗だ。そして、かわいい。


 そう、彼女に反論したのだが、


「え? そんなの当たり前じゃないですか。私が同じだと言ったのは『兄と妹は正反対』ということです。だから、最円くんがダメであればあるほど、桜さんは優秀だと言いたかったんです」


「あぁ……なるほど」


 どうやら、俺の勘違いだったらしい。さすがはダメな兄である。そして、そう論じれば論じるほど、桜のほうが優秀になるのだから不思議と怒りは沸かなかった。ただ、ほんのちょっぴり悲しいだけだ……うん。


「そういえば、前に家に遊びに来ていいって最円くん言ってましたよね?」


「ん? あぁ」


「でしたら、今日お邪魔してもいいですか?」


 それは唐突なお願いだった。


「今日? まぁ、構わないが」


 そう答えると、彼女はホッと安心したように息を吐く。


「では、放課後に校門で待ってますね」


「いや、待て待て。さっき言った生徒総会の手伝いでやることがたくさんあるんだ」


「あ、そうでしたね! なら、終わったタイミングで連絡くれますか?」


 そう言うと、胡兆はスマホを取り出した。


「近くの喫茶店で勉強してるので」


「わかった」


 俺は頷いてスマホを取り出し連絡先を交換。


「ありがとうございます。また放課後に」


「あぁ」


 それが終わると、彼女は嬉しそうに去っていった。


 そのときに思ったが、胡兆が俺に話しかけてきた目的はこれだったのだろうと推察する。


 この学校で六組に話しかけてくる者はほとんどいない。


 だが、嫌われていなければ話しかけてくる奴はいる。


 そして……なにか目的がある場合でもそうらしい。


 どうやら俺はダシに使われたようだ。


「おい! お前、胡兆さんと何を話してたのさ!?」


 そんな俺に向かって怒りをあらわに歩いてきた益田。


「まさか……連絡先とか交換したんじゃないだろうな!」

「そのまさかだ」

「なっ……なんでだよぉおお! なんで、お前なんかが!!」

「あと、胡兆は今日うちに来る」

「はぁぁあああ!? どうしてだよ!」

「俺の妹と知り合いなんだ」

「お前ぇええ! 妹をダシに使ったなぁ! この卑怯者!」


 益田の怒りは頂点に達していた。もはやそれには呆れる他ない。


「……なぁ、お前って兄弟いたか?」

「姉貴が一人だ!」

「その姉ちゃん頭いいだろ?」

「だったらなんなんだよ!」

 なるほど。やはり、そういうこと(・・・・・・)らしい。


 俺は納得してため息。これは益田が悪いわけじゃなく、自然の摂理が悪いのかもしれない。


 俺はなんだか、目の前にいる益田が不憫に思えてきた。


「胡兆に、週末空いてるかどうか聞いといてやるよ」

「はぁ? 家に連れこむだけじゃ飽き足らず、デートまでしようって腹かぁ!?」

「違ぇよ。お前も一緒に遊びに行こうぜ、ってことだ」

「はぁ? はっ……ハッ! は、はぁああああああ!?」

「うるさい。あと、一文字リアクションのバリエーションどうなってんだ。それ聞いとくから許してくれ」

「おっ、お前……まじかよ」


 益田は態度を一変させ、俺に羨望の眼差しをおくってくる。


 扱いやすくて助かる。というか、なぜ俺はこんな奴に相互投票を裏切られたのか不思議でならない。


「じゃあ、またな心の友よ! 朗報を期待している!」


 そして、彼は笑顔で去っていった。


 その光景にはもはや何の感情もわかない。ただ、その切り替えの早さだけは見習うべきなのかもしれない……。

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