4話 ちゃんとした理由
「はぁ……」
職員室から出てきた一ノ瀬のため息は、誰もいない放課後の廊下に寂しく落ちた。
どうやら、六組の仕事量を減らす交渉に失敗したらしい。
「だめはっはみたいはね?」
そんな彼女の様子を、廊下の角から見守る俺の隣で、万願寺がアンパンをモグモグさせながら呟く。
「口に入れたまま喋んな」
一ノ瀬が職員室に入ってからというもの、万願寺は「張り込みみたいじゃん」なんて言い、わざわざ購買部まで行ってアンパンと牛乳を買ってきていた。刑事ドラマの見過ぎだと思う。
俺が呆れたように指摘すると、万願寺はもう片方の手にある牛乳を一気に口に含み、「おい、よく噛め」という静止を振り切ってごっくんと飲み下した。急いで飲んだからか、口もとからは白い液が垂れている。
「へへ、面倒くさいから飲んじゃった」
そう言って笑う万願寺。もはや、それに関しては指摘する気すら起きなかった。
「行くぞ」
「うん」
そうして、俺たちはトボトボと歩きだした一ノ瀬を追う。
彼女はそのまま生徒会室へ帰るのかと思ったのだが、向かった先は六組の教室。
そこで彼女は適当な席に座り、俺たちに依頼するつもりだった仕事を独りで始めた。
「なんで生徒会室に行かないんだろ」
「さぁな?」
扉の隙間から見ていれば、彼女は黙々と作業を進めている。とはいえ、一枚の紙と長くにらめっこしてから別のノートに何かを書き出し、生徒手帳を開いたり考え事をしているせいで、その作業速度はあまりに遅い。
「あれ終わるのか?」
「終わらないと思うけど」
そんな様子を見ていると、一ノ瀬は腕組みしたままペンを鼻とタコ口の間に挟んで遊びはじめる始末。
案の定、ゆらゆらとしていたペンは突然バランスを失って落ちて、床をコロコロと転がる。
それを拾って顔をあげた一ノ瀬と俺は偶然目が合ってしまった。
「ひっ!?」
しゃっくりのような悲鳴。
まぁ、気持ちは分からないでもないが、まるで見てはいけないものを見てしまったかのような反応には少し傷つく。
俺と万願寺は、諦めて教室へと入った。
「あ、あの……帰ったはずじゃ?」
「忘れ物を取りに来てな」
なんて言い訳を告げてから、
「結局一人でやってるのか?」
なんて、一ノ瀬がやっている作業に今しがた気づいた風を装う。
「……はい。皆さんの仕事量を減らすのは先生に断られてしまって。京ヶ峰さんに言われたみたいに、元々生徒会の仕事だったので」
そこまで言ってから一ノ瀬はしゅんと肩を落とした。
「なら、その元々通り生徒会に持ち帰ればいいだろ。なんで一人で作業してるんだ」
「実は、生徒会も結構大変みたいで」
みたいで。その言い方はまるで、一ノ瀬が生徒会に入っていないみたい。
「大変なのはどこも同じはずだろ。そこに、俺たちの大変さは全然含まれてないんだな?」
「最円くん!」
つい、京ヶ峰と同じような言い方をしてしまう。それに万願寺が咎めるような視線を送ってきた。
「生徒会に持ち帰らない理由でもあるわけ?」
万願寺が優しく問いかける。一ノ瀬は躊躇っていたものの、机のうえに置かれた書類を見てから重い口を開いた。
「私、生徒会の仕事が何もわからなくて。戻っても足手まといっていうか、仕事を増やしてしまうだけなので」
言いながら一ノ瀬は自嘲気味に笑う。
その表情からは、あまり上手く仕事をこなせていない一ノ瀬の普段が想像できた。
「大変って、何がそんなに大変なんだ?」
「なにか、予算折衝で連日部長さんたちと話し合ってるんです」
それを聞いて、俺はようやく「あぁ」と納得。対し、万願寺は疑問符を頭に浮かべていた。
「よさんせっしょうって?」
「部活動には、それなりの予算が生徒会から出てるんだが、その額を決めるための話し合いのことだ」
「部費って生徒会からでるの?」
「個人で支払う部費とは別だ。まぁ、卒業生の寄付によって賄われる場合もあるが、ここは数年前にできたばかりの学校だからな? 各部での年間費用データも少ないだろうし、手間取ってるんだろ」
簡単に説明すると、万願寺と一ノ瀬が「へぇ」と感嘆を漏らした。いや、一ノ瀬がその反応したらダメだろ……。
「最円くんって結構物知りなんだ?」
「お前なぁ。生徒総会の資料作ってるとき校則とかその辺の説明読まなかったのか?」
「そういえば……数字をたくさん打ち込んだページで空白を開けてる部分あった気がする」
万願寺の言葉を聞いた瞬間、頭が痛くなってきた。
「その数字がぜんぶ金だ。俺は前年度報告のページを担当したから知らなかったが……今のままで間に合うのか?」
言いながら一ノ瀬を見れば、彼女はキョトンとしたあと小首を傾げた。
絶望的なため息が出そうになり、寸前でそれを飲み込む。
「おそらくだが……予算案が切羽詰まってるから、本来生徒会がしなきゃいけなかった仕事を俺たちに回したんだろう。最初からその説明をしてれば京ヶ峰も納得したはずだが……」
「そ、そうだったんですね」
ため息を吐かずとも一ノ瀬は察したのか、申し訳なさそうにする。
そして、そうやって回した仕事すら現在も進んでいない。
「一ノ瀬。生徒会長はまだいるのか?」
「あっ、はい……。まだいるはずです」
それを聞いた俺は、書類を手に取った。
「あの、なにを」
「ちゃんとした理由を聞きに行く。今言ったのは俺の憶測だしな」
答えて万願寺を見れば、コクリと首肯。一ノ瀬は事の重大さを理解していないらしく、未だに呆然としていた。
まぁ、万願寺も頷いただけだろうが……。
「一ノ瀬。詳しいことは後から教えてやるから、取り敢えず一緒にきてくれ」
「わ、私もですか?」
一ノ瀬は見るからに動揺した。お前が来なくて誰が取り次ぐんだ。
「俺は六組だぞ? ぞんざいな対応をされたっておかしくない。それに、俺も万願寺も変な噂が付いて回ってる」
そう説明して、ようやく彼女は納得したようだった。
「そういえば……喧嘩した人と壺買わせる人ですよね?」
俺と万願寺を交互に指さした一ノ瀬は、口に出したあとであわあわと慌てだす。
「な、殴らないでください! 変なところにも連れて行かないでください! でも仕事は手伝ってほしいです!」
そして、頭を抱えて変な勘違いを叫んだあとに、図々しいお願いだけはちゃんと付け加えてきた。
俺は呆れを通り越し、もはや称賛の境地にまで至る。
こいつ、よく生徒会に入れたな……。
 




