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流星は蒼く輝く  作者: たぷたぷゴマダレ
7/14

第7話【それでも翼はそこにある】

 終わりは今始まる。

 全ては一つに集約される。


 ◇


 ゼロツーは頭を押さえて体を起こす。あたりを見渡すと、ゼロワンたちが、同じように倒れて地面に伏せていた。

 あたりは静まりかえっていた。物音ひとつ聞こえない、奇妙な空気。まるでここだけが別世界なような、そんな気さえする。

 ただ、一人。ドクターだけが、慌てたようにパソコンのような機械をいじっていた。カタカタと、キーボードを弾く音は、跳ね返って増幅する。

 嫌な予感がした。生唾を飲み込み、ゼロツーはドクターの背中を見つめていた。小さなその背中は、いつもよりももっと小さく、そして震えて見えた。


「そんな……なんてこと……」

「ドクター、どうしましたか」


 なんとなく、聞きたくなかった。ピタリと指を止めたドクターは、ただならぬ雰囲気を持っていたから。

 何か、全てが崩れ去るような気がする。それを直感でゼロツーは理解していた。

 そして、ドクターはじっとパソコンを見つめながら、口を開ける。


「ここはどうやら次元獣の巣みたい。ボクたち、運悪く巻き込まれたみたいだね」


 嫌な予感が当たってしまった。くらり、倒れそうになるのをゼロツーは踏ん張り耐える。

 次元獣の巣は、何処にでも突然現れる。それがたまたまここになっただけ。運が悪いだけとも言える。

 しかし、覚悟してない覚悟すべきことは、突然起こると対応できなくなる。何度も息を何度も吐き、気持ちを無理やり落ち着かせた。



「とにかくみんな固まって! 一人になっちゃダメ。救助が来るまでここで——」

「素晴らしい!!」


 突然声が聞こえた。振り返ると、恍惚とした表情浮かべて、ニヤニヤと笑うゼロワンの姿があった。

 ——いや、あれは本当にゼロワンなのだろうか。まるで別人のような空気を纏うそれを見たとき、思わずゼロツーは後ろに少しだけ下がった。


「聞こえる……愛する人間が助けを呼ぶ声……今行きます、私が、汚らしい次元獣を蹴散らして!救ってみせます!!」


 そういって瞬間、ゼロワンは駆け出していく。止めようと、てをのばしたとき、彼女の顔が視線に入る。

 ニヤニヤと笑う彼女の顔は、まるで狂気的で。どこか変な空気があった頃と比べると、真逆のようになっていた。

 そしてその顔はこう言っているようにも感じた。

 邪魔したら殺す。

 それだけを教え込まれたら、ゼロツーがその場から動けなくなるには十分すぎた。気がつけば、ゼロワンの姿は消えていた。

 動けるようになったのは、ゼロスリーが、こちらに声をかけてきてから。ゼロツーは、頭を押さえて、大丈夫だと何度か呟く。

 不気味なように静まり返った部屋の中、どこからからか聞こえる爆発音だけが、微かに聞こえる。

 ゼロワンが、このまま全てを解決してくれるのだろうか。そう思えば楽だったが、嫌な予感。というものが、ゼロツーの中を走り回る。

 彼女は今、おかしくなっている。敵と味方の区別もつかないのではないだろうか。もし、人間に手を出してしまっていたら。そう考えると、恐ろしくなり、体がガクガクと震える。


「——行こう」


 その静けさを打ち破るのは、小さな少年。ゼロスリー。彼は同じように震えながら、前を歩く。

「何やってるんだ!」慌ててドクターがゼロスリーを止めようとする。腕を握り、ドクターは踏ん張るが、ゼロスリーはそれでも前に進む。

 ゼロツーは、彼の行動が理解できなかった。彼はこの中で一番弱い。それなのになぜ、ここから危険地帯に向かおうとするのか。

 ゼロスリーは、そんな彼女たちの気持ちを理解したのか、口を開けてつぶやいた。


「何か間違いが起こる前に、止めないといけないんだ」

「ぜ、ゼロスリー……」

「僕は力は弱いけど……でも、口は動くから! ゼロワンお姉ちゃんを説得してくるよ」

「危険です! ゼロワンお姉さんは今、我を忘れてる……!」

「……大丈夫だよ」


 そういうと、ゼロスリーはにっこりと微笑んで、こちらを向く。真っ白な顔は、まるで死人のように。目には涙を溜めて。


「みんな、僕が守るから」


 彼はそう言ってドクターの手を振り払い、外に飛び出した。静止する声すら、届かない。

 理解できなかった。いや、したくなかった。ドクン。心臓が跳ねる。なぜ、ここまでして無駄に危険なことをしようとするのだろうか。

 生きろと、生き残る道を選べ。そう、心が叫んでいた。

 残りたかった。隣を見ると、ドクターもどうすればいいか、頭を抱えているようだった。ならば、ドクターを守るという名目でここに残ればいいのではないか。

 だけれど。


「……私も、出ます」

「ゼロツーちゃんまで……」


 羨ましかったのだろうか。嫉妬してたんだろうか。

 ゼロスリーの背中を、追いかけなければ、一生このままだと。理解していた。

 生きたい。されど、このままではダメだ。ゼロツーは意を決して、扉のほうに進む。

 すると、ドクターが慌ててゼロツーの横についた。なぜかと思い、そちらを見ると、ドクターは笑う。


「なんだかんだで、一番年上だからね。保護者同伴ってやつだよ」


 あはは。ドクターのその言葉を聞くと、ゼロツーも少しだけ笑顔が溢れた。

 なんとなく、いけるような。そんな気がする。とにかく今することは、研究員たちの救出。そして、その中でゼロスリーと、ゼロワンを探すこと。

 事態は一刻を争う。

 扉を開けた瞬間に聞こえてくる物音、そして、あたりに散らばる人間だったもの。初めてみるその肉片に、ゼロツーは思わず目を逸らした。

 ドクターは慣れているのだろうか。こちらを気遣う声をかけてきた。ゼロツーは何度も息を吐き、そして進むことを決める。

 小うるさい教師。食事を提供してくれたおばさん。授業風景を見にきていた偉そうな人たち。全て、物言わぬ死体になっていた。

 見てて気分の良いものではなかった。されど、ゼロツーはそれから目を逸らしたくはなかった。一瞬だけでも、気持ち悪いと感じた過去の自分を叱りつけ、いまだに騒ぎが聞こえる方に足を進める。


「なんでこんなことに……」


 ドクターは弱音を漏らした。その言葉に対して、ゼロツーは頷くことしかできなくて、何を言えば良いかもわからず、口を閉じる。

 しばらく進むと、広い場所に出た。ここは確か、訓練所だったか。ゼロワンの凄まじい運動力を見て、口が閉まらなかったのを思い出した。

 彼女たちは、どこにいるのだろうか。そう考えて、あたりを見渡した時。


「あ、あそこ! みて、ゼロツーちゃん!」


 ドクターが指さした。その先には、ボロボロになっているゼロスリーの姿があった。

 安堵と同時に、疑問が湧き出る。なぜ彼は、あそこに一人でいるのだろうか。ゼロスリーは聡明だ。もし傷ついたのなら、こんなところじゃなくて隠れるはず。

 その時、彼が口を動かした。3回。たった三文字の言葉。何と言ってるかはわからなかった。しかし、何を言おうとしてるかは、一瞬で分かった。


「よかった……あとひと——」


 ドクターの声が終わるより先に、ゼロツーはドクターを地面に無理やり押し倒す。その瞬間だった。

 巨大な爆発音が、あたりを包んだ。

 耳を塞ぎ、音が消えるのを待つ。揺れる視界、揺れる音。何もかもが、音を立てて崩れ去る。

 何分。何秒。そんな時間、数えるのも忘れ、ゼロツーは立ち上がる。爆発が発生した場所は、ゼロスリーがいたところから出ており。


「う、くぅ……」

「ゼロスリー!」


 彼は無事であった。しかし、生きてるだけという意味であり、やがて死に至るのは明らか。

 ゼロツーは当たりを慌てて見渡す。この爆発の理由は、確実にあるから。

 しかし、ドクターは慌てて彼の元に走り出した。ドクターも、この爆発の理由がどこかにあるのはわかっている。しかし、それを止める理性がもうないのだろう。

 ドクターを追いかける形でゼロツーも走り出す。ゼロスリーはボロボロで、こちらを見ると小さく口を開けていた。


 に

 げ

 て


 口がそう告げていた。理解はした。頭が、逃げなければと、警報を鳴らす

 しかし、一瞬。たった一瞬。判断が、思考が、想像が、ぐらつく。その一瞬が、致命的。

 瞬間だった。ゼロツーは腹部に、強い違和感を覚える。それが、何かに殴られたと理解した時、体は大きく吹き飛ばされる。

 胃の中に溜めていたものが、全て口から出ていく。ガクガクと震え、ゼロツーは顔を上げた。誰が殴ったのかを確認したかったから。


「ゼロ……ワン……姉さん……!」

「ふふ、ゼロツーちゃん。さっきぶり」


 そこにいたのは、ゼロツーだった。彼女の体は血みどろで、その赤い化粧は、普段の美しい姿をどこか妖美に、彩っていた。

 ゼロツーは震えながら立ち上がり、ゼロワンを見つめる。

 ゼロツーは口から唾と血をまとめたものを吐き捨てる。じわりじわりと床に広がるそれを、足でかき消した。

 ゼロワンは、口についた血を舐めて、小さく笑っている。美しく、可愛らしく。その美貌は、生物の域を超えて、何か、別物にも思えた。


「なんで、こんなことを」


 したのか。

 その最後の言葉は言えなかった。言いたくなかった。言えば、全てを認めてしまうから。

 でも、どこか確証に近い疑念はあった。彼女は、もともと恐ろしいほどの人間好きだ。人間のために戦うことを誇りに思い、次元獣を汚らわしく思っている。

 だが、その人間像はあくまでゼロワンの希望だ。本の中の、素晴らしい人間達。そして、彼女達に関わってきた人間は——


「お姉ちゃん、ここの人たちを人間って認めたくないんだ」


 ——汚らわしい存在しか、いなかった。


 ゼロワンはチラリとドクターの方を見る。ドクターはすでにゼロスリーを守るように、彼を引きずり歩いていた。


「助けるから……僕が絶対に……!」

「ドクターは、まだマシな人でしたね……でも、そいつは違う」


 そう言う瞬間に、ゼロワンはドクターに一気に距離を詰める。そして、ドクターを殴り飛ばし、ゼロスリーの頭を掴み上げる。

 ギリギリと、ここまで聞こえてくる締め付けている音は、こちらの心臓に響き渡る。体が、脳が、言うことを聞かない。


「こいつは言ったんですよ。人間は素晴らしいんだって……そんなわけない。今生きてる人間は……次元獣より、汚らわしい」

「や、やめろ……!」

「私たちを見つめるあの目、そして、私の力を見た時のあの顔。全て、全てが汚らわしい……!」


 ゼロワンは、その時。こちらを向いた。

 ——ゼロツーちゃんもそう思うよね?

 その目はそう語っていた。そう告げていた。ゼロツーは頭が回らず、ただ、その光景を見つめることしかできず。

 そして。


 グシャリ


 潰れた。

 りんごのように、音を立てて、少年の頭が、潰れた。赤い血が、あたりに飛び散り、肉片が、音を立てて地面に落ちる。

 どさり。落ちた体は、もはや生物としての機能を持っておらず。ただ、ただ。赤い液体を垂れ流すだけのものとなった。

 ドクターは叫び声を上げて、その倒れた物に駆け寄った。誰の目で見ても、それはもう生きていない。

 ゼロツーは、それをただ見てることしかできなかった。体が全身が、氷に閉じ込められたかのような冷たさに襲われる。

 岩にくくりつけられたかのように、体は重くなり、ドサリとその場に座り込んでしまった。

 手についた血を払いながら、ゼロワンがこちらに歩いてくる。一歩一歩。その音が、まるで死神の靴音に聞こえる。

 口から漏れる息は、ガタガタと小刻みに発せられて、ゼロツーは自分が雨に濡れた子猫のようになってるのを感じた。

 吠える力も、抗う勇気もなく。ただ、ただ。目の前にいる死神を、見ることしかできなかった。

 遠くに転がっているゼロスリーの死体は、ゼロツーの未来を語っている。受け入れる覚悟はなかった。

 ゼロワンは、ゼロツーを見下ろす。彼女の冷たく、そしてどこか温かい視線を見据えられて、ゼロツーは、全て終わることを理解した。

 それでもゼロツーは、全てを受け入れざるを得なる。


「と、とまれ! ゼロワぐべぇ」


 ドクターが何かしようとした瞬間、ゼロワンは距離を一気に詰めて、ドクターを殴り飛ばした。ゴロゴロとおもちゃのように転がるソレは、壁にぶつかり、そのまま倒れる。

 動かなくなったドクター。しかし、胸はかすかに上下していて、まだ息はあるようだった。


「……ゼロツーちゃんは、どう思うの?」

「……ぅ、え……?」


 突然、ゼロワンに投げられる問いかけ。ゼロツーは意味がわからずに、声が漏れる。


「ゼロツーちゃんは、人間のことどう思うの? 素晴らしいと思う? それとも、醜いと思う? ……どっちなのかはわかるよね。ゼロツーちゃんは、賢いし」

「あ、っ……そ、ぅ……」


 突然の質問(脅し)に対して、ゼロツーは頭が回らなかった。口を開けても出てくるのは、一文字だけの単語にもならない言葉の羅列。

 何を言っても、彼女は納得しない。何を叫んでも、彼女は意に返さない。ゼロツーは、いつの間にか“詰み”の状態にされていた。

 震える喉は、声とも音ともわからないようなものしか発しなくなる。助けて欲しいと、その願いは無意味なものと知っていた。

 その時だった。


「そこまでだ」


 声と共に、ゼロワンとゼロツーの間に、何かきらりと光るものが突き出された。それが、何かの刀のようなものだと理解した時、ゼロワンに向かって薙ぎ払われる。

 ゼロワンはすぐにそれを避けて、息を吐く。ゼロツーの前に立つのは、黒いゴワゴワとしたスーツを着た男性だった。

 彼はこちらをチラリと見たあと、ゼロワンの方を睨みつける。


「消えろ、化け物」

「あらあら……初対面にしては、なかなか厳しいですね」

「……()()()()も連れて消えろ。後々ここにくる人数は何百人もだ。お前たちでは手におえない」


 男性がそういうと、ゼロワンは笑った。クスクスと。いたずらっ子のように、彼女は笑った。

 そして、チラリとゼロツーの方に視線を向ける。

 ゼロワンはふわりと、浮かび上がる。

 その瞬間、地面が揺れる。大地が震えて、ゼロワンの周りに何かが現れる。それは、数だけでも10を超えている。

 それら全ては異形だった。およそ、この世界に存在してはいけないものども。それが、ゼロワンを奉るように、そこにいた。

 次元獣。

 ゼロワンの周りにいたのは、次元獣だった。それらを引き連れている彼女は、まるで女王のようである。

 その彼女が、こちらを向いて微笑んだ。ゆっくりと口を開けて、ゼロツーにわかるように声を発した。


「今度は答えを教えてね」


 ——ゼロツーは今、翼が消えた。


 ◇


 チク。タク。


 時計の針の音が部屋に響く。沙紀は一人。ベッドの上で天井を見つめていた。

 ゼロワンに襲われた先日のことを思い出し——そして無様に負けたことも思い出して——沙紀は、何かを吐きそうになる。

 朝から何も食べていない彼女の口から出るものは、何もない。ただ、果てしない気色悪さに襲われて、どんどん視界が狭くなるだけだった。

 沙紀は、過去に囚われている。そのことは、自分がよくわかっていた。

 進めない。足が動かない。何かを考えると、必ずゼロワンが前に立ち、口を開ける。


「また、会ったね」


 と。沙紀の中では、全て、ゼロワンに全て縛られていた。前も、後ろも、全て。ゼロワンがいる。ゼロワンに、あう。

 だからもうどうでもよかった。ゼロスリーのように死ぬのは、嫌だった。次元獣と戦ってたのは、もうそれしかできないから。沙紀は歳は取るが、姿は変わらない。その中で中学生のような背丈の自分はまともな仕事につけるわけがなかった。

 生きるために、いつかぶつかる壁の前に立ち続ける。苦痛だった。だんだんと、生きるのも億劫になっていき、無気力な毎日が続いた。

 不良の真似事もその時からなんとなく始めた。あまり、楽しくはなかったが。

 それを不憫に思ったのか、ドクターが学校に行くことを提案し、大介がその手続きを進めて終わらせた。

 変わらないと思ってた。現に、数ヶ月の間は何も楽しくなく、何もかも適当に受けていた。人より何十年も生きている沙紀にとって、テストなど算数を解くかのように簡単だった。

 無気力な毎日が続く。そう思っていた。

 それなのに——


「緑川さまーー!!」

「っ……げ、幻聴……?」


 ドンドン! 扉を叩く音が確かに聞こえ、また。沙紀の名前を呼ぶ声も聞こえた。これは幻聴でもなんでもなかった。

 今一番聴きたくない声(求めていた声)は、扉の向こうから聞こえてくる。沙紀は耳を塞ぎ、その声を物理的に遮断しようとした。

 しかし、音は止まない。時計の針がどれだけ進んでも。扉の向こうであの子が咳き込む声が聞こえても、すぐにまた、その音は響き続ける。


「……るさい」


 退屈な人生。暗い、闇のような人生。何をしてもゼロワンが、生きている。それだけで全てを諦めてきた人生。


「緑川さま! わたくしですわ、智代子ですわよ!!」


 明日その壁によって死ぬかもしれない。そんな考えと共に生きていた。だから、何をしてもこれは無駄なんだ。意味がないんだ。

 闇は深く、暗く。四方は壁に塞がれて、息もできない、視界も狭まり、何も見えない。

 それでも。


「……うるさい!」


 声は、聞こえた。


「緑川さま!」

「早く、帰ってください……! 呼んでもないのに、しつこいです!」

「……緑川さまの話、先程ドクター様からお聞きしましたわ」

「っ……」

「過去の話を。ゼロワンさま、ゼロスリーさま……あなたたちのことを」

「な、んで……! なんで聞いてしまったんですか!」

「緑川さま……」

「私は、そうですよ、私は……あの日からずっと、あの人に勝てない……私は、私は……」


 ああ、知られてしまった。私の全てを知られてしまった! 全身が重くなり、体の中から出せれるものは全て吐き出せてしまいそうだ。

 ゼロツーは、今。全て溶けていくような感覚に襲われる。空気に、空間に、世界に。自分という存在が消えていく。

 いや、このまま消えたらどれだけ楽か。見せたくない人に、知られたくない人に自分の心が丸裸にされていく感覚に、沙紀は酷く、この世から消えたいと願った。

 だって、だって私は——


「弱いんだ……!」

「強いですわね、緑川さま」


 瞬間だった。

 智代子がつぶやいた言葉は、消えていく体に、強く張り付いた。

 消えていた世界に聞こえる声は、煩わしかった。闇の中に、響く声は、邪魔だった。あの声は沙紀の、心を揺さぶる声だったから。

 でも、彼女の声は、不快感はない。ただ、沙紀の心に落ちていく。水のように、清らかな声が。


「強いなんて……そんな慰めは」

「慰めなんかじゃありませんわよ。だって、何年も、何十年も……ゼロワン……さんと戦っておりましたでしょう」

「でも……でも、私は負けた! また、誰も守れなかった……また、誰かに助けられた……!」

「負けましたわ。でも、まだ終わっておりませんわ!」

「なっ……」


 ガン! 扉に何か、ぶつかる音がした。両開き式の硬い扉は、沙紀以外のものは開けることができない。


「わたくし……はッ……! 緑川さまのことを知って……! 少しだけ理解しましたわ……あなたは、負けて……ないっ!」

「だからそんな慰めはいりません……!」

「いいえ、いいえ! あなたは立ち向かった! わたくしは見ましたわ、わたくしたちを守るために戦った、あの姿を!」

「違う!!」

「違わない!!」

「ちがう!!」

「いいえ! あなたは逃げませんでしたわ! 目の前に来た脅威に、立ち向かいましたわ!」

「それは……! でも、私は今までずっと、ずっと……!」


 その瞬間だった。

 ガッ、ドンッ!

 大きな音が鳴り、扉が微かに開いた。隙間には、何かバールのようなものが差し込まれており、それが力任せにぐいぐい動いている。

 一人の部屋だったのに。沙紀しかいない世界に、異物が入り込んできた。それは、暗く、狭い世界に、一筋の光を差し込ませる。

 光は、暖かい。しかしそれに触れてはいけないと、沙紀は真っ先に考えて、慌てて後ろに這って移動しようとして。


「緑川さま」


 彼女の声に、足は止まる。沙紀は、ゆっくりと振り向いた。

 光が目に入り込む。一人の少女は、こちらを向いてにこりと笑う。優しい、微笑み。それを見た沙紀の体は震える。

 手が、差し出された。それはきっと、取るともう戻れないだろう。でも魅力的で、美しくて、思わず見つめていた。


「……わたくしは、緑川さまに助けられましたわ。だからここにいます」


 手と、手が重ねられた。暖かくて、こころが少しだけ緩くなる。


「逃げ続けることは罪ではありません。諦めることが罪、なのですわ。貴方は、諦めなかった。折れかけても、わたくしを助けるために戦った」

「わ、私は……」

「もしまた折れそうなら、わたくしはまた。貴方の手を取りますわ。緑川さま」


 光が、部屋に入ってきた。闇があるところは、徐々にかき消されて全てが鮮明に見えてきた。


「わたくしはここにいます。貴方のそばから離れることはありませんわ」

「なんで……私にそんなに……」

「だってわたくし。緑川さまのことは大切な友達だと、信じておりますから」


 沙紀の心は、もう解けていた。身体中についていた縄も、氷も。全て消えていた。

 ぽたり、ぽたり。数滴の水が、床に落ちていくのが、見えた。これはきっと、体についていた氷が溶けただけ。

 沙紀はそう思い、その、太陽のような少女の手を、握り続けていたのだった。

 沙紀の翼はそこに確かに残っていた。


 ◇


「……大丈夫かなぁ、チョコちゃん達」

「大丈夫っスよ……二人とも、強いっスから」


 病室の中に残されたドクターと紫は話していた。沙紀の過去を告げたあと、智代子が言ったのは、バールのようなものがないかと言う質問だった。

 扉を壊すために必要だと言うのはわかったが、それなら外から機械操作で開ければいい。しかしそれを智代子は選択しなかった。自分でやらないと意味がない、と。

 だから任せていた。先ほどから微妙に響く音は、おそらく扉を破壊している音だろう。修理費とかは、どうなるのかな。そんなことをドクターはぼんやり考えていた。

 沙紀の過去は、言うべきじゃなかったのかもしれない。しかし、もし。このまま二人が離れていけばもう沙紀の心は折れてしまうのはわかっていた。

 悩んで、悩み続けて。出した結論。正しいのか、わからない。


(でも、正しかったみたいでよかったあ……)

「あぁ、ドク。ここにいたか」


 扉が開いて、大介が部屋の中に入ってくる。一瞬だけ、沙紀の部屋の方に視線を向けたが、すぐに前を向いた。


「あいつらは?」

「多分大丈夫だよ。きっとね」

「そうか……ならいい。それじゃ、本題だが」


 そう言って大介はちらりと紫の足の方に視線を向ける。

 紫の足は、もう見るも無惨になっていた。修復を待つより、切断した方が早い。それほどまでにゼロワンにやられた傷は深かった。

 このまま辞めることはできた。退職金も、保険も下りるだろう。おそらく節約すれば遊んで暮らせるはずだ。

 しかし、紫は。


「……紫の義足は、手配はできた。ドクターが前から作ってたやつがあったからな、明日にもつけれるだろうよ」

「…………」

「紫ちゃん……」


 戦うことを選択していた。彼女はコクリと頷き、自分の足があった場所をさする。

 強いな。ドクターはそう考えていた。紫も、そしておそらく立ち上がるだろう沙紀のことも。少し、羨ましく思っていた。


(歳をとったかもなあ……)


 みんな変わっていく。成長していく。それを間近で見れたことに対して、ドクターはうれしくも、そしてどこか、遠くに消えていくような気がして寂しくも感じていた。

 紫達は談笑を続けていた。その声を聴いていると、時計の音すら聞こえなくなる。

 ドクターは1人、天を仰いだ。

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