30.5話 六組に残る理由【万願寺視点】
由利から、私を二組に戻す計画を聞いた時、なんとなくそんな気はしてた。
「もしかしてさ、最円くんの下駄箱になにかしたことあった?」
「あー……、呼び出しの手紙入れたことはある」
やっぱり。
前に一緒に登校したとき、彼が下駄箱で私に隠し事をしたことがあった。その内容まではわからなかったけど、あれが由利からの手紙だったんだ。
「とにかく、今度の投票で優を二組に戻すから」
由利はそう告げた。
でも、私だって二組に戻るわけにはいかない。
「待って。二組には戻らない」
そう答えたら、由利はため息。
「そう言うだろうと思った。でも、これは私が決めたことだから」
そこには、私の意見になんて聞く耳を持たない毅然とした態度があって、彼女の覚悟が見て取れる。
もしかしたら、私がまだ『同じ理由』で六組に居たいと思っているのかもしれない。
でも、そうじゃない。
「私さ、まだ六組に居たいんだ」
ゆっくりとそう告げる。
それはやっぱり、最円薫という男の子が原因。
この学校に入学して、負け組と呼ばれる六組に追放されて、「自分は社会に居るべき人間じゃないんだ」と思っていた日々のなかで出会った男の子。
彼は……ちょっと変わっていた。
それはもう、普通の人たちから溢れて、六組に追放されてしまうほどに。
でも、その人間性は非難されるようなものじゃなくて、むしろ評価されるべきものだと思った。
評価を得ることを諦めてしまった私なんかより、ずっと。
それが合っているのかどうかを、私はこの目で確かめたい。
「……」
由利は厳しい表情をしていたけど、理由まで聞いてこない。
もしかしたら、もう理由なんて気づいているのかもしれない。それか、聞いても無駄だと思っているか。
ただ、何を言われようと二組に戻るつもりはなかった。
少なくとも、最円くんが六組を出るまでは。
やがて、由利は笑ったように二度目のため息。
「なんか……優、ちょっと変わったよね? 最初六組に追放される提案をしてきたとき、すごく弱々しかったのに」
「そうだっけ?」
「うん、そうじゃん?」
そうかもしれない……。由利に自分を六組に追放する提案をしたとき、私は自分に絶望していた。
生きづらいのは社会じゃなくて、自分の性格が社会に不適合なのだと気づいて呆然としていた。
ずっとこのまま死んだように生きていくんだと思った。
そしたら何もかもがどうでもよくなって、世界は途端に色味を失った。
頑張ることが馬鹿らしく思えて、何かに夢中になることすら無意味に思えた。
でも、そんな世界で私は、アホみたいな主義を掲げる彼を見つける。
そして、彼はその主義に従って、私のせいで罰を受けた。
それだけじゃなくて、由利と一緒に私を二組に戻す計画まで立てていた。
それを知らずに私は不機嫌になっていたというのに。
「……わかった。優のやりたいようにやりなよ」
やがて、由利は何も言わずにそう言ってくれた。
「いいの?」
「良くはないけど……あんたにとっては良いことなんでしょ?」
「うん」
「なら、あんたが戻りたくなる時まで私はクラスリーダーでいるだけだから」
きっと由利が承諾してくれることを私は確信してたんだと思う。
彼女は何だかんだ言いながらも、これまで私がやりたいようにやらせてくれたから。
そういう人を親友に選んだから。
それを卑怯だとわかっていながら、私はさらなるお願いを口にする。
「それとさ……協力してほしいことがあるんだけど」
それが彼にとって余計なお節介になることもわかっていながら、とある作戦を由利に話した。
「最円くんをさ――足止めして欲しいんだ」
これから先、ただボウっと六組にいるつもりなんてない。
遠くから眺めて、何もできない情けない自分のまま過ごすつもりもない。
彼がそうしてくれたように、私は彼のためだと思うことをやりたい。
そのせいで傷つくことなんて、私には慣れっこだったから。
* * *
「優お姉ちゃん……?」
急いでマンションに到着してからインターホンを押すと、桜ちゃんが不思議そうな顔で迎えてくれた。
「お、お兄ちゃんは?」
「最円くんはあとから帰ってくるよ」
「そうなんだ?」
何の疑問もなく納得した桜ちゃんは、どこか落ち着かない様子で手遊びを始める。そのさまよう視線は、未だ帰ってこない兄を探していた。
そんな桜ちゃんに近づくと、彼女は一瞬ビクリとしたあとで作り笑い。
彼が桜ちゃんを大事にしているのはよくわかる。
桜ちゃんも、そんな彼を信頼しているのが手にとるようにわかる。
でも、その関係はあまりに絡みあい過ぎて、彼だけに負担がかかっているように思えた。
「桜ちゃん」
「な、なに? いひひ!」
私にとっては桜ちゃんも大切にしたい人のひとり。
ただ、それは“最円くんが大切にしてる妹だから”というだけの理由。
「実はさ、私と最円くんが在席してるクラスは少し特殊で、他の人とは別々で授業をしてるの」
「……そう、なの?」
優先順位を付けるのなら、私は彼を取る。
「そう。それでさ、朝の登校時間も普通と違って、他の人たちよりも一時間早く登校しないといけないの」
「……」
そのために、私は桜ちゃんに告げなければいけない。
「でも、最円くんは桜ちゃんのためにそれを拒否してて、今日まで……ずっと遅刻してるんだ」
その瞬間、桜ちゃんの目が大きく見開かれた。
「それが原因で、最円くんは先生たちから良く思われてないの」
丸い瞳の円周から、じわりと涙が滲んだ。それが辛くて、私まで泣きそうになってしまう。
でも、それよりも辛いことがあった。
変えなきゃと思うことがあった。
「だからさ、これからは最円くんが遅刻しないようにしてあげたい」
それに桜ちゃんは、目を見開いたまま立ち尽くす。
「あ、あ……その」
そして、私から一歩遠ざかろうとした。
そんな彼女に再び詰め寄ろうとして――。
ガチャリ。
「最円くん……」
全速力で走ってきたのか、呼吸を荒くした最円くんが帰ってきてしまった。
 




